第4話:鬼ヶ原さんからは、逃れられなかった

 人間、万事が万事、順調ではない。

 よいときもあるし、悪いときもある。浮いたり沈んだりが常だ。


 なので──


「え。絵空さん風邪なんですか」


 いつも僕を拘束する鬼のごとき編集者でも、体調を崩すこともある。

 まあ、彼女が鬼になる原因は基本的に僕にあるのだが。


 ◆


「こほっ、こほっ…すみません、先生。わざわざ来て頂いて」


「大丈夫? 絵空さん」


「はい、だいぶんと落ち着きましたので」


 仕事での相談事があって絵空さんに連絡を取ったのだが、なんと風邪を引いてしまったということで、僕は絵空さんの自宅までお見舞いに来ていた。


 わざわざ体調の悪い時に来るのも迷惑かなと思ったのだが、症状は大したことないものの家に食べ物や薬がほとんどないということらしく、買い出しをかねて様子を見に来たのだ。


「これ、薬ね。ご飯とかは適当に買って冷蔵庫に入れておいたから」


「申し訳ありません、お手数をおかけしてしまって…」


 絵空さんはベッドで身体だけを起こしている。その表情はこちらに迷惑をかけたと思っているのか、非常に申し訳なさそうだ。


「全然、それにいつも迷惑かけてるしこんなときくらいはね」


「…助かります」


「でも、意外だったなあ。いつもきっちりしている絵空さんなのに、部屋に買い置きもないなんて」


 冷蔵庫は空だったし、部屋自体も机とベッド、それに小さな本棚だけで全体的にものが少ない。なんだか、ビジネスホテルみたいな雰囲気で生活感のない部屋だった。


 …と、女性の部屋をじろじろと見るのはよくない。視線を絵空さんに戻す。


「そうですね、あまり家に帰らないもので」


「なるほど…?」


 理由は聞かなくてもわかる。家に帰らない、というか帰れないのは十中八九、僕が締め切りを守らないせいだろう。自分で墓穴を掘ってしまった。


「毎度締め切りギリギリで申し訳ございません」


「あ、いえ、そもそも忙しい仕事ですので……まあ、先生に責任がないとは言えませんが」


「デスヨネ」


 思わず正座になり、目線をそらして小さくなる僕。基本的に絵空さんには精神的にも物理的にも敵わないのだ。なのに、なぜ僕は彼女の私生活をいじってしまったのだろうか。


「とはいったものの、最後にはいいものをあげてくださいますし、ギリギリ…本当に、マジでギリギリですが、一応は期限内になんとかしてくださるので、別に怒ってはいません」


「ほんと…?」


「ええ、本当ですよ」


 そういう絵空さんの表情は毎度の如く、真顔で無表情だ。

 怒ってるのか怒っていないのか、まったくわからない。


「あ、そうだ。これも買ってきたんだ」


「それは…くーるぴた、ですか」


 くーるぴた。おでこにぴたっと貼る所謂、冷感シートと呼ばれるものだ。熱があるときはこれで結構楽になるので、僕は愛用している。締め切り間近のときもだが。


「うん。貼る?」


 シートを一枚取り出して絵空さんに見せる。

 すると、絵空さんは驚いたように目を見開いた後、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。推察するにどうやら絵空さんはひどく照れているようだが…なぜだろう。


「あ、ありがとうございます。では…その…お願いします」


 そういって、絵空さんはこちらを向いた後目を瞑ってしまう。


 それで気付く。

 …ちょっと待て、これは僕が絵空さんにくーるぴたを貼る流れになっているのか!?


「……」


 目を瞑ったまま動かない絵空さん。

 彼女は僕の「貼る?」という台詞を「貼ってあげようか?」と勘違いしたようだが、ここで「いやいや、自分で貼るんだよ〜」とも言い出せず、僕はおっかなびっくり絵空さんのちいさなおでこにシートを貼ってあげた。

 原稿にトーンを貼る100倍くらい緊張した。


「よし、貼れたよ」


 その声にパッと目を開ける絵空さん。シートを貼った直後だったので、至近距離で目が合ってしまう。

 次の瞬間、絵空さんの顔が真っ赤に染まる。


「ひあ……ち、ちか……」


 聞いたことのない声を出して、へたり込む絵空さん。熱が上がったのかと心配して、彼女のおでこに手を当ててみると、くーるぴた越しでもわかるほどの高熱だった。


「大変! すごい熱だよ、絵空さん!!」


「~~~ッ!!」


 高熱で苦しいのか、絵空さんの声にならない悲鳴があがった。


 ◆


「落ち着いた?」


「ふー…はい…すみません。もう、大丈夫です、落ち着きました。絵空は落ち着きました」


 今、目の前には絵空さん…ではなく、ふとんの塊がある。あの後、絵空さんはなぜかふとんを被ってその中に引きこもってしまったのだ。苦しくはないのだろうか。


「でも、やっぱり薬飲んだ方がいいかも」


「そ、そうですね。まったく、風邪には困ったものです、風邪には」


「絵空さん、今日なにか食べた?」


「あ、いえ。あまり食欲がなくて。なにも食べていません」


「そっか、でも、薬飲む前になにか食べたほうがいいね。僕、作ってくるよ」


「先生がですか…?」


 しゅぽんとふとんから顔だけを出す絵空さん。

 表情はいつも通りの真顔に戻っているが、その格好と表情が合ってなくてちょっと面白い。


「うん、簡単なものになるけど」


「そんな、悪いです。そこまでしてもらう訳には」


「大丈夫、大丈夫。でも期待はしないでね」


 と、自信満々に言ってみたが、あまり料理は得意ではないし、相手は病人だ。手の込んだものよりも食べやすいものの方がいいだろう。ちょっと悩んで結局、うどんを湯がくことにした。


「はーい、おまちです」


「ありがとうございます。すみません、食事まで用意していただいて」


「まあまあ。さあ、冷める前に早く食べちゃって」


 絵空さんは身体を起こし、お盆を膝に乗せてうどんを食べ始める。食欲がないと言っていたが、すこし体調が戻ったのか、割と箸は進んでいるようで安心した。


「ん…おいしいです、先生」


「湯がいただけだからなあ、おいしいならうどん自体がおいしいやつだったんだよ。僕は別になにもしてないよ」


「そんなことありません。今日の先生はすごく頼もしいです」


「いやはや、いつも頼りなくてすみません…」


「あ…っと、そういう意味で言ったのではないのですが」


「いや、でもこうやって絵空さんが体調崩しちゃって、改めて実感したよ」


「実感、ですか?」


「うん。やっぱり僕には絵空さんがいないとダメだなって。情けないけど、僕一人じゃなんにもできないからさ」


 スケジュールやお話の展開や校正。絵空さんには本当にお世話になってばっかりだ。彼女が担当になってからまだ一年も経っていないが、絵空さんのいない仕事なんてもう考えられない。


 そう思って苦笑していると、絵空さんがこちらを見つめていた。


「違います。それは違いますよ、先生」


「絵空さん?」


「先生はたしかに、期限は守りませんし、スケジュールなんて端から覚えようともしません。それにすぐに逃げだそうとします。というか実際に逃げちゃいますし」


「すみません…」


「そんな風に先生には、プロとして、大人としてどうなんだと思うところはある…いえ、めちゃたくさんありますが」


「めちゃあってすみません…」


「…それでも先生は、先生にしか作れないものを作れる人です」


「僕にしか作れないもの…?」


「はい、そうです先生。先生の作る漫画は…お話は先生にしか紡げません。わたしはそのお手伝いをしているだけです」


 絵空さんは食事のことなど忘れ、真剣にこちらを見て話している。

 いつもの無表情とは違う、真剣な表情。そしておでこには先ほど貼ったくーるぴたのシート。


「えっと…ですね。その、なにが言いたいかというと…」


 色々言いたいことがあったのか、それとも上手くまとまらないのか、彼女はうーん、と考える様子を見せる


「先生は別に一人ではダメとか、そういうのではないということです。わたしも自分のできることでお手伝いしますので、なんと言いますか…持ちつ持たれつ、という感じで今後もやっていければ、わたしもうれしいな…と」


 …と結論からいうと、どうやら絵空さんは僕をはげましてくれているらしい。まったく、風邪のお見舞いに来てまで、相手に気を遣わせるなんて、本当に自分のふがいなさには辟易とする。


「そっか、ありがとう。僕は自分に自信がないけど、絵空さんがそう言ってくれるならきっと、そうなんだろうって思えるよ」


「いえ。その…本当のことですので」


 それから絵空さんと仕事の話や、それとは関係のないとりとめもない、いろんな話をした。


 そこで少し気になって聞いてみたことがある。

「絵空さんは、どうして僕みたいなのにそんなに真剣に向き合ってくれるのか?」と。逃げ出しても追いかけて、つなぎ止めて、一緒にいてくれるのはなぜなのだろうかと。仕事であるならば、嫌なら別の人の担当になると言うこともできるのに。


 すると絵空さんは、大切な自分だけの秘密を教えてくれるような無邪気で、そして悪戯を隠しているような子どものような笑顔で、僕に教えてくれた。

 昔、自分がどうしようもない状況にいたとき、たまたま読んだある漫画に救われたのだと。


 そして「だから、これはただの恩返しなのです」と絵空さんは言った。

 僕はその「だから」の理由がわかるような気がした。


 ──唯々、そうであったらいいなと、思った。


 ◆


 それから数日が経ち。

 絵空さんは無事に復調し、職場と僕の担当業務に戻った。いつも通りなにを考えているのかわからない無表情で、それでも迅速に仕事をこなしている。


 そして、僕はと言うと。


「先生? なにをしてらっしゃるんですか」


 また増えた玄関の鍵を解錠していると、背後から鬼のような怒りをまとった気配を感じ、振り返る。そこには当然、僕の担当編集である鬼ヶ原絵空さんの姿があった。


「ひっ…おに、鬼ヶ原さん…!!」


「絵空です、先生」


 僕は蛇ににらまれたハムスターのようにぴるぴると震える。


「まったく…で、今度はどこへ逃げようとなさってるんですか」


「ちょ、ちょっと、コンビニまで」


「そんな巨大なバックパック背負ってですか?」


 絵空さんの言うとおり、僕の背中には旅人御用達の自分よりも大きいくらいの巨大なバックパックがあった。今回は逃亡経路を陸路で攻めるつもりだったが、その前に見つかってしまった。


「近くのコンビニとは言ってないし…?」


 自分でも意味がないと思うような台詞を吐いてみるが、もちろん効果はない。そして、はあ、という大きなため息の後、絵空さんはいつもの荒縄を持ち出して、こう言った。


「──さ、先生。これからあなたを拘束します」


 ぴしり、と聞き慣れた縄の音が鳴る。


 そうして。

 僕はやはり、絵空さんからはどうやったって逃れられないらしい。


 これが、締め切りを守れない漫画家、小田原パンダ(ペンネーム)と

 その編集者、鬼ヶ原絵空のお話なのだ。


 終わり

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鬼ヶ原さんからは逃れられない 四辻達海 @ytj-42nowhere

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