第21話
ティーパの地における敗戦から六日。
王都の西に広がる高原の小高い場所に布陣しているのは、十五万弱にまで膨れ上がった帝国の軍勢。その襲来を早い段階で察知していたランクロワ国軍が帝国軍を待ち構える形で、高原の東端に陣を敷いていた。
総勢二十五万を超えるランクロワ国軍の中心で、ヴィルジールがその相貌を厳しいものに変えて西の方角を睨む。
眼前に広がる大地を人が埋め尽くしている様子を眺めていた彼は、これから始まる戦いの大きさを想像して静かに
ヴィルジールが王都ではなく、王都から一キロ以上も離れた高原を主戦場に選んだのは、人口百万を
国軍の構成員の八割、およそ二十万人が市民であることを考えると、王都を戦場に選んだ場合に引き起こされるであろう市街地戦・防衛戦において、ただでさえ正規兵が不足している自軍に対して組織立った作戦行動を要求することは出来ない。
その上でさらに、敵の魔法部隊による地下からの侵入にも警戒する必要があるとなれば、数で勝っているだけの国軍では防衛は厳しいといえた。
それらを考慮した結果、王都付近での肉弾戦に切り替えるより外になかったのである。
そして、だからこそヴィルジールはこの高原を最終決戦の地と定めた。
これは小手先の戦術などは使うことなく数の優位を前面に押し出し、魔導武器の性能を遺憾なく発揮するための一手であり――何よりも大事な切り札を上手く機能させるための一手でもあったのだ。
四頭引きの巨大な
「どうかされましたか、殿下?」
側から掛けられたマティアスの言葉に戦場に意識を戻したヴィルジールは、一度チャリオットの空席に目を遣ってから返事を返した。
「いや……何事も思い通りにはいかないものだと思ってね」
なんとも曖昧な答えを受けて、マティアスが馬に騎乗したまま何かに納得したように頷いた。「ああ、リアナ嬢のことですか」と。
というのも、ヴィルジールがリアナに戦争参加の要請をしたすぐ翌日のこと――。
戦の支度で忙しくしていたヴィルジールのもとに、エリーゼ・バーミリオン、アリシア・ウィンスレット、ジェシカ・グリフィスの三名が直談判に来たのだった。
それはクリスティーヌの伝手を使ってヴィルジールへと無理やり話を通すという乱暴な手法によって実現したものであったが、彼女たちの言い分は至極真っ当なものだったのである。
『オーバルに強い恐怖を抱いてしまうリアナを、戦場に連れ出すなど考えられない。とてもではないが作戦などを遂行する余裕などあるはずがない』
そう主張したエリーゼたちは、気丈にも王子へ向けて作戦の変更を訴えた。
もちろんヴィルジールはその訴えを聞き入れた。聞き入れるべきであると判断した――が、そうなると当然問題も生じた。
貴族ではなくアンテマリア商会の娘としてリアナを戦場に立たせ、対帝国を掲げる市民の象徴として運用することなどが計画されていたが、それによる士気の向上などが見込めなくなってしまったのだ。
その結果こそが王子の隣の空席である。
そうして、ヴィルジールとマティアスの二人が言葉を交わしていたちょうどその時、彼らのもとに伝令兵がやって来た。
「――殿下! 市民軍の配置が完了いたしました!」
国軍の編制の中で最も数が多い市民軍は、経験不足であることもあって総軍の中で最も行動が遅い。つまり彼らの準備が整ったということは、それは全軍の準備が整ったことと同義であった。
周囲をぐるりと見回し、自身に注目が集まっていることを確認したヴィルジールは、煌びやかな籠手に覆われた右手を払い、マントを背後へと翻した。
恰好を付けたパフォーマンスを兵士たちに見せつけて、彼は叫ぶ。
「我々の勝利は天に約束された揺ぎ無きものである! なぜならば、我らが崇める主神リュテイアが悪逆を尽くす帝国を許すはずがないからだ! 今日この日は奴らを打ち滅ぼす記念すべき日になるだろう! 我らが祖国を手中に納めんとする愚か者どもに、我らの痛みを、怒りを、今こそ――――」
激しいジェスチャーを交えながらの渾身の演説。
その終わりにヴィルジールは、煌びやかな鎧の上から胸をドンと叩くと、その拳を天に突きあげた。
「――――叩きつけてやろうではないかっ‼」
「うおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ‼」
王子のすぐ側に並んでいた近衛騎士の集団が我先にと
騎士らが晴れ渡った空に拳を突き上げ雄叫びを上げれば、彼らのその熱狂は次第に市民兵へと伝播していく。
一キロは離れているであろう帝国兵たちへと届かせんばかり鬨の声。
そんな声など上げてしまえばそれは、「今から攻撃しますよ」と言っている行為に等しい――がしかし、ヴィルジールはこの行為が必要であると判断していた。
市民らの怒りに火をくべて、恐怖を凌駕するほどの狂気の炎に変えるために。
何よりもヴィルジール自身が自らを騙すためにこそ、この儀式が必要だったのだ。
狙うは短期決戦。
市民達の狂気が解ける前に、起死回生の一撃を。
自らが巻き起こした怒号の中で、突き上げていた拳を開いたヴィルジールは、それを前方の敵影へと翳した。
「――全軍、突撃せよ‼」
大きな地鳴りのような音と共に、高原の東側を埋め尽くすようにして広がるランクロワ国軍全軍による突撃が始まった。
しかし、防衛側であるはずのランクロワ側が攻勢に回るという一見意表を突いたようにも見えるその策に対して、ローレンツは即応してみせた。彼は帝国軍を二つに分けると、五万の手勢をその場に待機させ、十万の軍勢を戦場の南側へと走らせた。
これは王国側の突撃速度のばらつきを見て、ランクロワ国軍の陣容を――戦闘慣れしていない者達の存在を看破したことによるローレンツによる計略である。
王都へ向けて南側から大きく回り込む軌道を取る帝国軍十万。
それに追いすがるように南東へと隊列を大きく延ばすランクロワ国軍。
部隊ごとの練度の差は、陣形を大きく変えるその時にこそ
自然と国軍の陣形に疎と密の部分が生まれ――そのうちの疎となっていた場所に向けて、ローレンツは一点突破を仕掛けさせた。
そしてこれにランクロワ側の対応は遅れてしまった。
もちろん、それをヴィルジールが黙って見ているわけもない。
大きな状況の変化に、彼の仕込んだ布石が動き出していた。
ランクロワ国軍の兵数の薄い場所を縫うように、陣形の奥深くへと侵入していく蛇の頭。その先端が国軍の陣形を突破した瞬間――――。
蛇の脳天に千の魔法が降り注いだ。
帝国軍の進撃を止めたのは、荘厳な鎧を身に纏った重装騎士の一団。
一個大隊千人からなる、王国内で最も魔法に秀でた騎士集団――第一近衛騎士隊であった。突如として現れた彼らは、美しいほどに統率の取れた動きで陣形に出来た穴を塞ぐと、帝国軍に食い荒らされた軍陣の形を整える時間を稼いでみせたのである。
これにより、南の戦場に一旦の
「凄い……」
王都の城壁の上に立ち、二キロ先に広がる戦場の様子を眺めていたリアナの口から言葉が漏れる。
戦争を初めて目の当たりにしていた彼女は、小難しい戦術などの知識は持ち合わせてはおらず、戦場で何が起きているのかも分かっていない。
だからと言うべきか、リアナの目には巨大な生き物のような何かが高原をうねっているようにしか見えていなかった。
もしあの場に自分が立っていたらと、そんなことを考えた途端にリアナの体に震えが走った。
「大丈夫ですの?」
「うん……大丈夫」
心配そうに尋ねるエリーゼに、リアナはそう言って苦笑を返す。
安全な場所から見ているだけの自分が弱音を吐くわけにはいかない。そしてなにより、自分の側で集中しているアリシアの邪魔をしたくないと、リアナはそう考えていたのだ。
するとその時、アリシアの隣から男の声が飛んだ。
「ウィンスレットの嬢ちゃん、無理なら言ってくれ! 全部俺がやる!」
「あとちょっとだから待って!」
アリシアを急かしているその男の名は、ジョルジュ・シモンズ。
第二近衛騎士隊に所属するヴィルジール第二王子の配下の一人である。
近衛騎士であるジョルジュが、戦場に立つヴィルジールの側ではなくリアナ達の近くにいる理由――それは、敵大将と思われる者の居場所へ王国の切り札であるエルネスを誘導するためであった。
ジョルジュとアリシアの二人はその前準備として、その人物の居場所を探していたのである。
それも、ギャエル将軍が持ち帰った帝国の指揮官たちの情報をもとにして。
しかしどういうわけか、ジョルジュはアリシアを止めようとしていたのだった。
しかもそれは、アリシアの邪魔をしようとしているわけではなく、親切心から。
そもそもの話がアリシアたち三人は、リアナのパフォーマンスを最大限に引き出すための精神安定剤としてこの場にいるに過ぎなかった。つまり、現在アリシアに課せられている探索任務というのは、おまけに過ぎなかったのである。
例え成功したとしてもジョルジュの負担が少し減るというだけの。
だというのに、アリシアが必死になって目標を捜索しているのは、それはヴィルジールから「期待しているよ」との言葉を賜ったからだ。一国の王子からそんな言葉を貰えば、訓練を積んでいるわけでもない一介の学園生が必要以上に無理をしてしまうのは道理といえる。
そして、それをアリシアに伝えたのはジョルジュ自身であった。
今もジョルジュの隣には、緑の髪の少女に肩を貸してもらいながら探索任務に当たるアリシアの姿があった。そんな彼女の辛そうな表情を見て、ジョルジュがもどかしそうに歯噛みする。
とそのとき、精霊と共有するアリシアの視界に襲い来る鳥の精霊の姿が映った。
攻撃を間一髪で躱した拍子に、アリシアの口から「……っ⁉」と、小さな声が漏れる。
鳥の精霊は視力が低いため、対象を正確に視認するには帝国兵の弓が届く距離まで近づかなければならない。そうなると当然、帝国の魔法使いにも補足され、敵陣の奥深くへと進むにつれて敵精霊の攻撃も苛烈さを増していくのだ。
攻撃を避けるたびに視界が上下に左右にと酷く揺られていたアリシアは、魔力の欠乏の症状も相まって、その顔を青白いものに変えていたのだった。
そして、そんな状態の彼女を見るに見かねて、ジョルジュが無理にでも止めさせようとしたその瞬間――。
突然アリシアが目を見開いた。
「見つけたっ!」
目標の男は馬を駆り、重装騎兵を率いて高原の南を走っている。
それを視界に捉えたアリシアは、さらなる情報を得ようと高度を下げる――。
直後、彼女の視界が一瞬にして紫色の炎に覆われた。
「――きゃっ⁉」
咄嗟に自分の顔を手で守ろうとするアリシア。
突然悲鳴を上げた彼女を心配して、ジェシカがその顔を覗き込む。
「アリシアさん、大丈夫ですか⁉」
「え、ええ……」
もちろん紫色の炎に飲まれたのは彼女の精霊であって、アリシア自身ではない。
しかし、アリシアはそれすらもあやふやになるほど疲労困憊の状態にあった。
それでも彼女は己が責務を果たさんと、ふらつく体でジョルジュへと向き直る。
「敵大将らしき人物は重装騎士隊と共に、第一近衛騎士隊に横撃を加えるつもりかと」
「……そうか、よくやった」
言葉少なにそう返したジョルジュは、速やかに精霊を召喚した。アリシアが
「行くぞ!」
「りょーかい!」
心なしか気合の入ったエルネスの返事。
それを聞くや否や、ジョルジュは腕を大きく振るって鷹の精霊を上空へと打ち上げた。
それに続くように勢い込んで胸壁の上に飛び乗ったエルネスであったが、どうしたことか彼は突然リアナの方を振り返った。
「エルネス?」
『俺――二度と負けないから』
エルネスは思い詰めた表情で何かを誓うようにそう言うと、リアナが何かを聞き返そうとする前に戦場へと飛び立ってしまう。その後ろ姿を見送っていたリアナは、胸に当てていた左手を右手できゅっと握りしめた――。
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