そして、わたしたちの道はつづき
笑川雷蔵
第1話 そして呪いは解けて
呪いが解けたのです。
呪いをかけられ塔に囲われ、救いを待つ姫君のおはなしは世にあまた。わたくしにかけられた呪いも、よくあるもののひとつでした。すなわち、
「姫のたぐいまれなる美しさ、姿を見せれば災いをもたらそう。その笑まいをめぐり諸王勇者が相争い大地を血に染めるであろう」
すこやかなるお兄さま、お優しいお姉さまにつづいた、わたくしの生誕祝いに湧く宮殿の広間で、宴に招かれなんだ老いたる女神が怒りとともに放ったことばに、居合わせた誰もが震え上がったそうなのですが。
「もう、婿殿ったら。あれほど祝いの招待は大事ないかとたずねましたのに」
みずからの落ち度に気づき青ざめるお父さまと、あまりのことに気を失いかけたお母さまを支えるかのように、聞く者すべてを陶然とさせる声で応じたのは、祝いの席をはなやかに彩っていた虹色の雲――わたくしのおばあさまにあたる美の女神でした。
「誇りたかきマイラス山の母なる御方への招待を忘れるなんて、なんてうっかりさんなのでしょう」
ごめんなさいねえと、鷹揚なこえとともに虹色の雲のあいだから象牙とも見まごう白く美しい手があらわれました。その指先がなにかしるしのようなものを描いたとたんに、山の女神の御ためにと、選りすぐられた山海の珍味と美酒の杯をたんと載せたみごとな饗宴の卓と、山と積まれたぜいたくな土産物の数々があらわれたそうです。この大盤振る舞いには、さしもの女神も怒りをやわらげたそうですが、
「輝く金の髪、虹の裳裾の君よ。怒りにまかせし我が言霊を打ち消すには」
許しを願う女神に、そうねえとおばあさまがつぶやきますと、ゆらめく虹色の雲から、はらりと一筋の金髪ががこぼれ落ちたといいます。おばあさまのまことのお姿は、絶え間ない輝きに満ちあふれているため、わたしたち定命のものが直接目にすることはかないません。ですが、そのときこぼれおちた金のおぐしから放たれた輝きが、周りの騒ぎなど何も知らずにゆりかごで眠るわたくしをふうわりと包み込んだのだそうです。
「いかなわたくしとて、一度放たれた言霊を打ち消すことはかなわぬもの。ならぱ」
そこでおばあさまが続けたのが、わたしたち人の子にとっては、しばらくの間は騒ぎの元となるとんでもないことばでした。
「二の姫は我が血脈、たぐいまれなる美しさは世を騒がせよう。その気品、その威厳、その知性と優しさと勇気はいにしえの英雄美姫らとも並ぼう。姫の笑まいをめぐり諸王が争わんとするが、ましろき手をとることあたうのは、東の地に住まう悪竜の呑んだ金のりんごを手にした者のみ」
このとんでもないてんまつを、わたくしは七つの時に家族から聞かされることになりました。
「わたくしのヘレネや、許しておくれ。これが、そなたがきょうからひとり塔で暮らさねばならぬ理由」
「いや。ヘレネはおとうさまへおかえりなさいの頬ずりをしたい。おかあさまのお歌を聴きたいし、おねえちゃまや妹たちとあそびたいわ」
七つといえばまだ頑是ないころ。それがきょうから、贅をこらしてはいるけれども、人のぬくみひとつない部屋でひとり暮らすようにと告げられた心細さにわたくしは打ち震えました。
「おお、許しておくれ。おとうちゃまがうっかりだったばかりに」
生誕祝賀で巻き起こった騒ぎののち、お母さまから全力で関節技のおしおきをくらったというお父さまは、滂沱の涙とともにわたくしを抱きしめました。
「これでも百遍も招待の手紙を数えたのだよ。国の内外に一万枚。まさかたった一枚を出し忘れていたなどとは」
「おとうさまのうっかり」
わたくしの突っ込みに、おうふとお父さまは胸を押さえてよろけました。見目良く気立てよく、武勇に優れ文芸にも明るいが、肝心のところでちょっぴり抜けている婿殿というのがおばあさまの見立てです。
「おまえはまだ七つだというのに、すでにその麗質を聞きつけた諸国の王や王子たちが求婚の使いやら間諜をよこしている。我が宮殿で彼ら同士が火花を散らすありさまだ」
このままではくにを巻き込んだ戦になりかねぬと、お父さまとお母さまは思案の末、高い塔の上につくった部屋へわたくしをかくまうことにしたのです。
「ヘレネ、寝るときにおかあさまのお歌が聴きたいのに」
「いとしい姫や、心配はいりませんよ。おばあちゃまがよいようにしてあげますからね」
ふわりふわりとわたくしたち一家の上にただよう虹色の雲――おばあさまが、あなたの部屋と婦人部屋をつなぎましたからねと続けます。
「かの呪いは王宮の外に出なければ効きませぬ。ほおら、これでだいたいはいつも通り」
「だいたい?」
きょとんとするわたくしに、おばあさまは色香漂う声音にほんのすこしだけ憂いを含ませました。
「王宮の中ならばよいの。いつも通りみなと一緒にすごせます。けれども海辺で遊んだり、野の花を摘みにおでかけはできないのよ」
「そんな」
幼かったわたくしにとって、王宮近くの海辺で戯れ、お姉さまや妹たちと色とりどりの花を摘んで遊ぶのはなによりの楽しみでした。それができなくなると知り、わたくしの心に生まれてはじめて、呪いを受けたかなしみがあふれたのですが、
「心配いらないわ、ヘレネ。きっといつか、どなたかが黄金のりんごをあなたへ捧げてくださるわ」
お姉さまが、いっしょにご本を読みましょうねとなぐさめてくださいます。そのお心と同じく、見るものを安堵させる美しい夜のようにゆたかな髪と満天の星々が輝く瞳は、わたくしのひそかな自慢なのです。
「じゃあ、ミュラはおねえちゃまたちとおにんぎょうあそびをするのー」
「するのー」
すぐ下の妹がお気に入りの人形をみせると、まだ舌のまわらぬ末の妹がそれにつづきます。
「待ってろヘレネ、ならばにいちゃまは遠乗りのついでに、町や村でめずらしいものをいっぱい集めてきてやるから」
お兄さままでもがそう胸を張る姿に、まあみななんてよい子かしらとお母さまは目頭を押さえます。
「これならば、わたくしのヘレネにふりかかった災難もすぐに解けましょう」
「娘や、案ずることはありませんよ。このわたくしがいつもついておりますからね」
「は、義母上。あまり人界のことにちょっかいを出さないでいただきたく――」
なんとも緊張感のないやりとりののち、わたくしは十年あまりを塔にしつらえられた部屋で過ごすことになったのですが。
その、どうしようもない呪いが解けたのです。
「ごめんくださーい。ここの王さまが、黄金のりんごを探してるって聞いたんですけど」
ふらりと現れ、門番にそう告げた者が現れたと、王宮の広間は上を下への大騒ぎになったのだそうです。
「偽りであらば許さんぞ」
二の姫にかけられた呪いを解いてしんぜましょうと、王宮につめかけた大勢の香具師を相手取ってきたお父さまとお兄さまが玉座から睨むのにもかまわず、えっほんものなんだけどなあと悠長に答えたその方は、ぼろぼろの袋から取り出したものを床に置きました。
「東の園っていうの? そこにいた竜の首――の片方」
なんか喉にものを詰めちゃって苦しがってたから切ってあげたんですけどーと、竜の頭をパンかなにかのように指し示すと、
「そしたら、喉からこれが出てきて」
ふところから、燦然と輝く黄金のりんごを差し出してみせたのです。
「あ、竜のほうはまた新しい頭が生えてくるっていってたんで心配な――」
「勇者どのおおおおおおおッ」
次の瞬間、旅の御方はお父さまとお兄さまによる暑苦しい涙と握手、大臣たちのどよめきと賞賛の渦中に放り込まれました。
「そなたの来訪を我ら心より歓待申し上げる。我が愛する娘に降りかかった呪い――ん?」
わたくしの未来がこれで開けると、感極まったお父さまは勇者どのをぎゅうと抱きしめたそうなのですが。
「あ、あの。ぎゅっとされるの、父上みたいでうれしいんですけど。ちょっと恥ずかしい……かな」
ますらおのかたい筋肉の感触はそこにはなく、いささか華奢な身が触れたことに違和感を覚えたお父さまは、
「その、失礼。つかぬことを伺うが。もしやそなた」
「はい、そうです」
わたくしの呪いを打ち破った御方の名は、ラク。
のんきな旅の空にある乙女だったのです。
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