第九章 恋の聖誕祭(――?――) ④
締めたカーテンの隙間から頭だけを出してみた。
そのまま窓辺に両肘をついて外の世界を眺める。
そこには見慣れた道をいろいろな人々が行き交う光景が広がっていた。
お母さんやお父さんと手を繋いではしゃぐ子供の姿、壮年の夫婦が腕を組んで楽しそうに会話をしている、年頃の高校生カップルが顔を赤らめながらも手を繋ぎ仲睦まじく歩いていく。
共通して溢れているのは幸せそうな笑顔。
きっと、この世界には、たくさんの幸せが溢れている。
ただ、それと同じくらい最悪な因果やカルマ、数奇な人生だってある。
自分は薄幸……とまでは思わないが、眺めていると羨ましいな、と感じてしまう。
頭を引っ込め、部屋の中を見渡してみた。
そこには誰もいない。
閑散とした、いつもの部屋。
こんな日にひとりでいるというのはなんとも寂しいものだ。
息をつき、累は窓から離れて、こたつに腰を下ろした。
六畳一間のちゃぶ台兼こたつの上には、小さなクリスマスツリー型のアロマキャンドルが置かれている。そのアロマキャンドルの芯にライターを近づけ、注意深く火をつけて灯してみた。
電球を照らしていない真っ暗な部屋の中に夕陽みたいなオレンジ色の光が暖かに揺れる。火が灯されたツリーは本当に綺麗で少しだけ心が落ち着いていく。パッケージを見たが、アロマの匂いはバニラの香りらしい。狭い室内には、おそらく甘い香りがふわふわと匂い立っているのだろうけど、鼻先をくすぐることは一切無く、匂いは感じられなかった。
揺らめく炎を見つめて、天板に頬杖をつく。
ひとりぼっちの家の中には、静けさが満ちており、やはり少しだけ寂しいって思ってしまう。ぼーっと見つめていると、眠たくなり一度天井に向かって大きく伸びをして、再び天板に頬杖をつく。そのまま火を眺めていると、今にもとろとろと眠りに落ちてしまいそうだった。
誰にも伝えるわけでもなく、
「メリークリスマス……」
ひとり囁き、ツンッと小さなクリスマスツリーをつっつく。
今年も一人。去年と一緒。来年もたぶん……きっと一人だ。
きっとこの先も、ずっと、ずっと、今日という日を一人で過ごすのだろう。
でも、それでも構わない。魁斗が幸せであるならそれで……いい。
細めた瞳に揺らめく火の影が落ちる。
魁斗は今頃、あの風花って子と、今日という日を過ごしているのかな? それとも皆継家で温かいクリスマスを過ごしているのだろうか……。いずれにしても、あいつが幸せで笑顔でいるのなら。それは、とても嬉しい……けど、その反面、やっぱり……なんか、ちょっと……。
胸が痛み、切なさを感じる。鼻の奥までもがツン、と酸っぱくなる。
目を瞑ると、夕陽と魁斗と三人で過ごしたクリスマスの日を思い出す。
クリスマスなのにおばさんは、わたしの好物のお稲荷さんを大量に作ってくれて。付け合わせは、魁斗の好物の鳥の唐揚げ。他にもポテトサラダやピザなど様々な料理を用意してくれて、ホールケーキをみんなで均等に分け合って食べた。恒例のように、おばさんからわたしたちにプレゼントがあって。わたしがプレゼントの袋を開けようとすると、興味津々に魁斗がのぞき込んでくる。だから、意地悪するようにして隠すと「なんだよ、見せてくれたっていいだろ」と唇を尖らせて突っかかってくる。それがいつものことだった。
思い出にふけっていると、ふふっ、とついつい笑みが零れていた。
幸せ、だったなぁ……。
魁斗は今、あの頃と同じような温かい空間でクリスマスを過ごせているのかな? 過ごせていたらいいな……。
目を開けるとアロマキャンドルの火が眠りを誘うように、ゆらゆらと揺れている。
静かな眠りの波に飲まれ、しだいにまどろんできた。
今は一人だけど、だけど不幸だなんてちっとも思わない。
胸に手を当てる。今日も身につけている月のネックレスも一緒に手のひらに感じる。
この胸の中には、たしかに温かい光が息づいている。
それさえあれば、わたしは生きていける。
だから、大丈夫……。
天板にほっぺたをくっつけ、ゆっくりと目蓋を閉じた。
幸せの温もり、思い出とともに眠りの中へと堕ちていった。
※※※
「――おいっ! お前、火をつけたまま不用心だぞ!」
「……ふえ?」
聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。続けてパチンと音が鳴り、部屋の中が明るくなる。
顔を上げ、眩しい光に目が慣れると、そこには魁斗がいた。
――え、なんで……? これは、幸せな夢……なんだろうか?
「……っ!?」
――跳ね起きた。
いつのまにか本当に眠っていたみたいだ。
夢、じゃない……。
そして、なぜか魁斗は息が上がっている。
「……なんで、いるの?」
目蓋を大きく開き、問いかける。
問いかけられたその相手は、壁掛け時計を確認して「よし」と言いながら汗に濡れた額を手で拭い呼吸を整える。落ち着くと、こたつ近くまでやってきて腰を下ろした。
「あと玄関の鍵も閉めろよ。不用心だから」
そう言いながら、買ってきたのであろうケーキの箱を天板に乗せる。
「ほらっ、クリスマスのケーキ。食べようぜ」
「……」
質問に答えていない。
魁斗は箱からカットケーキを取り出して、いつのまにか用意していた皿に取り分けて乗っけている。
「この前はお前の誕生日でショートケーキを食べたから、今回はタルトを買ってみたんだ」
流れるように皿を手渡された。そこには、ふんだんにイチゴが乗ったイチゴタルトがある。真ん中にはサンタクロースの砂糖菓子が乗っていて、merry Christmas と綴られた飾りの旗まで刺さっている。
「あ、ありがとう。……や、だからなんでいるのよ!?」
いまだ夢心地のままでいた。少し現実かどうかを疑ってみたが、正真正銘自分は起きていて、目の前には魁斗がいる。
「ダメだったか?」
「ダメ……じゃない、けど……」
ペースがかき乱される。
こいつは昔からそうだ。いつもなんか唐突だし、単純バカのくせに、なにをするのかまったく予想がつかない。
ようやく眠りについていた思考回路が起きてきて、まともになってくる。
視界も広がり、そうして思考が働くと、嫌な記憶までもが蘇ってくる。
ちょっと待て。……わたし、こいつにめちゃくちゃ腹立ていた気がする。
記憶を辿るように目だけ上方を向かせる。
さっきは感傷的になって、魁斗が幸せならそれでいいか、とか思っちゃったけど、わたしこいつにめっちゃくちゃ傷つけられたんだった。
色々とフラッシュバックする。
お互いに相手がいなかったら、わたしの家でイブを過ごそうっていう話になって。だけど、結局それが叶わなくて。すごく悲しくって怒ってしまった。次の日、イブに友作くんに誘われたことを話したら、なぜか逆切れしたような雰囲気を出してくるし……。結局、イブは一人で過ごしたし……。そんでもってこいつは、イブの日に村雨風花って子とホテルに行ったみたいなことを仲良く本人と会話してた。
そうだった。こいつケダモノだった。
フラッシュバックを終えて、改めて目の前にいる魁斗の顔を見ると、腹の底からふつふつとマグマのような怒りの感情が込み上げてくる。
なんでこいつ。普通の顔してここに居んのよ。
「やっぱりダメ。今すぐ帰って、このケダモノ」
思い出し、不愉快な気持ちをわからせるため、睨みつけながら魁斗に言い放った。
魁斗は微妙に驚いて口を引き結び、少し黙る。だけど、目を逸らさない。決心したように真剣な眼差しでこちらを見てくる。
「累……その、いろいろとあったんだ。話を聞いてくれ」
いろいろ? そりゃあったでしょうね、ホテルに行ってるんだから。
内なるマグマが大噴火。
燃え上がった怒りの炎が心を黒々と焦がそうとしてくる。
――聞きたくない!
「嫌っ!」
こたつから跳ねるようにして立ち上がり、両手で耳を塞ごうとする。
「累、待って!」
しかし、魁斗が反応し手を伸ばしてきて、それを阻止しようとしてきた。
そのため、瞬時に――逃げた。
「え、ちょっ! 累、ちょっと待てって!」
「嫌っ!」
魁斗もこたつから立ち上がる。追いかけようとしてくるため、狭い室内にも関わらず今すぐにでも走って逃げられる態勢を作った。刺激しないようにするためか、魁斗がゆっくり足を一歩こちらに踏み込んでくる。だから二歩遠ざかった。それを見て、魁斗が足を二歩踏む込んでくるため、すかさず三歩遠ざかった。すると、魁斗が必死の形相になり捕まえようと走ってくる。即座に逃走。
「まっ――!」
待って! と言いたかったのだろうが、何度も魁斗を突き飛ばして、ムキになって逃げる。
絶対に逃げ切ってやる、という意思のもと、必死に逃げ回った。
しかし、六畳一間はさすがに狭かった。隅に追いやられ、魁斗が息を切らしながら追いつき、後ろから左腕を掴んできた。
「っ……!」
振りほどこうとするも、離してくれない。無理やりに腕をぶん回す。離れようと、飛ぶ勢いで逃げようとする。
「ちょっと待てって! 落ち着いて! とにかくおれの話を聞いてくれ!」
「嫌っ!」
きっ、ときつく目をすがめ、魁斗を睨みつける。全力で腕を振りほどこうとする。
「頼む! 頼むから逃げないでくれ! 話を……おれの話を聞いてくれよ!」
「いやだっ、離して!」
聞くのが怖い。だから……。
累は振り向きざまに勢いよく魁斗の額に頭突きをかます。
「ぅがっ……!」
「んん――!」
かましたはいいが、魁斗の額が予想外に硬くて自分自身も大きなダメージを食らってしまった。
二人してその場にしゃがみ込み、赤くなった自分のおでこを手で覆う。
「こ、この石頭っ!」
「お前が頭突きをかましてきたんだろっ!」
涙目で魁斗は額を擦りながら言ってくる。
最近は、なんだかおでこへのダメージが多い。
累は必死に両手でおでこを擦り、どうにか痛みを鎮静化させる。
石頭なのも腹ただしい。
イラつく心を伝えるために、もう一度鋭く睨みつけてやった。すると、魁斗が呆れたような目をしてこちらを見つめ返してくる。
「なんだよ、その宿敵でも見るような目つきは……」
そう言いながら魁斗は額から手を下ろし、敵ではないと伝えるように穏やかな表情をして、一歩近づいてくる。
「累」
名前を呼ばれると、わたしの赤くなった額に手を当ててくる。指の腹を優しく動かし、痛む額を撫でてくる。
「話を聞いてほしい」
続けて真剣にその言葉を伝えてくる。
「……」
少しの間、黙って魁斗を見返す。その間も、真っすぐな目は逸らされることなくじっとこちらを見てくる。
なんなのよ、もう……。
そんなふうに真っすぐに見つめられて誰が拒否できるだろう。
腹立つけど、悔しいけど、怖いけど、覚悟を決めて話を聞いてあげることにした。
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