第24話

 空へ散る紫の閃光。


 それは、高原西の戦場にいたヴィルジールも目撃していた。

 それから五秒ほど遅れて、雷鳴のような音がヴィルジールの耳を襲う。

 自身の飛ばしていた指示がその轟音にかき消された瞬間、ヴィルジールは思わず歯噛みをしたのだった。


 第二近衛騎士隊の働きによって一時は均衡を保っていた西の戦場。その均衡は帝国の黒騎士らの手によって徐々に崩されつつあったのである。

 また驚くべきことに、たかだか五百人を相手にマティアス率いる千人の大隊が押されていた。黒騎士に直接対峙しているのはマティアス一人だけであり、防御に秀でている彼の力では黒騎士に傷を負わせることすら敵わなかったのだ。

 その火力を補うのは、第二近衛騎士隊の隊員の役目である。

 ところが、黒騎士はそれを看破した途端にマティアスを相手取るだけでなく、あろうことか近衛騎士たちにも攻撃を加え始めていたのだった。


 そのような存在の侵入を許したことにより、ヴィルジールのいる本陣だけでなくその周囲の陣形までもが大きく乱れ、結果としてヴィルジールは後退することも出来ずに、劣勢にある戦場のど真ん中に留まらざるを得ない状況に陥っていた。

 刻一刻と時間が経つにつれ、黒騎士がヴィルジールのいる場所へと近づいてくる。

 かの騎士がその手に持つ巨大な槍を振るえば、近衛騎士が一人また一人と吹き飛ばされていった。


 宙を舞う騎士が空中でオーバルへと変じるのを見ていたヴィルジールの口から、憎々し気な声が漏れた。


「化け物め……!」


 人外の膂力りょりょく

 それを持ち合わせた存在をヴィルジールは一人しか知らない。


 それは誰あろう、古よりガザン帝国を守護する英傑――シグルズ・グラム・ペントラムである。

 彼が何故フルフェイスのヘルムを装備してその顔を隠しているのかは分からずとも、両腕に時たま煌めく不可思議な緑の光こそがその証拠に違いなかった。


 そして、だからこそヴィルジールはせずにいた。

 シグルズが姿を現したのは歴史上において、帝国に亡国の危機が迫った時のみであり、侵略戦争に参加したという記録は残されていない。

 それを知っていたからこそ、今回の戦いでヴィルジールはシグルズへの対策は取っていないし、取る必要がないという結論に至っていたのだ。それはもはや軍議においても議題にすら上がっていなかったほどであった。


 とはいえ、事実として目の前にいるのは歴史に名を遺す傑物けつぶつ

 それが戦場に姿を見せたということはつまり、帝国の大将首を討った程度ではこの戦争は終わらない可能性すらあるということになってしまう。


 動揺の色を無理やり押し込めたヴィルジールの頬に汗が伝った。


 とそのとき、ヴィルジールが思考に気を裂いていたその一瞬が――狙われた。

 マティアスを大きく弾き飛ばした黒騎士が、その辺に落ちていた槍を器用に足で跳ね上げ、空中を回転するそれをがっしと掴む。すると黒騎士は、手にしたばかりの槍をその剛腕をもって投擲したのだった。


 王国支給の槍が、重力に逆らうかのごとき速度で真っすぐに放たれる。


「ヴィル⁉」

「――っ⁉」


 迫りくる槍を目で追うことしかできなかったヴィルジールは、失態を悔いる間もなく、己の胸に吸い込まれんとする槍にただ目を見開くことしか出来なかった。


 戦争の趨勢すうせいを左右するであろうその一投。


 しかし、それはヴィルジールの眼前にて打ち払われた――。

 天空より降り立った銀翼の少年の手によって。


「――間に合った?」

「あ……ああ」


 少年――エルネスの着ている皮の鎧は所々が燃え尽き、血に塗れている。いかにも激闘の後といった様子の彼に向けて、ヴィルジールは短い返事を返すのがやっとだった。


「俺……何すればいい?」


 その問いにヴィルジールは、「南の戦場はどうなったのか?」という質問を飲み込み、黒騎士の方を見遣った。


「あいつを、あの黒い騎士を――倒せ」

「わかった」


 エルネスは言葉少なにそう答えるや否や、地面が抉れるほどの勢いで飛び出した。


「――むっ⁉」


 エルネスの繰り出した神速の突きを受け止めて、黒騎士が驚きの声を上げる。

 その間にも、黒騎士の周囲の中空を泳ぎまわるかのような動きで金色の斬撃が放たれていた。

 その連撃を弾きながら、黒騎士がエルネスに話し掛ける。


「少しだけ話をしないか! 少年よ!」

「――なんで?」


 真顔でそう言ってのける少年にうら寒いものを感じながらも、黒騎士は緑に輝く両腕のプラーナの光を強めると、再び斬撃を受け止めた。


「そうすれば、戦わずとも戦争が終わるかもしれんぞ?」

「え?」


 戦って打ち倒すこと以外に解決の術を知らなかったエルネスは盛大に戸惑った。

 互いに打ち合う力を少しだけ緩めながらも話は続けられる。


「ローレンツという男を倒したか?」

「ローレンツ?」

「紫の長い髪をした男で、蜘蛛の精霊を所持している。得意な魔法は炎の魔法だそうだ。先程の紫の閃光は奴が放ったものだと思ったのだが――――違うか?」

「そいつなら多分…………殺した」


 その言葉の意味を正しく理解した黒騎士は、フルフェイスの兜の下でその目を細めた。


「そうか。ならばやはり、我らが戦う必要はもうないぞ? それとも私と戦い、戦争をさらに長引かせたいか?」


 自身では到底判断できない言葉を投げかけられて、エルネスが酷く面倒そうな表情を浮かべる。

 するとエルネスは、なんとももやもやした顔で自身の背後へと顎をしゃくったのだった。


「そんなの俺に言わないで、王子様に言ってよ」

「おお⁉ 確かに」


 エルネスの向こう側にチャリオットの上に立つ青年を認めた黒騎士は、激しい打ち合いの最中にもかかわらず兜を脱ぎ捨て――叫んだ。


「ランクロワ王国第二王子、ヴィルジール・コローナ・ランクロワ殿下と見受ける‼ こちらはシグルズ・グラム・ペントラム! 帝国軍総司令ローレンツの撃破を受け、こちらには和平交渉に応じる用意があることを伝えておく‼」


 そう言い放ったシグルズへ、激昂げっこうしたマティアスが切りかかった。


「貴様たちから戦争を仕掛けておいて何を勝手なことを⁉」


 しかし、死角から放たれたその斬撃はシグルズに易々と止められた。

 シグルズには反撃するつもりが無い様子だったが、それでもマティアスの怒りは収まらない。

 彼の怒りの矛先はついに、攻め手を緩めていたエルネスにまで向けられたのだった。


「お前も何を悠長ゆうちょうに話している⁉ さっさとこの男を――――」

「やめろ、マティアス‼」


 マティアスの言葉はヴィルジールの声に遮られた。


「ですが、この男を倒せば――!」

「私は止めろと言っている‼」


 ヴィルジールの怒声はマティアスのすぐ後ろから発されていた。

 その怒声を聞いてエルネスとマティアスの二人が剣を納めたその直後――ヴィルジールの率いて来た少数の部隊が円陣に展開し、戦場にシグルズを中心とした空隙くうげきを作り出した。


 そこに降り立ったヴィルジールはゆっくりと歩を進めると、シグルズを睨み据えるようにして問うた。


「今の貴様には、この戦いの指揮権が与えられていると考えていいのか?」

「うむ、その通りだ」

「ならば、一つだけこちらの問いに答えてもらおう」

「――構わない」

「貴様は今、誰に仕えている?」

「――‼」


 その問いを聞いてシグルズは目を丸くすると、「はっはっはっは!」と、豪快な笑い声を上げた。


 シグルズの置かれた状況をある程度推察できなければ、その問いを発すること自体が不可能であった。そのことからも、目の前の王子の推察がかなり正解に近いところにあると確信したシグルズの驚きようは凄まじかった。

 なぜなら、状況が確定したのは――――クラウス皇太子が、ガザン帝国皇帝アルマスを討ったのはつい今しがたのことなのだから。


 帝国城にいる己の精霊から見える光景から意識を戻し、シグルズは敵前であるにも関わらずにくつくつと笑う。

 少しして、笑いを腹に納めたシグルズが口を開いた。


「今の私が仕えるは、クラウス新皇帝ただ御一人だ! 新しき皇帝は和平を望んでおられるが、そちらの返答は如何に⁉」


 その問いにヴィルジールはしばらくの間、黙した。


 周囲の戦闘音だけが時間経過を知らせるようなその只中ただなかにあって、異常な速度で勘定を働かせていた彼のはじき出した答えは、一つだった。


「私は…………いや、我々は――――――」






 聖歴一七二〇年九月五日。


 この日、およそ一か月という短い期間に渡って続いた戦争は、戦場で交わされた口約束によって一時停戦するという異例の幕切れを見せた。

 そしてその後――同年九月二十日にデルプールで行われた交渉にて両国は休戦協定に同意。互いが講和に向けて意欲的な姿勢を見せたことで事実上の終戦と相成ったのである。

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