おそらく、ぬえの仕業

春海水亭

1.蛇の尾

◆◆◆


 九月中旬、気温は未だに三十度を割らない。

 八月の屍が放つ腐臭は未だに暦にこびりついていて、秋は湿度の高い熱に浮かされている。

 だが、今日という日だけは学生達は別の熱に浮かされている。

 学園祭である。

 近年の事情から規模が縮小し、入場者は在学生および、在学生と同居する家族のみに制限されているが、それでも中止にまではならず、目に見えぬ鬱屈を振り払うかのように学生達ははしゃぎまわっている。

 

 青春のきらめき――目を焼く眩しさから逃れるように、方梨かたなしは階段を上っていく、模擬店に野外ステージ、そして抽選で上手く場所を勝ち取った部活展示、とにかく人が集まるようなものは一階に集中している。階段を上がるにつれて展示の数は減っていき、祭りの喧騒がわずかに遠ざかっていく。


 この雰囲気が嫌いな訳では無い――だが、疲れる。

 方梨には一緒に学園祭を回ることができる友達がいない。

 学園祭の案内では、ほとんど休憩所と変わらないようなクラス展示が最上階に集中していたはずである。方梨が最上階に足をかけ、学園祭の案内に視線を落とした時である。


「ねぇ、きみ」

 声が上から降り注いだ。

 思わず上を見上げると、最上階からさらに上に続く階段がある。

 屋上に続く階段だ――その一番上に黒いセーラー服の女子高生が一人、腰掛けている。


「な、なんですか?」

「よかったら、オカ研の活動に協力してくれないかなぁ?」

「オカ研?」

 オカルト研究会――学園祭の案内を開く、その名前は無い。

 あるいはオカ研の略称になるような別の部活動か――オカダさん研究会とか、そんなものも無い。


「非公式だからね、メンバーも私一人だし……あっ、私部長で副部長で書記で会計の小泉ね」

 そう言って、彼女はくすくすと笑って立ち上がる。

「こういうお祭りの時だけ活動して、その人が知ってる怖い話を聞いて集めてるんだけど……ね、どうかな?」

「えっ……その……」

 小泉が段差を降りてくる、方梨よりわずかに高い身長。段差の高さの分だけ余分に方梨を見下ろしている。

「今なら風が気持ちいいよ」

 そう言って、小泉はポケットから取り出した鍵をくるくると回した。

 屋上に続く階段に腰掛けた人間が使う鍵は一種類しかない。


「学校の屋上ってだいたい封鎖されてるものじゃないんですか?」

「そこはまぁ、特別ってことで」

 そう言って小泉が愉快そうにくすくすと笑う。

 漫画で読んだ女妖を思わせるような笑みだった。

 その笑顔のまま、一段高いところから白い手を伸ばして自分の首を絞めてもおかしくないような妖しい笑み――方梨は身体をぶるりと震わせ、言った。


「じゃあ、せっかくなので」

「おっ、ありがとねぇ」

 そう言って、小泉が階段を上っていく。

 腰まで伸びた黒く長い髪が揺れる。

 黒いものを追いかけて方梨は屋上へ向かう。


「でも、なんで僕に声をかけたんですか?」

「そういう話を持ってそうだったから、かなぁ」

「……見てわかるんですか?」

「持ってなかったら、何もなかったような顔をするだけだよ」


 屋上に辿り着くと、ねっとりとした湿気を孕んだ厭な風が吹いた。

 小泉は鍵をかけ、くすくすと笑う。


「二人っきりだね」

 祭りの喧騒が遠い。

 扉一枚の開かれた密室の中に、方梨は妖しい小泉と二人きりでいる。


「なんで鍵を……?」

「きみを逃がさないため……」

 彼女はそう言って、深刻そうな表情を浮かべてみせたが、仮面はすぐに剥がれた。

 なんちゃって、と笑い、地面にシートを広げる。


「屋上は鍵かかってないとダメだからね、もし誰かが目ざとく鍵が開いてるのを見つけちゃったら面倒なことになっちゃうよぉ」

「あぁ、なるほど」

「それに、余計な人に誰も聞かれてないって方が安心して話せるでしょ?」

 シートに座った小泉が方梨を手招く。

 人間二人が座れば埋まってしまうぐらいの狭いシートだ。

 気恥ずかしくて、方梨は小泉を見下ろすようにシートの外側に立つ。

「照れてる?」

 小泉はくすくすと笑い、自殺防止用の柵にもたれかかる。

「座っていいよ、それとも立ったまま話す?」

「……立ったままで」

「ん」

 小泉は頷き、自殺防止用の柵の隙間から模擬店で賑わう校庭を見下ろした。


「じゃ、きみ……聞かせてほしいな。きみの怖い話を」

「そうですね……えっと、くねくねって知ってます?」

「都市伝説のあれかな?」

「えぇ……けど、実際にそれに遭遇した人の話を」


 ◆◆◆


 くねくね――結構有名ですよね。

 見ると発狂するくねくねとした白いなにか、それによく似たものがこの街にも出現したって知ってますか?

 今年の七月の終わり頃、今日よりももっと暑くて、そして今日と同じような厭な風が吹いていた日のことです。


 二人の小学生の兄弟が裏山に虫取りに行きました。

 ……えぇ、そうです。

 あの裏山ですよ、この屋上から見えますよね。

 簡単に登れて、丘陵公園があって、ちょっと奥の方にいくと森がある。

 その森の中にでかいカブトムシやクワガタがいるらしいと……初めて聞いた?

 まぁ、そうでしょうね。

 その弟がどこからか聞きつけたみたいです。


 だらだらと汗をかきながら、二人は森の中に入りました。

 木陰に入ってもやはり風はねっとりと湿っていて、熱されるように蒸し暑い厭な気候でした。

  あんまり深いところまで入っていくと、帰るのが大変なので森の入口付近で虫を探します、しかし探しても探しても見つからないので、兄の苛立ちが徐々に募っていった頃です。


「なんだろう、あれ」


 弟が森の奥を指さして言いました。

 彼が指差す方向では何か人ぐらいの白いものが浮かんで、ゆらゆらと揺れているようです。

 遠目で森の中という視界の悪さもあって、それが何なのかはよくわかりませんでした。


「……行けばわかるか」

 兄が意を決したように言いました。

「えっ」

「虫を探すよりも面白そうじゃん、俺がちょっと見てきてやるよ」

「でも……」

「怖いならお前は来なくてもいいぞ」

 そう言って意気揚々と兄はゆらゆらと揺れるなにかの元へと駆けていきます。

 弟は兄を追いかけることも出来ず、しばらくそこで待っていました。

 そして、十分ほど経って戻ってきた兄の顔は青白く染まっています。


 弟が兄に何を見たのか尋ねようとして、兄がそれを制して言いました。

 

「見るな」

 絞り出すような、掠れた声でした。

 まるで兄のものではないような声です。

 白いなにかは森の奥で未だにゆらゆらと揺れています。


「帰ろう」

 兄は顔を歪めて、それだけを言いました。

「何を見たの?」

 弟が尋ねると、兄はもう一度「帰ろう」と言いました。

 ねぇ、ねぇ、ねぇ、弟は何度も繰り返します。

「見るな!見るな!見るな!見るな!見るな!見たくなかった!見たくなかった!見たくなかった!見たくなかった!見たくなかった!見たくなかった!見たくなかった!」

 兄は狂ったような叫び声を上げて、山を降りていきます。

 それを見た弟は慌てて、兄を追って山を降りました。

 森の奥にあるゆらゆらと揺れるなにかに後ろ髪を引かれながら――遠くから見るその姿にどこか兄を見るような既視感を感じながら。


 くねくねの話ならば、ここで兄が狂って終わりですが――そこで話は終わりませんでした。

 呪いは兄だけでなく、家族にも降りかかりました。

 それからまもなくして、彼の父の首吊り死体が発見されました。

 仕事でも家でも特に問題なく、誰からも理由がわからないと言われるような自殺でした。

 そして兄もまた――しばらくして、部屋の中で首を吊っているのが発見されました。

 ゆらゆらと揺れるその死体は――弟が森の中で遠目に見たゆらゆらと揺れるものによく似ていたようです。


◆◆◆


「……それが僕の知っている怖い話です」

 方梨の話を聞いた小泉はしばらく考え込んだ後、言った。


「……きみ、そのゆらゆらの正体知ってる上で話してるよね?」

 小泉の言葉に方梨は肯定するでもなく、否定するでもない。


「ゆらゆらの正体?」

「その兄弟の父親だよ」

「……なぜ、そう思ったんですか?」

「道理が通るからだよ」

「道理ですか」

「ゆらゆらと揺れる人ぐらいの大きさの白いものがぼんやりと浮かんでいる……ゆらゆらがいると考えるよりも、遠目に首吊り死体を見たと考えるほうが早いよね」

「……」

「なんで、そこまでお兄さんがショックを受けたか、父親の死体だったから……弟の既視感は親子だから似ていた……ゆらゆらを見たから父親が死んだんじゃない、父親が死んだからゆらゆらが生まれた、それで道理は全部通る……それよりも、私が気になるのは……なんで兄弟の父親が自殺したのか、そして……」

 言いかけた言葉を口の中に納め、小泉は方梨をじっと見つめた。


「いや、今はきみの話を全部聞きたいな」

「まだ、あるように見えますか?」

 小泉は確信を持って頷いた。


「きみ、まだまだ話したいことがありそうな顔してるよ?」

 方梨は肯定するように笑みを浮かべた。

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