なまけものおやじののこしたローファー

森下千尋

インスパイア by磨き座─継─

 おやじが死んだ。

 おやじはどうしようもないなまけものだったと(または、姫路でもトップ5に入るろくでもない男だったと)親せきは口々に言った。

 ほとんど会ったことないくせに、親せきヅラすんなや。全員だれやねん。おれは思った。

 知ったようなこと言うて。

 おやじはな、そんなんちゃうねん。


 どうしようもないなまけものだったとか、そうじもせえへん、しごともせえへんで酒ばかり飲んでる。ぜんぶほんまやけど、それを言っていいのは、おれだけのはずやん。


 ものごころついた時から母親はいなかった。おやじいわく、逃げていったらしい。なんでおれを連れて行ってくれなかったんや。おやじに似たおれがかわいくなかったのか、ほかに男がいたのか、結局のところ今でもわからない。大事なことはいつも大人たちのあいだで決められ、子どもにはただただ『現実』が残る。

 ものごころついた時から貧乏だった。日当たりの悪いボロアパートで父と息子のふたり暮らし。おやじはよくラーメンをふやかして食べた。

 「このほうが腹にたまるやろ」と、おやじはなぜか得意げだった。

 電気やガスが止められたり、いまだにスタバに行ったことない事も、どうやらうちの普通は、ほかの家庭と比べたら貧乏らしい。それに気づいたのはいつごろだったろう。

 「なあ、なんでうちってお金ないん?」

 「ケンイチ知っとるか。天国にはな、お金は持ってかれへんねん」

 おやじが働いている様子はなかった。いつも時間だけがあって、ふたりでよく散歩をした。図書館や公園、お寺にデパート。せまい家でじっとしているよりも、ずっとよかった。

 「おやじはお金がほしくないってこと?」

 「そんなん一言も言うてないな」

 おやじはいつも無地の白いTシャツに、ひざまわりがやぶれたジーンズ(おやじはダメージを育てていると言っていた)をはいていた。

 肌の色は不健康に青白く、伸び放題のかみの毛に風呂屋のタオルを巻き、ギザギザに並んだ歯はたばこのヤニで黄ばんでいた。酒を飲みすぎてたるんだ腹をベルトでキツくしめ、肩で風を切り、がにまたで道を歩いた。

 必要以上に自分を大きく見せようとしているのが、子どもながらにわかってしまい恥ずかしかった。

 「なあ。もっとすみっこを歩こうや」

 おれはおやじのTシャツのすそを引っ張る。

 「これから戦うってやつがコソコソしたらあかん。男はな堂々としてたらええんよ」

 おやじが言う、『戦う』というのは、つまりギャンブルのことだった。

 「自販機におつりが残ってないか、コソコソ探していた大人が言うことちゃうやろ」

 「おまえも言うようになったな。ケンイチ、貧乏ってのはなんや。俺は知らん。他の人が金持ちだろうが俺は気にせん。貧乏人は、今日一日を幸せに生きたらあかんか? 借金があったら息子と笑って外を歩いたらあかんか? 暗いのは、俺は嫌や。明るく振る舞おうや」

 おやじはアホやった。

 「じゃあな」

 おやじはおれに手を振りパチンコ屋へと消えていった。生地がうすいTシャツで、地肌が透けた頼りない背中をぼんやりと見送った。

 

 親せきには、順番に金を借りていたらしい。うちは三十、いやわたしのとこは五十やで。おやじの代わりに「すみませんでした」と、おれは頭を下げることしかできなかった。

 それでも現実は勝手に進んだ。いひんの整理をしに何人かの親せきが家にやって来た。母方のじいちゃんがふらりと現れて、身よりのなくなったおれを引き取ると言った。

 母方のばあちゃんはすでに亡くなっていた。母親はトルコ人と再婚し、トルコへ行き新しい子どもも授かりよろしくやっているらしい。

 じいちゃんの家は、今の家と同じ姫路市内だった。おれはわずかな荷物をボストンバックにつめる。

 おやじの残した少ない荷物や家具なども、売れるものは売っておこうと思っているのか、九十リットルのごみ袋へ、手分けした親せきたちが乱ぼうに詰めていった。

 「ちょっと休けいします」

 引っ越し準備がひと段落したおれは、玄関でサンダルを引っかけた。

 横で作業をしていた親せきのおばさんが、革ぐつをごみ袋へ入れようとしていた。とっさにおれは手をのばす。

 「ちょっと!」

 わっ、とおどろき手を止めたおばさんの手から、ふんだくるようにして革ぐつをつかむ。

 「すみません、おれのなんすよ」


                ◇◇◇


 「ここがケンイチの部屋や。好きに使ってくれてええから」

 じいちゃんはおれの背中をポンポンとたたくと、「先に寝るわ」と自室に戻っていった。

 こじんまりとした部屋でボストンバッグを開けると、数着の衣類の上に先ほどの革ぐつがぎゅうぎゅうに入っていた。なめらかな黒のローファー。革はほどよく使い込んだやわらかさがあり、さわり心地がよかった。

 布とんに寝転びしばらくローファーをながめていると、疲れからかまぶたが重く、ずるずると泥のような眠りに連れていかれた。


 「どや、これ」

 ある日の夕方、家に帰ってきたおやじは、どや顔で何度も「どや」とおれに聞いた。

 確かおれは小5だった。一瞬おれに何か買ってきてくれたのか期待して、おやじがいた玄関へ振り向いた。

 「なにが」

 おやじは何も持っていない。

 「なにって、ホレ、これやこれ」

 おやじは両手の人差し指で足元をさした。

 結婚式にでもはいていきそうな、新品で上等のローファーが、おやじの足元で輝いていた。


             ◇◇◇


 「おい柴田、ええくつはいとるやんけ」 

 下校中、校庭を横切り歩いていると、クラスメイトの金木が後ろからうるさい。うちの中学は制服にスニーカーをはくという決まりだったけど、無視して革ぐつをはいてきた。

 「おまえにも良いものがわかる目があるんやな」

 おれは金木が嫌いだった。金木がおれを嫌いだったからだ。

 「なんやとぉ」

 金木はすぐにカっとなり、おれの学ランのむなぐらをつかんでくる。しょうもないやつ。

 「盗んだんちゃうやろな」

 金木はグッと俺を引きよせ、右足のスニーカーでおれのローファーを強くふんだ。

 柔道部で県大会上位の成績らしく、がっしりとした体格でおれをはなさない。

 金木は続けて言う。

 「このくつ、ぼくがもらってあげてもええよ。それかここでグシャグシャにしちゃう?」

 ジャリッ、金木がこするようにスニーカーをさらに強くローファーへ押し付ける。

 よゆうの笑みが腹立つ。おれは言い返す。

 「どうでもええけど、おまえ口クサいねん」

 金木は怒りの表情を浮かべ、おれを突き飛ばした。ふっとうしたやかんみたいだ。

 「だれが言うとんねん。このびんぼうにんが!」

 「このくつはおやじのや。おまえには渡さん」

 「おやじい? あの、おやじか」

 言うなよ。おれはまばたきをせず金木をにらみつける。

 金木は高笑いして、おれをなぐる。とっさにかばんで防いだけれど、倒れているおれに馬のりになってきた。

 「働かんで、ギャンブルばっかの、あの、おやじやろ」

 うるさい。

 「入学式も酒、くさかったよな」

 うるさいねん。

 「タバコ一本ちょうだいって、駅前でホームレスに言うてたで」

 二本もらってきてたわ、ボケ。

 防戦一方で、最悪の放課後になった。

 「これくらいがお似合いやわ」

 ローファーは校庭の泥や砂をつけられてむざんだった。

 つばをはき、金木は立ち去る。


 おれは、汚れた制服を引きずってトボトボと歩いた。じいちゃんに心配されてもかなわんし、まちへ出る。

 姫路駅北口からロータリーを抜けサンマルクを右手に入る。みゆき通りの一本奥にある、おみぞ筋を北へ歩く。道中、何度もため息がもれる。足取りはなまりみたいに重かった。足元のローファーを見るほどに悲しくなった。

 姫路城は良い。世界遺産に選ばれただけあってスケールが大きい。そこにいるだけで、「そこにいてええんやで」と言われている気がするし、手入れの行き届いた植物や公園は美しく、行くたびにいやされた。

 人の数がまばらなアーケードを歩く。呉服町を通りすぎて二階町に入る。目的の姫路城まではあと少しだ。

 「ねえパパ、いまのすごかったね! ねえみた?」

 「せやな。ほんまカッコよかったな」

 なんやろ。すれ違った親子がしていたやりとりが気になって道の先をうかがった。

 明るいグレーのモルタル壁がひと際目立つおしゃれな店があった。店の前にはいくつかの植物が鮮やかな緑を映えさせている。何屋なんだろう。看板には『磨き座』と書かれている。ガラス戸から中をのぞき込むと、カウンターごしに店主がくつを磨いていた。

 シュッシュッと小気味いい音でブラッシングするさまは、見ているこちらまで心地がよかった。角度を変えたり、クリームを付けたり、ていねいでいてスピーディな動作だった。

 どれくらい見入っていただろう。

 店主の手元にあった赤茶色の革ぐつは、ドレッシーな輝きを得て、きらきらとしていた。

 おれは足元のローファーに視線を落とす。

 ごめんな。ポケットに手をつっこんでみたものの、わずかな小銭も持っていなかった。


 「どうしたんきみ」

 ものかげから見ていたおれを不思議に思ったのか、店主が声をかけてきた。坊主頭の店主はおれのからだを上から下までながめると、えらいボロボロやなとつぶやいた。

 ここにいたら仕事のじゃまになるなと思って、おれはそこから立ち去ろうとした。

 「ん」

 店主のごつい手がおれのからだにふれる。彼はブラシと布のきれはしを持っている。

 「汚れくらい落として帰らな、親が心配するで」

 とまどうおれに店主はさらに言った。

 「使ってみい、ずっと見てたやろ」

 「でも。いいんですか」

 ギョロっとした大きな瞳が有無を言わせない。

 おれは、店内のイスに腰かけ、布とブラシでローファーの表面に付いた汚れを落とし始めた。ゴシゴシと細かいくぼみやシワの部分もけんめいにそうじする。もくもくと手を動かしているとローファーが元の顔を取り戻しはじめた。


 「どうもこうも革ぐつやん」

 あの日おれは、ガッカリしてうなだれた。

 「カッコええか?」

 しょんぼりしたおれとは対照的に、おやじはどこまでも嬉しそうだった。

 「どうしたんこれ」

 「パチンコで勝ってな、買うてん」

 はあ、とためいきが出る。国産革ぐつ定番と言われる有名ブランドのローファーだった。

 「まあ、カッコええんちゃう・・」

 正直、おやじの無地Tとジーンズ姿にローファーは浮いていた。数万円はするだろう。身のたけに合っていない。

 「ひもがめんどくさくてこれにしたけど、正解やったわあ」

 おやじは玄関先でパカパカと革ぐつのぬぎはきをくり返す。

 「そんなん買うんやったら、美味いめしでもぎょうさん食いたかったわ」

 おれがそう言い放つとおやじは笑う。

 「ええもん食ったって胃袋に入ったら一緒やん」

 「ほんならなんで革ぐつやねん」

 「あほか! オシャレは足元からやろ」

 「ほんまもんのアホやな!」

 おれはテーブルに散らかったゴミを手あたり次第に投げる。

 「わかった、わかった、死んだらやる。このめっちゃカッコええローファーは、ケンイチにやる」

 おやじはヒョイっとゴミをかわしながら言った。

 いやほんまに欲しくないし。

 適当なこと言い残して。

 なんで。

 なんで死んだんよ。


 『バチィィンッ』

 おれはローファーを床に叩きつけていた。

 奥のカウンターで作業をしていた店主が、手を止めてこちらを見る。

 ハッと我にかえって、おれは「すみません」と頭を下げた。何してんねん、おれ。

 店主は怒らずにそっとローファーを拾う。

 「これは・・」

 店主は革ぐつをながめて、それからおれをじっと見た。

 「このくつは、きみの?」

 「いえ、もともとはおやじので」

 あかん、身内の死なんて、誰だって聞きたくないやろ。できるだけ明るく、カラっと言うんや。

 「おやじ、死んでもうて。かたみ、にしちゃあどうかなって思ったんすけど。うち、貧乏で、もらっといてやるかー、みたいな感じっす。中学生にしたらイキってますよね。このブランド、おれでも知っとるし。めっちゃええやつやし。それで、まあ同級生にからまれて、こんなありさまです。笑えますよね」

 口角を上げると痛みがはしり、さきほどのケンカで口元を切っていたのに気づいた。

 「あ、このくつ。もしかしてフリマアプリで売れますかね。売れますよね。いやー、そしたら映画行って、ラーメン食って、ヤバっ」

 「きみ、なまえは?」

 「えっ。おれ、ケンイチです。柴田謙一」

 「ケンイチくん。悲しい時は悲しくしててええんやで」

 「いやいや、悲しい時ほど明るく・・」

 

 『明るく振舞おうや、ケンイチ』

 おやじの声が聞こえた。

 こらえていた涙が、止まらなかった。


 店主はコーヒーをいれてくれ、おれをカウンター席へとうながした。熱々のコーヒーをすすると徐々に気持ちが落ち着いてきた。

 それを待っていたのか、店主がしゃべりだす。カウンターにローファーを置いて。

 「この店な、まだオープンしたばっかやねん。それまでは路上で磨いてて」

 「そうなんですか」

 ぐるりと店内を見回すと確かにきれいで、カウンターの木材からは新しいにおいがした。

 「その、路上で磨いている時な。来てくれてたんよ、きみのお父さん」

 「えっ、ほんまですか」

 知らなかった。

 「くつみて思い出したわ。最近来ないなあと思っててん」

 店主は壁から缶に入ったクリームを取り出し、ローファーへつけていく。流れるような手つきでなじませ、まるで水を得た植物みたいに、革が活き活きとした表情になっていった。あの日、おやじがはいていたように。

 「さびしいな」

 店主は手を動かしながら口も動かす。

 「ギャンブルで買った時に、何べんか来とったな」

 「えらい気に入ってましたから、このくつ」

 「知っとる? それは決まって、きみの卒業式や入学式、大事なイベントの前やった」

 返事が出来ずに、コーヒーに口をつける。

 卒業式、入学式。おやじは普段着にローファーをはいてエラそうに、足を組んで座っていた。足元だけカッコつけてどないすんねん。「ケンイチ、おまえは立派やな」と言って、学校の行事、おやじはいつも一人で先に帰った。なんで? カッコ悪いから? ええやん別に。おれは一緒に、おやじと一緒に歩きたかった。今更になってそんな事を思い出した。

 今日はサービスやな、と店主はきれいに磨き終えたローファーを俺に差し出す。

 「はいてあげてな」

 おれはこくんとうなづいた。

 「喜ぶで、お父さん」

 おれはもう一度うなづき足元を見て確かめるように歩いてみた。輝きを増したローファーでどこにでも行けそうだった。二歩三歩進んで、店主の方へ向き直ってみる。

 「あの、これどうっすかね」

 おれは両手で足元を指さす。

 「最高に似合っとるよ」

 店主の言葉に、両ほおが急速にゆるむのを感じた。

 「ほんまですか? 正直イケてますか」

 「めっちゃシブいな、カッコええ」

 「ほんまに?」

 「きみもまたしつこいな」

 ほな、と店主は片手を上げる。

 おれはもう振り返らずに地面をけって行く。

 その感触が、振動でからだ中に伝わる。

 

 きみもまた?

 そうか。おやじ、こんな気分やってんな。今さら気付くなんて遅いよな。ごめんな。


 いや、でも一緒に。

 歩こう。


 アーケードを抜け眼前に空が広がる。

 

 なあ、ケンイチ。どや、これ?


 おやじ。

 ええよ、これ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なまけものおやじののこしたローファー 森下千尋 @chihiro_morishita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ