第10話 魔導を殺すもの

 果ての塔はいつの時代、どこにあるかわからない。例え探知できても立ち入ることができるのは塔に許された者のみ。熟練の魔導士ですら手を焼く聖域の特定を、魔導も使えない見習いが感覚だけでそこへ転がり込もうなど、命を捨てるようなものだ。


 異世界からやってきた魔女見習い挿頭草かざしぐさ 雨鈴うれいは、魔導議会の議長イドラの息子ブレントから逃れるために、とっさに魔導王アーサーとその弟子ミラを抱え果ての塔まで

 渡りを終えたその場で昏倒こんとうしたウレイは、果ての領域で丸三日、未だに目を覚まさない。


 アーサーは高い熱を出してふうふうと息を吐く彼女の額に載せた濡れタオルを交換しながら、あしくにでの出来事を思い返していた。

 杖を手にした途端あふれたウレイの魔力は、どれほど高名な魔女や魔導士の術だとしても全て押し流してしまうような、特別な濃さと大きさを持っていた。

(イドラがあれを無限の魔力と呼んだ理由が、今ならわかる。そしてイドラは強欲だが物を考えられない馬鹿ではない。あの魔力を自分が使った方が有利か、本人に操作させた方が便利か、一度でも考えたはずだ。結果、捕らえた魔女の生き血をすすることになった訳だが……)

 異世界からやって来た人間がどのように魔力を持つのか。魔導のない世界からやってくるのに特別な才能を持っているのはなぜなのか。

 興味がなかったわけではない。研究者としては今が好機だ。ウレイは高熱を出して動けない。体液を採取しようとどう調べようと今の彼女自身には感知できない。

(ああ、イドラもそうして初代をにしたのだろうな)

 魔力の動かし方一つも知らない彼女が自分を助けようとした結果目の前で伏せているのに、頭の中ではどうしたらこの魔力を最大限に使えるか考えている。

(……最低だ)

アーサーは汗で湿った黒髪を一筋すくい、口付けた。

(君といると、己の欲深さが嫌になる)




 ウレイは何もない空間にただよっていた。あるのは青空だけで、果ての塔も見当たらなければ山も海もない。

(……わたし今度こそ死んじゃった?)

ウレイは苦痛もなければ恐怖もない青空だけの空間で、ぷかぷかと浮いている。

(先生たち帰れたかな? 無事ならいいけど……)

「ウレイ」

「はっ!」

 頭の上から降って来た声につられて見上げると、ベッドに伏せる自分ととなりで心配そうに見つめるアーサーが見えた。

「せ、先生!? ああっ私生きてる!?」

「君には迷惑ばかりかけている」

「うそ! これ先生の声!?」

 低くて落ち着いた男の声。今まで聞いたことはなくとも、ウレイにはアーサーの声だとわかった。

(先生の声こんな感じなんだ……)

「そもそも、私がノイブンの召喚式に便乗して余計なことをしなければ……いや、それはもう遅いか」

「……その召喚式がなかったら私は先生に出会えてないです」

「君の魔力に興味がないわけではない。だがやはり今この状況で考えるのは最低だな」

「先生根っから研究者っぽいですし仕方ないのでは……?」

「……君の唇をうまそうだと考えるのも最低だな」

「へぶぅ!?」

「君が倒れて気付いてしまった。いやもう弟子は先に気付いていたのか。私が君を好きだと」

「先生!?」

「ああ口を吸ってしまいたい。だがそんなことをしたら男としても最低だし人としても最低だ。我ながら嫌になる」

「先生! さすがに思い留まってください! その考え丸見えなので今! 私に!!」

「……吸っちゃおうかな。弟子もいないし」

「先生!! 待って!! 本人に見えてる!!」

「あーピンク色。いちご味かもしれない」

「IQめっちゃ下がってる!!」

アーサーはウレイが見ている前で彼女の顔に近付き……

「アー!! ウワー!!」

手を取ってピンク色の爪先に口付けた。

「……君はもう三日も寝ている」

「びっっっくりした……」

「君の手料理が恋しいよ。早く元気になってくれ。調理中の背中を見て安心したい」

「もう……」

 ぷかぷかと浮いていたウレイは、水中を泳ぐように足を動かして自分をのぞくアーサーの後頭部に顔を寄せた。

「先生の声この辺から聞こえる……」

ウレイは形のないものを掴もうとして手を伸ばし、その指がアーサーのローブを突き抜けると彼はバッと振り返った。

「うおっ! ゼロ距離イケメン」

「……何だ? 幽霊? 精霊?」

(今さらだけど先生の顔好みだなー)

「……ん? 先生今の気付いたの? じゃあここに浮いてる私も本物?」

ウレイは自分の手を見て透けていることと、あることに気付いた。

「……いわゆる幽体離脱?」

あ、やべ、と彼女は焦った。

「あ〜あああわたし死にかけてない!?!? 体に戻らなきゃ! さすがにこんな落ち込んでる先生置いて逝ったら後味悪すぎる!」


 アーサーは何かの気配を感じて振り向いたものの、果ての塔には幽霊すらいるはずもなくウレイへと視線を戻した。

(……ウレイ)

 今日も目覚めないのだろうか、と期待して寝顔に顔を寄せると、熱で右も左もわかっていないような焦げ茶の瞳がうっすら見えた。

「!」

(ウレイ!)

「せ……」

 声が出しにくくなっているのだろうと気付き、アーサーは水差しでウレイに水を飲ませる。

(だ、大丈夫か?)

「……せんせ」

(ここにいる)

 一言も聞き漏らすまいと顔を近付けると、ウレイは別の意味で耳を赤くした。

「せんせいのえっち……」

(は?)

「ちゅーなんか、絶対しませんから……」

「!?」

「人が寝てるのにぃいい……」

 ウレイは羞恥しゅうちで真っ赤になりながらズルズル布団へと沈んでいった。アーサーは何故考えていたことがバレたのかと、疑問符を大量に頭に浮かべるしかなかった。




 ブレント・ファントルマンは苛立いらだちを隠さぬ足取りで紫色に統一された大廊下を進んでいた。

 何人なんぴとも寄せ付けぬ断崖の孤島にそびえ立つ古城、魔導議会のその中枢ちゅうすう。大いなる神秘の力を操る自分たちは選ばれし者だと勘違いをしている人間たちの巣窟そうくつ

(くそっ! 追跡阻害のせいで足取りが掴めない以前にどこを歩き回っているのか予想すらできない……! 早く父上に報告を……)

 ブレントが遠くから門番をにらむと彼らは視線を避けるように顔を逸らしながら扉を開けた。

 内部に足を踏み入れば今まさにブレントの報告を待つ魔導師たちが勢揃いしていた。議会の名の通り裁判所のような造りになっており、議長の席には父であるイドラが座っていた。

「おかえりブレント」

 美しい顔で微笑む、絹糸きぬいとのようにサラサラとした金髪の、イドラ・ファントルマン。

 町の人間にどちらが息子かと聞けば間違いなくイドラを指すだろう。ブレントは自分よりもずっと若い父に向かってかしこまったお辞儀をする。

「魔導王は異世界の魔女を連れてあしくににおりました。捕え損ねましたが、周辺で聞き込みを開始しております」

「彼の得意技である追跡阻害が厄介ですね。術を破れるようにアランが頑張ってくれていますので、もうしばらく辛抱してくれるかな?」

「は」

「それにしても」

 イドラはルビーのように鮮やかな赤い瞳で周囲を見渡した。老若男女さまざまな者たちがイドラの次の声を待っている。

「ずいぶん大きな組織になりました。いやはやこんなについて来ていただけるとは」

「それは、議長の人望でございましょう!」

「ええ! イドラ様は我らの救世主でございます!」

「うんうん」

 どこか引きつった笑顔の部下たちに持ち上げられて機嫌が良くなったイドラを見て、ブレントは残りの報告を、と申し述べる。

「異世界の魔女の魔力は濃い金色でした。濃度と大きさは議長の時と同じく強力でございまして……。魔導王も焦った様子で果てへ戻ったようです」

「ううむ、やはり彼女が魔導王の手に渡ったのが厄介ですね」

 ブレントが父親へ報告をしながらひざまずいていると羽ペンと真っ白なスクロールが飛んできて、自動書記により追加の報告が上がる。

「……加えて報告します。魔導王はあしくにの魔導協会江都えど支部へ寄ったようです」

「では彼らにもください」

イドラは口を割らせるための手段は問わないと言う含みをもたせ、微笑んだ。

「はっ」


 報告会を解散し、イドラは息子と共に私室へと向かうため紫色のカーペットを踏みしめて歩いた。

「他に気付いた細々こまごまとしたことは?」

ブレントはさりげなく自動書記が残した紙をちらりと確認する。

「魔導王は議会所属の若者を相手に決闘を申し込み……」

「起こった事実はもうよい。所感は?」

「はい。父上のおっしゃるですが、私には感じられませんでした」

「そうか……。やはりあれは召喚者と被召喚者の間で起こるのか、もしくは……」

イドラはあごに手を添えてううんと唸る。

「お前はどちらに賭ける?」

「魔導王が誘惑に勝てるかどうか、ですか?」

「そうだ。どう思う?」

「……かの魔導王でも制御できないのでは、と予想しております」

「そうか」

イドラはにっこりと笑顔を作り、ブレントの背を優しく叩く。

「私としては魔導王があの魔力に魅了されて、自滅してくれれば一番助かるのだが」

「私もそう願っております」


 イドラは息子の部屋の前で止まるとブレントの腕を軽く叩いて背を向けた。

 ブレントはその背をじっと見送り、曲がり角で姿が見えなくなってからようやく部屋へ入った。

 紫と赤で整えられた豪華な調度品を前にして、ブレントは顔を両手で覆いふるふると震える。

「……父上が褒めてくださった……!」

 つい立ての奥で控える見習いたちはまたか、と言う顔をして部屋の主人のためにお茶を用意し始める。

「父上が笑顔で……私の腕を……!」

ブレントは紅潮し、汗を吹きながら窓辺の祭壇で祈りを捧げる。

「父上に全てを捧げます。父上に全てを捧げます。父上に全てを捧げます。父上に全てを捧げます。父上に全てを……」

 父親への異常な執着を垣間見せたブレントは深呼吸を繰り返し、フゥと息を吐いてテーブルに並べられた紅茶に口をつける。

「はぁ」

ブレントの満悦の表情は、父イドラにそっくりだった。


 一方のイドラ議長は、息子と別れたあと真っ直ぐに自分の研究室へ向かった。呪文の解析や魔導の術式がたくさん書かれたスクロールが真っ白な壁を覆い尽くしている部屋で、イドラは早速思いついた仮説を自動書記によって書き加えていく。

「奴は必ず異世界の魔女の力を利用するだろう。あれの魅力に気付いてしまえばわたし同様後戻りは出来ないはずだ。問題はそれを使って奴が何をするか……。相変わらず声を取り戻すことに固執こしつしているかもしれんが、現在ほかに興味が向いていることがあるとすれば……やはり召喚した魔女関連か」

 イドラの独り言はスクロールの空いた場所に書き加えられていく。

「私は異世界人の解剖から入ったが奴の場合どうするのだろうな? 三度の飯より術式が好きな男だ。やるとすれば……魔女に術式を覚えさせるか、魔女に術式をいくか。後者の可能性は高い。何せあれだけの魔力量だ。どうとでも使える」

イドラはニマリと嫌な笑みを浮かべてから椅子を引き寄せ腰掛ける。

「どうするのかな、あいつは。まさか何もせず放置とはすまい。魔女そのものにおぼれるのもいい。見ものだな、ハハハ」

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