第9話 見習い魔女は書庫で写本と戯れる

 魔導王一行は引き続き豊葦原水穂とよあしはらみずほくに、通称あしくにの首都江都えどに滞在していた。ウレイの杖を作るため杖職人のタカヤが古い桜の木を取り寄せ加工している間、彼女はただ観光するだけでは心苦しいと魔導協会の江都えど支部へ通うことにした。

 アーサーも魔導の基礎を獲得していないウレイの訓練に丁度いいと頷いたのだが。




「やーい物も浮かせられない年増〜!」

「こら先生のお弟子さんになんて事言うの!!」

 ウレイは江都えど支部に通う子供たちに思いっきり馬鹿にされていた。こちらの世界では素質がある子供は十歳になるころ魔導術を習い始める。魔力操作の基礎的なものや、物を浮かせる術などは比較的最初に習うため、物を浮かせられないまま三十路みそじを迎えるウレイはいた。からかうには最高の新入りだ。

「悔しかったら物浮かせてみろよ!」

「こら!」

 だがウレイは子供たちにからかわれても可愛いなぁ、と遠くからながめるだけで一切気にしていない。

「ごめんなさいねうちの子が……」

「いいんです。習い始めなのは本当ですから」

 ウレイは訓練の一環としてあしくにでも台所に立った。味噌汁を作ったり米を炊いたりすることには慣れているため、火加減に慣れてからはめきめきと腕前を上げていった。


 ウレイは新入りではあるが子供ではない。炊事洗濯、書類仕事も手伝える。そのうち全く相手をしてくれなくなった見習いウレイの近くには、常にちょっかいを出しにくる子供だけが残った。

タツとムツ。

くりくり坊主頭が可愛らしい兄弟は二つ違いの十二歳と十歳。

 親元を離れて二人きりの兄弟は、優秀な兄弟子あにでしたちと比較され悔しい思いをしてきた。そこへ転がってきたウレイと言う魔女見習いは己の母に近い年齢。構うな、と言うほうが無理だった。


 兄のタツは今日も洗濯カゴを抱えたウレイの一枚着をバーッとめくって廊下を駆け抜けていった。

「きゃあ!」

「こらタツ!!」

(す、スカートめくりはこっちでもやるのね……)

「ウレイさん大丈夫?」

「は、はい」


 洗濯の後、ウレイはアーサーやミラと一緒に書庫で写本作業に入る。薬草が書かれた料理本のように見えてもこれは魔導書。一般流通させてはいけない知識もあるし、年々増えていく新しい見習いのためには数が必要で。協会の魔導士たちは仕事の合間に写本をしていたがとても追いついておらず、三人が暇つぶしにと手を上げてくれて大変に助かった。

 ウレイは絵が得意ではないのでそこは器用なミラと手慣れているアーサーに任せ、ひたすら文字を写していた。

「なー、筆に書かせればいいじゃんそんなのー」

 訓練を抜け出してきたタツとムツはつまらなさそうにウレイの手元を見つめた。

「手で書かないとダメなんだって先生が言ってたよ」

「なんで?」

「術式を書く練習になるから」

「ですよねー」

 ミラは声を貸しているアーサーの言葉を上手く補足し、ニッと笑う。

「模写も訓練の一つだよ。私だって先生に年に百冊は写しなさいって言われたし」

アーサーはうんうん、と頷く。

「……なんだって? タツくん」

「ふーん」

タツはつまらない、と口をとがらせてムツの肩を叩いた。

「もう行こーぜムツ」

「僕もうちょっといる」

「ちぇ、物好き」

 廊下で己の師匠に見つかったタツはまた逃げ出し、ムツはウレイの手元を見ながらそわそわと体を揺らす。

「僕もそれできる?」

「え? ああ、どうかな……先生?」

普段なら賛成してくれそうなアーサーだが、今は首を横に振った。

(この本はまだ内容が早いのかな)

「じゃあしりとりしない?」

「えー」

「紙一枚もらって、そこに書こう。ね?」


「か……カラス、はさっき言ったな。うーん……ダメだお手上げ。ムツくんの勝ち」

 ムツはしりとりで出た単語を絵に起こして紙を何枚も使った。カラス、カタツムリ、カエルなど。すみ一色にもかかわらず濃淡の使い方を理解しているムツは、筆一本で見事な絵を生んだ。

「絵、上手だね」

「みっちゃんに描いてたから」

「みっちゃん?」

「妹」

「みっちゃんは何歳?」

「四つ」

「そっかぁ。絵が得意なお兄ちゃんでみっちゃんも嬉しいね」

「……嬉しくないよ」

ムツは兄によく似た横顔でぶす、と口を尖らせる。

「みっちゃんいっつも泣いてるし、せきしてるし、楽しい訳ない」

せきか……)

 魔導士の素質があるからと親元を離された兄弟。まだ四つの妹はしょっちゅう咳をしている。喘息ぜんそく持ちか何かだろうか? ならば親は常に一番下の子供のため薬を必要としているだろう。

里子さとごみたいなものだろうな……)

手元から離すのはつらくとも、育ち盛りの息子二人を満足に食わせてもらえるなら親としてはありがたいはず。

「……んーでも、ムツくんが絵描いてくれて私は嬉しいよ? みっちゃんも嬉しかったんじゃないかなぁ?」

「…………」

 ぶすっとしたままのムツは、やっと邪魔していたプライドがどこかに行ったのだろう。ウレイの膝にゴロリと寝転んだ。

(ありゃりゃ)

十歳前後は難しい年頃だ。肉体的には子どもだが、心の成長が早ければ大人の階段をのぼり始める。

(お母さんがいなくて寂しかったんだよね)

ウレイは何も言わず、ぽんぽんとムツの頭を撫でた。

「ムツくん、大人になったら挿絵さしえのお仕事したら?」

「さしえ?」

「本に書いてある絵のこと」

「……浮世絵師ってこと?」

「そうそう」

「うーん、難しそう……」

「でもこれだけ上手なら……ねえ先生?」

アーサーは黙ってうん、とうなずいた。

「魔導書に絵を描く仕事は魔導士と魔女にしかできませんし、向いてると思いますよ」

「だってさ?」

「……絵ばっかり描くなって怒られない?」

「あー」

おそらくは今までその点を叱られてきたのだろう。

「あ、写本やりたいから絵を描かせてくださいってお師匠にお願いしたら?」

「……うん」

 ムツはやはり絵が好きなのだろう。よしと立ち上がるとどこかへ駆けていった。たくさん描いた動物の絵をつかんで。

「……子供の相手が上手いな」

「ん? ああ、機会がなかったから結婚しなかっただけで、子供は好きですよ」

アーサーの頭の中では未婚、独身! と言う単語がせわしなく飛び交った。

「……そうか」

「このままタツくんも素直になってくれるといいんですけど、十二歳じゃ難しいかなぁ……」




 翌々日、ムツは早速師匠から許可を得て模写の訓練を始めたらしい。誇らしげにどうだ、と胸を張るムツの手には堂々と大きく描かれた猿の絵があった。

「おお、上手ー」

「へへん」

「せっかくだからみっちゃんにも絵描いてお手紙送ってあげたら?」

「! そうする!」

 兄のタツはやることを見つけてしまった弟に置き去りにされ、庭でぷらぷらと長い棒をもてあそんでいる。

(ありゃ……悪いことしたかな)

 ウレイが洗濯を終えるとアーサーは書庫には入らず彼女を引き止めた。

「杖が仕上がったそうだ。受け取ったらそのまま帰ろう」

「えっ、もう?」

「なんだかんだ二十日はつかは滞在したからな」

「そんなに経ってましたっけ……!?」


 魔導王は庭に人を集め別れの挨拶を告げる。

「協会の支部で長く世話になったのはこれが初めてだからよくよく伝えておくが、我々果ての塔の魔導士はつぎに街へ降りるのが明日か十年後かわからん状態だ。別れを告げるなら心残りがない方がいい。全員終わるまで待つので、それぞれ好きに挨拶してくれ」

 アーサーがでは、と締めると真っ先に囲まれたのはもちろん彼自身。

「しばらく先生のご尊顔が拝めないのつらいわぁ」

「今のうちに目に焼き付けておくか?」

「いい男よね〜」

「自慢したことはないがよく言われる」

 ミラもいつの間にナンパに成功していたのか若い魔女たちに囲まれ、ウレイは台所でよく顔を合わせていた面々と挨拶を交わす。

「色々と仕事してくれて助かったよ、ありがとう」

「いえいえ、私もたくさん勉強させていただいたので……」

 大人たちが三人をそれぞれ囲むあいだ、子供たちは遠くからその様子を見ている。ムツは意を決して一人だけ子供たちのかたまりから飛び出すと、ウレイの腰に抱きついた。

「あら!」

「……ウレイ、もう来ない?」

 本当は母親に近い年齢の女性に抱きつくなんて恥ずかしくてたまらない。けれどこれが今生こんじょうの別れなら後悔したくないと、少年はためらわなかった。

「わからないの。もしかしたら明日も来るかもしれないけど、半年後になっちゃうかもしれないし、一年後かも」

ムツは一度腕に力を込め、それから体を離した。

「ん」

 あげる、と差し出したのはしりとりで描いた動物の絵。それから、いつの間にか描いていたウレイの似顔絵。

「わあ、上手。嬉しい」

ウレイはありがとう、と彼を抱き寄せた。

「みっちゃんやお父さんお母さんによろしくね」

「うん」

 意外なことにムツはウレイと体を離すと自らタツを迎えに行き、手を引いてウレイの元へ戻ってきた。タツは仲良くなる機会がないままのウレイの前でふてくされた顔をしている。

「タツくん……」

何と声をかけるべきだろうか。向き合った二人は逡巡しゅんじゅんして無言の時間が続く。

(十二歳じゃハグは恥ずかしいだろうな……)

ウレイは右手を差し出した。

「頑張ってね」

タツは口をとがらせて、うん、と右手を握り返した。




 アーサー一行が杖屋に顔を出すと日盛ひざかりを過ぎていた。

 看板娘のサヤに奥の間へ連れて行かれ、ウレイは自分の杖と対面した。

地に突き立てれば持ち手がちょうど腰の高さにくる、桜の老木の杖。うるしにより赤茶に照らし出される木目模様。握りは桜から連想する、優美な曲線と五枚の花びらの彫り物が美しい。

「どうぞ、お納めください」

 自分が持っていいのだろうかと躊躇ためらってしまうほどに杖は見事だった。ウレイが恐る恐る手にすると、彼女の体から金色の魔力があふれ周囲を照らす。その光はあの日聖女ハナヨが体から放ったものとはまた別の、赤みの強い濃い金色。

「す、すご……」

杖職人タカヤも娘のサヤも、アーサーもミラも思わず目を見張った。

「……よかったね!」

ミラは景気付けにウレイの背を叩いた。

「は、はい!」

「……買い物をしたら帰ろう」

「そ、そうですね。あの、ありがとうございました」

「いえいえ、体に合ったようで良うございやした。修理はうちでうけたまわりますんでね。いつでもおいでなさい」


 ウレイたちは早速杖をついて街を歩きながら、食材を買って帰るつもりだった。

 しかし彼らの行く手に先日の魔導議会の若手と、薄黄色の髪に首を飾るブローチと同じ赤い瞳の美中年びちゅうねんが現れ、事態は一変する。

「やはり端材のような人材でも各所に置いておくものですねぇ。なかなかあなどれない」

 年老いてもなお男の色香が漂う彼は、アーサーを見てにっこりと微笑む。

「お久しゅうございます魔導王」

「……老いたなブレント」

 ブレントは笑顔の下で苛立いらだちを見せながらアーサーたちに一歩近づく。

「そりゃあ貴方あなたは果ての塔にお住まいですから? 老化も遅いでしょうけど? 地上に住んでたらそうはいかないのですよ」

「だ、誰ですか?」

「議長の息子だ。ブレント・ファントルマン」

「はい、父がお世話になっております。悪い意味で、ね!」

 アーサーとブレントは同時に杖を抜いた。

 二人は無言詠唱で術をぶつけ合う。

 人々が逃げ出す中、ミラはいつでも逃げられるようにウレイの右手を握った。

「異世界の魔女はどこですか!?」

「誰が教えると?」

貴方あなたが得意とする追跡阻害ついせきそがいの術ですが! そのうち破りますので!」

「やれるものなら」

 目の前で繰り広げられる魔導士同士の命のやりとり。ウレイはあの日のことが脳裏のうりよみがえり足が震える。

怖い。

役立たずは嫌なのに、平和な国で暮らしてきたから戦いなど知らない。目の前でお互いの命を削り合う人間がいても立っているのが精一杯。

(私、私……)

結局自分は、杖を手に入れたところで何もできない。

 ウレイは頭痛に襲われた。地面がグラグラと揺れている気がする。

「ウレイ?」

心配したミラがのぞき込むと、ウレイはカタカタと震えている。

「……めて……」

「っ、先生!」

ウレイの様子がおかしいと、ミラがアーサーに注意を向ける。

「せ、んせいに触らないでよ!!」

 ぶわっと金色の魔力があふれる。

その魔力は尋常じんじょうな量ではなく、周囲の魔導士の誰もが、力の波に流されてしまうほど大きくて濃い。

「っ!!」

 アーサーはいけない、このままでは追跡阻害の術もがれてしまう、とウレイに手を伸ばした。

 しかしウレイは自らミラと手を繋いだままアーサーの懐に飛び込んで、抱きついた。

「!?」

「くっ……!」


 ブレント・ファントルマンが事態を把握する頃には、アーサーたちは忽然こつぜんと姿を消していた。

「……この魔力、異世界の魔女ですか。そばにいたんですね。それだけでも収穫です。さて」

 ブレントはニコリと微笑みながら若い魔導士たちに振り向いた。

「君たちにはご褒美ですね。私が魔導王を止めている間に何かできたでしょうに、ただ突っ立っていたんですか……?」

その微笑みからは想像できない恐ろしい気迫と共に、ブレントの赤色の魔力があふれ出した。

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