勿忘

イエスあいこす

勿忘

ネオンが煌めく街の中、俺は小走りで駅を目指す。電車に間に合わないと色々後が面倒だ。本当は避けたいこの街を抜けていくのもそのため。

「いっ……」

そう、この街に来ると、俺は何故だか頭痛に見舞われる。そして痛みが結構えぐい。頭の中をほじくられるような感じだ。おまけにその後残る不快感は痛みによるものじゃなくて、どうしてか泣き出しそうになる心から来るものときた。そんな頭痛と共に、突如奇妙な音が一つ。

(■■■■■■■■■)

雑踏の音とも違う、奇妙な音。ノイズと言ってさえ何も差し支えないような。そしてあの頭痛以上に俺の不快感を掻き立てる、そんな音だ。だが何度も連続して聞く内に、やがて違和感が芽生えてくる。

(■■ち■て■)

単なる雑音とは違う……そう、声が聞こえてきた。そしてノイズ混じりではあるが、やがて何を伝えたいのかがハッキリとしてきた。

(■こ■っち■き■■て■よ)

そう、それは俺を誘う声。声のする方を見ると、そこは路地裏。従う理由なんてない。明らかに怪しいし、何より俺は急いでいる。仮に何も危険がなかったとしても、ここで割かれる時間がそもそも俺にとっては大損なのだ。そんな思考とは裏腹に、俺の足は路地裏を目指していた。頭はしっかり働いている。けれど、胸の奥にポツリと二つ。直感と使命感があった。そこへ行くべきだ。そうしなければ、必ず後悔すると。それに従って、俺は路地裏へと入った。


…………………


「いっっっった……」

路地裏に入ると、それまでもあった頭痛はより強さを増していく。

「ほ■らほら、こ■■っちだ■よ」

それでも声は未だ俺を誘う。頭痛は増しているが、俺の中の使命感も同時に増していく。それに押されて俺は足を進めていく。けれどその足は、あるところで一度止まった。

「……花?」

建物の陰に一輪、小さな花が置かれているのを見た。花の名前は確か……

「勿忘草?……がっ!」

その刹那、これまでにない強烈な頭痛。それと共に、頭の中で何かがフラッシュバックしてきた。

『……私は今日のこと絶対忘れない!ずうっと、今日の千裕とのこと覚えてるから!』

『俺も。ずっと、覚えてるよ』

(なんだ?今の……)

俺の名前を呼んでいたから確実に俺と誰かの会話なのだ。……なのだけれど、何も分からない。俺は誰かとこんな話をした覚えはない。百歩譲って話の中身を忘れていることがあったとしても、こんなに親しげに話している相手のことが全くわからないなんて流石にあり得ない。

「き■にな■る?」

「!?」

突然耳元へ寄ってきた声に驚いて思わず飛び退く。けれど周囲を見回しても誰もいない。だが、声のノイズが少し晴れている。おかげで伝えたいことがより明確に分かる。

「……行こう」

新たに直感した。これは、絶対についていかないといけない。この声の主のことも、さっきフラッシュバックした誰かとの約束のことも。解き明かすことがきっと、これからの俺には必要なのだと。頭痛を押して、俺は更に奥へと進んだ。


…………………


端から見れば俺は、具合が悪いくせして路地裏をふらつく変なヤツなんだろう。でも実際は目的もなくただ迷っているわけではない。行き先なんてわからないけれど。それはそう、何かの足跡を辿っているみたいで。誰かの落とした髪飾りから、無造作に捨てられたアイスのゴミまで。色んなきっかけで、俺には色んな記憶が流れ込んできた。そしてそのどれもがきっと、俺にとってかけがえのないハズだった何かなんだと、そんな確信もあった。そうして訪れた路地裏の奥。

「もうすぐ最後だよ■頑張って」

この声のノイズも、徐々に徐々に晴れてきて、聞き取りやすくなった。……まあ、それに比例して頭痛も増していくのはどうかと思うけど。

「で……」

周囲を見回しても何もない。ふとビルの隙間から風が吹いて、俺の横顔を叩いた。そしてどうやらその風は俺の耳を抜けて、脳まで届いてそれを揺らした。

『……き』

『なんて?』

『……好き!』

頭の中に流れてくるのは、あまりにも幼稚な告白。けれど想いはガツンと伝わってきて、俺の胸を揺らした。……ような気がした。それと共に、小さく声がこぼれる。

「……茉莉」

無意識に溢れた声と共に、涙が一粒俺の頬を伝っていく。誰かは分からない。分からないけれど、きっと大切な人。その『大切な人』が誰か分からない事実が、俺に涙を流させた。

「誰だよ……誰なんだ……」

何かが頭の奥で引っ掛かっているような感じがする。頭痛は今、これまでの比ではないレベルに酷くなっている。そんな俺に、優しく語りかける声が一つ。ノイズなどないその声は、俺の頭の取っ掛かりを溶かすよう。

「千裕」

「っ……!」

その声と共に、弾けた。忘れていた思い出。大切な約束。そして何より……悲しいこと。弾けて、溢れ出した。


…………………


『千裕』

『ん?』

『その……き』

『え?なんて?』

『好き!千裕が、好き!』

『……ああ、俺もだよ』

『ほんと!?じゃあ……』

『この状況嘘吐いてどうするんだよ……ああ、付き合おう。俺たち』

『えへへ……ねえ、千裕』

『なんだ?』

『……私は今日のこと絶対忘れない!ずうっと、今日の千裕とのこと覚えてるから!』

『俺も。ずっと、覚えてるよ』


(そうだ!何で忘れてたんだ、俺は!)

俺は、この声の主を知っていた。知っていたけど、ずっと自分さえ騙して知らないふりをし続けていた。その名前は、そう。

「……茉莉」

神崎茉莉。俺の初恋の相手であり、何よりも大切だった人。彼女といる時間は決して長くはなかった。なのに様々なものが彼女を想起させてしまうほどに、たくさんの思い出を貰った。……それに負けないぐらい、悲しみも貰ったけど。

「思い出してくれた?」

「あぁ。ちゃんと全部思い出したよ」

「頭痛はもう晴れた?」

「そりゃもう綺麗さっぱり」

あれほど俺を悩ませた頭痛は、記憶が戻るのと共に消え去った。改めて、声が聞こえる方に振り返る。目線の先には、さっきまで歩いてきた路地裏があるばかりだ。まあ、それも至極当然のことだろう。

「でもお前さぁ。俺が幽霊とか苦手なの知ってただろ?嫌がらせか?」

「違うよ!……でも千裕は、その幽霊が私でも怖い?」

「正直信じられないけど、怖くはないよ」

その声の主はもうこの世にいないのだから、姿なんて見えるわけがない。

「にしてもその声……本当に茉莉なんだよな?」

「しつこいなぁ。間違いなく、神崎茉莉だよ。死んでるけどね」

「……ああ」

俺が記憶を閉ざしていたのには事故とかではない理由がある。それは実に単純な話。あの頃の俺には、茉莉の死は到底受け入れられなかったのだ。俺は無意識の内に茉莉に関する記憶を丸ごと閉じ込めることで、日常に帰ったのだ。けれど俺も成長した。傷だって、誤魔化している内に癒えていたらしい。だから今の俺たちに必要なのは抱擁とかじゃない。

「でも早速だけど、私もう行かなきゃ。最期に、こうやって話せて良かった」

必要なのは決別だ。未来がある俺は、過去を踏み台にして進んで行かなければならない。失くした物を忘れないように。もし忘れてしまっても、小さなきっかけで思い出せるように。でも、決してそれに縛られぬように。

「ねぇ。一つ、お願いをしても良いかな」

「なんだ?」

「……私のこと、忘れないでほしいな」

「忘れないよ。そもそもそういう約束だ」

「うん」

その刹那、俺は自分の目を疑った。

「良かった……!」

茉莉の屈託のない笑顔が、確かに俺の目に映ったのだ。けれどそれは本当に一瞬の出来事で、思わず伸ばした俺の右手は虚しく空を切った。一瞬の硬直の後、俺は夜空を見上げた。瞳に蓄積されていく水分が流れ出さないように。決別をしたんだ、俺は。だからあいつのことで泣くなんて、俺が俺を絶対に許さない。

「さ……帰るか」

俺はこれまで通りの日常に帰っていく。けれどこれまでよりも、晴れやかな日々を過ごせるだろう。何故だか、そんな予感がしている。


………………


「お父さん、何してるの?」

「……ああ。ちょっとお供え物だよ」

「お供え物?ここはお墓じゃないよ?」

「でも、お供え物だ。俺は約束を守ってるって、行動で示さなきゃいけないからな」

「約束?」

「いや、気にしないでくれ。さ、行こう。お母さんもそろそろ戻ってくるだろ」

あれからの日々は、驚くほど普通だった。けれど、何にも代え難いぐらい幸せだ。これもきっと、あの決別があってこそなんだろう。……俺はあの日々を絶対に忘れない。けれど決して、縛られたりしない。

(これで安心して逝けるだろ?……茉莉)

一秒ごとに過去は遠ざかるし、未来は近寄ってくる。これは覆しようのない理だ。そんな日々で遠ざかる過去をどれだけ、そしてどう思うのか。……過去を割り切り、けれど決して忘れないこと。これが俺の幸せの淵源だと、俺は断言できるのだ。

……ああ。ガーベラが、美しく揺れている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勿忘 イエスあいこす @yesiqos

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ