第11話 失った声を取り戻すには

 果ての塔へ感覚だけで渡ったウレイは意識が戻ったあとも高熱に悩まされた。

「……下がりませんね」

ウレイのベッド脇に座るのはアーサーではなく弟子のリド。

「ね、熱だけですし家事はでき」

「駄目です。そもそも塔へ感覚だけでたどり着くなんて芸当、貴女あなたくらいしか出来なかったでしょう。ほかの魔女や魔導士なら死んでますよ」

 自分も死にかけたとは言い出せず、ウレイは布団を引き寄せる。

「病気じゃないですし……」

「今日の先生は研究室にこもりきり、弟子の我々は交代で貴女あなたの面倒見」

「で、ですから炊事すいじくらい……」

「駄目です」

美しい緑色の目でじっと見つめられたウレイは観念して目を閉じた。

「今は寝て、先生が心配しないように回復に専念してください」

「はい……」


 アーサーが研究室兼私室から出て来たのはとうに日が暮れてからだった。キッチンへたどり着いた彼はコップの水を飲み干し、冷蔵庫の中を確かめる。書き置きと共に弟子が作った“肉じゃが”を見つけると温めもせずに口に放り込む。

(ウレイの故郷の味? あしくにの食事に似ているな。やはりこちらだとあの国が故郷に当たるのか……)

 アーサーは立ち尽くしたままもそもそと肉じゃがを食べていて、物音に気づいたウレイが部屋を出ると二人の目がパチッと合った。

「先生お行儀悪いですよ」

 ウレイはふっと微笑むと小鍋に手を伸ばしてアーサーが抱えた琺瑯ほうろうを手に取った。

「温めるので一緒に食べましょう」

 小鍋で肉じゃがを温める間、アーサーはウレイの額に手を伸ばし熱を測った。

(……まだ高いな)

「熱下がらないですよねー」

 ウレイは汗ばんだ髪を高い位置でまとめていて白いうなじを露出している。アーサーの角張った大きな手がうなじをつうと撫でるとウレイの肩が跳ねた。

「先生、変なところ触らないで」

 フイとそらした彼女の耳が違う意味で赤く染まっているのを見ると、アーサーはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。彼はそのままウレイを抱きすくめる。

「ひゃっ」

 アーサーとは身長差がある。ウレイの頭は彼の胸元にすっぽりと収まる。

(先生やっぱり大きい……)

彼女をからかいつつも心配なアーサーは熱い額に手を当てる。

「熱出てるだけですし大丈夫ですよ。リドさんたちも妙に心配しますけど」

(果ての塔まで術式もなしに飛ぶなんて離れ業したら当然……)

「そう言うものですかね」

 アーサーははた、と違和感を感じて熱を測っていた手をウレイの顎に添えて上を向かせた。

「何です……?」

(……まるで考えが聞こえているような口振りだな)

「ああ、なんか先生の声に触ってから聞こえるようになったんですよね」

(何だって!? 声に触った!?)

「立ちっぱなしもなんなんで、肉じゃが食べながらにしません?」


 二人は弟子たちが揃えてくれた肉じゃがと白飯で食事をる。アーサーも「いただきます」にはだいぶ慣れてきたようだ。箸に慣れたのはあしくににしばらく滞在したおかげだろう。

「夢を見たんです」

(夢?)

「この宙に浮く小島も地平線も何もない青い空に浮いてて……先生の声が聞こえたなと思ったら、寝てる私と枕元にいる先生が見えたんです」

(……ふむ)

「先生の声、頭の後ろあたりから聞こえて、何となく手を伸ばしたんです。先生の考えが聞こえる原因としてはそれかな、と……」

(……直接の原因としてはそうかもしれないな。君がいたのは世界の裏側だろう)

「世界の裏側?」

(この果ての塔は世界の裏側に一番近い場所だとされている。著名な魔導士でも裏側にたどり着いたとされる者は数人、しかも戻ってきていない)

「か、帰ってこないんですか?」

(帰って来られないのか自ら帰って来ないのかは今だに意見が割れている)

「そうなんですか……」

(君は霊魂だけで世界の裏側へ行き、帰ってきたのだろう)

「なるほど?」

口ではそう返しつつもウレイはよく理解していない。

「……あの、世界の裏側って何ですか?」

(まあそこからだな。世界の裏側と言うのは、我々のような生き物や植物が住む世界と違い無限の魔力があるとも言われるし、生き物が住めないような恐ろしい場所ともされる)

「あの世とか地獄みたいな? 魔力って無限じゃないんですか?」

(獣にもよるが無尽蔵ではない。心臓が動く限り生成はされるが寿命が近付くと量は少なくなり……)

 魔力という単語が出てアーサーは思わずウレイの顔をじっと見つめてしまう。ウレイは言われなくとも彼の求めることがわかった。

「……先生、正直に答えて欲しいんですけど」

(ん?)

「本当なら私について色々研究したいんじゃないですか?」

アーサーの顔からさっと血の気が引いた。

(それは……)

「異世界人ですし、何が違うかとか見たいんじゃないかなって思うんですけど、先生?」

アーサーは顔色が悪いまま立ち上がった。

(君を研究材料にしようとは思わない)

「先生、真っ青ですよ」

(この話は終わりだ。戻って休みなさい)

 アーサーは気が動転して片付けもせずに研究室へ閉じこもった。

 大量のスクロールで埋め尽くされた部屋の中、アーサーは憎々しげにイドラ・ファントルマンと署名されたスクロールをにらんだ。

(何が最上の素材だ)

アーサーが知る限り初代異世界の魔女は最期さいご、生き血をしぼり取られるだけのうつろな人形だった。

「先生」

 アーサーはハッとして扉をへだてて居るウレイに振り向いた。

「先生、大丈夫ですか?」


 彼が覚えていたのはその瞬間まで。気付けばアーサーはベッドでウレイにおおいかぶさり彼女の唾液をむさぼっていた。

「ん、は……」

 アーサーは異世界の魔女の魔力が口に広がるたび、内側から自分の体が違うものに作り替えられてしまうような感覚と、あらがえない快感におびえた。

(甘い……)

ウレイの魔力はハチミツのように甘い。一度口に入れればもっと次が欲しくなる。

(クラクラする……)

「ん、ん……」

 ウレイは部屋に入ってアーサーをなだめようとしたら急に彼の態度が豹変ひょうへんし困惑していた。彼は豹変ひょうへんする直前なにかに耐えていたようで、それがぷつりと切れてしまったように見えた。

(でも嫌じゃない。先生だから)

 ウレイは自分からアーサーの舌を絡め取った。

「ん、ふ……」

 ウレイは段々と起き上がってアーサーを座らせ、彼に真上を向かせると手を滑り込ませて口付けを中断した。

「先生……」

星明かりを背に見たアーサーの表情は熱っぽくとろんとしていた。

(先生、お酒も強いのに……)

 しばらく一緒に生活して気付くこと。彼は食前酒を飲むことが多いが、ひどく酔ったりしない。元々酒に強いのだろうが赤くはなっても理性が飛ぶようなことはない。その彼が理性を失い本能のままにウレイの口をむさぼるのは奇妙だった。

(先生どうしたんだろう……)

 理性がまともに働いていないアーサーはウレイの手の平と、指の間を舐めまわし熱っぽい目で彼女を見つめる。

「先生……」

 もう我慢できないといったふうにアーサーはウレイの後頭部に手を回してキスをねだった。要求に応えると彼はまたウレイの口の中を舐め回す。

「ん、先生……だめ、もっとゆっくり……」

 ゆっくりですよ、とウレイがペースを落として短いキスを繰り返すと、がっつくような乱暴な口付けは段々と落ち着いてゆく。

「先生」

 ウレイも自分の気持ちには気付いていた。いくら異世界に飛ばされて不安だからって自分は見知らぬ男性に易々やすやすと触れたりしない。リドやセルとは一定の距離を保っているのに、アーサーに対しては壁がない。

(私、この人が好きなんだ)

三十歳を前にして大した恋愛もしたことない自分が別の世界の、別の文化圏の男に入れ込むとは思わなかった。

(この人は優しいから)

彼の優しさは自分だけのものではないかもしれないけれど、今は頭から追い出してしまおう。

「アーサー先生」

 愛おしい人の名前を呼ぶと彼は背中に回していた手をビクリと強ばらせた。

「先生?」

 アーサーはウレイから体を離すとシーツを強く握りしめた。彼はブルッと震えると体を駆けめぐる悪寒に耐える。

「先生!?」

(あ、う……)

「先生!」

 ぞぞぞ、と駆け上がる快感と悪寒。内臓に染みたウレイの魔力がじわじわと彼を支配していくのがわかる。

「先生! ど、どうしよう……薬か何か……」

(待って……)

アーサーは必死にそばにいるウレイの手にすがった。

(そこに、そこにいてくれ)

「でも先生……!」

(俺は大丈夫……)

 アーサーはウレイの膝に倒れ込みながら、イドラもこの感覚を味わったのだろうか、とおぼろげに思った。




 まるで風邪を移したかのようにウレイはキレイさっぱり熱が下がり、アーサーは高熱を出して寝込んだ。弟子たちも魔導王がまさか熱を出すなんて、と晴れの日に雪が降るのではと疑うほど。

 ウレイは弟子たちがあしくにから買い込んだ食材を使って胃に優しい和食を作り、ひたすらアーサーの口へ運んでいった。

 アーサーはローブ姿ではなく一枚着の寝巻きで、己が弟子に教えた熱冷ましを額にべったり塗られ、焦点の合わない目で数日を過ごした。


 ある日アーサーは朝食後、まっさらなスクロールをリビングに持ち出すと何か書き始めた。相変わらずぼーっとした表情ではあるものの意識がハッキリしてきたのか彼の手は迷いなくスラスラと文字を書く。

「先生なに書いてるんです?」

 洗濯を終えたウレイがのぞき込む頃には文字だけでなく果ての塔のスケッチまで入れられ、空白を残しつつも美しく仕上がり始めていた。

「おお、すごい」

「ここに手を置いて」

「え?」

 セルの声を使ったアーサーは、ウレイの右手を引っ張るとスクロールの上にぺたりと載せ周囲に文字や図形を描く。

(フリーハンドで綺麗な図形が描けるのすごいなぁ……)

「仮説だがいけると思うんだ」

「何がですか?」

 アーサーはぼんやりした表情で何か考えているが、言語での思考ではない上にウレイにはまだ難しい魔導の知識を巡らせているのでさっぱりわからない。

「仮説ってどんな?」

「あーっ、先生! ダメですよまだ寝てなきゃ!」

 ミラが畑から戻ってきて、ダイニングテーブルに広げられたまだインクが乾かないスクロールをそうっと回収する。

「ウレイさんその人捕まえておいて」

「え? 捕まえるって……」

「この人ダメなんです。熱にやられようが毒にやられようが、ちょっとでも動けるようになるとすぐ思考実験始めちゃうから!」

「そ、そうですか……」

(先生意外と私生活はポンコツ……?)

 アーサーは立ったまま考え事を続けていて、ウレイが誘導してソファに座らせてもぼんやりしている。

(ああ、本調子じゃないな)

 解熱作用があるハーブティーを淹れてアーサーの元へ持っていくと、彼は差し出されたままティーカップに口をつけた。両手でカップを持ってソファの上で膝を立てている様子はハムスターに似ている。

(なんだか可愛い)

 アーサーの部屋から上着を持ってきて肩にかけると、彼は空のカップを置いてウレイの腕を引き寄せた。

「先生、もう一回寝ましょう」

「うん」

 と言いつつぼんやりしている彼はウレイの体を引き寄せると首元に顔をうずめた。アーサーは体格もよいし力も強いので、ウレイの力では抵抗が難しい。ウレイはアーサーの膝に座るしかなくなり、甘んじて抱擁ほうようを受ける。

「先生、ベッド行きましょう」

「うん」

彼の唇がするするっと首筋をい、熱い息がふっと髪にかかる。

(く、くすぐったい……)

 アーサーの夜空色の瞳を見ればまだまだ冷めぬ熱っぽさがあり、ウレイの焦茶の瞳をうっとりと見つめる。

(この顔は私にしか見せないよね)

魔導王と恐れられる人物がただ一人に見せるであろう恍惚こうこつの表情。ウレイの胸にじわりと優越感が広がる。

「アーサー先生」

あの時のように愛おしく名前を呼べばアーサーはふるりと身を震わせた。ウレイの口元は自然と微笑みをたたえる。

「先生、その顔はほかの人に見せないでくださいね」

ご褒美に軽く口を吸うとアーサーは物欲しそうな顔をする。

「ダメですよ。ほらお布団入って」


 アーサーはウレイに連れられてベッドへ戻り、かたわらに腰掛けたウレイを見上げた。

「先生、わたし先生の声を取り戻したいです」

 ウレイはそっと彼の髪を撫でた。右も左もわからない状況で助けてくれた彼に、自分で出来ること。

「先生のお役に立ちたいです」

もしかしたら叶うことではないかもしれないけれど、生活の目標にするにはいい案だと思う。

「だからお側に置いてください」

ウレイが見せた微笑みは、すがるようで、どこか哀しみを含んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【長編】アラサーメガネは魔導王の甘い妻 ふろたん/月海 香 @Furotan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ