5.エピローグ

 霊媒事務所「つながり」が入っているのは二階建ての小さな雑居ビル。

 一階には古い喫茶店があり、二階は紡久たちの事務所となっている。

 屋上では紡久の趣味の家庭菜園スペースが設けられており、コンクリートの上にひしめき合うたくさんの鉢植えには色とりどりの花やハーブ、野菜やらが植えられていた。


「紡久さん」


 そこに現れた朔人。

 視線の先にはビーチベッドに横たわる紡久が日向ぼっこをしながら寝息を立てていた。


「呑気に寝てる場合かよ」


 朔人は呆れたようにため息をつく。

 紡久の顔は整っている。長い睫が生えた瞼はきっちりと閉じられている。胸の前で組まれた手。その寝姿はまるで棺に入っている遺体のようだった。


「……っ」


 ぴくりと紡久の瞼が動いた。

 苦しそうに歪む眉。すると彼の身体から黒い影がぶわりと溢れだしてきた。

 漂う悪臭。負の気配。


「……ったく無茶するっての。自分の中に魂入れて守りつつ、魂喰喰って浄化なんて……俺がいなかったらどうするつもりなんだ」


 朔人は右の手袋を脱ぎ、紡久の心臓辺りに手を置いた。

 それでも紡久は起きることはない。彼は眠りながら戦っているのだ。

 渡引紡久は朔人のように物理的に悪霊を祓う力は持たない。魂を喰らい、自分の中で浄化する――といえば聞こえは良いが、紡久は自身の魂をすり減らしながら戦うという大きなリスクを犯しているのだ。


「出て行けよ。この人の中から、今すぐに。この人を犯すのは誰であろうと許さねえ」


 ぐっ、と胸を押すように力を込めると紡久の身体が白く光を放つ。すると彼の口から白い魂が二つ出ていった。

 片方は安城咲良。そしてもう一つは、彼が取り込んでいた魂喰だ。

 白い魂はふわりと風に舞い上がるように天に昇って雲の中へと消えていった。

 

「……やあ、朔人」


 少しすると紡久がゆっくりと目を覚ます。

 一瞬虚ろだった目は瞬きをすると光取り戻し、朔人と視線が重なった。

 ほっとしながらも紡久の口元は弧を描いていた。


「祓ってくれたんだね。ありがとう。咲良ちゃんも、もう一人もお礼をいっていたよ」

「魂喰まで成仏させてやる必要はないだろう」

「だって可哀想だろう。漂っているだけなのに……僕はできることなら救ってあげたいと思う」


 朔人は強力な祓いの力があるが、悪霊は悪霊のまま消すことしかできない。

 一方の紡久は、一度己の中に魂を取り込むことで邪気を浄化し、普通の魂と同じように魂喰を祓うことができるのだ。

 それは紡久の心がとても優しいから。普通の祓い屋ができる芸当ではない。


「……姉さんは」


 起き上がり欠伸をする紡久に朔人はすぐに問いかけた

 朔人には紡久を守る理由があった。それは彼の中に亡き姉の魂が眠っているから。



「大丈夫だよ。お姉さんは僕がちゃんと守ってる」


 紡久は胸に手を当て微笑んだ。


「……身体の居場所はわかりました?」

「ううん。お姉さんはずっとずっと眠っているから、わからない」

「……そうか」


 朔人の肩は降りる。

 朔人の姉は交通事故に遭い、彼の目の前で魂喰に身体を奪われた。姉の行方はまだ分っていない。どこでなにをしているのかも、誰を傷付けているのかも分らない。


「見た目はお姉さんだとしても、中身は違う。でもそれを人に説明するのは難しい。もし、お姉さんの身体を奪ったヤツが犯罪を起こしたら……それは誰のせいになるんだろうね」

「……そんなこと絶対にさせない」


 朔人は悔しそうに拳を握る。


「うん。そうだね。必ず、君のお姉さんも助けよう。それまで僕がしっかり守るから」


 その時、互いのお腹がぐうっと大きな音を立てた。

 

「……朝飯」


 朔人は腹に手を当て呟いた。

 時刻は午後十時。二人は昨晩からなにも食べていない。


「そうだね。ご飯、食べに行こうか」

「紡久さん。大丈夫なんですか」

「うん、大丈夫だよ。僕には朔人がいるからね。信頼してるよ」


 紡久は微笑み朔人の横を通り過ぎた。

 横浜某所に住まう、とある二人の祓い屋の奇妙な依頼はまた一つ幕を閉じたのであった。

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魂喰(たまくい) 松田詩依 @Shiyori_Matsuda

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