後編
そして来たる七月七日、土曜日。僕達が見つけ出した答えは、マンション住人の全員を唖然とさせてしまう事となる。
そりゃそうだ、マンションの廊下で流しそうめんをやろうなんて前代未聞だから。
なんといっても廊下は風通しがよく、暑さがこたえるようならいつでも冷房の効いた自室へ避難できる点が素晴らしい。各家庭のポジションは部屋の前と決めておけば『密』が生まれることもないし、マスクを外してよその子とお喋りすることもないだろう。どうしても気になるのなら室内で食べれば済む。
そして極めつけは、部屋の前にパイプ椅子を置き、そこにつゆの入った器と「食べる用の箸」に「そうめんをとり易いフォーク」まで準備してある念の入りようだ。
更には事前通達として「当日体調がすぐれない方は、そうめんを自室までお届けするので無理をせず休んでいて下さい」とお報せしてある。
江戸っ子っぽく言えば「文句があるのなら言ってみろってんだ、スットコドッコイ」でなもんですよ。もっとも、これは僕一人の手柄ではなく、皆の協力があってこそ初めて実現したアイディアなのだけれど。
特に大工の原さんには頭が上がらない。
竹製のそうめんスライダーは屋上を起点としてS字を描くように各階の廊下を蛇行し、最後に玄関の子ども用プールへと続いている感じだ。TV局のバラエティー番組並みのとんでもない構造。これを短期間で組み上げた原さんには脱帽するしかない。もちろん僕も手伝ったけれど、
管理人の立花さんがマンションの住人全員から
水源とホースを提供してくれた最上階の井上さん。
当日の朝からそうめんをゆでるのに協力してくれた奈々子と隣室の鈴木さん。
皆に感謝だ。僕の気持ちを汲んで下さった全ての人に。
「ほんじゃ、いっくでぇ! マンション一周、流しそうめん大会、開幕や!」
威勢の良い掛け声と共に、奈々子が屋上のスタート地点から麺を投入する。
青空の下、小さなせせらぎが陽光を反射し、そこを色とりどりのそうめんが流れていく。どこかシュールだけど幻想的で美しい場面。まさに日本人の原風景だ。
「でも一番暑いのはこの屋上だからね。僕たちが熱中症で倒れたら話にならない。お祭り気分であまりはしゃぎすぎないでくれよ」
「なにいってんねん。大阪人には真夏の太陽なんてお友達や。甲子園のアルプススタンドで鍛えられているさかいな。ひ弱な東京モンとは違うんや」(個人の見解です)
「何人だろうと、炎天下でゴム手袋にマスクはきついだろ?」
「平気やって。ビーチパラソルで日陰を作ったし、ほらほら、このエプロンの下は水着やぞ。レオタード風の。これで暑さ対策はバッチリ」
「子ども達にヘンな性癖を植え付けないで! せめてズボンを履きなさい。親御さんから別の意味でクレームくるから」
「はいはい、地味なハーフパンツはくから。ちょっとしたジョークやんけ。ここは一人でも充分さかい、達ちゃんはちゃんと麺が流れてるかチェックしておいで。お客さんの様子はこまめに見とかなアカンで」
「何度も実験したから大丈夫だと思うけど。ルールが守られているか、巡回しよう」
各階を見て回ったが、参加者の皆さんはルールを遵守しながら楽しんでくれているようだ。食べる箸で直にそうめんをとったり、マスクを外したまま密を作るようならヤンワリ注意しようかと思っていたのだが。
子どもたちに話に聞くと、学校の給食で指導を受けて慣れっこらしい。
そうか、こんな時代のエチケットや気遣いを学ぶ機会になるかと考えていたけれど。そこは余計なお世話だったのかもしれない。楽しんでもらえるだけで良いか。
そうめんは大量にあるから別に遠慮などいらないのだけれど、上階の人たちは階下にも回るよう気を使いながら食べている。むしろ一階の人たちが「自分たちが最後の砦だ」と奮起している模様。あの、奈々子さん投入しすぎでは? わんこそばじゃないんだぞ。
スライダーのゴール地点にはザルを仕掛け、余った分は立花さんが回収するから取り逃しても大丈夫だけど。水は子ども用プールで受け止め、あふれた分は排水溝へと流れるようにしてある。
仕掛けは順調に作動しているようだ。とりあえず問題なし。
チェックを終えて屋上に戻る途中、301号室の前で遠城さんに呼び止められた。
「あの、何だか苦労かけちゃったわね。まさかこんな大事になるなんて」
「いえいえ、みんな楽しんでやっていますから。特に奈々子は」
「あの娘はいつも楽しそうで、思わず周りまで明るくなっちゃうわねぇ」
「そう言って頂ければ、彼女も喜びますよ。そうめんの味はどんな感じでしょう」
「ええ、美味しいわ。三輪そうめんって中が空洞になっていると聞いたけど、食べやすくていくらでも入っちゃう。それにこの汁は……? 大根おろしが入ってるの?」
「ええ、天の川は英語でミルキーウェイ、牛乳をイメージして大根おろしに刻んだネギと味噌を少量、そこへミョウガを加えてみました。お好みで鰹節もどうぞ」
「おろし蕎麦ならぬ、おろしそうめんね。麺にからみつく大根おろしがサッパリしている。それにネギと辛みとミョウガの香りが加わって後味もすっきりさわやか。夏バテも吹き飛んで食欲が戻ってくるわね、これは」
良かった、気に入って頂けたようだ。
日本で最古のそばは、一説によると木曽谷(長野県南西部)の定勝寺で作られたもので、このようなおろしそばが振舞われていたという。時の将軍さまも召し上がった絶品で、配下の者は数十杯も食べたという逸話が残っている。
その伝承を参考に、この「天の川そうめん」を考案したのだ。
僕が悦に浸っていると、遠城さんはバツが悪そうな顔でうつむいたではないか。
「ごめんなさい、会議ではあんな意地悪を言ってしまって。若い人たちというだけで少し偏見があったみたい」
「いえいえ、そんな。あれは当然の質問でした」
「でも……これだけは聞かせて頂戴。どうしてこんなことを?」
「えっ?」
「これだけの労力と手間。どう考えてもコストとリターンが見合っていないでしょう? 貴方だけじゃない。協力した人たちも、皆それは判っているはず。なのにどうして」
僕は流れるそうめんスライダーを一瞥すると、鼻の頭をかく。
やれやれ、格好つけた台詞なんて柄じゃないんだけど。
「そうですね、きっと僕らが意地を張って立ち向かったのは遠城さんの抗議じゃなくて。閉塞感でどうしようもないこんな時代そのものなんです。こんな時代だってやり方次第では楽しめる。それを証明したかった。たぶん皆そうだと思います」
「そう。そうかもしれないわね」
「それに、廊下をそうめんが流れる光景なんてそうそうお目にかかれるものじゃない。一生モノの思い出作りに貢献できたとすれば……労力に見合わってないとは感じません」
「玄関あけたら即座にそうめん。確かに忘れられない思い出よ、これは」
遠城さんが見せた笑顔は、優しい母親のそれ。マスク越しでも判る。
この笑顔の為に頑張れたのなら、何も後悔はない。きっと皆そうだ。
およそ一時間ほどかけて大量のそうめんは流し尽くされた……けれど祭りはまだ終わらないのだ。奈々子は拡声器でマンションの子どもたちに呼びかける。
「ほんじゃ、お腹が膨れた所で今度は『スーパーボール流し』を始めるでぇ。流れてきたスーパーボールは君のもんや。とったボールをまた流して永久機関の出来上がり。さあ、君もボールをゲットして屋上にGO! ……あっ、苦情がきたらこの企画は終了やで。階段は走らず静かに、はねたボールが窓を割ったりしないよう良く願うんやで、以上」
とんでもないアナウンスだ。
でも子ども達はノリノリで、流れてきたボールを手に屋上へとやってくる。
その中には遠城さん家のタクヤ君も居る。
まったく、全てを巻き込むノリの良さなら、大阪人に敵う者なしってね。
でも流石に今回ばかりは悪ノリが過ぎたようだ。
水鉄砲を持ち込んだ子ども達によって、奈々子が狙撃されたものだからもう大変。
彼女もホースを振りかざして猛反撃。屋上で水かけ大会が
「貴方たち、いい加減にして下さい」
管理人さんの穏やかだが有無を言わせぬ説教によって、大会は強制終了と相成る。
その場に居合わせた者は全員、服がビショビショ。
奈々子、水着で良かったな。まったくもう。
せめてもの救いは、遠城さんがスイカの差し入れをしてくれたことか。
旬のスイカも高くて滅多に食べられないものだから、子ども達も夢中でむしゃぶりつく感じである。
食べ終わる頃には服も乾いており、どうにか事なきを得たようだ。
皆さん、本当にお疲れ様。
あっ、もちろん後片付けは大人の仕事。
だから、もう少し頑張れ、僕。
―――
「お疲れさーん、楽しい一日やったな」
「最後はちょっとしまらなかったけどね」
「それは言いっこなし。水を被れて気持ち良かったやろ?」
「奈々子、自分のホースで頭から水被っていたからなぁ」
「子ども達、ちょっと引いてたな。少しやり過ぎたわ」
その晩、自宅の居間にて、僕たちはビールを注いだグラスをぶつけ合う。
苦味のある発泡酒を喉に流し込むと、労働の疲れも吹き飛んでしまう。
くぅ! この為に生きてるって感じ!
「達ちゃんも大変やったな。結局ぜんぶ任せきりでウチなんか何も出来へんかった」
「いや、そんなことないでしょ」
「そやからせめてものお詫びに夜食を用意しといたで」
「ほう、何を」
「モチのロン、ここまできたらそうめんしかないやろ。ウチらは主催者やさかい、昼間は食べる暇もロクになかったからな。少しだけ残しておいたんよ」
「でも大根おろしも麺つゆも、もう使い切っちゃったんだけど」
「必要あらへん。大阪流の天の川流しそうめんをとくとご覧あれ」
そう言うと、彼女は冷蔵庫から鍋を出し、お椀に何かを注ぎだしたではないか。
えっ、そうめんって……それはどう見ても。
僕の前に提供されたのはザルで水切りしたそうめんと、お椀に入ったみそ汁。
「ええ!? 味噌汁?」
「せやな。関西風の白みそでこれぞミルキーウェイって感じやろ? 卵も入れてあるから、麺をみそ汁につけてよくかき混ぜるんやで」
「やはりそうめんを味噌汁につけるのか……」
「東京モンはそれにえらく抵抗があるみたいやから、お客さんにはよう出せへんかったけど。ウチの中くらいはええやろ? それともアカンか?」
「いえいえ、とんでもない。イタダキマース。……おぉ!」
若干、いやかなり抵抗はあったものの、食してみれば悪くない。
三つ葉と油揚げのハーモニーが泣かせるし、溶き卵で後味がふんわり優しい感じに仕上がっている。ゲテモノと思いきや、とても上品で料亭のメニューに混じっていても違和感がなさそうだ。
「う、うまーい。そうめんって感じはしないけど」
「なに言うてんねん。君が時々こっそり食べている納豆トーストよりマシやろ」
「い、意外と美味しいんだよ、あれも」
「それかてそうや。自分の食文化にないからって頭ごなしに否定したらアカンで。大阪人は無駄に格好つけず、実利をとるからな。栄養が不足しがちなそうめんも、こうやって食すれば、がぜん栄養たっぷりやろ」
「大阪人の文化か……まるでよその国みたいだ」
本当に奈々子との暮らしは驚かされる事が多い。
関西国は独自の食文化をたくさん隠し持っているものだ。
奈々子が時折、自分をさも外国人のように語るのもうなずける。
つまり、立場を逆転すれば、奈々子にとっての東京は外国だということ。
彼女は我が家にホームステイする留学生のようなものだ。
コロナのせいで移動制限がかかり、長らく大阪には帰れていない。
ホームシックにかかってもおかしくはないのに。
こうして気丈に振る舞い、僕たちの生活を明るく盛り上げてくれる。
何もしてないなんて、とんでもない。
君が発破をかけなかったら、そもそもお中元のそうめんは物置で腐っていただけ。僕は教室の隅で物思いにふける少年のままだっただろう。
何もかも、君が居るお陰さ。
僕が立派な大人になろうともがき続けるのも、全て。
「はるばる大阪から来てくれてありがとう。どうか、これからも宜しくね」
「なんやねん、藪から棒に。まぁ、親しき仲にも礼儀ありとも言うし。いっちょやっておきますか。今後とも宜しくな、達ちゃん」
誰も見ていないというのに、僕たちは妙な気恥しさを味わいながらぎこちない握手を交わしたのである。
「せっかく男女で手を握ったのなら、社交ダンスでも踊ろういうのが大阪流や」
「それは流石に嘘だよね?」
「このアホ、ダンスのふりをしながら抱きしめてキスせい言うてるのよ。せっかくマスクも外しているんやからな」
「ああ、女性の体重を支えながら顔を近づけるあのポーズ。……はーい、頑張って精進します」
「こりゃ腰痛めるのがオチやで」
そして、これは後で判ったことなのだけれど。
あの流しそうめん大会は、どうも子ども達の携帯で動画を撮影されていたらしい。
投稿サイトに出回った映像は爆発的な人気を博したとか。
そして、その動画にチラッと映っていた奈々子の勇姿。
頭に三角巾を締め、服は水着エプロン、両腕にゴム手袋(ハーフパンツ有)かくも奇異な格好で一心不乱にそうめんを投げ続ける姿が、投稿サイトのユーザーの琴線に触れたらしく。
彼女は大勢の固定ファンを掴む事となる。
その結果、盛り上がったファンの手によって二次創作が作られ、生まれ変わったのが怪異「そうめん女」だ。あたかも「口裂け女」よろしく、夜道で子どもにそうめんを投げつけてくるのだとか。令和の怪異はホラーと無縁な所から芽吹くものなのだろうか。
動画では顔にボカシが入っていたし、設定ばかりが独り歩きして本人とは似ても似つかぬ存在に成り果てていたけれど。その特徴的なポニーテールだけは健在だ。
これが本人の目に触れないことを願うばかりである。
ふと振り返ってみれば。
社会は、時代は、いつも個人の事情など顧みず歩を進めていく。
それゆえに激動の最中、痛みを伴う改革が強制される事となる。
けれど人の心はいつの時代にも変わらないもので。
どんな渦中であっても僕らは人生を謳歌する事を忘れない。
人は、環境にあったエチケットやルールを作り出し、それを基に新しい娯楽や生き方を模索していく生き物である。
どうか、その新しいルールが誰かにとって不快なものでありませんように。
僕たち二人は懸命に今日を生きながら、ただそれを祈るしかない。
激流に翻弄されながらもそこで波乗りを楽しめる者。
そんな浪花のド根性こそ、明日を救うファクターXなのかもしれない。
大阪女と天の川流しそうめん 一矢射的 @taitan2345
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