追補編
本編前日譚と描かれなかった小さなエピソード集
I00-01 アーストルダム 6月のポートレート
「はい、こっちを見てください」
ラディウは背筋を伸ばして、カメラマンに指示された方を見つめた。
「もう少し笑顔で」
エンジンスタートの合図のように、クルクル回る彼の指先を見て、ラディウは口角を上げて晴々しい表情を心がける。
「良いですね。そのまま」
カメラマンの合図の後に2回連続でフラッシュが焚かれた。
一瞬の白い閃光はあまり好きじゃ無い。
ほんの少し目の奥で残る眩しさを払うよう、ラディウは数度瞬きをすると、ふぅっと息をついてカメラの向こう側に目線を向けた。
ドアの近くにはいつもの仏頂面でオサダが立っている。
その少し手前では、カメラマンが傍のタブレットを操作して、後ろに立つティーズに撮影データの確認を求めていた。
「こちらでよろしいですか?」
「結構だ。ありがとう」
彼らの様子を見てラディウは「終わったようだ」と判断すると立ち上がり、手にしていた制帽を被ると、大きな姿見の前で身だしなみをチェックした。
ティーズと同じ濃紺色の上下。大人の制服。金色の徽章や襟章。少尉の階級章に真新しいネームプレート。
彼女は昨日、訓練生から正式に少尉になった。
データを受け取り、オサダの運転で基地へ向かう。
昨日、身分証明書の写真撮影や関係先へ挨拶回りをした時に、ポートレートを撮影しておくことをオルブレイに勧められた。
「信頼できる、腕の良い写真屋がいる」
そう言ってオルブレイから写真館の住所を書いたメモを手渡された時は、気恥ずかしさが先行して一度は固辞をしたが、横から「記念写真だ」とティーズにまで言われては、それ以上断れなかった。
「折々に撮ると良い。何かあった時、それが最期の写真になる」
「最期って……来週から新型エンジンのテストに行くんですよ? 脅さないでください」
あからさまに不安げな表情を見せる少女に、ティーズは優しい笑みを向けた。
「心構えの話しだよ」
「覚えておきます」
そう答えて、ラディウは流れる車窓に目をやった。街路樹は青々とした葉を広げ、初夏に調整された陽射しをいっぱいに浴びて煌めいている。
12歳の時にアーストルダムに連れてこられてから、5回目の夏が始まろうとしていた。
来週から試験飛行を行うエンジンの打ち合わせを済ませてラボに戻ると、ラディウは居住棟に戻らず、格納庫がある地下の工廠に向かった。
終業時間の近い工廠は人影も疎らで、彼女は靴音を響かせて愛機の元に駆け寄る。そして周囲をくるりと見回すと、制服のタイトスカートを大胆にたくし上げ、コクピットシートに身を沈めた。
センターコンソールが邪魔をして、スカートに覆われていた太ももが顕になり、とても人に見せられる格好ではなくなっている。
そんな事は気にせずに、彼女は制帽を邪魔にならないところに丁寧に置くと、ウキウキとヘッドセットを着けて、いつものようにシステムとのリンクを宣言をした。
正常なリンクシークエンスの後、すぐに<ディジニ>から服装が規定違反であるとの警告が発せられた。
『搭乗時はパイロットスーツ、若しくはそれに準ずる服装である事が求められます』
ラディウは生真面目な相棒の反応に、ぷぅっと頬を膨らませる。
「作業するわけじゃない。〈ディジニ〉に見せに来たの!」
そう言って〈ディジニ〉の機内カメラに向かって両手を広げてみせた。
「ほら! 見て見て! 大人と同じ制服と……階級章!」
『……データ照会。リプレー訓練生の少尉任官を確認』
映し出されていた幼年校と同じ灰色の制服の写真が、撮ったばかりの新しいIDの写真へと情報が更新される。
「本当は機体と一緒に写真を撮りたいけど、ここは撮影禁止エリアだからなぁ」
ポスッと背もたれに身を投げるようにもたれかかり、ハッチの外に目をやった。
格納庫の高い天井に等間隔に並ぶ照明を眺めながら、「写真館で撮ったの、多分人生で初めてだよ」と小さく呟く。
今日撮ったデータは、あの後ティーズが彼女の端末に送ってくれた。その撮った写真をフォルルの両親に転送したら、成長した姿を喜んで貰えるだろうか……ふとそんな事を思ったが、両親のアドレスを知らないし、そもそもそういうことを許可されるかどうかも不明だ。
それよりも……
「学校行かずに士官になっちゃったよ。いいのかな?」
彼女たちは学校教育は親元にいた小学校までで、それ以降はここで一般教養と専門教育を受けている。 勉強に関しては今も継続中だ。
「行きたかったのになぁ。まさかスタンプラリーで拒否されるとは」
ラディウは思い出して、深いため息をついた。
Bグループの中で、進学することに拘っていたのはラディウだけだった。同期のトムも含めて、皆それほど感心は高くない。ここできちんと訓練を受けていれば、飛行資格も必要な知識も得られる。それでもここだけでは得られない経験をしたくて、1年前から自分なりに調べて、受験の準備をした。
しかし結果的に希望はかなわなかった。そもそも願書すら出させて貰えない状況だったのだ。しかし彼女はまだ諦めていなかった。
「この一年で実績を積んでさ、次こそ願書に推薦のサインを貰うのを、今年の目標にしようって思ってるの」
ラディウの独り言に、〈ディジニ〉はインジケーターを静かに点滅させるだけで回答はしない。ラディウは気にせず話しつづける。
「制服は変わったけど、部署が変わるとか、特別にやる事が変わるわけじゃ無いから、正直なところ実感が無いんだよね」
『少尉は現部署からの、異動を希望しているのですか?』
仕事中とは違う、心なしか少し柔らかいトーンで〈ディジニ〉が尋ねる。ラディウはフッと笑みを浮かべると「違う」と首を横に振った。
「異動は考えてないよ。ティーズ大尉と飛ぶの楽しいし、〈ディジニ〉と一緒にいたいもの。でもね……」
ラディウは記憶の細い糸を辿るように、格納庫の天井を見つめた。
時々何も知らなかったあの頃を懐かしく感じるが、深く思いを巡らそうとすると記憶がぼんやりとして、思い出そうとするのが億劫に感じた。そしてそれ以上は考える必要無いと判断し、ふぅと息を吐いた。
「もう少し、こう……自由になれたらなって思うのよね」
〈ディジニ〉は返事の代わりコミュニケーションモニターのゆらめく円を揺らす。
「知っているでしょう? 何をするにも申請と許可。自分の立場はわかってるけど、やっぱり窮屈」
ラディウはそっとコントロールスティックと、スロットルを握る。
飛ぶ事も定められたルールの中で飛ぶが、コロニーの中にいるのと宇宙にいるのとは、気分が違う。
「〈ディジニ〉と宇宙を飛ぶのは、解放感があって好き」
そうつぶやくと、ラディウは心と身体を愛機に委ねるように目を閉じた。
微かな電子音と空調の音、働いている人の動きを楽しむ。
その中から、明確にラディウを目指して向かってくる人の気配を感じとり、彼女は目を開けてその方向を見つめ、「そろそろ時間みたい」と呟いた。
「ラディウ? まだコクピットにいるの? もう終わるから降りてきなさい」
メリナ・ウォーニルがそう呼びかけながらコクピットを覗き込み、彼女のギリギリまで捲り上げられたスカートを見て、呆れたように苦笑した。
「ちょっと、なんて格好しているの」
「だって、こうしないと座れないんだもん」
ラディウは「じゃあね」と〈ディジニ〉に声をかけると、リンクを解除してヘッドセットを外した。
「明日なんだけど、例のテスト用のメテルキシィが入ってくるから、あなたのコクピット調整を先に済ませたいの。予定を入れたから確認しておいて」
「了解」
ラディウはメリナの手を借りて機体から降りると、両手でスカートの裾を押し下げ、パンパンと叩いた。少し皺が入ってしまった。
「新しいのに……」
「あれだけ捲くればシワも入るわ。スカートと上着、戻ったらプレスをかけるのよ」
「はーい」
返事をしながらラディウは振り向いて、リウォード・エインセルを眺める。
滑らかな曲線とシャープな直線が複雑に形作るボディ。制服よりも深く濃い濃紺色の機体が、天井の照明を受けて鈍く光っている。
来週は大好きなこの機体で、ディビリニーンの戦隊に合流して訓練とテスト。その後試験中のシステムを積んだ汎用機でのテストと、軍の開発部から依頼されている新型エンジンのテスト。
「宇宙に出るからって、予定ツッコミすぎじゃない?」
「知ってるでしょう? 人手不足なのよ。あら、帽子を忘れてるわ」
メリナは彼女の置き忘れた制帽を手渡すと、ラディウはそれを被りながら、同じグループの仲間たちの顔を思い浮かべた。
リーダー格のレーンは、元々実戦対応のために育成されていた。しかし2年前にアニーの死を目の当たりにしてからは、現場に出ることはなくなった。現在は基礎開発を主に担当している。優秀な青年で将来を嘱望されていたが、才能と比例する繊細さが仇になった感じだ。
一つ上のキャサリンとロニーは、開発要員として育成されていた。今はBグループでの開発任務以外にも、他グループと連携する仕事をしている。
後輩に2つ下のジャックがいるが、彼は本格的に訓練が始まったばかりで、まだ戦力外だ。
その中でトムとラディウは、最初から実戦運用を目指して育成されてきた。大人たちの期待通りに、1年以上前から現場に出るようになっている。
トムに至っては月飛行資格の保有者ということもあり、低重力下での試験も一手に引き受けていた。
他にも開発グループもあるが、そちらはそちらで別の研究開発や運用が行われている。
一定の条件を満たし、かつ飛行資格を持つリープカインドは少ない。安定的な育成の難しさもあるが、今のアーストルダム・ラボには、2年前に起きた事件の影響が、まだ色濃く残っている。
「ラディウは安定して飛ぶし、レポートもしっかりしてるから、安心して任せられるって、向こうのエンジニアが褒めていたわ」
「だって、それが仕事だもん。それに……」
「それに?」
ラディウは両手を羽根のように広げた。
「私、飛ぶのが好き。宇宙を飛べれば、それで満足なの!」
そう言って軽やかにその場で回ってみせると、靴音を響かせ駆け足で出口に向かった。
リズミカルに反響する靴音を聞いていると、心が躍り楽しくなってくる。
――あぁそうだ、いいことを思いついた。
今度トムが帰ってきたら、彼と一緒に新しい制服を着た写真を撮ろう。
その時はあの写真館に行く必要はない。どこか許可されたエリアで、誰かに撮ってもらえばいい。そんな気軽な一枚が欲しい。
ラディウはこのアイディアをメリナと共有したくなった。出口の前で立ち止まると、後から来る彼女を待つ。
きっとそう違わない時期に、彼も月のサテライトコロニー・ツクヨミ基地で、同じように任官されている。ひょっとしたら今夜あたり「少尉になった」とメッセージが届くかもしれない。それに時期的に来月には帰ってくるんじゃないだろうか。
「あのね! メリナさん。今度トムが帰ってきたら――」
待ちきれなくなったラディウは、メリナの元に駆け寄った。
ヒューマンシステム 〜生体兵器はヒトでありたい みつなはるね @sadaakira
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