エピローグ

「仕事をしながらで済まないね」

「いいえ…………こちらこそお気遣い頂きましてありがとうございます」


 リアナは、ヴィルジールの頬についた赤い手形の模様を極力見ないようにして、そう答えた。

 王宮の執務室に備えてある豪奢な机の向こう側で、ヴィルジールは自身の頬の赤くなった部分に羽ペンを持ったままの手で触れると、「これはあまり気にしないでもらえるとありがたい」と言って苦笑する。

 すると彼は、手元の書類をぺらりとめくりながら続けた。


「協議の結果、君にはエルネス君と共にエルフの国に向かってもらうことになった」


 思いもよらなかった知らせに、リアナが明らかに狼狽えた。


「私たちがエルフの国に?」

「君たちには我が妹、シャルロットの側付きとしてしばらくエルフの国に滞在してもらう必要がある……ガブリエル学園長の代わりにね」

「それは、一体……?」


 どういうことなのかと、尋ねる前にヴィルジールが言葉を継いだ。


「端的に言えば、君たち二人を保護するため……かな? かと言って、エルネス君のような戦力をおいそれと王都から離すことも出来ないから、ガブリエルとエルネス君の役割をトレードするような形に落ち着いたのさ」


 そう言うと彼は、本当に済まなそうに眉尻を下げてリアナを見た。


「だから申し訳ないんだけど、今回も君たちに拒否権はない」


 その言葉にリアナは小さく頭を下げて答える。


「これでも元貴族の端くれ……国のために役立てるのであれば、断ろうはずがございません」


 彼女の形式ばった回答に、ヴィルジールは穏やかな表情で「ありがとう」と礼を告げた。


「その代わりと言っては何だけど……今回の戦争の報酬として、我々に何か望むものはあるかい? 遠慮はいらないよ」


 その問いに、リアナはしばし黙考してから口を開いた。

 胸元に当てた手をぎゅっと握りしめて――。


「でしたら……国民全員に蘇生代金の免除を」


 リアナの胸にあったのは、ララちゃんとその父親の悲痛な顔だった。

 せめて少しでも償いになれば。

 そんなリアナの願いは、首を横に振ったヴィルジールによって砕かれた。


「申し訳ないけれど」


 王子の言葉にリアナは失望の色を隠せない。

 動揺を露わにして、「そんな」と呟いた彼女を見て、ヴィルジールが慌てて続けたのだった。


「共和国化するにあたって、国全体の社会保障についても大きく見直されることになっている。だから、君が願わなくとも蘇生の無償化は実現されるというわけなんだ」


 リアナの表情からけんが取れるのを見ると、彼は改めてもう一度訪ねた。


「……何か他に叶えて欲しいものはないのかい?」


 そう言われてもリアナは困ってしまう。


 なぜならば、幼少の頃より胸に秘めていた願いはすでに、ヴィルジールの手によって実現しようとしていたのだから。

 さらに言えば、リアナは誰かに自分の願いを伝えるということも、貴族になると決めた時からあまりした覚えがなかった。

 今ここにいるのは、目標を見失った宙ぶらりんな自分なのだ。

 だからこそと言うべきか、リアナには今回の戦争での自分の働きに見合ったモノなど全くといっていいほどに思い浮かばなかったのである。


 すると、黙り込んでしまったリアナにヴィルジールが助け舟を出した。


「例えばだけど――――君が過去に失った友人の、オーバルの行方調査とかはどうかな? 確か名前はララと言ったかな?」

「――え?」


 ヴィルジールの言葉に呆けたような反応を返したリアナ。

 彼女のそのぱっちりとした目が次第に見開かれていく。


「どうしてそのことを……? 一体誰から――――」

「君の父上からかな」

「……⁉」


 王子の口から知らされたあまりに予想外な人物に、リアナは言葉が出なかった。そして同時に、彼女はヴィルジールの言葉を受け入れられずにいた。


「そんなハズは……だって…………あり得ない」


 胸の奥に燻っていたモノが、何年もの間貯め込んでいた悲鳴が、つい口から溢れ出す。

 激しく取り乱すリアナに、ヴィルジールは優しく問いかけた。


「あり得ない? それはどうしてだい?」


 彼の問いにリアナはすぐには答えられなかった。

 彼女の頭の中では、否定の言葉ばかりが繰り返されている。その間にも鈍い痛みが胸にじわりと広がり、鼓動が徐々に早まっていった。


 そも、リアナが貴族を目指したのは贖罪しょくざいゆえ。

 幼心に罪の意識にさいなまれていた彼女は、ララちゃんと同じ境遇の子供たちの救済を生涯の目標とすることでそれを克服しようとしていたのである。

 だからこそリアナは信じたくなかったし、信じられなかったのだ。

 貴族になることをあれやこれやと邪魔ばかりしていた父が、まるで私を思いやるような素振りを見せるだなんて――と。


 リアナが言葉もなくふるふると首を横に振る様子を見たヴィルジールは、書類を一旦机に置くと、真剣な眼差しでリアナと目を合わせた。


「戦争が始まってすぐのことだ……クロード伯爵ら商会を運営する貴族たちと武器供与の取引をした際、君の父上だけは金銭の代わりに蘇生の無償化を私たちに要求した」

「……⁉」

「その時に気になってね……会議の後にクロード伯爵から少しだけ話を聞いた。どうしてそのような要求をしたのかという理由をね」

「あの人は何と……?」


 その問いにヴィルジールは、ほんの少しだけ時間を置いてから慎重に答えた。


「それは、君が直接聞くべきだ――――エルフの国に行って離れ離れになる前に」


 その言葉を聞いてもなお、リアナは嫌悪の表情を浮かべたまま動かない。

 そんな彼女にヴィルジールはさとすように言った。


「君ら親子の間に何があったのかを詳しくは知らない。だけど、思いのすれ違いは誰にでも起こりうることだ。それが取り返しのつかない事態を招く前に、せめて一度でも話し合った方が良い」

「そんなこと――」


 貴方に言われたくなんかない。


 その台詞をリアナはすんでのところで飲み込んだ。

 取り繕った笑顔の崩れたヴィルジールのその表情――慚愧ざんきの念を隠そうともしない、一国の王子の悲痛な顔を見て。


「君たちがまだ、会話が出来るうちに――」






 リアナが返った後の執務室。その隣部屋に続く扉がノックもなしに開かれた。


 扉の向こうから現れたのは、明るいゴールドブロンドの長髪を背中に流した、目鼻立ちのはっきりとした少女――シャルロット第一王女である。

 颯爽と部屋に入って来た彼女はヴィルジールの前にやってくるなり、怒りを滲ませた表情で兄を見下ろした。


「お兄様が仕事を放って人の心を説こうとするだなんて、どういう風の吹き回しかしら?」

「……」


 シャルロットの皮肉にも、ヴィルジールは申し訳なさそうな顔を返すだけだった。兄が何も言い返そうとしないのを見て、あまりの怒りのぶつけ甲斐の無さに彼女はふんと鼻を鳴らす。


「それはそうと……先程の少女に対してお兄様がああ言った根拠をお聞かせくださいませんか?」

「聞いていたのか……」

「当然でしょう? これから先、彼女とはしばらく行動を共にすることになるのですから」


 そのもっともな言い分にもヴィルジールは思案する様子をみせたが、シャルロットに睨みつけられてしまえばすぐに折れた。


「クロード伯爵はリアナ嬢に貴族になることを諦めさせるため、商家の子息などとの縁談を勝手に進めたり、そもそも娘に貴族になるための教育を受けさせないように親族にも手を回していたりしたらしい……彼はその罪滅ぼしをしたいのだと言っていた」

「酷い親ですね」

「ただそれも――クロード伯爵がリアナ嬢を守っていたと推測すると、おおよその辻褄つじつまが合う…………過保護なまでのその行為が、親子の間の確執をさらに深める原因になっていたことにもね」


 不得要領ふえようりょうのその言葉に、シャルロットは小さく眉を顰めるような微妙な顔をした。


「守る? 一体何からですか?」


 その問いにヴィルジールは「これは本当に推測の域を出ないんだけど」と、前置きしてから答えた。


「リュテイア教からさ」

「⁉」


 古より人々を守り続けてきた女神リュテイアを信奉する教会から――守る?

 意味の分からないその言葉を聞いてから少しして、頭の中でかちりと話が繋がった途端――シャルロットは目を見開いた。


「もしかして、クロード伯爵は……自分の娘が神力を扱えることも、その力がどんなものなのかさえも知っていた?」

「多分だけどね……もしそうだとすると話は簡単だ。彼が恐れたのは娘が貴族になろうとすることではなく、貴族になるためのイニシエーション――精霊召喚の儀にこそあったんじゃないかと考えられる」

「確かに、平民に嫁がせるつもりならば学園に通わせる必要がありませんし、精霊召喚の儀を回避することも可能――ですか」

「それだけじゃなくて、リアナ嬢をシャルロットのお供に推薦したのも彼なんだよね……本当に徹底しているというか、実に無駄がないことだと感心すら覚えるよ」


 どこか羨ましそうな笑顔でそう語る兄を見て、シャルロットは悲し気に目を細める。それから彼女は、ヴィルジールには聞こえないくらいの小さな声で「お兄様は本当にバカですね」と呟いたのだった。






 それから数日後――。


 黄昏時の斜陽の差し込む廊下を進んだリアナは、父の書斎の前で立ち止まった。

 深呼吸をしてから、ドアを三回ノックする。


「入れ」


 扉の向こうから聞こえるテノールボイス。

 父のその声を聞いて自然とリアナの背筋が伸びた。

 小さく震える手をドアノブに掛けて、普段よりも重い気がする扉を開く。

 机の向こうのヘーゼルアイと視線が合うと、ワンピースをキュッと掴んでから、リアナが引き結ばれていたその口を開いた。




「お父様、話があります――――――」












◆ ◆ ◆












 目覚めると、また同じ天井がそこにあった。




 数えるのも馬鹿らしくなるほどに何度も見た同じ景色。




 今日もまた、一月一日を繰り返す。




 移ろいゆくのは季節ではなく人の顔。




 その顔に増えた皺の数だけが年月の経過を教えてくれた。




 これから私はいつもと同じ衣装を着せられて、いつもと同じ儀式に臨むのだろう。




 そして儀式の終わりには、いつもと同じことを願うのだ。






 ああ、この楽園に――――再びの黄昏を。

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トワイライト・オブ・エデン 瑞乃画虎 @mizuno_etora

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