長い間、忘れていたから
ヘイ
感謝
姦しい。
耳障りだ。
「えー、またテレビ出たんだ」
「まあねぇ〜」
「絶対見る!」
有名人は嫌いだ。
彼、
スキャンダル。
関わるだけ地獄。
カメラを向けられた時との性格のギャップ。何もかもが侑斗にとって噛み合わない。
「ちょ! ヤベェって! マジヤベェって!」
「さっきのヤバかったな〜」
騒ぎ立てながら教室に入ってきた男子が侑斗の机に腰を下ろす。
嫌いなのは有名人だけではなかった。
「…………」
仄かな殺意を覚えながらも侑斗は口にすることなく席を立つ。
侑斗は結局教室の何もかもが嫌いだ。
空気感も、そこに居る人間も。女子も男子も関係なく。
「はぁ〜っ、クソ……」
廊下に出て誰もいないことを確認して大きく息を吐いた。教室の居心地が悪いと感じるのは周囲が仲良しこよしで戯れる中、彼一人がポツリと孤独であるからだ。
「学校嫌いなんだよ」
来たくはないが、彼の選択肢に不登校はなかった。
不登校という手段を選んで仕舞えば自ら折れたことになる。幾ら、精神的に参っていても環境から逃げ出すことを侑斗には選べなかった。
下らない理由で意地を張っただけ。
「……全員未知のウイルスに罹ったとかで学校休まねえかな」
自分の幸せではなく、誰かが不幸になってくれることを願う程度には腐っていた。
「危険思考止めろ、小埜寺」
ゆっくりと侑斗は振り返った。
「──
ワイシャツ姿のメガネを掛けた垂れ目の青年。ボサボサの天然パーマの黒髪はよく目立つ。
「聞かなかったことにしてくださいよ」
「別に誰かに言うつもりはない。お前がクラスに馴染めてないことは知ってる」
「…………」
侑斗は顔を顰める。
馴染めていないからと言って話題に出すのはどうなのか。ここから説教を始めるにしても、一瞬で聞き入れる気は失せると言うもの。誰かの人間関係のあり方など参考にならない。価値観に依るのだから。
だから、他人のアドバイスの大半は右から左に流すべき。特に教師の道徳などに価値はない。
「だけどなぁ」
「あー、はい。すみませんでした」
嫌いになるのを止められない。
関わりさえしなければ、などと思うものの関わりが生まれてしまうのが社会だ。この点に関しては諦める他ない。
「以後、気をつけます」
侑斗は出来る限りの笑顔で誤魔化して、逃げる様に背を向けて教室に入る訳もなく廊下をツカツカと歩いて行く。
「面倒くせ……」
先入観がある。
教師も、生徒も、環境も。答えが先に出てしまっている。嫌いになる様に侑斗自身が思考誘導している。
説教が嫌い。
頭ごなしに否定する彼らが嫌い。
騒ぎ立てる奴らが嫌いだ。
耳に痛く、頭に響く。
嫌悪ばかりが詰まっていて、何もかもにコーティングしてしまう。これは彼の悪癖だ。
「……何で降りてきたんだろ」
一階、生徒ホール。
ここに来る用はなかった。だが、朝の8時30分近く。ホームルームの始まる寸前の時間に生徒はいない。
「……はあ」
少しだけ落ち着く様な気がした。
誰もいない空間に一人でいる。孤独は孤独でも悪目立ちのしない孤独。誰の目も気にしない孤独。
「良いな、ここ」
どの道、昼休みにでもなれば大量の生徒が集まる。束の間の静寂。朝の少しひんやりとした空気感と人のいないフリーの空間に清涼さを感じる。
「8時……」
ホールに飾られている時計に目をやれば、直ぐにチャイムが鳴り響く。ホームルームが始まる時間だ。
教室に入るのは憂鬱だが、仕方がないと生徒用玄関を通り過ぎようとして少女と目があった。
「────」
栗色の髪。
くりっとした目に柔らかそうな唇。身体は華奢で、肌は白く、されど不健康なほどではない。
名前は
有名人だ。
「おはよ、侑斗くん」
「あ……ああ、おはよう」
侑斗は彼女が苦手である。
仲がいい訳でもないのに当然のように声を掛けてくる辺りも。彼が教室に向かうのに速度を合わせて少し後ろを歩くのも。
「…………」
ピタリと足を止めて靴紐を結ぶフリをすれば千紗もまた立ち止まる。
「大丈夫?」
「……靴紐解けただけだから」
先に行くようにと言外に伝えるが、彼女は階段を数段登った場所で立ち止まる。
「…………はぁ」
靴紐を結ぶ程度で時間は取られない。結び終わったことを装って侑斗が立ち上がる。
「別に、俺のこと待たなくても先に行けばいいのに。もうチャイム鳴ってるんだし」
特別に仲がいい訳でもない。
彼女は有名人で侑斗は凡人。有名人は有名人で仲良くしていればいい。相手の心象を良くしたいなど考える必要はない。
こう考えてしまうのは侑斗が疑り深いからではなく、純粋に他人を嫌っているからだろう。疑り深いのならば、他人の思考の意図を汲み取ろうとするだろう。
「やっぱ……」
嫌いだな、と続く言葉は口の中にしまい込む。
「おはようございます」
千紗が教室の扉を開き、礼儀正しく挨拶をするが、生徒はおろか先生すらもチラリと目を向けるだけで挨拶をしようとしない。
「……っす」
後ろから侑斗が入り、音の出ないように扉を閉める。誰も気にしていないようで、教師からも注意の一つも飛んでこない。
「……挨拶くらいしろよ」
侑斗は澱んだ目で教壇に立つ担任教師を睨みつけた。
「あ、これから撮影あるから」
「頑張ってね〜!」
と、今朝方喧しくしていた少女が昼休みに帰り始める。侑斗は彼女が教室から出て行くのを見送ってからロッカーを開く。
「ねえ、侑斗くん」
ロッカーの中からおにぎりの入ったレジ袋を取り出して、閉めると右隣に千紗が立っていた。
「はい?」
「一緒にご飯食べよ?」
「……何で?」
親しくない。
話した事も殆どない。別に家が近い訳でも、中学校が同じだった訳でも、昔に会ったことがある訳でもない。
「だって、一人でしょ?」
それはその通りではあるが。
それでも彼女と一緒に昼を過ごす理由にはならないと思う。
「栗原さん……他に相手いるでしょ」
引くて数多だろうに、何故自分のような凡愚を誘うのかが理解できないと、呆れたように少女を見る。
「俺じゃなくても、さ」
言い募るつもりはない。
彼女を責め立てるような精神構造をしていない。苦手、嫌いではあるが侑斗は態々と彼女に指摘してやるつもりもない。誰かと居る時間も増やしたくない。
「そこらへんの女子のグループに入れて貰えばいいんじゃない?」
適当に指をさした先には先程、撮影に向かうと言い女子が一人いなくなった場所。
「やっと居なくなったわぁ」
「マジでさ〜、自慢ウザいっての」
愚痴愚痴。
「それそれ。『テレビに出るの〜』って、キモすぎ。誰も見ねぇっての」
グチグチ。
「つーかさ、勘違いしてんじゃね? 別に全然可愛くね〜のにさぁ。見る目なすぎでしょ」
侑斗は真顔で文句を言い始める彼女たちを見ていた。周囲の事など気にかけていないのだろう。悪口を言うことに一切の躊躇いがない。
陰湿で、性根が悪い。
「…………どう?」
千紗はブンブンと首を横に振る。
人間は共通の敵を持つと連帯感を増す。きっと嫌いな相手が同じであれば最高に居心地がいいだろう。
侑斗にとっては目の前で話し相手も嫌悪の対象であるのだから、気持ちが悪い以上の感情など湧いてこないが。
「ねえ、そんなに嫌?」
千紗は上目遣いで侑斗を見つめる。
「……知らない人と飯食べるとか、相席になるとか。気まずくない?」
流石に嫌だとは言えなかった。
だが、同意を求める相手を間違えている。
「私は慣れっこだよ。ほら、テレビでもそう言うのあるし」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべかけるが既の所で堪える。
「わ、かった……よ」
一度きりだ。
たった一度我慢すれば良い。
「ごめんね、嫌だった?」
「別に」
嫌とは口に出していない。
「何で俺なのかが気になるけど」
「さっきも言ったけど、侑斗くん一人だったでしょ? 他の人はグループ作ってるからそこに入って行くのは忍びなくて」
相手が個人なら遠慮しないという事だ。学級内に一人でいる人を誘う方が、気が楽なのだろう。
「……グループ」
侑斗にしてみればどちらも大差ない。
嫌いは嫌いで、グループだから嫌いになるのではなく個々でしっかりと嫌いになるのだから。
「ほら、既に作られた雰囲気ってやつがあるでしょ?」
「ああ。でも、一人でとか考えないか」
「それは最終手段だよ」
考えの合わなさを痛感する。
侑斗は一人で済むのなら一人で構わない主義だが、彼女は友達と一緒を好むのだ。だからと言って否定することはない。
ただ、合わないと認識するだけ。
嫌いの理由を見つけただけだ。
「どこで食べる?」
息の詰まりそうな教室から出てしまいたい。一人で食べる訳でもないのなら、尚更にこんな雑音だらけの教室とストレスを重ねる理由がない。
彼女の問いに答えずに一先ずはと侑斗は教室の扉まで向かって歩いていった。
「学校裏……?」
「ここが一番静かなんだ」
誰も通らない。
心の落ち着く場所。侑斗としては気に入っている場所の一つだ。もう一つは化学室。図書室は響きからして静かなイメージもあるが、一部の人間が占領していることが気に入らない。
「よいしょっと」
侑斗が腰を下ろした隣に千紗も腰を下ろす。
「…………」
パーソナルスペースが狭すぎる。
侑斗は僅かに体を縮こまらせ、コンビニエンスストアに売られていた明太子のおにぎりを開封し無言で一口齧り付く。
「いただきます」
隣に座る千紗も丁寧に挨拶をして小さな弁当箱を開き、上品な箸遣いで食べ始める。
「ねえ、侑斗くん」
「何?」
ぶっきらぼうな声色で尋ね返す。
「それで足りるの?」
「別に」
足りるとかどうかとか関係ないだろうになどと考えながら、おにぎりを食らう。
「私の分、ちょっとあげよっか?」
「いらない」
短文での返答に素っ気なさを感じるのは仕方がないだろう。実際、侑斗の態度も心情も冷めきっているのだから。
「つまらない?」
「……別に」
「話とかしたくない?」
「…………」
干渉されることが嫌いなのだから、仕方がない。
「……栗原さん」
「うん?」
「俺は寂しそうに見える?」
「……どうだろ。お節介だったかな」
別に今のままで苦労はないのかもしれない、現状は。
「…………」
別に寂しさなどない。
一人だけの状況を好ましく思う。慣れているのだからこれで良いのだと。家では父と母が言い合い、煩くて仕方がない。口汚い罵り合いがエスカレートし、家事も何も滞る。
静かなら良い。
人間なんて汚いのだから口を閉じた方が幾分も平和で、綺麗でマシだ。
「俺、先に戻るから」
一言伝えて、侑斗は立ち上がり校舎に戻って行こうとして。
「待って」
と、服の裾を掴まれた。
「侑斗くんが寂しいかどうかは分からないけど……私は友達が、話し相手が欲しい……から」
振り払う事は躊躇われた。
それは余りにも態度も外聞も悪いから。内心では嫌いだと吐きながらも、侑斗は大人しく彼女の隣に再び座った。
「ありがと、侑斗くん」
笑顔で感謝を伝えられて、侑斗の鼓動が早まった。
「あ……いや、気にすんな」
どうでも良い事だから。
尻すぼみに告げる。
久しぶりに聞く感謝の言葉に、嬉しさを覚えたのか。侑斗に動揺が走ったのだった。
長い間、忘れていたから ヘイ @Hei767
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます