第2話 成長期
「うーむ、む、む、む。……むー」
英・数・理の三大重たい教科を乗り越えた水曜日の昼休み。抑圧から解放されて妙にハイになっている一年A組のクラスメイトたちを尻目に、私――
「うーむ、……んー」
「砂凪さん、唸り声なんてあげて珍しいね。考え事?」
空いていた私の前の座席の椅子に跨って、机の向こうからこちらに声をかけてきたのは梶くんだ。
「梶くん、その言い草は失礼じゃないかな。私の明晰な頭脳はいつだって何かを考えているし、常に答えに向かって前身しているのだからね。真実の探求者、と書いて私。比良目砂凪十六才」
「あー、いや。珍しいと言ったのは唸っていることの方で、普段の砂凪さんが何も考えていない人だとは思ってないよ」
「……むー。む、む、む。うーむ」
「分かった分かった。あからさまに無視されると流石に傷つくな。僕が悪かったなら言い換えるよ。何か悩み事? 必要なら力になるけど」
「優しい言葉は嬉しいよ。でも梶くん、私と仲良くなっても君の本来の目的は達成できないと思うんだよ。話しかけたいのは姫でしょ? 回りくどい人間は好かれないぞ」
「イ、イッタイナンノコトサ」
「見てる分には面白いんだよなぁ、梶くん。まぁいっか」
私は右手と左手でそれぞれ支えていたものを、机の上に広げるように倒した。
右は手鏡。化粧ポーチに収まるギリギリ大きなサイズを選んだ結果、ポーチにはリップクリームしか入らなくなってしまった原因のそれ。おしゃれの友にして敵とは私の談。ダンダダン。
で、左はスマホ。画面には一枚の画像が映し出されていて、画角の半分を笑顔の私が占めている。写真写りは悪くないけれど、自分でシャッターを押したはずなのに瞼が半分しか開いていないのは謎だ。
「これ見て、何か思うことない?」
私はスマホを指して梶くんに問いかけた。
「美味しそうなパフェだね。
「そ、三種類のバニラアイスが層になってて、爽やかな風味と
「へぇ。甘いものはあまり食べないけど、お米でいうならアキタコマチにササニシキを載せてコシヒカリをおかずに食べる、みたいな感じなのかな。……おいし、そう? だね?」
「乙女の幻想を無遠慮に壊すのはやめなさい。で、パフェのことじゃなくてその隣」
「半目の砂凪さん?」
「胸に手を当ててその修飾語が本当に必要だったかよーく考えてみようか、梶くん」
「ごめんごめん。それで、この写真の中の砂凪さんが……、あれ、少し雰囲気変わった?」
梶くんもようやく私と同じことに気がついたみたいだった。机の上のスマホと正面に座る私の顔を交互に見比べて、首を捻りながら唸り始める。
「うーん、あー。そっか髪型かな」
「そーなんだよねぇ」
私はもう一度鏡を持ち上げて、鏡面の向こうに座る私自身と対峙する。軽く頭を揺らすと毛先がふわっと持ち上がって、それからゆっくり重力にしたがって元の位置に戻った。
鎖骨より、少し下まで届いている。それが今の私。
「砂凪さん、随分髪が伸びたんだね」
「ま、女の子の変化に気づける器用さを梶くんには期待してなかったけどさ。伸びてるんだよねぇ。それも信じられないスピードで」
スマホの中の私は、前髪のあるショートボブだった。緩いカーブを描いた毛先は肩口にも届いていなくて、今の私とはかなり印象が違う。
「女の子の髪って、そんなに早く伸びるものなの?」
「男女差はあるっていうけどね。そうは言っても普通はさ、大したことないよ。これは……、多分異常なんだと思う。やっぱりあれかなぁ」
「異常って……、砂凪さん何か思い当たることがあるの?」
「うーむ、む、む、む。うーん」
思い当たること。……あるんだよなぁ。
「親戚に旅行好きなおじさんがいてさ。ことあるごとに変なものをお土産に買って私にくれるわけ。面白いものもあるし迷惑なわけじゃないんだけど、時々おかしなものが混じってるんだよね」
「おかしなもの、っていうと?」
「おかしな……。うん、もう具体的に言っちゃうけど、髪が伸びるフランス人形、とかね」
梶くんの表情が固まった。
それからスマホの画像に目を落として、もう一度視線を私に合わせる。
「髪が伸びる人形をもらって、受け取ったってこと? 気味が悪いね。それは今も砂凪さんの部屋にあって、やっぱり髪が伸び続けてるんだよね」
「ちょっと違うんだよ」
「違う?」
「うん、髪が伸びる人形って言われて渡されたんだけど。なんでかなぁ」
鏡を見つめる。
「髪、伸びてないんだよね。……人形は」
「……あー、そういうこと、か」
髪が異常に伸び続けているのは、私の方だ。
「でもほら、髪が伸びないならともかく伸びるのが早いなら切ればいいわけだから、いろんな髪型を試せるいい機会かもしれないよ」
「梶くん、ポジティブだねぇ。でも髪の手入れってそんなに楽じゃないんだよ」
ため息を深く吐きながら私は鏡を置いた。ちょうどそこに、存在感のある気配が背後から近づいてくる。
「なになになーに。辛気臭い顔してどしたの? お二人さん」
肩を叩かれて、私は振り向いた。
「砂凪、焼きそばとコロッケどっちがいい?」
「断然、コロッケでしょ」
「知ってた。っとにそればっか。飽きないもんかね」
山なりに放られたパンを私が受け取ると、姫――
つまり私と梶くんの間だ。
「あ、えっとそのサ、サワラさん、今日もそのなんていうか、おキレイで、いやえっとそうじゃなくて、だから」
「梶くん、そこ、私の席」
姫の言葉は半分嘘だ。まぁ、昼休み限定という意味ではほとんどそうなっているけど。
「あ、そ、そうだよね。すぐに離れるよ。ちょうど用事を思い出したところだし。……砂凪さん、聞くだけ聞いておいて力になれなくてごめん。それじゃまた」
姫の前になると様子がおかしくなる梶くんがそそくさと逃げるように立ち去る。あの分じゃ先は長そうだ。代わりに同じ場所に姫が座って、あたりを気にするように顔をこちらに近づけてきた。
「ね、砂凪。私の勘がこう言ってるの。梶くんが最近妙に私たちの近くにいるのは、きっと下心があるはずだと思うわけ。ちゃんと警戒しててよね。砂凪は無防備だから心配してるのだ」
「姫のそういう鈍感なところ好きだよ」
「ん? 褒めてる?」
「褒めてるよー。褒めてる褒めてる。偉い偉い」
「ま、いいや。で、梶くんと何話してたのさ? ……んむ。うま」
焼きそばパンを頬張りながら興味があるのかないのかよくわからないテンションで聞いてくる姫に、私は梶くんに話したのと同じ内容をまとめて伝えた。
「かくかくしかじかでどーのこーの」
「で、この半目の砂凪が?」
「その修飾語はいりますかねぇ。どいつもこいつもー」
「ごめんてごめんて。それで?」
「かくかくしかじかであーだこーだ」
「な、る、ほ、ど、ね」
姫がスマホの画像に目を落とす。何かに納得したように数回頷いて、ちょうど焼きそばパンを食べ切ったところで私の方へ顔をあげた。
「砂凪さんに残念なお知らせがあります。まぁ梶くんにはわからなくても、仕方ないかなと思うけど」
姫が私に鏡を向ける。
「まぶしっ」
「ここと、それからここがわかりやすいかな」
姫の長い人差し指で示されたのは目尻と口の端だった。スマホの画像と見比べる。
「うっそ……」
姫の言わんとするところに気がついて、私の額には冷や汗が浮かんでいた。
「比良目さんちの砂凪さん、悲しいけれど時の流れは残酷だね。
どこからか取り出された
カシャン、と最後に小気味良い音で玉が止まって、姫が顔をあげる。
「このペースだと美容臨界点は112ヶ月後、砂凪はざっと二十五歳でおばあちゃんだね」
「それって……」
自然と力が入らなくなって、私の両手からコロッケパンが転がった。
「それって、つまり早くなってるのは髪の伸び方じゃなくて――」
「老化でしょ。髪なんて誰だって伸びるもんだし、こっちの方が大問題。ま、でも今から対策すれば平気でしょ。豆乳飲も。あとチョコレート」
「そんな呑気な話じゃないんだよぉ」
私に起きている異常があの人形のせいだとすれば、きっとアンチエイジングでは止められないはずだ。
二十五歳、二十五歳かぁ。私の青春、短かったなぁ。やりたいことはまだ山ほどあるのに。
「それにしても一年でねぇ。これはなかなかの進み具合。砂凪、ちゃんと眠れてる?」
姫が私のスマホを手に取って、不思議な言葉を口にした。
耳を疑う。けど、もちろんちゃんと聞こえている。
「姫、今……一年って言った?」
「言った。これ、怪凛堂の期間限定パフェでしょ。去年の今ぐらいに食べた覚えあるよ」
「それって三種の岩塩パフェでしょ。じゃなくて、その写真のは今年の新作……」
姫の顔が固まる。
私の顔も固まっている。
「……計算、やり直そっか。これはえっと、いつからのメニュー?」
「……おととい」
二十五歳には、私死んでるかもなぁ。
怪底奇譚 小噺 碇屋ペンネ @penne_arrabbiata
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