丑の刻参りisBAD

尾八原ジュージ

地雷ちゃんとわたし

 百日続く日課ともなれば、獣道を辿って山を登るのもさすがに慣れた。午前二時半、わたしはすでに廃墟と化した山中の神社にたどりつく。今でこそ寂れきっているが、昔は縁切り神社として結構有名だったらしく、丑の刻参りをするにはぴったりの場所だ。

 さすがに白装束ではないけれど必要な道具は持っている。五寸釘と金槌を握りしめて神社の裏手に回ると、半分腐った注連縄が辛うじて巻き付いた御神木の枝から、若い女の子が首を吊ってぶら下がっていた。いわゆる地雷系ファッションのけっこう可愛い子だと思うけど、両目が飛び出し、舌もベローンと垂れているし、失禁もしてるので色々台無しになっている。

 最初に思ったのは(誰だよ)ということ。それから(よくこんなとこ来たね)ということだった。こんな山奥の、地元民ですらほとんど知らない廃神社で、わざわざ御神木からぶら下がるという罰当たりな死に方を選んだ理由を聞くことはもうできない。なにせ死んでいるし、ぱっと周りを見た感じでは遺書も身分証のたぐいも見つからなかったからだ。

 まぁでもわたしに彼女に文句を言う筋合いはない。丑の刻参りに日参しているわたしも、十分問題行動をはたらいていると言える。御神木に手を出していないにせよ、世間的にはたぶんアウトな行為だと思う。何にせよ、丑の刻参りがチャラになってしまうと困るので警察に通報なんかはしない。こんなところで死ぬくらいだから誰にも見つけてほしくなかったんだろう。わたしも見つけてほしくない。だから目撃者としてはお互いノーカンということにして、わたしは心ゆくまで五寸釘を打ち付けてから帰宅した。


 で、当然だけど翌日も翌々日も女の子の死体はぶらさがっている。誰も下ろしたりしないので、だんだん首が伸びてくるし、山中は涼しいとはいえ腐ってくる。臭い。死体って臭いんだなぁと思いつつ、わたしは鼻と口をバンダナで覆って釘を打つ。それを木の陰から死んだ女の子の霊が見ていたり――は別にしない。もしかしたら見ているのかもしれないけれど、それはわたしには見えないのでやはりノーカンということにする。丑の刻参りは他人に見られたらアウトというルールになっているのだから、そうしないとやっていられない。

 憎い。職場結婚する予定だった彼氏を奪ったうえわたしを退職に追い込んだ元同僚と、ホイホイ鞍替えした元婚約者がとにかく憎かった。人生にポッカリ穴が空いてしまって、その底でマグマが煮え立ってるような穴は奴らの血肉でないと埋められない。

 それを差っ引いても百日続けた今となっては、丑の刻参りは日課のひとつであり、無職になってから堕落しがちな生活リズムを整える一助となっている。運動にもなるのでたぶん健康にいい。

 今日もコーンコーンと釘を打つ音が山に響く。釘打ちも上手く、そして早くなった。丑の刻参りが成就したらわたしはDIYを始めようと思う。建設的なことを考えられるようになったのも丑の刻参りのおかげだが、ただ未だに呪いが成就する様子はない。元婚約者どもは結婚式の招待状など配っているらしい。

 わたしが夜中にコンコンやっている間、女の子の死体はどんどん腐っていった。ある夜見ると、とうとう首が胴体の重みに負け、頭部と体がばらばらになって地面に落ちている。あらあらと思いながら黙とうし、釘を打って帰宅した。

 次の夜にはなにか動物に食べられたらしく、胴体の中身が散乱してめちゃくちゃになり、うわぁと思いつつもわたしは釘をコンコン、そしてやはり誰も彼女を発見、通報することはなかった。臭いも腐敗が進むにつれてピークを脱したのか、それともわたしが麻痺したのか、あまり気にならなくなってきた。

 女の子はほとんど骨になり、そしてわたしの呪いは相変わらず成就していない。


 ところで『今昔物語』に曰く、身投げして死んだ僧侶は髑髏になっても舌だけが生々しく残り、お経を唱え続けていたとか。そんな話を思い出したのは、近所の肉屋で安くなっていた牛タンを買った日のことである。

 正直、丑の刻参りに倦んでいた。飽きつつあったし、親しかった元同期から「あいつ新居の自慢してたよ」なんて情報を聞かされると、だんだんばかばかしくなってくる。

 ほんとに丑の刻参りって効くのかよ。この労力を使ってあいつら普通に刺せばよかった――なんて考え始めたらいけない気がして、牛タンのスライスを手に獣道を辿っていったのは、たぶん変化がほしい一心からだった。

 地雷女子の頭蓋骨は御神木の根元に転がっていた。わたしは持参した牛タンを一枚、その口にねじ込んでみる。肉を食べる骸骨って感じで見た目はシュールだ。とはいえそれだけの話、骸骨は骸骨のままだった。

 ところが、いつもどおり釘打って帰るかと立ち上がりかけたそのとき、なんと骸骨の口がひとりでにカタカタと動き始めた。なにかしゃべっているみたいだ。わたしはそっと耳を近づけた。

『……ビール飲みたい』

 煩悩だった。

 でも簡単に叶えてあげられそうな望みだったので、翌日、わたしはビールを持って山を登った。頭蓋骨にビールをかけてあげると、骨はなぜか新鮮なままの牛タンをぺらぺら動かしながら『ありがとう』とささやいた。

 ちょっとかわいい、と思った。

 それからわたしたちがおしゃべりをするようになるまで、時間はかからなかった。わたしは神社に到着するとまず釘を一発カァンと打ち込み、それからわたしと彼女の分のビールを開けて乾杯するのだった。

『……色々あってさ』

 こんなところで死んだ理由について、地雷ちゃんはそう語っただけだった。

「話したくないならいいんだよ」

『……ありがと』

 その代わり彼女は、わたしの話をよく聞いてくれた。わたしは浮気発覚から破局までの経緯を事細かく語り、新居で暮らし始めたけどゴキブリがすごい出るってとか、部署内での略奪だから同期が誰も結婚式に来なくて発狂してたらしいよとか、近況をちょっとずつ付け加えたがもう正直そいつらの末路なんかどうでもいいような気がしていた。ただ、丑の刻参りがなかったら地雷ちゃんとは出会えていなかったので、その点はちょっと感謝してやってもいいくらいの気分だった。


「あんた、最近顔色よくなったんじゃない?」

 ひさしぶりに会った元同期にそう言われたとき、わたしは自分の心の傷が回復しつつあることに気づいた。

 呪いの成就云々ではない。地雷ちゃんと語らい、自分の過去に向き直ったことが、図らずもわたしにとってはカウンセリングの役割を果たしていたのだ。略奪女は最近顔に青あざを作り、元婚約者はDVがどうたらこうたらで今出勤してきていないらしいけど、そういうのもわりとどうでもよくなるくらい、わたしは立ち直りつつあった。

(地雷ちゃん、ありがとう!)

 その日、わたしはいつもよりちょっと高いビールを買い、いそいそと山に向かった。

 そしていつもの御神木の周りに、黄色と黒のテープが巻かれているのを発見した。


 誰かが地雷ちゃんの遺体を発見し、警察に通報したらしい。

 彼女の骨は回収されてしまった。彼女の名前も年齢も出身地も何も知らないわたしは、地雷ちゃんに会うことができなくなってしまった。

 わたしは丑の刻参りをやめた。もう神社に行く意味なんかひとつもないのだ。呪いなんかどうでもいいし、地雷ちゃんはもうあそこにいないのだから。

 わたしの人生にぽっかり空いた穴はいつの間にか埋まりかけていた。でもふたたびそこに穴が空いたとき、そこには煮えたぎるマグマはなくて、ただただ乾いた風が通るだけだった。こういう穴はもう取り返しがつかない。

 わたしはしばらく引きこもった後、ロープを持って獣道をたどり、廃神社へと向かった。地雷ちゃんに会えるといいなと思いながら立入禁止の囲いを越え、御神木によじ登って首を吊った。

 気がつくとわたしは首吊り死体になってぶらぶら揺れていた。でも地雷ちゃんの姿は見えない。彼女の幽霊がいないことに心底がっかりしていると、ふと足音が近づいていることに気づいた。

 境内をぐるりと回って、白い服に金槌と藁人形、五寸釘を携えた女が現れた。彼女は御神木にぶらさがるわたしを見ると、ぎょっとしたらしく一瞬後ずさった。が、忌々しそうな顔で舌打ちをすると、黙って別の木の根本に向かった。コーン、コーンと釘を打つ音が聞こえ始めた。

 やめちゃえってそんなこと。どうせそんなの、どうでもよくなっちゃうんだって。

 そう伝えるすべもない腐りかけのわたしは、女が釘を打つのを見ながら、ああ早く骨になってしまいたいなと思った。

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