2.猿の頭
◆◆◆
学生バンドによる野外ステージの演奏がほのかに聞こえる。
稚拙で、騒々しく、しかし、今はどのような演奏よりも学生の心を揺らす音だ。
小泉は自殺防止用の柵の隙間から校庭を見下ろすと、僅かな時間演奏に耳をそばだて、くすくすと笑った。
「いいよね、ああいうステージ演奏。私もオカ研なんてやらずにイカしたDJをやってれば良かったかなぁ」
そして、方梨に向き直る。
「ねぇ、きみ。ぬえという妖怪を知っているかい?」
「ええと……」
方梨は図書室で妖怪図鑑を読んだ記憶を思い起こす。
頭が猿、胴体は狸、手足は虎、そして尻尾が蛇の妖怪だ。
ごちゃごちゃして恐ろしいように思えるが、頭と胴体も虎の方がもっと恐ろしいのではないか、と思った覚えがある。
「不気味な声で鳴くキメラみたいな妖怪ですよね」
「そっ、しかし鵺はなんでややっこしい四パーツ妖怪になってしまったんだろうね」
「生まれつきじゃないですか?」
「ん、まぁ、そりゃね、妖怪なんて好きでそういうふうに生まれたんじゃないだろうけど……」
そう言って、小泉は白く細長い指を方梨の日に焼けた指に絡めた。
絡まった指の冷たい体温の分だけ、方梨の指先が夏を失っていく。
しかし触れる肌から伝わる冷気は方梨の頬に小さい火を灯した。
指を解くよりも早く、小泉がわずかに身をかがめて顔を近づける。
「きみの手と私の手、別々のものだけど絡んで一つのものみたいだねぇ」
「えっ、はっ、はぁ……」
気恥ずかしさに耳が燃えている。
それでいて会話を始めるものだから、頷けばいいのか解く努力を続ければいいのかわからない。
「蛇がいて、虎がいて、狸がいて、猿がいて、別々の事象が一つのもののように勘違いされて、鵺は生まれたのかもしれないね」
くすくすと小泉が笑う。
太陽は狂ったように燃え盛り、屋上のアスファルトを熱する。
太陽に近い分だけ、方梨は汗をかいていたが、小泉の白い肌は溶けぬ雪のようにそのままあった。
「ちっ、近いです……」
「あぁ、ごめんねぇ」
一つのようになった指は存外簡単に解けた。
「ねぇ、きみの怖い話が聞きたいな」
淡桃の唇が蠱惑的に動いて方梨に続きを促す。
方梨はこくりと頷き、頭の中から物語を引出す。
今日という日を自分は待っていたのかもしれない、方梨はそんなふうに思った。
◆◆◆
河童――鵺よりもよっぽど有名ですよね、もしかしたら日本で一番有名な妖怪かもしれません。
そんな河童を捕まえようとした男の子の話。
大体妖怪――っていうか都市伝説って友達の友達から聞いた話じゃないですか。
だってその方が言う側にとっては嘘をつきやすいですもん。
友達の友達がスレンダーマンに会ったとか、友達の友達が異世界に行く方法を見つけたとか、友達の友達がAdoの正体を知っているとか、友達の友達の前に、その存在しない友達自体に会わせなければ、もう身近だけど絶対に出どころがわからない話になってしまいますし。
けど、彼が聞いた噂の出処は彼の友達のお兄さん――らしいんですよ。
彼の友達が言うには、ほら……見えます?あの森の奥の池。
特に管理されてるわけでもないので全面立入禁止になってて……でも、あの池で二週間ぐらい前に河童を見たってお兄さんに聞いた、って。
河童――なんか図鑑では色々と怖いことが書かれてることもありますけど、やっぱり皆が思うのはなんか呑気なマスコット的な妖怪の姿じゃないですか、私はそうは思わないけど……?じゃあ小泉さん以外はそう思ってるんですよ。
彼……まぁ、河童のことを舐めきってたので、河童を捕まえて売り飛ばそうと思っちゃったんですね、月のお小遣いに不満があったみたいですし、ろくに課金も出来ないって文句言ってたらしいです。
どうやったら捕まえられるか、とか、どこに売り飛ばすとか、そういう具体的なことは何も考えてなかったみたいですが……まぁ、出たとこ勝負で。
立入禁止って言っても池の周囲をフェンスで囲んでるだけですから、特に問題なく乗り越えられたみたいです。
池の周囲には厭な臭い――なにかが腐ったような臭いが漂っていて、彼はその時点で少し帰りたいような気持ちになったけれど、ただその異臭をこそ河童の臭いと感じて、むしろ河童がいると確信したみたいでした。
彼は池の周りをぐるりと回って、河童を探していたみたいです。
けど、やっぱり見つからなくて――諦めようとしたのか、フェンスに足をかけた、その時です。
突如として彼のポケットのスマートフォンが音を立てて鳴り始めました。
一端、フェンスから足を下ろしてスマートフォンを手に取った彼、番号は非通知です。
何かが腐ったような気味の悪い臭い。
非通知の着信。
赤く燃える空がいつも以上に不気味に感じたことでしょう。
ですが、電話を取るどころではありませんでした。
池の中から睨めつけるように彼を見るものがいました。
池の底から巨大な頭の人間のような何かが浮き上がったのです。
間違いなく言えることは、それは捕まえられるような愉快なモノではなかった、それだけです。
鳴り続ける着信音を聞きながら、彼は懸命にフェンスを上り、逃げるように家に帰りました。
帰る途中に着信音は消えていました。
あれは一体何だったのか――ただ一つ言えることは……河童ではなかった、それだけです。
◆◆◆
「……ヤだねぇ、きみ」
話し終えたばかりの方梨に小泉はくすくすと笑って応じた。
「やっぱり……きみ、正体がわかった上で言ってるよね」
「……なんのことでしょう」
「水死体だよ、まぁ、水死体に限ったことじゃないけれど腐敗ガスが溜まった死体は膨れ上がるからね……それこそ巨大な頭に見えてもおかしくはないだろう」
「けど、不気味なことはそれだけじゃない」
「そうだね、非通知の着信……その少年に合わせて浮き上がった水死体、そして……」
「そして?」
「……まだ、内緒」
白く細長い人差し指を口の前に立てて、小泉は目を細めた。
「もしかしたら、きみは気づいているのかもしれないけれどね」
汗が方梨の頬をつたい、アスファルトの床に落ちる。
生暖かい湿った風が小泉の濡烏の髪を弄んで去っていく。
賑わいの音が二人の鼓膜を揺さぶる。
怪談は明るく開けたところで語られている。
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