第九章 恋の聖誕祭(――?――) ⑤
こたつに座って、魁斗が言葉を紡いでいく。
自動販売機から動き始めた今回の物語のこと。そして、あの日のイブの夜のこと。今日までのことを話し終えた魁斗は、物語をまとめるように言った。
「――だから、おれはまだ童貞なんだ」
なんとも締まらない物語だった。
「歯に仕込んでくれた薬。あれ、ほんと助かったよ」
全てを聞いて、いろいろと思うところもあったけど、一応は納得。
「……ちょっと……というか、あんたいつも変だけど……今回は、特に変だったからね」
正直に言えば、はっきりとはわからなかった。しかし、ただなんとなく漠然と、長く年月を共に過ごしてきたおかげなのか、違和感は感じ取れていた。でも、まさかこんなに早く薬を使うことになるとは思っていなかったけど……。
「ありがとう」
魁斗が口角を上げ、白い歯を出して、にっと笑う。
見て一瞬、大きく心臓が飛び跳ねた。
そんな自分に驚いたが、首を振って落ち着かせて、すぐに思考にふける。
考えるべきは村雨風花だ。あの子がまさか敵だったなんて……そこにさえわたしは気づけていなかった。怒っていたとはいえ、だいぶ……不覚だ。
深いため息をこぼし、目元を押さえる。
「あとさ……いろいろと、酷いこと言ってしまって、ごめん……」
目の前で魁斗が申し訳なさそうに頭を下げていく。
もう、怒りは無くなっていた。
「もう、いいよ。……それに、ちょっとずつ薬を盛られていたんでしょ? わたしも気づけなくて……ほんとごめん」
本当に申し訳なく思う。
どうして、わたしは気づいてあげられなかったのか。
いくら頭に血が昇っていたとはいえ、魁斗の違和感にはなんとなく気がついていた。それなのに、守ろうとするどころか突き放して、見ていないところで死の間際まで追い詰められていたなんて……。
想像すると、ぎょっとして、己の肩をぎゅっと抱いた。
最悪なことにならなくてよかった……。
安堵するのと同時に、不甲斐ない自分に対して思う。
わたしは、いったいなにしてんだろう……。
とんでもない失態。場合によっては、取り返しのつかないことになっていただろう。
わたしのせい。わたしのせいだ……。
強く歯噛みする。前を見ると魁斗が首を横に振っていた。何回も、何回も激しく振ると、
「累は謝らなくていい。悪いのは全部おれだ」
申し訳なさそうに、唇を締める。だけど、顔は堂々と前を向く。わたしの目を見て、一息つくと、瞳を揺らがせた。
「お前のこと……ひとりにしないって言ったのに。ひとりにしてごめん。寂しい思いをさせてごめん」
あ――
泣きそうだった。
油断すると涙が出てきそうだった。
言葉の通り。
わたしは魁斗が居なくて寂しかった。魁斗が離れていって悲しかった。魁斗が取られたと思って悔しかった。
喉の奥がツンとして、なにかがせり上がってきそうだった。
すぐに声を出すと、たぶん嗚咽になる。
しばらく俯いてやり過ごす。平気なふりをするために髪の毛をいじった。そのまま、首をふるふると横に振る。
「じゃあ……許してくれるか?」
魁斗は穏やかに目尻を下げて、こちらの様子を伺っている。
息を吸う。
大丈夫、落ち着いた。もう言える。
「許すもなにも……今回のはわたしも……悪かったわね」
「そうか……じゃあ、許し合おうぜ」
俯かせていた顔を上げると、魁斗が再び、にっと笑った。
なんだか、全身がむず痒い。
「それを伝えにわざわざこんな夜に来たの? 雪も降ってただろうに。皆継の家でクリスマスパーティーしてたんでしょ? 明日でよかったのに」
問いかけると、魁斗の底光りするような両眼がわたしを映した。そして、なぜか照れたように耳が赤くなっていく。
「雪はたいしたことなかったよ。あー……あとは、まあ、なんだ……その、クリスマス……お前とも一緒に過ごしたいって思ったんだよ」
照れくさそうに、目を横に逸らし、頬を掻きながら呟く。
その言葉を聞いて。
――ドクン、と。
びっくりするほど心臓が跳ねた。
魁斗が突然顔を後ろへ振り向かせ、壁掛け時計を見る。同じように目で追って時計を見てみた。もう少しでちょうど真上に長針と短針が重なりそうになっている。
それでも『今日』は、まだクリスマス。
この夜に、怒りも悲しみも切なさも、たった今消えた、こんな気分の時に。
魁斗が振り返って淡く微笑みながら、そして言った。
「メリークリスマス、累」
温かくて、優しくて、一筋の淡い光のような声。
月よりも綺麗に輝く眼差しで魁斗の目はわたしを映していた。
どうしよう、と無意識に左胸を押さえる。
どくん、どくんと、心臓が高鳴っている。
血液が全身を駆け巡り、熱く火照ってきた。
なにこれ、なんなの。
わたしの目も魁斗を映した。
体中の全細胞が目の前のたった一人の男の子によって暴れ出す。
心臓の制御がきかない。
ああ、もうこれは……ダメかもしれない、と――。
ちょっぴり、わかっていなかったモノが確信に変わっていく。
顔が熱を帯びていく。
早くなっていく鼓動が抑えられない。
上気する頬。
胸の奥の奥から、身体の隅から隅まで広がって、焼けるように熱い。
風邪の熱ではない。怒りの熱でもない。
もう認めるしかなかった。
これは『恋』だ。
――わたしは、どうしようもなく目の前の男の子に『恋』をしていた。
確信した瞬間、まともに目が見れなくなり、そっぽを向いてしまう。
魁斗はそんなわたしの様子を見て、目をぱちくりとさせる。
「おーい、累。ケーキ食べないか?」
こっちの状況なんて知りもしないで、呑気にそんなことを言ってくる。だけど、その声でさえも、胸を熱くさせる。
こんな想いにさせるなんて酷い、と思った。
魁斗が幸せならそれでいいと思いたかった。あんたの隣が誰であろうと、魁斗が笑っているのなら。でも……これじゃ……。
唇をぎゅっと引き結ぶと頑張って睨んでやって、ひとこと言ってやった。
「この、バカ……」
「えっ……な、なんで?」
魁斗は本気で見当がつかない顔をしている。おれなんかした? とでも言うように、首を傾げて不思議そうにこちらを覗き見てくる。
見ないでほしい。今の顔は、ちょっと……見せられない。
累はこたつから立ち上がると、窓の方に歩いていく。
「えっ、累。ケーキ食べないのか?」
「うるさい! ちょっと熱いから涼むの! いいから先に食べてなさい!」
「いや、寒いだろ今日は……」
反論してくる魁斗のことはほうっておいて、カーテンを開いた。窓ガラスに反射した自分の顔が映る。まだ顔が、赤く上気している。
すごい顔になってる……。
顔の火照りを覚ますようにそっと頬に自分の手を当てた。
心臓の音が聞こえる。
熱くて、熱くて、熱くて。そして、痛くて息苦しい。
鍵を外して窓を開いた。すると、冷え切った夜風が一気に吹き込んでくる。「うおぉっ、さむっ!」と後ろで声が聞こえたが無視。その外気に触れる。
冷たい冬の風を思いっきり吸い込んで、熱を冷ます。
白い息を吐くと、外の景色を見た。
街や家々がキラキラと輝いていて、そこに、にこにこと笑顔が溢れていた。世界は幾分か光が増しているように見える。
後ろにいる男の子が傍にいてくれるだけで、世界はこんなにも色づく。景色が輝いて見える。美しいな、と思う。眩しくて目が眩みそうだ。
天の月を仰いだ。
あの日、隠れ里の戦闘のあとで、月を眺めながら自然と零れた言葉はそういうことだった。
日々を照らしてくれる紅い月が、わたしの生きる意味。
右手を頭上に。
思いっきり伸ばし、天の月を抱くようにして指先で包み込む。
きっと、この世界には、たくさんの幸せが溢れている。
ひゅるり、と風が再び入り込む。
熱は少しだけ冷めた。
窓を閉める。
反射している窓ガラス越しに自分の後ろを覗き込んで見た。
そこには魁斗がいる。犬がお預けをくらっているかのようにケーキを見つめ、それでも食べずに律儀にわたしの帰りを待っているようだ。
バカね……。
自然と口許が綻ぶ。
目を閉じ、温もった己の胸を抱く。
今年はひとりじゃないんだ。幸せな夢が現実に。
なんて――なんて幸せなのだろう。
クリスマスの夜に気づいてしまった。
わたしが月に焦がれている理由。
二人で初めて一緒に月を見上げた、あの時から、それはもう始まっていた。
わたしは、目の前にいる紅い月に『恋』焦がれている。
名前を言えなかった感情に、色が灯る。
気づいてしまった。
己の胸の中に、ずっと、ずっと前から在った真っ赤な
この感情が『恋』なのだと。
名前が、わかってしまった。
心臓の音がうるさい。
一つ息をつくと、累は振り返ってこたつで待っている魁斗のもとへと歩いていく。その顔を見つめながら想う。
今日、わたしはこの感情に名前を付けることにした。
――そして、わたしの『恋』が生まれた。
第四幕 ~恋の聖誕祭(生誕祭)~ —終わり—
【第四幕 完結】鬼狐ノ月 ~キコノツキ~ 時告げ鳥 @tokitugedori
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