3.虎の手足

◆◆◆


「小泉さんは、なんで一人でオカルト研究会なんてやってるんですか?」

「ん?どしたのいきなり」

「いえ、なんか気になって」

 自殺防止用の柵の隙間から、祭の賑わいが見える。

 誰もが浮足立つような朗らかな営みの中から、方梨と小泉だけが離れている。

 方梨に思うところはない。

 この非日常的な雰囲気は嫌いではないが、もともと参加するつもりがあったわけではない。

 だが、小泉は――こんなところで二人きりで過ごして、あの人の輪の中に入りたいとは思わないのだろうか。


「ま、楽しいんだろうけど……ま、こっちの方が好きだからさぁ」

 自殺防止用の柵に背を預けて、小泉はそう言った。

 太陽の光を背に受けて、彼女の表情を方梨は一瞬見失う。

 目を焼く輝きを避けた時には、小泉はただうっすらと微笑んでいた。


「それに、怪談収集は趣味と実益を兼ねているからね」

「実益?」

「実際の利益……あっ、役に立つことって意味」

「意味の方は聞いてないです」

「そぉ?」

 そう言って、小泉はくすくすと笑う。

 鼓膜をくすぐるような、むず痒い笑い声で。


「そういうきみはどう?こういう話をするの楽しいかなぁ?」

「こういう形で話すのは初めてですけど……結構楽しいです」

「そぉ?よかったぁ……」

 そう言いながら、小泉は方梨の背に回り込んで彼の両目を左手で覆った。

 冷たくも柔らかい感触が強く押し付けられる――白魚のような指が視界を隠しても、闇は夜のように黒い。


「うわっ!?」

 驚きの声を上げる方梨に対し、小泉は心底愉快そうに笑う。


「だーれだ?」

 冗談めかした声、目を閉じても答えがわかるような問い。

「いきなりなんなんですか!?」

「ふふふ……群盲象を評すという言葉を知っているかい?」

「……全く知りません、それよりも」

「ま、こういうこと学校じゃ教えないよね、じゃ教えてあげよう」

「手を!」

 小泉は方梨の言葉を無視して、囁くように言葉を続ける。

「……さて、目の見えない盲人があるものをなでて言った、これは柱のようなものですね」

 方梨の指先に柔らかい何かが少しだけ絡みついて離れた。


「別の盲人はそれと同じものをなでて言った、これは鋼でしょうか」

 指先に絡みついた何かが離れ、その代わりに筆のような感触が彼の手の甲をくすぐる。


「別の盲人はこう言った、これは壁でしょうか。さらに別の盲人はパイプじゃないかと言った」

 方梨の手が持ち上がり、しばらくして柔らかくも生暖かい何かが彼の手を這った。


「わぁ!?」

 驚きのあまり、目隠しから離れて方梨は彼女との距離を開けた。

 慌てる彼の様子を見て、小泉はいたずらっ子の笑みでくすくすと笑った。


「盲人たちはみな、別のものを触っていたのかな……?けど、違うんだ。柱だと言った人は象の膝を、鋼と言った人は象の尻尾を、壁と言った人は象のお腹を、パイプと言った人は象の牙を……全員が全員、同じものの別の箇所を撫でていたんだ」

「ところで……」そう続けて、小泉は言った。


「問題です、さっききみの手に三つの感触があったと思います、それをヒントに誰がきみに触っていたか当ててみて下さい」

「そんなの……」

 考えるまでもない、最初に触れたのは彼女の指先。

 二番目は彼女の長い髪の毛。

 そして、最後に触れたものは――それを考えて、方梨は顔を赤く染める。


「……や、やめてください!」

「見れば一目瞭然なのに、見えていないからややっこしいことになるんだよね……きみはそれに自覚的みたいだけどさ」

 くすくすと笑い声が上がった。

 しばらくしてやまびこが返るように、再びくすくすと笑い声が上がる。


「もうきみも話したくてたまらないんだろう?」


◆◆◆


 僕たちの生まれる遥か前に、こっくりさんっていう儀式がブームになっていたみたいですね。

 はい、いいえ、0~9までの数字と鳥居、そして五十音表が書かれた紙を用意して、その紙の上に硬貨を置く。

 その硬貨の上に参加者全員の人差し指を添えて「こっくりさん、こっくりさん、お越しください」と言うと、やがて硬貨が勝手に動き出して参加者の質問に答えてくれるっていう儀式です。


 それをある小学校で実際にやってみようという話になったんです。

 実際に信じるかどうかともかく、そういうのって楽しいじゃないですか。

 参加者が男女四人で集まって、放課後の教室に集まりました。

 空は血のように赤く染まり、これからの儀式を――なんて雰囲気が出ていたら良かったんですが、雲ひとつ無い快晴の日でした。


 手作りの紙を用意して、鳥居の部分に五円玉を置き、そして参加者全員でその五円玉に人差し指を添わせました。


「なんだかどきどきするね」

「本当にこっくりさんが来たらどうしようか?」

 信じているわけじゃないですが、やはり形を整えてみるとそういうのってドキドキするじゃないですか。

 もしかしたら、本当に起こるんじゃないか――そんな高揚感に包まれながら、参加者は声を合わせて言いました。


「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」

「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」

「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」

 

 けれど、五円玉が動く様子は見えません。

 やっぱり、そんなものだよね――参加者が気を抜いた時です。

 突然、ゆるやかに五円玉が『はい』に動き始めました。


「ね、これ誰か手を動かしてるだけだよね」

 突然、動き出す五円玉に一瞬驚きましたが、考えてみればそっちのほうが自然です。だったら、そのイタズラに乗ってやろうというコトで、皆は質問を始めました。


「こっくりさん、こっくりさん、なっちゃんの好きな人を教えてください」

『ぼ』


「ぼ……?」

 クラスには名字も名前もわで始まる人はいません。

 けれど、答えはすぐに明らかになりました。


『く』


 雰囲気が一気に弛緩して、皆が吹き出しました。

 

「なっちゃんはこっくりさんが好きだったんだ」

「じゃあ、くーの好きな人を教えてください」


『いいえ』


 五円玉が一直線に指し示します。


「こっくりさん、わかんないんだ」

「じゃあ、うぇるっちは?」


『いいえ』に置かれた五円玉が円を描くように動き、再び『いいえ』に止まりました。


「ばやりんはどう?」

『いいえ』

「じゃあ今度のテストの問題を全部教えてください」

『いいえ』

「お年玉が倍になる方法を教えてください」

『いいえ』


 皆はなにか不気味なものを感じましたが、一人が笑い飛ばすように言いました。


「こっくりさん、なっちゃんの好きな人以外は何もわからないじゃん!」

 言われてみれば、そうだ。

 そう、皆で笑い飛ばそうとした、その時です。


 突如として五円玉が『お』の方へ動き出しました。


「えっ……なに……?」


『い』


「ちょっと、ふざけないでよ!」


『で』


『おいで』

『おいで』

『おいで』


 誰かの冗談とは思えない様子に、皆は一斉に呪文を唱え始めました。

「こっくりさん、こっくりさん、おかえりください」

「こっくりさん、こっくりさん、おかえりください」


 こっくりさんを返す呪文です。

 儀式を中止させれば、この奇怪な現象も終わるだろう。


 五円玉は『はい』を指し示した後、鳥居のマークへと戻りました。

 ああ、良かったと胸をなでおろします。

 こっくりさんは帰ったのです。


「おいで」

 今度ははっきりと声になって聞こえました。


「おいで」

 参加者の一人が、はっきりとそう言ったのです。

「そういう冗談、やめ……」

 言いかけた言葉が途中で止まりました。

「おいで」と言った参加者が教室の外にゆっくりと歩き始めたのです。


 皆は彼を追うか悩みました。

 けれど、彼は尋常の様子ではありません。

 こっくりさんが本当に憑依しているのでは――そして、こっくりさんの言うことに逆らえば何かが起こるのではないか。

 そんな不安感から参加者は皆、彼に着いてきます。


 校舎の外に行き、森の中へ――

 そして、彼がある場所で穴を掘り始めました。


 穴の中には人間の右手――それだけが埋まっていました。


「なっちゃんは僕が好き」

 彼――なっちゃんはその右手に口づけて言いました。


◆◆◆


「たったひとつだけ、質問していいかな?この怪談の謎はそれだけで全部解ける」

「……どうぞ」



「君のあだ名は、なっちゃんかい?」

 方梨なっちゃんは肯定するように微笑んだ。

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