第23話

「九時の方角より敵重騎兵隊、千‼」

「方陣、左に旋回! 迎撃用意‼」


 新たな敵部隊の接近を確認して、第一近衛騎士隊の隊長であるジルベールが迅速に指示を飛ばす。ジルベールは皺の深いその顔をより険しいものにして、迫りくる騎兵へと厳しい視線を向けていた。


 重装騎兵による突撃を喰らえばこの部隊に大きな被害が出ることは確実。しかし、現状守りのかなめとなっている自分の部隊がここを離れてしまえば、高原の南方に広がる防衛線そのものが崩壊しかねない。

 だからこそジルベールには敵を迎え撃つ以外の選択肢が取れなかったのだ。

 悲壮な覚悟を胸に、ジルベールは帝国の重装騎兵たちが魔法の射程に入るその直前で右腕を高く振り上げた。


「攻撃魔法用意!」


 敵重騎兵隊の先頭が、魔法の射程範囲に入った。


 ――二秒。


 方陣中央付近にいる王国の魔法部隊、その精霊たちへと一斉に魔力が供給される。


 ――一秒。


 そして、ジルベールが右手を振り下ろし、号令を叫ばんとしたその瞬間――。


 ――零。


 風を切る音を置き去りにして、上空から銀色の何かが降ってきた。



 ズドオオオオオォォォオン‼



 重騎兵隊と近衛騎士隊のちょうど中間地点に落ちて来たそれは、途轍とてつもない衝撃音と共に土煙を高らかと巻き上げた。


「――は?」


 と、そんな間の抜けた声を上げたのは誰であったか。

 突撃を止めて土煙を前に停止していた帝国の重騎兵たちが、煙の中に薄らと見える銀色の何かを警戒して隊列を組み変える。すると、その隊列の間から豪奢な馬鎧を装備した二頭の軍馬が隊列の前に進み出た。


 その馬を操るは、帝国の重装騎兵隊の隊長と総司令官の二人である。


「ローレンツ殿、司令である貴方に進んで前に出られてしまうと困ります」

「それは申し訳ありません。何事も自分で物事を見定めたい性分でしてね」


 ローレンツはまったく反省の色など見せずにそう返すと、重騎士隊隊長ロドルフの方をちらりと振り返った。


「それに……万が一私が倒されたとしても、アナタ方なら私のオーバルを持ち帰ることも容易いはずでしょう?」

「それはそうですが――」

「ならば、何も問題はありませんね」


 王国兵がなぜか魔法を撃ってこないことからも、この煙の中にいる存在はそれほどまでに重要なナニカである可能性が高い。

 そう考えて、煙が晴れるのを余裕綽綽といった様子で待っていたローレンツであったが、土煙の中に見えたソレを認識した途端その表情を一変させた。


「星を宿した瞳⁉ そんなはずは……」


 土埃の中にいても分かる瞳の奥の白銀の煌めき。

 それは、二千年以上前に実在した神話の時代を生きたとされる、とある一族の証である。






 神話の時代――『エデン』と呼ばれる、神々がまだ地上にいたとされるその時代において、人間種という存在は大別して二つの派閥に分かれていた。

 神々に依存する者と、しない者。

 人々がこれらふたつに分かれた要因は、神と呼ばれる人智を超えた存在が超常的な力を持っていたことと、そしてある一柱の神が考案した『加護』と呼ばれるシステムにこそあった。


 『加護』――それは、『神への祈り』を対価に『力』を授けるというもの。


 これによって、神を神たらしめんとする力の源である人々の『祈り』や『願い』を必要とする神々と、その庇護下に入ることで恩恵となる『力』を享受したい人々との間で互助関係が生まれることとなった。

 このとき、人間に限らずエルフやドワーフ、マーメイド、果てはオブアニマといわれる獣人族に至るまで、多くの人間種が加護をその身に宿すようになった。

 もちろん神々の加護は神の数だけ存在していたが、人々が有用な加護を求めてそれに群がるようになった結果、一柱の神を中心としたコロニーがいくつも誕生していったのだ。


 そうして、人と神との関係が神を頂点としたピラミッド型になるのにもそう時間はかからなかった。時間が経つにつれ、それはもはや互助関係とは言い難いものへと姿を変え、依存関係に近いものへと変化していったのである。


 しかし、それを良しとしなかった者達も存在した。


『人が世に生まれ落つるは、神に祈るのみに在らず。我ら、人が人たらしむる理由を欲せり』


 とある一族は、人が人として創造されたことには意味があると信じていた。と同時に彼らは、人間種の存在意義が人間族以外の他種族にも可能である『祈り』には存在しないと断じてもいたのだ。


 ところが、まだ世界に魔力というものが存在しなかった神代という時代において、加護を持たない彼らがコロニーから離れて生きていくのには限界があった。

 結局のところ、彼らは生きるために神に教えを請うこととなったのである。

 それも、人々に加護を与える必要もないほどに強大な力を持った、孤高の一柱たる――――竜神に。


 その結果生まれたとされる人外の域に達した存在。

 竜神の住処を守り、暴力の化身へと成り下がった悪竜を殺す者達。

 それこそが、竜守の一族である。


 また、そんな竜守の一族は神話の時代の終焉に起きた『楽園の黄昏』と共にその姿を消したとされている。

 そのことを知識として知っていたローレンツの驚愕は凄まじかった。


「――ありえない」

「……何がですか?」


 困惑するジルベールの問いを、ローレンツは聞く余裕が無かった。

 なにせそもそもがおかしいのだ。言い伝えの通りならば、竜守の一族は全員が死んでいるはずなのだから。


「白銀の悪魔と戦う時は、百回死ぬ覚悟を決めよ――」


 突然そう呟いたローレンツは馬から降り、煙の晴れたその地へと足を踏み出す。


 ローレンツの視線の先で、『みんな頭に何か被ってるから、髪の色とか分かんないじゃん』などと、ぶつくさ言いながら周囲をきょろきょろと見回していたエルネスの眼が、ある一点で止まった。


「紫の髪のカッコいいテイコクタイショウ……って、アンタであってる?」

「ええ、そうですね。カッコいいかは知りませんが」

「ん? カッコいいと思うけど?」

「それはそれは、ありがとうございます。ところで――」

「なに?」

「君のご家族はどうしているか伺っても?」

「なんでそんなこと聞きたいんだ?」

「いえ……少々気になったもので」


 目の前の少年がくみしやすそうだと感じていたローレンツは、まるで世間話でもするかのように情報を聞き出そうとしていたのである。しかしその時、ある違和感に気づいたエルネスが突然その目つきを険しいものへと変えた。


「聞きたいことがあるとか言っといて……もうやるの?」

「――何のことです?」


 堂々としらばっくれてみせるローレンツ。

 それを受けてエルネスは、自身の背後に回り込もうとしていた足元のソレにちらりと視線を遣った。

 そこにいたのは、紫色の小さな蜘蛛の群れ。

 その精霊から流れる力の源が目の前の男のモノであると看破していたエルネスは、むすっとした顔で言い放った。


「卑怯なことはよくないって、爺ちゃんが言ってたぞ」

「君には解らないでしょうが……どんなことをしても、勝たねばならぬ時があるのですよ」

「ふーん……それが今?」

「そうです――ねっ‼」


 エルネスが臨戦態勢に入り、背中の翼を大きく広げた瞬間――その足元から爆炎が吹き上がった。

 その爆炎を翼で散らし、エルネスはローレンツへ向けて真っすぐに飛び出す。


「総司令殿! 我々は如何すれば⁉」

「そこを動かないでください!」


 重騎士隊の隊長へと酷く煩わしそうに言葉を返したローレンツは、すぐに目の前の少年へと意識を集中させると、腰元から剣を引き抜いた。


「アナタたちでは足手纏あしでまといです!」

「――なっ⁉」


 背中から銀色の翼を生やした珍妙な恰好をしてはいるが、相手はたかが少年一人。そう考えて指示を仰いだつもりであったロドルフは、自分たちが軽んじられたと感じて苦言を返そうとした。

 しかし、結局彼の口から声は発せられなかった。

 目の前で繰り広げられる戦いに目を奪われてしまったからである。


「はっ!」


 真っすぐに突っ込んで来たエルネスへと、ローレンツが魔剣を振り下ろす。

 その斬撃をエルネスは体をローリングさせ、すれすれで躱してみせた。

 顔の前を斬撃が通り過ぎた直後、エルネスがローレンツの顔面へと蹴りを繰り出す。

 それをローレンツは屈んで避けた。


 ローレンツのふわりと舞い上がった紫の髪が重力に引かれて落ち切る前に、エルネスが体を斜めに捩じるようにして踵落としを放つ。

 しかもそれは、銀色のオーラのようなものを纏わせた一撃であった。


 銀色のオーラ――『プラーナ』を纏ったその蹴りを、ローレンツはギリギリまで引き付けてから、後ろへと飛び退いて躱した。そのついでに、エルネスが着地しようとしている先に子蜘蛛の精霊を使って描いた魔法陣を残して――。


「――ん?」

「フレイム・ピラー‼」


 ローレンツの言葉に、子蜘蛛たちがその姿を紫色の炎に変えた。

 直後、魔法陣から発生した炎がエルネスを飲み込まんと勢いよく吹き上がる。


「げっ⁉」


 間一髪のところで、銀色に輝く足を後ろに蹴り出したエルネスが、空気を蹴った反動で前方に跳躍することでそれを回避した。

 ところが、エルネスが逃げた先はローレンツの間合いの中だった。


 体勢を崩し、空中で両足が伸び切った状態となっていたエルネス。その顔に焦りを浮かべていた少年へと、ローレンツの狙いすました横薙ぎの一撃が放たれる。


「――シッ‼」


 上下に回避するのは間に合わない。

 そう判断したエルネスは、両手にプラーナを纏わせて魔剣の刃を受け止めた。

 と同時に、彼の手に痛みが走った。


「いったぁ⁉」


 痛みに驚きながらその場から大きく後ろへと飛んだエルネスは、左手が浅く切り裂かれているのを見て、困惑した表情を浮かべていた。


「――ってあれ? なんで?」

「ん?」


 距離が開いたことで互いにその動きを止める両者。

 エルネスは何故か困惑している様子であり、明らかな隙を晒していたが、ローレンツは無暗に切りかかることはなかった。


 それはローレンツが今すぐに攻撃を仕掛けることよりも戦闘中に感じていた違和感を探ることの方が重要であると判断していたためである。

 というのも、ローレンツは目の前の少年の力量を計りかねていたのだ。


『楽園の黄昏』の直後に訪れた戦乱の時代――暗黒時代と呼ばれる時代を生きていたローレンツは、その数えきれないほどの戦闘経験から彼我の実力差を把握することに長けている。

 しかしそんな彼であっても、神話の時代――魔法の無いその時代の戦いは知らなかったのだ。知りはしなかったが、ローレンツは目の前の少年の戦闘力が伝承よりも弱いと感じていたのである。

 その弱さが彼の若さからくる未熟さ故のものなのかもしれない、と一度は結論づけようともしたものの、ローレンツにはどうにも納得ができなかったのだ。


 自分がそう感じたのは、戦いの中のどこにあったのか?

 少年の出方を伺いながら、ローレンツの思考は加速し――。

 そして、見つけた。違和感の正体を。


 それは少年が傷を負ったことに驚いていた場面にあった。あの時の少年の驚き様は、まるで『傷がつくことはあり得ない』とでも思っていたかのよう。

 常人であれば、魔剣の一撃を素手で受け止めようなどとは考えないし、ましてや出来ない。少年の反応からしても、魔剣でなければ傷つけることは出来なかったのであろう。

 いや、魔剣だから傷つけることが出来たとすればどうだろうか?

 普通の剣と魔剣との大きな違いは、その刀身に魔力を宿しているか否かである。


 とすれば少年が纏っている銀色の力は、魔力によって何かしらの影響を受けていたと考えるのが自然ではないか。


 そこからまた一段ローレンツの思考は進み、そして――笑みを浮かべた。

 ――嗚呼、未知なる敵を前にして、思考を巡らせられることのなんと甘美なことか。

 久しく感じていなかったそれに、ローレンツは胸を躍らせる。

 だがそれを見て、エルネスがさも不快だといったように眉をひそめた。


「なに笑ってんの?」

「いえ――つい、楽しくて」

「……楽しい?」

「アナタは、戦いに喜びを見出したりはしないのですか?」

「戦いは……日課? な感じだったし、アンタが何を聞きたいのかよくわかんない」

「日課……ですか?」


 予想外の回答が返ってきたことにローレンツはその内心で多少驚くも、ピクリと眉を動かすだけに留めた。

 そんな彼に向けてエルネスはキョトンとした表情を浮かべ、質問を返す。


「え? だって……戦いは竜の神様に捧げるモノだろ? 何言ってるんだ?」


 エルネスのその台詞は、明らかに現在を生きる者達には理解できない異質なものであった。それを聞いた周囲の者達は敵味方関係なく、得体のしれないナニカを見るような視線を少年に向ける。

 この場でエルネスの言葉の意味を多少なりとも理解できたのはローレンツだけであった。知的好奇心が満たされたことに喜びを感じていた彼は、何かに納得したように頷いてみせる。


「竜守の一族はそうなのですね」

「え? それって――」


 エルネスが何かを聞き返そうとしたその時、ローレンツの背中の大蜘蛛が蠢いた。精霊からの準備完了の合図を受けて、ローレンツがとある魔法を発動する。


「スパイダー・レイン!」


 遥か上空から降り注ぐ、子蜘蛛の群れ。

 それは先程の攻防の中で、火柱を上げた時に仕掛けておいたものだ。


 そして、エルネスが上空を確認する頃にはすでローレンツは動き始めていた。

 その紫の長髪を靡かせながらローレンツは二歩でエルネスとの間合いを詰めると、たっぷりと魔力を注ぎ込んだ魔剣を振り上げた。


 魔力を注いだとしても魔剣の切れ味が別段上がるというわけではなく、無駄に魔力を消費するだけである。だが、それでも試してみる価値があるとローレンツは判断し、実行した。


「――はッ!」


 紫色の光を帯びた斬撃。

 それに何か嫌なものを感じたエルネスは上空に逃げることを選んでいた。

 子蜘蛛くらいなら風で吹き散らしてしまえばいい。

 そう考えて大きくジャンプしたエルネスであったが、それは失敗だった。

 ローレンツが天に向けてその手を翳したその瞬間――エルネスの直感が上空にさらなる不快なものが集まっているのを察知したのである。


「スパイダー・ウェブ!」


 上空に散っている子蜘蛛達を繋いで作られた巨大な蜘蛛の巣が、エルネスの進路を塞ぐようにドーム状に幾層も展開されていく――。


「やば――⁉」


 さらにローレンツがその手を閉じれば、蜘蛛の巣は渦を巻くように捻じれ始め――エルネスを包み込むように落下し始めた。


 蜘蛛の巣を突破するか、それとも敵将に突貫を仕掛けるか。

 そんな二択を迫られたエルネスの顔には、はっきりと焦りの色が浮かんでいる。

 なぜなら、エルネスは数手先を読むような戦いを苦手としていたのである。しかも、その相手が実力の拮抗した戦士となればなおさらのこと。


 だからこそ、エルネスは頭上の蜘蛛の巣の突破を選択した。

 少しでもローレンツから距離を取ることで、立て直しを図りたかったのだ。

 両手に銀色の光を纏わせたエルネスは、幾層にも重なった蜘蛛の巣を切り裂き切り裂き、真っすぐに太陽の輝く上空を目指す。


「熱っ!」


 バラバラになって宙に漂う赤紫色の蜘蛛の糸の切れ端がエルネスの肌に触れる度に、そこに確かな焼き痕をつけていった。

 そうして、やっとのことで数十個にも及ぶ蜘蛛の巣の全てを突破した時のエルネスの姿は、どう見ても満身創痍といった有様であった。


 魔獣の革を使用したレザー装備には、その表面にはいくつもの蚯蚓みみずがのたくった様な焦げ跡がつき、赤く変色した彼の両手には線状の痕のようなものができている。


「やはり――」


 私の魔法は、竜守の一族の力を突破しうる。エルネスの様子をつぶさに観察していたローレンツが目を細めて呟いた。

 対してエルネスは悔し気にその表情を歪め、眼下に佇む優男を睨む。


 とその時、ちらりと西側の戦場がエルネスの目に入った。

 第二王子がいるであろう本陣の中心付近に異常なナニカが近づいているのを察知して、エルネスが悔し気に表情を歪めた。


 早く目の前の男を倒して加勢に行かなければマズいかもしれない。

 でも、目の前の危険な男を放っておくことも出来ない。

 いくつものジレンマを抱えていたエルネスの思考についに限界が訪れた。


 中空からローレンツを見下ろしてぎりりと奥歯を噛み締めたエルネス。冷静さを欠いた彼の直感が選んだのは敵将への無謀なる突撃だった。

 一秒でも早くケリをつけようと、エルネスが大きく翼を羽ばたかせたその時――。


「だめっ‼」


 エルネスの頭にリアナの声が響いた。

 悲し気でどこか苦しそうなその声にハッとして、エルネスは急停止する。


「リアナ?」


 そう呟いて王都の城壁の方を見遣ったエルネスは、焼け爛れた自分の手に視線を落としたのだった。


「そっか…………俺が痛いとリアナも痛いのか」


 しばらくの間そうして中空に留まっていたエルネスは、地上にいるローレンツへと視線を合わせると、何かを決意したような表情を浮かべた。


「あんたの言う通りかもしれない」


 どんなことをしても、勝たなきゃ。

 エルネスが自身の胸に赤く腫れた右手を当てる。


『ごめんみんな…………約束、破るわ』


 そう言うとエルネスは、拒絶していたチカラをついにその身に受け入れた――それは、パスを通じて送られていたリアナ・アンテマリアの『祈りの力』である。


 竜守の一族である彼らが、忌み嫌っていた神々の力をその身に宿す行為。

 加護を利用するに等しいその行為をエルネスが自らの意思で受け入れるということは、それはある種の『過去』との決別に等しく、またリアナ・アンテマリアの精霊として生きる『今』を受け入れるという行為に等しかった。


 パスから流れ込んでくる膨大なチカラ。

 それにエルネスが意識を集中させれば、チカラの使い方は頭にスッと入って来た。

 頭に描かれるイメージのままにエルネスは右手を前へ突き出す。


『我在るは己が魂の半身に、勝利を捧ぐ事と見つけたり!』


 すると次の瞬間、彼の手から黄金の光が発せられた。

 その光を目撃した途端、ローレンツが目を見開く。


「一体、何の冗談だ……」


 エルネスの居る場所が魔法の射程範囲外であるため、ローレンツを含め地上にいる者達は皆その光景をただ見守ることしか出来ない。その間にも黄金の光りは激しさを増していき――そしてついに、中空に金色の円陣が出現した。


『敵を滅する竜の牙をここに! 撃滅剣――ラグナロク‼』


 エルネスが円陣に手を突っ込むのと同時に、彼の全身が金色の光に飲み込まれる。

 そして光が収まった時には、彼はその両手に恐ろしいほどの存在感を放つ白銀の刃を握っていた。

 その形状は、『ジャマダハル』と呼ばれる武器の形に酷似していた。


「あ……前に使ってたのと同じやつ」


 そう呟きながら、エルネスは武器の握り心地を確認する。チカラを込めれば、何かの生き物の牙のような形をした銀色の刀身を、金色のオーラの刃が覆った。


 その確認が終わると、エルネスはすぐに地上にいるローレンツへと狙いを定め、再び急降下を開始する。さらにエルネスは、体の内から湧き上がってくる全能感に身を任せ、落下速度にチカラによる加速度を追加した。

 その速度は音速を容易く超え、コンマ一秒でローレンツの目の前に到達した――。


「しまっ――⁉」


 中空に金色の残滓を残しながら迫る少年の、刺突による一撃。

 心臓を狙ったそれをローレンツは咄嗟に魔剣の腹で受ける。

 瞬間、彼が長年愛用していた魔剣が硬質な音を立て、真っ二つに砕けた。


 そのことを嘆く暇もなく、反対の手から放たれたエルネスの二撃目の突きを、ローレンツは半分になった魔剣による突き技で応じ――。


 金色の剣閃と紫色の剣閃が激突した。


 魔剣に大量に魔力を流していたことが功を奏し、ローレンツは黄金の刃の二撃目を受けきることに成功していた。

 しかし、それでもエルネスの勢いは止まらない。


 エルネスは受け止められた方の腕にさらに力を籠めて、ローレンツの魔剣を真っすぐに押し戻す。そして、ある程度まで押し返したところで背中の翼を折りたたんだエルネスは、独楽こまのように高速に回転することでさらなる連撃を繰り出した。


 エルネスが二撃目を放ってから回転攻撃を繰り出すまでに要した時間は実に一秒にも満たない。その時間間隔が狂ったような早業にローレンツは防御に徹することしか出来なかった。

 一合いまた一合いとエルネスの剣を捌く度に、魔剣の刀身が削れていく。

 黒色の金属片と共に、紫の魔力の光が火花のように宙に散っていった。


「ぐっ⁉」


 エルネスの動きを妨害せんとしてローレンツの背中から放たれた蜘蛛の糸。

 それが一瞬にして切り刻まれ、散り散りになっていく。

 自分の戦闘技術が通用しない、圧倒的なチカラ。

 エルネスの全身全霊の攻撃をその身に感じていたローレンツは畏怖を覚え、そして感動していた。


 これが伝説のあるべき姿なのか――と。


 先ほどまでとは比べ物にならない暴力に晒されながら、ローレンツは今までにないほどに自分の心が沸き立つのを感じていた。

 戦争の勝敗を分けるものとなるだろうこの戦い。歴史に刻まれるであろうこの大戦の、その中心にいられることの喜びが分からぬ者が武人であろうはずがない。


 勝利への渇望はここにいる誰よりも強いと自負しているローレンツが、「なればこそ、この戦いに勝たねばならぬ」と、己を奮い立たせる。


 失う苦しみを幾百と味わってきた男が――――吼えた。


「――オオオオオオォォォォ‼」


 ローレンツの精神状態に呼応して、全身から赤紫の魔力がほとばしる。

 濃い赤紫の光を纏うボロボロの魔剣。

 それが、エルネスの斬撃をしっかりと受け止めた。受け止めることが出来た。

 その一瞬の間に、ローレンツが金色の刃を真上に跳ね上げる。

 それによって生まれた、エルネスが体勢を立て直すまでの隙。

 それは隙と呼ぶにはあまりにも短い時間であったが、ローレンツにはそれで十分だった。


 己の左足を濃い赤紫に輝かせ、ローレンツがエルネスの胴体目がけて高速の蹴りを放つ――。

 それに反応したエルネスが、翼をピッタリと折りたたみさらに回転半径を小さくして、その蹴りに蹴りを合わせにいった。


「「――はっ‼」」


 互いの掛け声が重なった瞬間、戦場に鉱石同士が激突したかのような耳をつんざく音が鳴り響いた。


 果たして――地面に膝を突いたのはローレンツだった。

 彼の左足はグリーブから先が無残に折れ曲がり、変形している。

 それでもまだ、ローレンツの目には諦めの色は存在しなかった。

 なぜならエルネスを吹き飛ばし、距離を稼ぐことに成功していたからである。


 切り札を切るならば、この一瞬しかなかった。

 ローレンツは自身の背後に左手を向けて、叫ぶ。


「スパイダー・ウェブ‼」


 狙うは、戦いを見物しているだけの帝国の重騎士隊。

 魔法陣から放たれた蜘蛛の糸が、彼ら全員の体に巻き付いていく。


「これは一体何の真似で――⁉」

「魔力を寄越せっ‼」

「――は⁉」

「四の五の言わずにお前たちの全魔力を私に寄越せっ‼」

「は、はっ‼」


 一度だけ背後を振り向いた時に見せたローレンツの鬼気迫るその表情。そして、有無を言わさぬほどの覇気を帯びたその叫びに、ロドルフたち重騎士隊は一も二もなく従ったのだった。

 するとすぐに、蜘蛛の糸を通してローレンツの背中にいる大蜘蛛のもとに魔力が集まりだした。


 蜘蛛の糸を通して注がれる、無数の色に輝く魔力。

 その魔力を、ローレンツの背中にいる赤紫の大蜘蛛が食らっていた。

 通常であれば他人の魔力を利用することは出来ないが、ローレンツの精霊が持つ魔獣特性がそれを可能にしていたのである。

 変圧器のような役割を果たす大蜘蛛から膨大な魔力を受け取ると、ローレンツは地に膝を突いたままその右手をエルネスへと向けた。


死神の炎フランマ・デ・モルス‼』


 そう唱えたローレンツの眼前に、実に千人分の魔力を集約させた巨大な紫の魔法陣が出現する。

 精霊を介さずに形作られる特殊な魔法陣。

 そこから、閃光と呼ぶに相応しい膨大なエネルギーの奔流が放たれた。


 プラズマと化した魔素子が一瞬にして大気を膨張させ、雷のような轟音を響かせる。

 そして、死をもたらすがごとき紫の閃光がエルネスを飲み込むその刹那――。

 エルネスはあろうことか、真っ向からそれを迎え撃った。


破滅の金色アウルム・デ・パニッシュ‼』


 それも、赤紫を金色で塗りつぶしながら――――。



 エルネスの背後に散った紫色の閃光の残滓ざんしが、遠くの空にたなびく雲を消し飛ばす。



 その間にも、金色が猛然と赤紫の奔流の中を進んでいく。



 次の瞬間、紫の光の奔流の中で金色の刃が閃いた。



 魔法陣が切り裂かれ、その機能を保てなくなった部分から余剰魔力が溢れ出す。



 途端に、魔力の煌めきが戦場を包み込んだ。



 再び金色の刃が閃き、ローレンツの右腕を切り飛ばす。



 魔剣を掴んだままの右腕が、紫に煌めく空間を舞った。



 そして、無手となったローレンツに金光の刃の突きが放たれ――――。



 その一撃はあやまたずにローレンツの心臓を破壊した。



 リュテイアの加護諸共――――。






 ローレンツの体がぐにゃりと脱力し、その場にゆっくりと仰向けに倒れた。どこか満足げな笑みを浮かべた彼のその表情は固定され、一点を見つめ続けている。


 その有様を見て、ローレンツが即死していることを理解できぬ者はこの場にはいない。しかし同時に、死した人間がオーバルに変化しないという現実を受け入れられる者も存在しなかった。


「あ……あ…………悪魔だ」

「――ん?」


 声のする方を探してエルネスがぐるりとあたりを見渡せば、その視線の先にいた兵士たちが皆一様に震え上がった。

 すると、その視線に耐えきれなくなった者から一目散に逃げ出し始めた。

 それも――敵味方問わず。

 結果として、戦場にエルネスを中心とした大きな空白地帯が出現することとなったのである。

 ところが、その状況を作った本人にはそれをさして気に留めた様子は無かった。

 エルネスは小さく小首をかしげると、恐慌状態に陥っている兵士らを余所にヴィルジールのもとへと飛び立っていったのである。

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