終.狸の身体

◆◆◆


「なっちゃん、話のストックはまだあるかい?」

「知った瞬間にあだ名で呼んでくるんですね」

「かわいい男の子をかわいいあだ名で呼ぶのはなかなか楽しいからね」

 目の前の小学生をまじまじと見つめ、小泉はくすくすと笑った。

 方梨は不服そうに小泉を睨め上げるが、彼女は意に介さず「なっちゃん」「なっちゃん」と歌うようにつぶやく。


「……やめてください」

「ふふ、ごめんね。で、話のストックは残っているのかい?」

「今はありません」

「そっかぁ、じゃあ……私が語り手の話をしてみてもいいかな?」

 方梨の表情から感情の色が一瞬、消え失せ――その後、彼は挑発的に口の端を吊り上げた。


「さて――」

 一瞬、完全な静寂が生まれた。

 歌声、歓声、どよめき、あらゆる人の声が一瞬だけ失われ、何もなかったように再開した。別に小泉が何をしたというわけでもない。ただの偶然なのだろう。

 それでも方梨は挑発的な笑みを崩さぬまま、一筋の汗を流した。


「きみがこっくりさんに憑かれた件……これに関してはいちいち説明する必要はないだろう、君自身が五円玉を動かし、取り憑かれたフリをし、そして埋めておいた人間の右手を掘り返し、口づけをする」

「たしかに、こっくりさんに憑かれたことを演じることは出来ます……けど、人間の右手なんて、そう簡単に手に入るものじゃないと思うんですけど。僕はスーパーで人間の肉が売ってるところは見たことありませんよ?」

「けれど、きみが人間の右手を手に入れる方法はあった。多少の苦労はするけどね」

 小泉の指先が方梨の右手首をとんとんと触っていく、指先で切り取り線を描くように。


「水死体の腕を切り取ったんじゃないかな」

「……水死体を発見した少年も僕だって言うんですか?」

「いや、違うね……水死体を発見した少年に河童の情報を与えた少年、きみがそれだ」

「根拠はあるんですか?」

「この高校の学園祭は入場が制限されていて、在学生と同居する家族だけしか入場できない……逆に言えば、きみがここにいるってことは高校生の同居家族がいるってことになる。彼に河童の存在を教えた少年、高校生の兄がいるって言ってたね」

「……それを根拠って言うのは流石に難しいんじゃないですか?」

「でも、きみにはそういう自分の情報を開示するようなフェアな部分がある……そんなふうにお姉さんはきみを信じたいなぁ?」

「急に年上性を全開にしてきましたね」

「ま、けどね……きみの動機を考えると、やっぱりきみが河童のことを教えた少年になっちゃうと思うんだよね」

「……動機って、僕を犯罪者みたいに言いますね」

 方梨の言葉を聞いて、小泉はくすくすと笑う。


「ま、でも動機の話はあとにして……水死体を発見した少年に降り掛かった怪異は河童のことを教えた少年の仕業って考えるのが一番いいんだよね」

「ちょうどいいタイミングでかかってきた非通知の電話と、そのタイミングで浮かび上がった水死体ですか」

「非通知の電話をかけるなんてことは、相手の電話番号を知っていれば何も難しいことはない……相手の電話番号を知っていればね、そして……逆なんだ」

「逆?」」

「電話をかけたタイミングで水死体を浮かべることは難しいけれど、水死体が浮かび上がったタイミングで電話をかけることは大して難しいことじゃない。きみ、こっそり隠れて、少年が河童を探しているところを見ていたね?

「昔の探偵漫画に犯人を特定出来た理由が犯行の瞬間を見ていたから……って、いうのがあったのを思い出しました」

「腐敗ガスの発生タイミングで情報を与えることは大して難しいことじゃないしね」

「たしかにある程度はコントロールできるかもしれませんけど……彼が来た瞬間にちょうど水死体を浮かび上がらせるっていうのは出来なくないですか?」

「する必要はないんだよ」

「えっ?」

 方梨は小首を傾げたが、その言葉に戸惑いはない。

 心底愉快そうな響きがあった。


「彼が来るまでに水死体が浮かび上がったら、それで良し。彼は死体を発見する。彼のいる間に水死体が浮かび上がらなくても、それで良し。彼が飽きるまで繰り返すか、あるいは別の人間に河童の情報を与えれば良い。別に密室殺人をやろうってわけじゃないんだから、何度でもやり直せばいいんだよ」

 そう言って、小泉は「何度でもやり直せばいい……こんなところで使わなければめちゃくちゃいい言葉だよね」と笑った。


「ただ彼が池に背を向けてフェンスを上ろうとしたタイミングで水死体が浮かび上がってきた、そのまま帰ったら死体に気づかずに帰ってしまうかもしれない。だからきみは電話をかけた。それだけの話なんだ」

「……死体を見せることが目的みたいですね」

「そうでしょ?」

 小泉の言葉に方梨は口を一文字に結んで応じる。


「きみが語った怪談は、全て死体を発見する物語だった……蛇の尾、猿の顔、虎の手足、一見無関係に見える事件はすべて、きみという狸の体に繋がっていたんだ」

「……たしかに、こっくりさんと河童については出来たと思います、けどあの兄弟については……」

「きみが弟でしょ?別に三人兄弟だからっておかしいことは何もないよね」

 しばらく騒々しい沈黙があった。

 蝉がやたらにうるさく鳴き、ステージのバンドが自分の技巧以上の曲に挑んで失敗を声の中に消し去ろうというかのように大声で歌う。学園祭を行き交う人々のきらきらとした歓声。

 祭の賑わいの中で、罪は静かに語られる。


「なんで僕がそんなことをする必要が?」

「犯罪の自己顕示……いや、違うかな、もっとシンプルにきみは自分の宝物を皆に自慢しようとしていたんだ。だって、そうでもなければ……自分の罪をこんなに楽しそうに私に話してくれないでしょ?きみは私にも自分の宝物の思い出を話してくれたんだ」

「……ばれちゃいましたか」

 いたずらのばれた子供の顔で方梨は笑った。

「こいつぅ」

 その頬を小泉は白魚のような指で突く。


「死体は偶然に発見したんです」

 非日常の宴のすぐとなりで非日常の罪が告白される。


「死体を見つけた時、僕は……その、なんかすごいなって思いました。けど、普通に見せびらかしたら警察に通報される……だから」

「怪談の皮を被せた……こっくりさんだ、通報はされなかったんだろ」

「みんなで内緒に……そういうことになりました。それに右腕はこっそり捨てましたから、証拠もありません」

「河童の時はどうだい?」

「どちらにせよ彼が死体を発見するタイミングで電話をするつもりでした、そしたら……」

「偶然の怪現象……彼は死体ではなく、河童ではない怪異だと思ってくれる、と。けど、最後だけは……きみの誘導はあったけど、死体は素直に発見されたね。少しずつ君は大胆になってきている……そこで聞きたいんだけど、きみ、お父さんは自殺だったのかい?それとも……きみが殺したのかい?それにきみのお兄さんもそうだね」

 しばらくの沈黙の後、方梨はひょうひょうと笑った。


「どっちがいいですか?」


「そうだね……私はきみが殺したほうが嬉しいかな」

 小泉は方梨と同じ笑顔で笑った。


「そっちのほうがきみともっと仲良くなれそうだからね、だって……きみが最初に発見した死体は――」


◆◆◆


ぬえ【×鵼/×鵺】


つかみどころがなくて、正体のはっきりしない人物・物事。



【終】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おそらく、ぬえの仕業 春海水亭 @teasugar3g

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ