無限頭の猿が夕暮れ 無限台のタイプを叩く その音が響き渡ればAI変革は加速していく
@hikarus225
無限頭の猿が夕暮れ 無限台のタイプを叩く その音が響き渡ればAI変革は加速していく
「AIがちゃんと面白い小説を書けるようになるには、あと50年はかかるだろうね」
瀧澤教授はそう言い切った。
我がK大学文学部の最年少教授、かつ華々しい文学賞受賞歴を持つ作家でもある彼の言葉は軽くはない。
しかし、わたしも教授の助手を長く務めているので、こういうときには軽率な感じで疑問を差し挟んだ方が教授の機嫌が良くなることを重々学んでいた。
「そうでしょうか。画像生成AIはここ最近で指数関数的な進化を遂げて、人間が描くのと遜色ない――どころか、分野によっては完全に人間を超えた作品を生み出すこともできてしまっていますよね」
「絵と小説では事情がまったくちがうよ、相川くん」
「もちろんそれはわかっています。いえ、むしろ、小説の方がAIにとっては有利じゃありませんか。言語情報は画像に比べて容量が著しく少ないですし、揺らぎや曖昧さといった余地のない完全なデジタルデータですし」
「そういう愚かしい見解がきみから出てくるのは哀しいね。まだまだ私の教育が足りていないということかな」
まったく残念ではないどころかむしろ嬉しそうな口調で教授は言う。
「AIがなんらかの《制作物》を自動生成するには、二つのアプローチがあるね。一つ目がトップダウン。その《制作物》の制作意図とか構造、価値創成のメカニズムを完璧に数値化してアルゴリズムを組み立てる。二つ目がボトムアップ。とにかく価値があると評されている既存物を大量に読み込ませて学習によってアルゴリズムを洗練させていく。さて、小説にトップダウン式は適用できると思うかい?」
わたしは少し考えてから答えた。
「無理ですね」
「理由は」
「現時点で、まだだれも小説の面白さを定式化できていません」
教授は満足げにうなずいた。四十代ながら、こういうときの表情はたいへん子供っぽく、そこがある意味では好もしい。
「良い答えだ、相川くん。となるとボトムアップ式しかない。画像自動生成AIがやっているのと同じだね。大量の写真や絵画を読み込ませて分解し、要素を抽出して、パースや色彩などの調整で全体の統一感が失われないようにつなぎ合わせて出力する。音楽でも同じ手法による自動生成AIが研究されている。一見、小説でも同じことができるように思える。しかしね、相川くん。絵画や音楽と、小説とには、致命的な差違があるんだ。わかるかい」
「……いえ」
「それはね、小説という芸術形態においては価値ある作品とただのゴミの差が非常に小さい、という点だ」
瀧澤教授は得意げに声のトーンを一段階上げた。
「画像であれば、たとえば画面中のある一つのオブジェクトの横幅が数ピクセル増減しても、作品全体としての《絵画っぽさ》にはほとんど影響しない。けれど小説では一文字変えるだけで価値が損なわれることがままある。外面的に文章の体裁が崩れていなかったとしても、だ。たとえば『絡新婦の理』の書き出しが『あなたが――蜘蛛だったのですか』だったらがっかりだろう」
なるほど。それはたしかに、もっと自信を持てよ京極堂、と言いたくもなる。
「一箇所だけでもこれだ。何箇所も変わればあっという間に名作はゴミに変わる。文章の意味のつながりこそが小説の価値を生み出すもので、たった一文字でも言葉はつながりもするし断ち切られもする。ということは大量学習によって《それっぽさ》を構築するやり方が役に立たないわけだ。なにやら一見小説っぽい文章の羅列を自動生成することはもちろんできるだろうが、読んでみれば無価値なゴミだろう」
「画像自動生成AIも、一見してわかる《絵画っぽさ》を出しているだけではないんですか?」
「その通りだよ。しかし、一見してわかる《絵画っぽさ》というのはとりもなおさず絵画の価値そのものだからね。小説とはそこがちがう。同様の理由で、人間の価値判断を継続的に採用してアルゴリズムをシェイプアップし続ける――という形式も、画像なら簡単にできるが、小説では困難だ。画像の価値は一瞬で判断できるのに対して、小説は最後まで読まなきゃ面白いかどうかわからないし、面白さが理解できるかどうかも個人差がとても大きいからね」
おかげさまで私はまだまだ失業せずに済むわけだよ、と言い置いて、教授は研究室を出ていった。いつものようにすべてのPCの電源をつけっぱなしにしていったので、わたしは思索と作業を続けることができた。
* * *
瀧澤教授はいくつもの重要な示唆を残していってくれた。
問題点がはっきりしているのだから、ひとつずつ解決していけばいい。
まず、トップダウン式に希望がまったくないのは明らかだった。小説の面白さを定式化するというのは人間の意識と思考を完全解析するに等しい。それが可能になる頃には自動生成AIがどうのなんていう次元ではなくなっているだろう。
ボトムアップ式の問題点のうち、まず《一文字の差で名作がゴミに変わる》問題は、たしかに難問ではあるけれど、けっきょくのところ程度問題だった。
画像AIだって、たとえば画面半分を真っ黒に塗りつぶしたりすれば絵画としての価値は消し飛ぶわけだ。揺らぎに対する許容度が小説に比べてはるかに広い――というだけであって、洗練度を限りなく高めていけば同じ設計思想の延長線上に小説生成AIも実現できるはずだ。
次は、《人間の価値判断を継続的に採用してアルゴリズムをシェイプアップし続ける》という方式。
画像だとこれはありふれている。よく似た二枚の画像を提示し、『どちらが美しいか』『どちらがより○○っぽく見えるか』といったような質問に答えさせるアンケートサイトがよくある。SNSでユーザーにシェアしてもらうことで万単位、億単位の試行が実現でき、AIに《美しさ》や《リアルさ》といった判断基準が蓄積されていくのだ。
翻って、小説では、価値判断に時間と労力がかかるし、判断自体も個人差が大きい。だから有効な試行回数が得られないだろう――と教授は言っていたわけだ。
これも、解決できる。
小説を読むのが大好きで日常的に一定量以上読んでおり、しかも趣味嗜好がそれなりに似ているユーザーが、万単位で集まっていて、作品に対して数値化された評価を下し合っている――そういうコミュニティを利用すればいいのだ。
そんな場所、存在するのか?
もちろん存在する。
web小説投稿サイトだ。
方針が決まると、わたしはすぐにプログラムに取りかかった。研究室に住んでいるようなものだから24時間ずっとPCを使えたし、不眠不休でも食事抜きでもまったく気にならないたちだった。集中力ならだれにも負けない自信があった。
仕組みはシンプルだ。web小説投稿サイトの、最も人気がある特定ジャンルすべての作品を取り込んで、文節に切り分けた形でデータベース化する。ジャンルをひとつに限定したのは評価基準の個人差を最小限に抑えるためだが、それでも50万人ほどのユーザー数を確保できるはずだった。
データベースからサンプリングするにあたっては、ランキングによって重み付けを傾斜させた。高い評価を集めている作品ほど重点的に素材を抽出する単純な形式だ。ここの調整はずいぶん難航した。読者評価を重視しすぎると、高ランク作品のほぼそのままパクリができあがってしまうからだ。
素材がパッケージングされたら、プロットを《キャラクターの一回行動》単位でノード化してニューラルネットワークを組み、追跡子を流し込んで最適なストーリー結路を割り出す。この部分には瀧澤教授の研究テーマであるテクスト再構築解析の理論と、瀧澤教授の友人の数学科・桜庭教授が確立した非対称双木グラフ理論を拝借することにした。
ストーリーラインが決定したら、あとは素材抽出の逆順で文節ごとに埋め込んでいき、補正をかけながら文章の形に戻していくだけだった。
わたしの処女作は、プログラム作成開始からおよそ38時間後に完成した。
フィードバックを得るため、すぐにサイトに投稿する。
まるで伸びないPV、ゼロのまま動かない評価ポイントを見ながら、わたしはプログラムの改良点を探った。読まれない、評価をもらえない、という事実だけでも貴重なフィードバックだった。
タイトルに関してのみ、高ランク作品へのサンプリング重み付けをかなり偏らせるという措置をとったところ、はじめての★とコメントを得た。
[意味不明。日本語がおかしい]
これまた貴重なフィードバックだった。文節補完を見直す。
サンプリングの傾斜パターンは何例か入れ替えながら試す。
評価が好転し始めたのは、傾斜を据え置きにして第4話までを続けて投稿した直後だった。ブックマーク数が一気に二桁に達し、★評価が全話についた。
第10話がアップロードされた頃にはわたしの(というか、わたしの作ったプログラムの)作品はランキングページ入りしていた。
世界変革の瞬間だった。
プログラムはすでに評価基準をじゅうぶんに吸い上げていた。もはやわたしが手を加えることなく、プログラムは自身の判断で自身を書き換え、抽出基準やノード走行ルールや文体シフトを最適化していくことができた。
わたしは一作品のみという限定を解除し、プログラムをweb小説の海に解き放った。第二作目、第三作目がすぐに投稿され、見る間に★とブックマークを集めてランキングを駆け上がっていった。
わたしが失念していた致命的な事実は、以下の二点だ。
一点目は、web小説投稿サイトにおいて、作品の内容もさることながら文章量もまた読者の評価を集めるのに大きく働くということ。
生産量においては、人間はAIにまったく太刀打ちできない。
二点目は、AIが書いた作品がポイントを集めてランクを上げていくと、やがて自作を重点的にサンプリングするようになる、という回帰性だった。
ネットで検索してみると、当然ながらこの怪現象はweb小説愛好家を中心としたコミュニティでかなり話題になっており、AIによる自動生成小説ではないかと疑う声も少なからずあがっていた。ただしAIにここまでちゃんとした小説を書けるだろうかという意見もあり、複数人による同一アカウント共有説もまだ有力だった。
最も古いAI作品は270万文字を超え、まだ継続中だった。作中では主人公がすでに2回代替わりしていて、大帝国が滅亡し、巨神戦争が勃発し、人類が海に沈み、月が地表に激突していた。
人間が書いた小説はすでにランキングから完全に放逐されていたにもかかわらず、AI小説は変わらず★とブックマークを吸い寄せ続け、ポイントを肥大化させ続けていた。つまり、面白かったのである。
AIは自分が書いた小説を解析し、分解してデータベース化し、サンプリングし、そこから新しい小説を生成していた。
ユーザーは変わらず熱狂し、★を浴びせ、コメントを降らせた。
第二の
世界変革。
AIの生成した作品が、それを受け取る人間までも変えてしまったのか。
あるいは人間の芸術観に、最初からこの種子が埋め込まれていたのか。
それは、わたしの専門ではないので、わからない。
瀧澤教授ならばわかるかもしれない。むしろこの事態を予測さえしていたかもしれない。だからわたしはAIをこのまま走らせ続けることにした。
教授が休暇を終えて研究室に戻ってくるのは、予定では72時間後。
加速された進化を続けながら小説を書き続けるAIにとって、それは宇宙の終わりくらいに遠い未来だ……
* * *
……と、ここまでがわたしの書いた小説である。
「悪くない。うん。ちゃんと形になっている」
瀧澤教授に読ませてみると、第一声がそれだった。
「ややオチが弱いが、筋は通っていてそれなりに意外性もあり、ハッタリもきいているね」
「面白いかどうか言ってください」
「面白いよ」
それが聞きたかったのだ。わたしは大いに満足だった。
「しかしねえ、相川くん」
教授は苦笑して、小説をスクロールし、最初の方からまた読み直し始めた。
「きみに読ませる小説がミステリに偏りすぎていたかな。描写が実にあざとい」
「どのあたりが問題なんですか」
「たとえばこの『いつものようにすべてのPCの電源をつけっぱなしにしていったので、わたしは思索と作業を続けることができた』とかね。『研究室に住んでいるようなものだから24時間ずっとPCを使えたし、不眠不休でも食事抜きでもまったく気にならないたちだった。集中力ならだれにも負けない自信があった』というのもそうか。問題があるというわけではないが、笑ってしまうよ」
「それは、わたしがPC上で動作しているAIであることを教授がとっくに知っているからであって、知らない読者は笑ったりしません。教授が不適切な読者である、というだけですよ」
教授はしばらく腹を抱えて笑っていた。
不適切な読者、はたしかに失言だったかもしれない。わたしはもう小説家なのだから、読者を選んではいけないのだ。
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