女神の加護を受ける国の女王として職責を全うしていたら、政略結婚の打診を受けました

影夏

捨てたつもりで捨てられていた話


 中庭の陽だまりの中、癒し手の少女と騎士団長である青年が親しく語らっている。

 それを窓から遠く眺め、この穏やかな時間を一日でも長く続けるために今日も頑張ろう、と。

 微笑んで、若き女王は執務室へと足を進める。


 その後ろに控えて歩き、同じものを見た侍女は、苦虫を嚙みつぶしたように顔をしかめた。

「いいんですか? アレ」

「いいのよ。それに、いつものことじゃない」

「だからこそですよ! アレはじゃないですか!」

 ああも毎日毎日! 完ッ全に! 浮気じゃないですか!!

 と。

 自分のことのように憤慨してくれる侍女に、女王は寂し気に、けれどこれ以上の心配は必要ないのだと示すように、その顔に笑みの表情を作り上げ、

「いいのよ……人の心は、契約で縛れるものではないのだから」

 主にそんな顔をされては何も言えず。

 侍女は怒りの矛先をおさめ、大人しく女王の後に続くのだった。



 中庭から見上げる距離にある、渡り廊下の内側に婚約者の姿を認め、けれどこちらに気づいた相手は手を振ってくるでもなく、ましてや足も止めずに歩き去っていく。

 それを見送って。

「……やっぱり、彼女には愛なんて感情はないのかな……?」

 公明正大に。誰に対しても平等に。

 常にその顔に浮かべられている慈愛に満ちた微笑みは、けれど、誰に対しても変わらないからこそ、まるで貼り付けられた仮面のようで――。

 為政者として振る舞う姿を遠くから見るだけの青年は、自らの婚約者をそんな風にとらえていた。


「お姉さまは忙しいのですわ」

 幼いころに両親を亡くし、万が一にも内戦などが起こらぬように、と。

 姉が王位を継ぐのと同時に神殿に入れられた少女もまた、一度として自分を《妹》として遇しない女王に思うところがあるのだろう。

 青年をたしなめる言葉を口にしながらも、その声音には不満の色がにじんでいる。


 そんな二人は、女王の目元、化粧で上手く隠されたそこに、べったりと張り付く隈の存在を知る由もなかった。



   ***



 若き女王が治めるこの国は、建国以来一度も他国からの侵略を許していない。

 それは、建国の際に初代国王に加護を与えたという女神の力が、今もなおこの国を守っているからである。


 女神が与えた《聖槍》は、その一突きで万もの敵を討ち破り、女神が張った結界は、この国一つを全て包み込み、その内に暮らす国民が傷つけられることはない。


 そして、この国の騎士団長とは《聖槍》の使い手のことを指し、癒し手とは、その呼び名通りの力で自軍の兵を癒すだけでなく、女神の結界を維持する役目を担ってもいる。


 そんな超常の力を操ることを許された二人は、国の存続を左右する存在である自分たちを特別視しているわけだが――そんな二人が戦場に駆り出されることもなく平和を満喫していられるのは、女王が周辺国との調整に奔走しているからである、ということには思い至らないものらしい。


 周辺国にしてみれば、自分たちが手に入れることのできない圧倒的な《力》を持つ存在を隣人にして心穏やかに過ごせるはずはなく――さらにいうなら、人間とは、恐怖の対象に対しては攻撃的になりやすいものである。

 となれば当然、手を組めるだけ同盟を結んでの数の暴力で攻めたらワンチャンあるのでは? と考える国が過去に一つもなかったわけもなく。


 まして、広大な穀倉地帯を持つわけでも、金や銀、あるいは希少金属が取れる鉱山を持つわけでも、他に代えがきかない技術を持つわけでもないこの国が生き残り続けるためには、常に周りに目を配っての難しい采配が必要であり。

 だからこそ、女王は寝食を蔑ろにしがちで、周囲はそんな女王を常に心配する日々であったので。

 ――愛が足りないなどとほざく前に、テメェらが出向け!

 と。女王の忠実なる侍女が二人の認識を知ったのなら、怒鳴りつけるであろう状態なのであった。


 ――……あったのだが。

 そうはいっても建国以来一度も侵攻を許していないのは女神のおかげ――つまりは自分たちの存在が他国への抑止力になっているからだ、と信じている二人からすれば、女王なんて豪奢な椅子に座って嗜好品を楽しみ贅沢を満喫しているだけの権力の亡者でしかない、と、誤認してしまうのも致し方ない、こと……なのかも……しれない……?


 いや、さすがに《聖騎士》やら《聖女》などともてはやされて祭り上げられ、国の顔として公の場に立つこともある人間の認識がそれでは困るのだが。


 利権をむさぼりたい人間からみれば、二人が馬鹿のまま最高権力者女王の近くに居座ってくれた方がなにかと都合がいいため、『情を知らない心無い女王にないがしろにされる可哀そうな婚約者』、あるいは『権力を独り占めしたい姉によって清貧を重んじる神殿に封じられた可哀そうな王女様』として、同情を顔に張り付け、あることないことを吹き込み、さも「自分たちだけが味方ですよ」とすり寄ってくるに任せているうちに本当に有能な者たちからは鼻持ちならない存在として距離を置かれてしまった二人に、認識の間違いを指摘してもらえる機会が発生するわけもなく。


 ――そもそもの話、『被害者』でいる限り、国の未来よりも目先の欲を優先するような、あるいは女王のやり方に反発しつつも代替案を出すでもなく、ただただ不平不満を口にするだけのような輩からはチヤホヤしてもらえるのだから、味を占めた二人が愚かさを恥じて、改めようなどと思うはずもなく。


 そんな二人の運命を決めるきっかけとなったのは、破竹の勢いで大陸の八割を侵略した帝国から「女神の力を差し出さねば、お前の国も侵略するぞ(意訳)」という脅迫めいた要求を受けたことであった。



   ***



「あなたとの婚約を破棄することが決まりました」

 議会での決定を女王が告げても、青年が驚くことはなく。

 ただ、「そっか」と、静かに頷くだけだった。


「驚かないのですね?」

「だって、元々がただの政略結婚でしょ?」

 都合がいいから婚約して、都合が悪くなったからなかったことにする――それだけだよね? と。

 情などかけらもない返しに、ふ、と。女王は口元を緩ませる。

「……それでも、私はあなたに心を預け、一生を共にする覚悟でした」

「え?」

「けれど、それはもう過去の話になってしまいましたわね」

 叶わない『いつか』を夢見て、傷つく時間は終わったのだと、女王は感傷を振り切るように、頭を振り。


「あなたには、できれば妹の傍に居てほしいと思っています――これから、あの子は苦労することになると思うから」

 女王がそう告げると、青年は訳知り顔で頷いた。

「ああ、そうだね。彼女には味方が必要だ」

「傍にいることで、あなたにも難しい立場を強いてしまうことになるけれど……」

「大丈夫」

 まるで保身に走ることを勧めるかのような女王の言葉をさえぎって、青年は力強く頷いた。

「僕は生涯かけて、彼女を支え、その心を守り抜いてみせるよ」

 その晴れやかな顔は、愛する者を守り抜く立場を許された誇りに満ちていて――、女王の婚約者だった時にはついぞ見せたことのない顔だった。



   ***



 このまま大陸制覇も夢ではないのでは? という勢いで領土を広げた帝国は、それにともない肥沃な大地と、優良な武器防具を作るのに最適な希少金属の山と、地方でくすぶっていた優秀な人材などを得て、

「あと私が得ていないものといったら、最良な伴侶くらいだね」

 と、皇帝自身が言ったのかどうかの真偽はともかく。

 この上さらに、と帝国が求めたものは、女神の加護の持ち主であった。


 とはいえ「差し出せ」と言われて、「はい、そうですか」と渡せるわけもないため、王国側は当然ながら徹底抗戦の構えに入る予定だったのだが。

「戦争なんて、悲しいことですわ」

 憂いに顔を陰らせ、そう訴えるのは、民衆や一部貴族から《聖女》と呼ばれて慕われて、すっかりその気になってしまった癒し手の少女であり、

「武力で解決するのは簡単だけど――それでは、あまりに哀れだよ」

 と、のたまったのは、いざ戦闘となれば《聖槍》で相手となる国の兵士を薙ぎ払うことになる騎士団長の青年だった。


「……それは、どういう意図での発言ですか?」

 そも、政治にかかわることを許されていない、地位としては神殿所属の巫女に過ぎない少女と、あくまで戦略上の助言を求められることはあれど、政治的決定に口をはさむべきではない軍人である青年の二人が、議場に許可なく立ち入り、発言しているという非常識さの中で、最初に立ち直ったのは女王であった。

 その問いかけに、

「欲しい、と。相手がおっしゃられるものを差し上げれば良いのですわ」

 少女はこともなげに言い切った。


 当然、その場の貴族たちは気色ばみ、声を荒げて少女の短絡的な発言を罵ったが、言われた少女は、心底「わからない」という顔で首を傾げ、

「帝国が求めているのは、この国の領土や統治権ではないのでしょう?」

「は?」

「わたくしの癒しの力が欲しいというのなら――わたくしの身柄一つで争いを回避できるというのなら、わたくしは国のためにこの身をささげることを厭いませんわ」

「…………」

 他称《聖女》の自意識過剰とも自己犠牲とも取れる発言に、議場内は一瞬、静まり返った。


 ここにいるのは国の中枢を担う者たちであり、少女や青年にすり寄る賢し気な愚か者どもとは違う。

 ゆえに、帝国の要求がそんな単純なものではないと考えていた。

 だからこそ、帝国に屈するまいと必死に対応を話し合っていたのだ。

 そんな彼らの心は「もうこいつら簀巻きにでもして放り出せばいいんじゃね?」という思いで一つにまとまっていたのだが。


「わかりました。では、そのように帝国に打診してみましょう」

「女王!?」

「帝国の真意を、こちらが誤解しているのかもしれない、というのは一理あるわ」

「ですが……それで、もし、帝国の目的が本当にだった場合は――」

 心配に声を詰まらせる重臣に、女王は頷き、

「もしもの際、国民の生命と財産のために身を犠牲にするのは、王族として当然の務めよ」

 たとえ、痛みを伴う決断を迫られるとしても、それで国民の安全が得られるのなら、という女王の姿勢に、感銘を受けた一同は頭を垂れ――。


「……身を差し出すのは、わたくしなのに、どうしてお姉さまが感動されていますの?」

「権力主義って、嫌だね……」

 そんなことをのたまう二人の声は黙殺された。



   ***



 一方、そのころ。

 望めば世界征服も容易いのでは? と周囲から思われている皇帝は、近い将来に顔を合わせるだろう相手を想い、ため息をついていた。

「……こんな方法で手に入れようとする私を、彼女は許してくれるだろうか」

 そんな弱気の発露を、気心の知れた側近は「ハッ」と鼻で笑い、

「今更か? ――ああ、むしろ現実味を帯びてきた今だからこそのか」

 テキパキと、認可待ちの書類を仕分ける手を止めるでもなく、皇帝の不安をそう分析して、一人頷く。


 そんな側近に、皇帝は「不敬だ」と腹を立てるでもなく肩を落とし、

「相変わらず、辛らつだな。お前は」

「それこそ今更だろう。おしめも取れていないころから世話を焼いてきた相手を、『帝位についたから敬え』と言われてもな」

「……一応、私とお前は、帝位につく前から主従関係だったと思うんだが……」

「だから人目がある時は、ちゃんとわきまえた態度を取っているだろう?」

 いけしゃあしゃあと言ってのける側近に、皇帝は「そうだな」と、いささか投げやりに返す。

 側近の外面が、本人の申告通りに完璧であることはもちろんだが、今更畏まられた方が困るということも事実なため、結局のところ皇帝もこの件に関しては強く出られないのだった。


「で?」

「ん?」

「やめるのか?」

「いや、今更やめられないだろう?」

 払った犠牲が大きすぎる、と首を横に振る皇帝に「そうでもないさ」と側近は笑う。

「今のお前に逆らえる奴なんかいないからな。お前が『やめる』と言えばそれで終わりさ」


 次々と周辺国を征服していった手腕に加え、反乱を起こされるような、つけ入る隙をまったく見せない統治能力をも披露した皇帝に、心酔する臣下はいても、反対意見を述べられる程に肝の据わった敵はいない。

 その事実に、皇帝は再びため息をついた。

「……私は、暴君になりたかったわけではないんだけどなぁ……」

「まあ、そうだろうな」

 お前はそういう男だよ、と。いたわりの視線を向けつつ、その手元から処理済みの書類を抜いて、次を渡す。

 差し出された書類は、ちょうど話題になっていた、件の王国についての経過報告書だった。

「――で? やめても許されるのなら、やめるのか?」

 皇帝が受け取ろうと手を伸ばすのに合わせて書類をひらりと揺らし、揶揄する声音で問うてくる側近に、皇帝は咎めるような視線をやって「否」と返す。

「私は彼女を幸せにすると誓ったんだ。たとえ、その手段が彼女にとって受け入れらないものであったとしても――それで彼女に恨まれるとしても、やめないさ」


 度重なる遠征によって得た力は、女神に守られているかの国との対等な交渉を可能とした。

 王国側がこちらの要求を拒否するというのなら、その力を脅迫の手段とするだけだ。


「あの国が彼女を搾取し、使いつぶすというのなら、その前に私が奪うよ。それによってあの国の歴史が終わろうと、今更だ」

 これまでだって、皇帝は欲しいものを得るために他国を侵略し、奪ってきたのだ。

 犠牲になる国がさらに一つ増えようと同じこと。今更、罪悪感など抱きはしない。


 ――が。

 まったく微塵も悪いとは思っていなくとも、そのことで彼女に責められたり、まして恨まれたり憎まれたりするのは嫌だなぁ、と。

 皇帝のため息は、尽きない。



   ***



 帝国との交渉は、思いの外トントン拍子にまとまった。

 それというのも、帝国側がこの婚姻による王国への干渉を否定――姻戚として内政に口を出すことはおろか、生まれてくる子供の王位継承権すら主張しないと言ったからだ。


 そんなわけで想定よりもずっと早くに行うこととなった最終確認のためのトップ会談の会場を前に、女王は緊張していた。

 いくら事実上の交渉は終わっている話はついているとはいえ、今日の会談しだいでは白紙撤回される可能性はゼロではなく、もしも失敗してしまったら――、と。その肩にかかる重責に、女王が不安になるのも無理はない。

 そんな女王の緊張具合に目を止めて、「大丈夫ですよ」と。帝国との交渉役を務めた担当者が声をかける。

「皇帝陛下は、ですから」

「え?」

 それは、どういうことか、と問う前に、時間だからと促され、会場への扉をくぐる。

 すると、そこには満面の笑みを浮かべて、両手を広げ、全身で歓迎を表す皇帝が立っていた。

「……え?」

「ようこそ、その頭上に星をいただく、運命の女神のいとし子よ」

 そうして戸惑う女王の手を取り、テーブルへとエスコートし、自分もその正面に座る。

 その間、ずっと、にこにこと上機嫌に微笑んでいる皇帝に、女王の戸惑いは増す一方だ。


「あの、あなたは我が国の建国神話を正確に把握しておられるのですよね……?」

「ええ、もちろん」

「なら、ことも、当然――」

「そうですね、当然、分かっていますよ」

 それは、王国と親交を持つ国の、国政に携わる人間なら知っていて当然のこと。

 女神の加護とは、つまるところ女神が恋した青年への愛なのである。



 その昔、一人の青年に恋をした女神は、けれど、人間と神とでは、生きる時間の流れがあまりに違いすぎるから、とその恋を諦め、ならばせめて、と。《神》として青年に加護を与えることにした。

 そして、女神に選ばれた青年は、当時、世界の覇権をめぐって争いを続ける国々の間で、犠牲となる民の身を憂い、彼らのために戦う力と、守る力を求めた。

 その結果、与えられたのが《聖槍》と、結界だった。


 青年は授けられたその力で、その地に住まう人々を守り続け、後に、彼を慕う者たちに望まれて王となり――、人間の命の短さを知る女神は、青年が没した後も、王となってその遺志を継ぐ者に加護を与え続けた。

 その後、戦乱の世が終わり、武力だけでは国を守れなくなったころ、王は《聖槍》を親友である騎士団長に託し、自身は王国をより一層民を守れる国とするべく、内政の強化に努めた。

 また、さらに後の世には、「政務が忙しくて、街に下りる時間が取れないから」と。癒しの力が、王からその妹へと託された。

 それ以降、女神が加護を受ける者の意思を尊重したのか、《聖槍》は、騎士団長となる者に、また癒しの力は《王位を継がない王族》の元に現れるようになり、あわせて結界の維持も王位を継がない者が担うこととなったのだ。


 ――とはいえ、女神が加護を与えているのは、あくまで初代国王恋した青年の後継たちであり、そして、たとえ青年の血を引く末であっても、国を守る立場ではない者に女神が加護を与える理由はない。



「つまり、私は女神の加護の持ち主というだけの、常人となる身にすぎません。神秘の力も権力も、特別と呼べる力をすべて失って嫁ぐこの身に、あなたはどのような価値を見出していますの?」

 さらなる領土拡大のために、女神の加護ごと嫁いで来い、というのならば話は分かる。

 けれど、皇帝はこの婚姻によって女神の力が得られるわけではないと承知しているというし、他国の王族を伴侶として望みながら、その国の権力には興味がないとも明言している。

 それでいて国を盾に脅すような真似までして望み、それが叶いそうな現状に浮かれているのだから、女王が不思議に思うの無理はなかった。


 問われた皇帝は、気まずげに視線を泳がせた後、

「そ、その……」

「はい」

「価値とか打算とか、国益になるとか、そういうことには関係がなくて……」

「そうなのですの?」

「はい、つまり――」

 皇帝は、一拍、目を閉じて深呼吸をした。

 それから、開いた瞳で、女王にしっかりと視線を合わせて、

「あなたを愛しているのです」

「えっ!?」

 予想外の言葉に、女王は目を見開く。

「3年前の、私の成人を祝う祝典に来ていただいたときに――」


 多くの国から国賓が、その時はまだ皇帝の息子に過ぎなかった身を祝うという名目で、見物に来ていた。

 そんな場に国賓の一人として招かれていた女王は、すでに王位を継いでいたとはいえ、まだ稚く、また、国力だけでいうならお世辞にも大国とは言えない程度の国でありながら、けれど、女神の加護を受ける唯一にして不可侵の国の長として、好奇の目にさらされていた。

 そんな決して居心地が良いとは言えない中でも、うつむかず、凛と立つ姿に、皇帝は一目惚れをしたのだった。


「ですが、あなたには婚約者がいると知って、あっという間もなく失恋です」

 皇帝は当時を思い出したのか、眉尻を下げて苦笑をこぼした。

「ならばせめて、結婚祝いという名目でもいいから、あなたに贈り物をしたくて……

 そして、贈るのならば最高の品を、さらにいうなら望まれる品を、と思いまして。いろいろとそちらの国について調べさせました」

 それこそ帝国の皇子の資産なら大抵のものが買えますからね、と。

 照れたように笑ってそう付け足した皇帝に、女王はどきどきした。

 個人資産で収めるつもりだったとはいえ、皇族がそんな散財をして大丈夫なのだろうか、と。


 そんな心配をされているとはつゆ知らず、皇帝の話は続く。

「そして、彼らからの報告で、あなたの婚約者があなたを幸せにする気がないと知りました

 その上、国民たちも、わかりやすい《奇跡》を施す妹君を称えるばかりで、本当に国のために身を削り、万が一にも戦争にならぬよう周辺国との調整に奔走しているあなたの献身には気づきもしない」

 ぐっ、と。不快を表すように、皇帝の眉間に深いしわが刻まれる。

「私は、そんな状況を許す気にはなれませんでした」


「それは、その……」

 女王の困惑は、皇帝の話を聞いても解消しなかった。

 なぜなら、彼女としては、それが当たり前のことだったからだ。

 父も、祖父も、その前の歴代の王たちもまた、彼女と同様に、その生涯を国への奉仕に捧げてきた。

 この国で王位を継ぎ、女神の加護という大きな力を得ることは、同時にそれだけの責任を負うということ。

 その献身が報われないとしても、それを理由に投げ出してしまうような、生半可な覚悟の者が女神に選ばれることはなかったので、王国に住む者は、誰も疑問にも思わなかったのだ。

 ただ『選ばれたから』というだけで、間もなく成人を迎える歳の娘に重責を課し、それでいて感謝の念の一つもなく享受し続けている現状に。


 けれど、皇帝は、王国の外の価値観の人間だ。

 しかも、搾取されているのは自分の想い人なのだから、その状況を受け入れることも、ましてや許すことなどできるはずもない。

「――それでも、民衆があなたに敬意一つでも抱いていたのなら、不誠実な婚約者を排するだけにとどめて、国ごとあなたを護る道もありました

 けれど、彼らは、あなたがこのまま倒れるまで尽くしたとしても、倒れたあなたからでは恩恵を受けられないことに不満を抱きこそすれ、感謝することも、悔いることもないでしょう

 そんな者たちを守ってやろうと思うほど、私は慈悲深い人間ではありません」


 皇帝が王国内での権力を求めないのは、守る気がないからだ。

 支配下に置くということは、その生活を保障することでもある。

 けれど、皇帝は、王国の民のために砕く心など一欠けらも持ち合わせてはいない。

 むしろ得難き指導者である女王を失い、そのために国としての歴史を閉ざすことになろうと知ったことではないとすら思っている。

 だから皇帝は、ただ一人の女性としての女王を求めはしても、そこに付随している女神の加護も権力も、失って構わないと言い切れる。


「こちらの要求は、『女神の加護の持ち主あなたが私に嫁ぐこと』、

 それが果たされるのなら、帝国があなたの国に侵攻することはありません」

 皇帝のその要求に、女王は「はい」以外の答えを持たない。


 帝国が度重なる遠征で得た希少金属は、主に対魔導師用の重鎧に用いられるものであり。

 地方でくすぶっていたという《優秀な人材》は、神の神秘すら読み解く魔導師であった。

 そして、それらを得た帝国は、女神の結界を切り裂く武器と、《聖槍》を無力化する盾を手に入れている。

 さらにいえば、わざわざ攻め込むまでもなく。帝国が販路を全て閉ざし、周囲に圧力をかけるだけで王国はなすすべを失う――国民すべてを養えるほどの、肥沃な土地を持つわけでもなく、帝国に睨まれてでも手に入れたいと思うほどのものを生み出す技術もない王国に、帝国に対抗する手段などありはしないのだ。


「――あなたは、やさしい人ですね」

「はい?」

「私が個人的な幸せを願える立場なら、あなたはただ私に愛を囁けば良かった

 けれど、私は国にすべてを捧げた身

 あなたが私を幸せにしてくれるとわかっていても、私はあなたの手を取ることはできなかった」

 女王は、はにかむようにうつむいて、落ち着かないようすで両手を組み合わせ。


「けれど、あなたの手を取らなければ国が滅ぼされてしまう

 ここまで追い詰められた今だからこそ、私はあなたの告白を心のままに受け入れることができます」

「それは……」

「私を愛してくださって、ありがとう」


 こうして、帝国との交渉は無事に終了した。



   ***



 祭壇の前に立つ、幸せな花嫁となった姉を参列席から見上げ、「どうして、こうなったのだろう?」と。

 少女は、現在の状況を不思議に思う。

 あそこに立つのは、わたくしのはずだったのに、と。

 ずっと、そう思っている。


 少女の周囲に居た人間は、皆、癒しの力を持つ少女を称え、その同じ口で姉のことを否定してきた。

 だから、世界の支配者となる皇帝の傍らで、世界中の人々から《聖女》として敬われて愛されて、《女王》とはいえ、所詮は小国の長にすぎない姉を見下ろす立場に立つ自分を、想像するのは簡単だった。

 なのに、どうして見上げているのが自分なのだろう、と。

 少女は、目の前の現実を受け止められずにいた。


 少女の隣に座る青年もまた、思い描いていたものとは違う現実に困惑している。

 婚約者から「妹の傍に居てほしい」と言われた時、癒しの力という能力を求められ、愛のない結婚をする妹の傍に騎士として付き添ってほしいと、そう言われたのだと思ったのだ。

《聖槍》を持つ自分は、どんな嫁入り道具よりも箔つけになる。

 友好国というほどの交流もない、味方のいない国に嫁ぐ《聖女》を護る騎士に選ばれたことを誇りに思った。

 ――……はずなのに。

 どうして、自分は脇役として、こんなところに座って居るのだろう? と。

 青年は困惑したまま、かつての婚約者が他の男と愛を誓い合う姿を傍観している。


 そんな二人は、特別な力を持つ自分たちこそが大切にされるべきと考え、その力が本来なんのために与えられたものなのか、力を与えられた自分たちに何が背負わされていたのかに目を向けることはなかった。

 だから、女神は彼らを見放した。



 王冠を次代に譲った、かつての女王が結婚証明書にサインをした瞬間、二つの光が彼女に向かって放たれた。

 それは、一つは癒しの少女の左手の甲にあったものであり、もう一つは《聖槍》の使い手たる青年の右腕にあったものであり――それらは二人を《特別な存在》足らしめていた、女神の力を示すしるしであった。

 そして、その時、かつての女王は女神の声を聴いたという。


『力を得ながら、その使い道を誤らなかった王よ。あなたは、属する国が変わっても、その心を変えることはありませんか?』

 この問いに頷けば、女神の加護という《力》を、今度は帝国のために使うことができるのだと、理解した。

 だからこそ、彼女は首を横に振る。

「神話の時代を遠く過ぎ、もはやあなたの力は過ぎたるもの。どうか、このままあなたの御手にお返しすることをお許しください」

 その言葉に、女神は己が与えた力が彼女たち――歴代の王たちにとって負担となっていたことを知る。

『……そう。過ぎたるものは身を滅ぼす、あなたがたは私の我が儘で争乱が起きないよう、奔走してくれていたのね……』

 しょんぼりと肩を落とす女神に同情はするが、否定はしない。

 そうして、ただ柔らかく微笑むだけにとどめる姿に、本当に、自分の力は今の世界にとって不要なものとなっていたのだと理解し、女神は加護を与えることを諦めた。

『あの人と同じ、高潔な魂を持つ者に祝福を――』

 最後にささやかな、神秘を空想やイカサマとして扱うことが主流となりつつある今の世界でも、疎まれない程度の祝福を与え、女神は立ち去った。


 女神との邂逅は、現実の世界では瞬き程度の間だったようで。

 光を受け止め、ふらりと傾いた身体を、隣に立つ皇帝が支える。

 ついで、皇帝はその両腕をとって、癒し手の証も、《聖槍》の使い手の証もないことを確認し、ほっと息をついた。

「よかった」

「良かったのですか?」

「もちろんですよ。あなたにとって重荷となるものは、なんであっても不要です」

「そ、そう……ですか……」

 慣れない扱いを受けたことに頬を染めて、うつむく彼女の額をぐるりと飾るサークレットは、女神の加護の証である虹色の光を失い、ただの装飾品としての美しさで輝いていた。


 一連の流れを見た王国側の重臣たちもまた、安堵の息をついていた。

 けれどそれは、女神の力が帝国に渡ることで、さらなる脅威となることを恐れたからではなく、今まで国のために、文字通り身を削ってきた女王が、ただ一人の女性として幸せになれる未来を思っての安堵であった。

 そうして彼らは決意する。

 自分たちが女王の憂いとならないために、これからも王国のために励もう、と。


 そして、癒し手少女と、《聖槍》の使い手青年は。

 今までは《力の持ち主》として、皆に認められてきた。

 けれど、《力》以外の部分では、何ひとつ認められたことのない二人だった。

 なにせ、その力は生まれた時から傍にあったのだ。

 失った状態での生き方など、想像すらしたことがなかった。


 、二人の生活はこれまでと何も変わらない。

 戦場に駆り出されて、人間兵器としての振る舞いを強いられるわけでも、癒しの力で不死の軍隊を作れと強要されるわけでもなく。

 ただ穏やかに日々をすごすだけだ。

 ――女王が彼らを、《平和》の中に守っていたころと同じように。


 けれど、その意味は違う。

 姉から王位を継いだ少女は、権力を持つにふさわしくないとして、執務室に入ることさえ許されず。

 騎士団長でありながら、戦術の一つも思いつかない青年は、そのことを揶揄われることさえなく。

 なにもせずに、ただ、そこにいろ、と。

 女王の後を継いで国を回す者たちは、《力》を失った彼らを育てるのではなく遠ざけた。


 だから、二人は今日も、ただ穏やかに過ごしている。

 誰からも敬われず、期待されず、求められることもない、穏やかで――無為な日々を過ごすしかない。

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