第2話

命は言葉に優先しない。言葉で人は死なないが、言葉上では言葉で人は死ぬのだ。

姉の死には「時計台での死」という言葉が覆いかぶさった。

時計台で死ぬことは姉が自分自身の時間を停止させて、それから永久に連続させ続けることだったとか、街の時間の象徴のような時計台で死ぬことでそれから街の時間は姉の延長を刻み続けるとか、言葉上で月並みなことはいくらでも言える。


しかし象徴それそのものは永久に死んだ姉自身のもので、「時計台で死ぬこと」が言葉上どういうことになるかはメタファーの当事者たる姉自身の存在そのものに永久に覆い隠され続ける。

私には姉がいたはずであり、自死したのなら姉が、どうして死んだのかを知らなければならないはずなのだ。


しかし「姉が死んだ理由を理解した瞬間」というのは一体どの時点になるのだろうか?自分自身が納得したときに、私は姉が死んだ理由を理解したということになるのだろうか?

時計塔で死んだという事実は、その含み持つメタファーによって姉の死を変に覆い隠してしまうのではないのだろうか?


「それじゃあ学校終わったら時計台に行ってみようよ」

という私の言葉への友人の反応はかんばしくなく見えた。「怖い話への反応として間違ってるんじゃないか」というようなことを苦笑いで言いながらも、その友人は承諾した。

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