第3話:鬼ヶ原さんからは、とても逃れられない
間違い。ミス。というものは誰にでもある。
人間だから間違うのはしょうがないし、本人がどんなに努力しても防げないミスというものは、まあざらにあるものなのだ。
「先生、本当にすみませんが、これからあなたを拘束します…ほんと、ごめんなさい」
絵空さんが本当に申し訳なさそうな表情で僕を簀巻きにしている。どうやら会社からの連絡に手違いがあり、イラストを一枚、今夜中にあげないといけなくなったらしい。そのため本日はカンヅメで作業となる。
「しょうがないよ、会社の伝達ミスなんだから。それに僕も確認してなかったしね」
「いえ、完全にこちら側の落ち度です。本当に申し訳ありません」
「大丈夫だよ~」
そして簀巻きにされたまま仕事部屋へと引きずられていく僕。予定にない作業は、まあいつもこっちの遅れをなんとかしてもらっているので、全然かまわないのだ。
…かまわないのだが。
「えっと…ごめん、絵空さん」
「はい、どうかしましたか、先生」
うんしょ、うんしょと僕を運んでいた絵空さんはきょとんとした表情。
「あの、全然自分で歩けるから運んでもらわなくても…?」
その台詞に「はっ」として固まる絵空さん。
いつもは僕が逃走しようと必死なので無理矢理に運ばれていたが、今日は珍しく逃げだそうとしていないので別に運んでもらう必要はないのだ。
「…すみません、無意識でした」
そもそも無意識になるほど毎度縛られている僕側の問題のような気がしたが、たまにしかない立場なので、僕は「ふふ、かまわないさ」とドヤ顔で答えておいた。
しかし、ちょっとテンパっているのかそのまま「すみませんすみません」と僕を引きずっていく絵空さん。
…まあ、誰にでもミスはあるものなのだ。
というか、立てよ、僕。
◆
「よーし、じゃあちゃちゃっと仕上げちゃうかあ!」
無事作業部屋まで輸送され、椅子に縛られた僕はペンを握り、意気揚々と作業へ取りかかる。
「ありがとうございます、先生。わたしも終わるまで側で待っていますので」
「寝てても大丈夫だよ? たぶん、夜明けまでには終わると思うし」
現在時刻は24時。線画と簡単な着彩まで出来ているので、多少急げばとりあえず納品できるラインには持って行ける。いつもはアイデア出しなどで絵空さんのサポートが必要になるけれど、今回は描くだけなのでそれも問題ない。
「いえ、無理をお願いしているのはこちらですので」
「えー? 全然、休んでくれていいからね」
絵空さんはこくり、と頷いたが、僕の作業に付き合うつもりらしく自分もPCを開いて作業を始めた。
まったく、真面目な人である。まあいい、こちらがさっさと仕事を終わらせてしまえばいいのだから。
…が、思いの外、作業は難航した。
「いかがですか、先生」
「うーん…進んではいるんだけど、なんかこういまいちイメージ通りの絵にならなくて」
「そうですか…」
顎に手を当てて、なにやら少し考えているようすの絵空さん。
「どうでしょう、先生。すこし休憩するというのは」
「休憩?」
「はい、まだ時間に余裕はありますし、一度気持ちを切り替える意味でも」
時計を指す絵空さん。たしかにまだ余裕はある。
「そうだね、そうしよっか」
「了解です。わたし、コーヒー淹れてきます」
絵空さんは立って、キッチンへと向かう。
この作業部屋はマンションの一室を使っているので、キッチンやらは普通に備え付けられている。
「いやー、いつもは休憩なんてないのに。毎回こうならなあ」
ちょっと休憩なんて人間的な行動、気持ちと心が豊かになるねえと一人で呟いていると、出ていったはずの絵空さんがドアの隙間からにらんでいた。じっと見ている様子はかわいいが、目が普通にこわい。
「それはいつも先生がギリギリになって逃げようとするからです。絵空だってほんとは毎回休憩したいです」
「…はい、すみませんほんと」
調子に乗るなかれ。今回は違うとしても、基本的に迷惑をかけているのはこちらの方なのだ。自分が被食者なのを忘れてはいけない、と僕はハムスターのようにぷるぷると震えた。
◆
休憩。憩いの時間かと思ったが、それはなかなかに過酷な時間だった。
現にいま僕は両手両足を縛られたまま、淹れたてのコーヒーを飲まされようとしている。
「どうぞ、先生。コーヒーです。熱々の」
「ちょっと待って絵空さん! 待って待って!?」
「いえ、待ちません。先生、休憩時間も有限なのです。有限なものは有効に使わねばなりません」
「いやでも、さすがに熱々のコーヒーを他人に飲ませてもらうってのは無理がある…ってアッツイ!!」
「安心してください。やけどしないぎりぎりの温度を攻めてみました」
無表情でサムズアップする絵空さん。
「なんでそんな謎の努力をするのかな!? っていうか、縄解いてくれたら自分で飲むから!」
「だめです。今回はこちらの落ち度ですが、それは先生を縛る縛らないとはまた別のお話ですから」
「そんなことないと思うんだけどなあ…」
「はい、『そんなことないと思うんだけどなあ…』頂きました。そう言って先生この前、富山まで逃亡したじゃないですか」
口ごもる。電車を降りたとたん、追ってきた絵空さんに背負い投げされて捕まったのだ。
あれは痛いし、恥ずかしかった。
「絵空はもう欺されません。ほら、先生。まだたくさんありますから、飲んで飲んで」
ぐいぐいとカップを押しつけてくる絵空さん。今は作業部屋を出て、リビングのソファで横並びになっている。
「おいしいですか?」
「うん、めっちゃ熱いけどおいしい。コーヒー淹れるの上手いね、絵空さん」
「まあそれなりに。…昔、喫茶店でバイトしていたので」
「へー…なんか意外」
絵空さんはきれいだし、喫茶店で働いているのは絵にはなりそうだが、いかんせんこの仏頂面である。喫茶店で働く絵空さんは、お店に抜き身の日本刀が置かれているのに近しい違和感があっただろう。
「意外。なにか失礼なこと考えていませんか、先生」
「いえ、そんなそんな。滅相もございません」
横からジッとにらまれているのを感じる。
そういえば、絵空さんが僕の担当編集になってから半年ほど経つが、こんな風に絵空さんの昔のことや私生活のことはあまり聞いたことがなかった。
「そういう先生は漫画家になる前、会社勤めだったんですよね。その方が意外だと思います」
それを言われるとぐうの音もでない。
…が、ふと違和感に気付く。
「あれ、昔会社に勤めてたのって絵空さんに話したっけ?」
「……」
「絵空さん?」
「えと……編集長に聞きました。そうです、編集長です。思い出しました」
なんだか妙な間があったが、なるほど、あいつに聞いたのか。
今の編集長は絵空さんの前に僕の担当編集だったのだ。あの人のやることだ、あることないこと絵空さんに吹き込んでいるに違いない。
「そういえば、聞きたかったのですが」
「うん?」
「先生は、どうして漫画家の道を選んだのですか?」
「え、やっぱり漫画家向いてないかな…」
「いや、ちが…そういうことではなく、その、なんていうんだろ、どうして安定した生活を手放して漫画家になったのかな、という…?」
絵空さんにしては珍しくしどろもどろな様子。
ちょっと面白かったので、もう少しからかうなり、様子を見るなりしていたかったが、あまりやり過ぎると勝てないのはわかっているのでやめておく。
「そうだなあ。昔、ネットに自分の描いてた漫画を載せてたんだけど、それが編集長の目にとまったんだよね。あの時はまだヒラの編集だったけど」
「『あげく、この果て』って作品ですよね。わたしも読みました、あれはよいものです」
「えー、うれしいなあ。ちょっと恥ずかしいけど」
昔書いたものは今の目で見れば拙いし、荒い。
でも、気持ちを込めてつくったものだったので、それを読んでくれていて、しかも褒めてくれるのはとてもうれしかった。
「まあ、それが切っ掛けになって編集長に『仕事やめて、うちで描けばいーじゃん』って誘われてね」
「そんなちょっと飲みに行こう、みたいなノリで…あの人らしいというか…」
「うん、あいつなんも考えてないよね、絶対」
自由気ままにして、傲岸不遜。あの性格でよく編集長が務まるものだ。
ちなみに絵空さんの謎に極まっている緊縛術も編集長からの直伝らしい。
「で、めちゃくちゃ迷って、でも自分に自信なんてなかったし、まあ趣味で続けていくのがいいかなあって思って最初は断ろうとしてたんだ」
「では、どうして」
「いやあ、出版社に声かけられたってことを自分のサイトに書いたら、ファン?の一人がすっごい真剣なコメントをくれたんだよね。ずっと長い間読んでくれてた人なんだけど」
いまでもしっかり覚えている。
自分のことのように喜んでくれた、名前も顔も知らない誰か。
「内容は恥ずかしいから要約すると、『絶対、漫画家になるべきだと思う。あなたの作品には誰かを勇気づける力があるから、もっとたくさんの人に読まれるようになったら本当にうれしい』とかそんなことね。めっちゃうれしかったなあ」
「……」
「その人の顔も知らなかったけど、だからこそ親しい人の言葉より、僕の心に響いたんだ。あー、自分にもなんか人の心を動かせるものがあるんだなって」
「そう、だったんですか」
ハッとして気付いたが、なんだか深夜のテンションで、思わず語ってしまった。こういう男の自己中心的な語りは大概女性には嫌われるものだ。引かれてはいまいかと、絵空さんを見てみると、なぜかすごく不安そうな表情をしていた。何故。
「先生は、その人の言葉を聞いて、漫画家になったこと後悔したことってありますか?」
「い、いやあ、どうだろう。大変だけど、まあ後悔、はしてないかな」
それに最後に決めたのは僕だし、と苦笑する。
そして隣に座り、不安げな表情をする絵空さんをからかうように言う。その表情の理由はわからないが、彼女を仕事以外のことでまで不安にはさせたくない。
「ま、今の僕には鬼ヶ原さんもいるしね」
「…絵空です」
いつものやりとりで、いつもの無表情を取り戻す絵空さん。
たまに出来る仕返しに笑っていると、突然肩に重みを感じた。見れば絵空さんが僕の肩に寄りかかっている。
「先ほどはああ言いましたがやはり、ちょっと疲れました。すみませんが、肩をお借りします」
「えっと…絵空さん…?」
「しー。先生、わたしはすこし眠りますので」
そう言って絵空さんは、にやにやとした笑みを浮かべ、こちらの唇を指でふさいでくる。いつもは見せない表情や行動に心臓がどきどきと鳴っている。
「休んでいいと言ったのは先生です。大丈夫、肩借りるだけですから。…後で返します」
「後で返すって、それって一回肩肉持ってかれちゃうってことじゃ…」
しかしそのツッコミには返答がない。
見れば、すでに見事な寝息を立て眠ってしまった絵空さん。
「ええ…?」
僕は、金縛りにあったかのように動けなくなる。だけど、嫌な気はしなかった。いつも自分の仕事に付き合わせてしまっているのだ。今日くらいはすこし、彼女に付き合ってみるのもいいだろう。
だって、隣で眠る絵空さんは、今までで一番安心しているように思えたのだ。
──ちなみに。
このあと二人ともしっかり寝過ごして、結局いつもよりも必死になって仕事を終わらせた。
…なんとか間に合ってよかった。
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