大阪女と天の川流しそうめん
一矢射的
前編
今年の夏は暑く厳しいもの。
日本人なら誰もが僕の考えに同意するのではないだろうか、たぶん。
原因はラニーニャ現象だとか、地球温暖化だとか、コロナウイルスの流行でマスクが外せないだとか、色々とあるのだろうけれど……やはり一番重く心に圧し掛かってくるのは、外国で始まった戦争の余波と押し寄せる物価上昇の大波。
給料は上がらないのに物価だけがポンポン上がるのだからたまったものではない。
不穏な時代ゆえに仕方のないこと……なのかもしれないけど。
胃にストレスを抱えながらだと、うだるような暑さもよりこたえるものだ。
心頭滅却すれば火もまた涼し。その逆もまたしかり。
逆、逆のことわざって何だろ?
そんなワケで、多くの日本人にとって今年の夏は過ごしやすい季節ではない。
もちろん、僕と同居人が暮らすマンションの一室だってそうだ。
室内には重く沈痛な空気が垂れこめて……垂れこめて……。
「あぁ! ウチのスイカバーがぁああ!」
どうやらウチの奈々子ちゃんは、ちょっとやそっとじゃヘコタレナイ性質らしい。
いつものポニーテールを揺らしながら、Tシャツにホットパンツのスレンダー美人が大好きなアイスを片手に何事か騒いでいる。掲げられた三角形のスイカバーがあたかも勇者の威光を示す聖剣エクスカリバーのようだ。いや、スイカリバーか。
詰まる所、きっとまた僕のツッコミ待ちだ。
ちゃきちゃき関西娘は日常でボケとツッコミを要求してくるので油断ならない。
「どうしたのさ、大声出して。」
「きいてぇーな、達っちゃん。ほら、このスイカバー」
「うんうん、スイカバーが?」
「ちっちゃくなっちゃった! 確実に去年より一回りは小さいで。これは、あれや。実質的な値上げという奴やん。ホンマ、こたえるわー」
「そうかなー、気のせいじゃないかなー。何でも小さく見える症候群だよ、きっと」
「えぇ!? なっとるって。節穴やなー」
「風評被害だってスイカバー君も言ってるよ?」(この物語はフィクションです)
「そやかて、なってるモン」
「仮になっていたとして、小さい方がお腹を壊す心配もなくて良くない?」
「満足感がな、違うんやー!! しかし、前向きやね、キミ。悟りでも開いたんか」
「誰のせいでこうなったと思っているんですかね」
「なーんや、それ」
君と一緒の暮らしはとても目まぐるしくて、人生にクヨクヨ悩んでいる暇なんて無いと教えてくれるから。それに、僕が不満に思ったことなんて、ぜんぶ君が先に言ってしまうもの。なだめる役はだいたい僕になるわけだ。
そうか、判ったぞ。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」逆のことわざは「病は気から」だ。
プラシーボ効果、大事。
道理で僕たちは健康なわけだよ。
まさに君のお陰だな。
「まぁ、とにかく文句を言わずにスイカバーを食べなさい。溶けてしまうぞ」
「あっ、ホンマや。垂れてきたやんけ」
「この値上げの時代に僕たちができることは、物の大切さを噛みしめることだと思う。今こそ日本人は先祖代々
「ウマウマ、くっわぁ~やっぱ夏はこれだわ」
「聞いてよ、せっかく良い話してるのに」
そんなこんなで、僕たちはそれなりに夏を満喫している。
元から貧乏性なので、あまりこたえないのかも。
僕、小杉達也と、婚約者の望月奈々子は今日も元気にやっています。
つーかね、値段を気にするならチューチューアイスが一番ですぜ。
子どもの頃はいつもアレだった。
コスパ最強。
さてさて、前置きはこれくらいにして。
未練がましくアイスの棒をしゃぶりながら、奈々子がふと口を開く。
「そういえばお中元が届いとったよ。大きい箱の奴。まだ六月なのにせっかちやな」
「ああ、マリエ伯母さんからだろ。奈良県の三輪に住んでいてさ、郷土愛の強い人だから毎年たくさんのそうめんを送ってくれるんだ。夏に間に合うよう、早めにって。でも正直、一人だと食べきれない量だ」
「そういうのは、ご近所さんにおすそ分けするんとちゃう?」
「おすそ分けかぁ、それは考えたこともなかったな……社会人になってからは毎日忙しくて近所づきあいなんか考える余裕も全然……」
「このアカンたれ。シャイなのは、アカン。人生、損してしまうで。食べきれもせんで腐らせるくらいなら、皆で楽しんだ方がずっとええやん? 未来の旦那さんが近所づきあいもやれん狭量さだと、ウチの愛情もしまいには発酵しまうわ」
「へーいへい。ん? 腐らせる……って、ああああ!」
僕は慌てて寝室の収納庫を開く。
そこの最下段にはついさっき届いたお中元と同じ箱がドンっとあるではないか。
やってしまった……。
食べきれないからと閉まっておき、そのまま忘れてしまったようだ。
「あわわ、去年にもらったそうめん一箱分が、そのまま残っていた」
「つーことは、二箱分? どうやっても食えへんね、多すぎるわ、賞味期限は?」
「古い方は今年の十一月までか。これを誰かにあげるのは気が引けるな」
「ウチなら気にせんけどなぁ。そやけど、これは二、三件くばったぐらいじゃ間に合わんな。でも逆に丁度良いかもしれん」
「丁度良いって何がさ?」
「管理人さんが困っていた件。子ども会の季節行事を募集してるやんけ」
「ああ、そういえば。そんな回覧板がきてたね。そうか、もうすぐ七夕か」
「七夕といえばそうめん。暑い夏にはやっぱり流しそうめんが最高や!」
「へぇ、確かに良い考えだ。次のマンション定例会議で提案してみようかな」
「あれ、いつも忙しいとか言い訳して出えへんのに。今回は出席するんか?」
「出るよ! 出ますとも」
近所づきあいも出来ない器の小さな男と侮辱されたままでいられますかっての。
やってやろうじゃないのよ。僕だってやれるんだ。
昔は教室の隅で本を読み漁っていたような僕だけど、君の為なら体育会系の真似事ぐらいはどうってことないね。
―――
そして定例会の当日。
管理人である立花さんの呼びかけによって一室に集まったのは「花園マンション子ども会」に参加している保護者の皆様だ。令和の今だからこそ地域全体で子育てを考える。そういった趣旨で立ち上げられた
それでも「きっと将来役に立つから」と立花さんに誘われて、断り切れずこれまでも何度か出席した感じである。当然、最年少は僕達で肩身は狭い。今までは適当に相槌をうっていただけだが、今回ばかりはそうはいかないだろう。
「それでですね、他の案がないようでしたら七月の子ども会イベントは『流しそうめん大会』というもアリなのではないかと思うんですよ」
「予算が限られているので、そうめんを提供して頂けるのは助かるわぁ」
僕の提案に立花さんも同意してくれる。
他の人たちもおおむね好意的な反応だ。
特に大工をやっている原さんが全面協力してくれる事になったのが大きい。
「悪くないじゃねーか。確か何年か前に使ったスライダーが倉庫に残っている筈だぜ。竹製の手作りよ、良かったら使ってくんな。予定があえば組むのを手伝ってやるからよ。会場は近所の公園で充分だ」
実にありがたい提案だ。不器用な僕では準備に不安があったのに、あっさりと悩みの種を払拭できるなんて。
ただし、好事魔多しというのが世の常識。
いつもいつでも「順風満帆」でいくことなんて有り得ない。
ましてやこのようにストレスの多い時代では。
ほら見た事か。
いかにも気難しそうなマッシュルームボブのご婦人が、眼鏡を押し上げながら訊いてきたではないか。
「流しそうめんですか、なぜ七夕はそうめんでなければいけないんでしょうか?」
「それは、中国の古い言い伝えが起源みたいですね。中国では七夕に
「へぇ、子どもの無病息災を」
「昔も今も流行り病は人の手に余る問題だったのでしょう。索餅やそうめんは織姫と彦星の伝説になぞらえて天の川を表現しているという説もありますね」
「手に余るって、感染症対策を最初から諦めているんじゃありませんか?」
「え?」
「流しそうめんを食べる時、皆マスクを外すでしょう? 子ども達はきっと外したままお喋りをするのではないのですか?」
「そ、それは」
「流しそうめんが珍しくて、きっと沢山の子どもが一か所に集まるんでしょうね。それは『密』を作る事に他ならないのでは? 暑い日に外で長時間、熱中症も心配ね」
「う、うーん」
「それならやらない方がマシです。
有無をいわせぬ正論。
会議室の全員を黙らせたのは、301号室の遠城さんだ。
遠城さんは一児の母にして旦那さんが単身赴任中、気丈にもたった一人で息子の面倒を見続けているそうだ。そんな身の上話を立花さんから聞いている。
なるほどそんな立場なら心配症になるのもうなずけるというものだ。しかし、隣席の奈々子はそう感じなかったようで。
「なんやねん、そんなこと言ってたら何もできへんやんけ。子ども達だって、こんな時代に色々と我慢を強いられているんやで。息抜きは必要なんや。ちょっとぐらい、大目に見れんのかい」
「ですから、具体的な対策を示して頂ければ納得すると申し上げているのです。私どもが『流しそうめんをやっても問題ない』と思えるような案を提示して下さい」
密を作らせず、マスクを外してお喋りさせず、とにかく感染症対策がバッチリで、その上で真夏の熱中症対策まで? いくら何でも無理難題すぎる。
面倒くさい、そんなのやらない方がマシ。思わず誰もがそう思ってしまう。
だがしかし、会社のプレゼンを思い出すんだ。
この程度、上司の無茶ぶりに比べたらどうってことない。
「わかりました。必ずや皆さんの納得いくやり方を考えます」
「あら、貴方本気なの?」
もちろんですとも遠城さん。奈々子まで「大丈夫か?」と言いたげな顔でこっちを見ているけど。任せておきなさいっての。ちょっと邪魔が入ったぐらいで諦めていたら、どこにも辿りつけはしないのだから。
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