第22話

「……何だ、こいつは?」


 ヴィルジールが突如として現れた誤算の原因を睨みつけてそう零した。


 彼の視線の先にいるのは、全身が真っ黒なフルプレートアーマーに覆われた巨漢の騎士。

 鋼鉄を容易く貫通するとされる魔導武器の攻撃をものともしていないその存在が巨大な槍を振り回すたび、人間が冗談のように宙を舞う。

 まさに人外の所業であるそれは、ヴィルジールの目と鼻の先――高原西部の後方に展開していたランクロワ国軍の本陣にて行われていたのだった。


 なぜこのような事態に陥っているのか?

 それは、黒騎士が率いる部隊に本陣の後背を襲撃されたからであり、彼らの進撃をマティアスが率いる第二近衛騎士隊でしか止められなかったことが原因である。


 ヴィルジールを狙って進軍する黒騎士らを止めるまでにすでに千近くの魔導武器が破壊され――その結果、高原の西部に展開していた帝国軍五万とランクロワ国軍十万の戦闘は、開戦当初の優位を失い、もはや劣勢と言っていい状況に陥っていた。


 刻一刻と変化する戦場に目を遣り、指示を出していたヴィルジール。

 そんな彼の思考の回転を、伝令兵の報告が阻害する。


「王都内で帝国兵が確認された模様‼ 既に戦闘が行われていると‼」

「――なに⁉」


 他の戦場から敵兵の突破を許したという報告は聞いていない。

 ――ならば、一体どこから?

 ヴィルジールが王都を振り返ったその時、王都の城壁の向こうに真紅の炎が立ち昇った。






 ◇ ◇ ◇






 王都にて戦闘が確認される数時間前――。

 王都ルシアスの地下に下水道を進む集団の姿があった。

 悪臭漂う真っ暗な下水道の通路を進むのは、粗野そやでみすぼらしい恰好をした、真っ当な生き方をしているようには見えない者達。

 その先頭で、彼らを束ねる首領の男がほくそ笑む。


「まさに勝ち馬に乗るとはこのことだ……お前もそう思うだろ?」


 首領が話しかけたのは、隣にいたグレーアッシュの髪をした大柄な少年であった。


「……あ、ああ」


 そんな二人のやり取りを、帝国の鎧を身に纏った男が遮った。


「無駄話は勘弁願いたい。敵に見つかる可能性がある」

「はいはい……ったく帝国兵様はお堅えな」


 首領である痩せぎすの男は面倒臭そうに帝国の指揮官を見ると、その視線をならず者たちの後方を進む五百の帝国兵へと向けた。


 彼らが目指しているのは、王都の東にある小さな教会の裏に存在するとされる下水道の出口。そこが彼らが潜伏してした小王都と呼ばれる場所から最も近い、地下からの脱出口である。

 小王都とは王都シルアスの東部を流れる川、ニール川のそのさらに東に広がる王都の一部のことを指し、現在帝国兵を連れて下水道を案内しているならず者たちは、この小王都のスラムの出身だった。


 しばらく歩き、水路の出口の階段が近づいたあたりで首領の男が隣にいた少年の背を押した。


「おら、先に行け」


 少年がたたらを踏んだ拍子に、手に持っていたランプの光が揺らぐ。


「お……俺が?」

「そうだ、お前が先に行って警備兵どもの気を引け。殺せるなら殺しとけよ? 騎士学校生なら怪しまれずに済むだろうからな…………ああ、元騎士学校生だったか?」


 馬鹿にするように首領の男にそう言われても、少年――リーザルは一切態度を変える様子はなく、怯えに表情を引き攣らせたまま頷いた。


 どうしてこんな目に合わなきゃならないんだ、などと内心でぼやきながらもリーザルは階段へ向かう。

 そして、急な造りのその階段を上り切ったリーザルは、すぐ目の前にあった分厚い木製の扉をドンドンと叩いたのだった。


「開けてくれ! 誰かいないか!」

「……誰だ?」


 扉の向こうから聞こえるくぐもった男の声に、リーザルが間髪入れずに答える。


「騎士学校生だ! 下水道の哨戒任務中に班員が負傷した! 手を貸してくれ!」


 すると、扉の向こうで何やらガチャガチャと音が鳴り始め、それから間もなくして扉が開かれた。


「何があった⁉」

「場所はどこだ?」


 声を掛けてきたのは警備兵の男が二人。


「こっちだ! ついて来てくれ!」


 そう言ってリーザルが急いで階段を引き返すと、彼の焦った様子を見た警備兵たちがそのすぐ後ろを追ってきた。

 彼らにリーザルを疑う様子は一切ない。

 もちろんそれは、リーザルが騎士学校の制服を着ていたことが原因である。


 少しして、三人が階下にたどり着いたその時――――暗闇から銀閃が飛んだ。

 音もなく放たれたレイピアの突きが、警備兵たちの喉元へと吸い込まれていく。


「ぐっ⁉」


 完璧な不意打ち。

 それを事も無げにやって見せたのは首領の男であった。

 警備兵たちは抵抗らしい抵抗をする間もなくその場に崩れ落ちると、オーバルへと変化した。下水道の通路の上に転がる二つのオーバル。それを見るなり、首領の男はオーバルを二つとも蹴り飛ばして、下水の底に沈めてしまうのだった。


 リーザルが呆気に取られて固まっていると、階段の前で固まっている彼の腰のあたりを首領の男が乱暴に蹴りつけた。


「おら、さっさと動け」

「は、はい……」


 リーザルは萎縮しながら返事を返すと、黙って首領の後ろをついていった。

 出口の扉の先にあったのは、赤いレンガに囲われた小さな空間。

 空間の内部にはレンガ造りのアーチが並び、その先に設けられている柵の向こう側には裏通りが通っているのが見える。

 そこに出た途端に、首領の男が後ろを振り返った。


「指揮官さんよ、野戦病院を襲った後は俺たちの好きにして構わないんだよな?」


 卑しい笑みを湛えながらの首領の言葉に、帝国の指揮官はその表情に不快さを隠さずに答えた。


「……ああ、そうだ。案内ご苦労だった」


 そう言うと、指揮官の男はすぐに兵士を率いてその場を離れていく。

 帝国兵の一団が路地裏に消えていったのを見て、ああやはり王国に勝ち目はないなとほくそ笑んだ首領の男は、子分たちに上機嫌に顎をしゃくってから王都の西区を目指して歩き出したのだった。


 首領の後ろを歩くならず者たちが三百人。

 彼らはこれから行う略奪によって得られるであろう戦利品を思い描いて、それぞれの顔に薄ら笑いを浮かべていた。






 ◇ ◇ ◇






「ったくよ……こんな別嬪ぺっぴんさんに世話してもらえるなんて、俺たちはついてるな」

「だよな。おかげで傷の治りも早まるってなもんよ」


 軽口を叩いているのは、二十代前半くらいの負傷兵の二人。

 そんな彼ら二人の包帯の交換を行っていたミラベルが、呆れたように言った。


「そんなに元気なら、早く傷を治して帝国兵をやっつけてきなさいよ」


 彼女の少々きつめの物言いに、男たちは小さく肩をすくめる。


「無茶言わないでくれよ」

「嬢ちゃんたちの誰かが嫁に来てくれるって言うんなら、そんくらいできるかもな」

「はっはっは! 違いない!」

「……冗談もほどほどにしなさい」


 男共の言葉にミラベルは目を細めると、想像するのもおぞましいというように体を震わせてみせた。

 ミラベルに相手にされなかったことに関しては、男共はあまり気にしていない。というのも、彼らの言う「嬢ちゃんたちの誰か」の中に残念なことにミラベルは含まれていないからである。


 包帯の交換を終えて、洗い場に持って行こうとミラベルが立ち上がったちょうどその時、入り口の方から怒鳴り声がした。


「おい! なんだ、お前たち⁉」


 一触即発という雰囲気の警備兵の声。

 それが発せられてから間もなくして、一人の警備兵が野戦病院の中に駆け込んで来た。


「逃げろ! 敵襲だっ!」

「うるせえよ!」


 声と共に警備兵の背後に現れたのは、肉達磨のような姿をしたスキンヘッドの男。

 その男は警備兵の首根っこを後ろから腕で締め上げるなり、胸のプレートの下からナイフを突き入れた。


「があっ⁉」


 警備兵の絶叫を余所に、賊の男は深々と刺し込んだナイフをぐりぐりと動かしながら、自身の背後にいる者達へ指示を飛ばす。


「野郎どもは全員殺せ! 女は持ち帰るぞ!」


 指示を受けて、男の後ろから五十人近くの武装した男たちが雪崩れ込んだ。

 するとその時、包帯を手にしたまま呆然としていたミラベルの肩を、負傷兵の一人が揺さぶった。


「ボーっとしてねえで、逃げろ! 早く!」


 そう言われてハッと我を取り戻したミラベルはすぐさま倉庫の裏口へ走り、先に裏口から脱出せんとしていた学園生達の後ろに続いた。


「嬢ちゃんたちを守れぇ‼」


 その声にちらりと後ろを振り返ったミラベルの目には、傷だらけの体で賊に立ち向かう負傷兵たちの姿が映っていた。






 王都でいま最も強固な場所とされるランクロワ王立学園を目指して、医療兵を先頭に五十名以上の学園生が路地裏の入り組んだ道を走る。

 そして、学園生達が王立学園のある北区へと差し掛かったその時――その集団の最後尾にいたミラベルが突然何かに足を取られた。


「きゃっ⁉」


 脇道から伸ばされた何かに蹴躓いて、盛大にすっころぶミラベル。

 彼女の悲鳴に足を止めた学園生は何人かいたものの、なぜか学園生達はミラベルの背後を見るなり次々に青い顔をして逃げ出してしまう。

 急いで体を起こし、同じように背後を振り返ったミラベルの顔から血の気が引いていった。

 すぐ後ろから十人ほどの賊の男達が追って来ていたのだ。


「……そんな」


 座り込んだままのミラベルの口から失意の声が漏れる。

 と同時に、脇道から片足を延ばしていた男を見つけて、ミラベルがその男をキッと睨みつけた。


「貴方のせいで――!」

「はっ――」


 その男は、ミラベルの怒気など意にも介さずに笑っていた。

 人相が悪くひょろりとしているその男は、見るからに平民であるといったような身なりで、おまけに装備している防具は安っぽく、目立つのは腰に差しているレイピアくらいしかない。


 そんな貧相な身形をした男に見下されたという事実に、現状を正しく認識することが出来ていなかったミラベルは、愚かにも激昂した。


「野党から私を守りなさい! この下民が‼」


 彼女は今にもここへ迫ろうとしている賊の男共を指さすと、目の前の貧相な男に向けてそう命令したのである。


「あぁ?」


 すると、男の口から苛立たし気な声が漏れた。

 その男は不愉快そうに目を細め、ミラベルへとゆっくりとした足取りで近づいていく。

 そうして男はミラベルの前で立ち止まるや否や――彼女の顔を躊躇なく殴り飛ばしたのだった。


「……え?」


 痛む頬を押さえ、呆けたように男を見上げるミラベル。

 そんな彼女のすぐ横を賊の集団が通り過ぎていく。

 その間にもミラベルに対して苛立たし気な視線を遣っていたその男は、ミラベルのダークブロンドの髪を乱暴に掴み上げた。


「痛っ⁉」

「残念だったなぁ……」


 そう言いながら男はミラベルの顎をガッと掴むと、凶暴な顔を近づける。


「俺はお前らをなぶりに来たんだよぉ‼」


 至近距離で放たれた男のドスの利いた台詞に、ミラベルのレッドアンバーの瞳が怯えに揺れた。

 このとき、ようやく彼女は理解したのだ。目の前の男が敵だということを。


「誰か――」


 咄嗟に誰かに助けを求めようとして視線を彷徨わせるミラベルであったが、学園生の集団はすでに道から姿を消していた。

 途端に体が恐怖にすくみ、ミラベルの視界に涙がにじむ。


「あ……ああ……」


 声を上げて絶望の表情を浮かべるミラベルに、男が嗜虐しぎゃく的な笑みを向けた。


「まあ、見てくれはマシだし……持って帰るか」


 男はそう言いながらミラベルから乱暴に手を離すと、レイピアを引き抜いた。

 そして、ミラベルの足の腱目がけてレイピアが振るわれる。

 しかし、恐怖で固く目を瞑っていたミラベルのもとに痛みはやってこなかった。


 代わりに聞こえたのは、剣戟の音。


 おそるおそる目を開けたミラベルの目の前では、激しい斬撃の応酬が繰り広げられていた。

 そのとき彼女の目に映ったのは、赤髪の騎士学校生の後ろ姿だった。


「フレイムアロー!」


 赤髪の少年――アランが剣戟の間の僅かな隙に精霊を召喚して、魔法を放つ。

 彼の精霊から放たれた炎の矢が、真っすぐに痩せぎすの男へと向かっていく。


「ピアッシング・ウォーター!」


 ところが、アランの攻撃は男が呼び出した精霊によってかき消されてしまった。


「……む?」


 賊の男の腕に纏わりついている水球の中に、いるのは一匹の魚の形をした精霊。

 精霊召喚は貴族の特権であり、ただの賊が魔法を使えるはずがない。だが、そういった存在に心当たりのあったアランは、男を睨みつけ吐き捨てるように言った。


「貴族崩れか」

「ははは――ご名答!」


 貴族崩れとは、犯罪に手を染めるなどして貴族の名に泥を塗るような行為をした結果、爵位を剥奪された者達の蔑称である。そういう者たちは基本的に二度と日の目を見ることはないが、彼らの中には逃げおおせた者も存在していた。


 そしてそれは、王国騎士を目指し、王国貴族の在り方に誇りを持っているアランにとって許してはならぬ存在であった。騎士の風上にも置けない眼前の男を意識して、アランの剣を握る手に自然と力が籠っていく。


「で? だったらなんだってんだ?」

「レッドフィールド家の誇りにかけて、貴様を討とう!」

「はっ――――やってみな!」


 馬鹿にしたように男は笑うと、言葉を言い終えないうちにレイピアを持つ腕を引き絞る。それを合図にしたかのようにアランが切りかかれば、男が巧みな体捌きと共にそれを迎え撃った。


 そうして、再び剣戟の応酬が始まった。


 男の攻撃は基本ヒット&アウェイ。

 相手の攻撃を躱しながらつかず離れずの距離を保ち、急所への一突きを放ちながら、続く魔法攻撃で離脱の時間を稼ぐというものである。

 対してアランの戦い方は、王国騎士を目指す者らしく一撃必殺。

 カイトシールドで相手の攻撃をいなしながら隙を伺い、魔法による強烈な一撃を見舞うというものであった。


 純粋な剣術の力量はアランが上であったが、彼は今――押されていた。

 魚の精霊の口から放たれる水鉄砲を盾でガードし、アランの視線が途切れたその瞬間、一足飛びに近づいてきた男が鋭い突きを放つ。


「くっ⁉」


 アランは声を漏らしつつ、首に迫るレイピアの突きをフランベルジュで弾いた。


「ピアッシング・ウォーター!」


 さらに、アランの目を狙って放たれた魔法を再び盾でガードする。

 先ほどからこれの繰り返しだった。

 剣術の腕は確かにアランが上であったが、魔法属性の相性を加味したとしても魔法使いとしての技量は相手の方が上であったのだ。

 特に厄介だったのは、精霊の特性を熟知した男の立ち回りである。


「魔獣を模した精霊か……」

「――見るのは初めてか?」


 そう言う男の体の上を水球が縦横無尽に這い回る。

 それは魔獣を模した精霊くらいにしか出来ない芸当だった。


 精霊と深くつながることが出来なければ、精霊が模した生き物の特性を再現することは難しく、魔獣の特性となればより難易度が上がるとされている。

 しかも男の精霊はどうやら、ただの水鉄砲であれば魔力を消費せずに放つことが出来るらしく、事あるごとに放たれた水鉄砲がアランの視界を何度もふさいでいたのだ。

 しかも、それがさらに厄介な事態を生んでいた。

 何度も浴びせかけられた冷たい水が徐々にアランの体温を奪い、水に濡れて滑りやすくなった石畳が踏ん張りを利きにくくさせていたのである。

 そのせいで、アランの剣捌きが明らかに鈍り始めていた。


 彼我ひがの相性は最悪――そう判断したアランは、男を注視しながら背後にいる少女へ言い放った。


「――逃げろ」

「……アナタは⁉」


 嘘を吐かないことを信条とし、それを心底嫌っていたアランであっても、「勝てないから俺を見捨てろ」などという言葉は口が裂けても言えなかった。いや、言いたくなかった。

 だから彼は――意地を張った。


「知るか!」


 アランがそう叫ぶ間も、男が攻撃の手を緩めることはない。

 再び放たれた水鉄砲をさっきと同じ要領で盾で防ぐアラン。その途端に彼の装備している魔獣のレザープレートと、チェインメイルの下に着こんでいたインナーが水を吸ってまた少し重みを増した。

 水鉄砲に続いて放たれた間接部分を狙った一撃を、アランが紙一重で躱す。


 再びアランの防戦一方の戦いが始まった――。






 しばらくして、逃げることを忘れて二人の戦いに見入っていたミラベルの肩に手が置かれた。


「ひっ⁉」


 息を飲んだミラベルが背後を振り返ると、そこには――口元に指を当てながらミラベルを睨む、メガネを掛けたくせ毛の少年がいたのだった。

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