第4話「手紙」
「怖い、めちゃくちゃヤバいよサムくん。アケミが罰を与える? も、もしかしてタカシは病院で……?」
「大丈夫だ、死んでねーよ。さすがに病院での不審死はニュースになる。少し前に面会に行ったけど、タカシはピンピンしてたぜ。まぁなに聞いても上の空で、どこ見てんのかわからなかったけどな」
「まだ言ってるの? そのアケミの話……」
「いや基本はだんまりだ。でもおれがアケミって名前を口にした途端、狂ったように……ていうかもう狂ってんだけど、苦しそうに耳を塞いだよ。今のレイカみたいにな」
レイカは自分の耳を塞いで「あー! あー!」と奇声を上げていた。マジで怖い。そんなレイカを見てサムは、なぜか満足気に笑っていた。やっぱりサムもかなりヤバい。
「結局、この事件はまだ進行中だ。結末は不起訴になるだろうが、被疑者の調書がまだ取れてないから検察に事件を送致できねーんだ。ま、今はタカシの回復を待つしかねーな」
「こ、怖かった……、やっぱり生きてる人間の方が怖いよ。私、あったかい飲み物頼もうかな」
ぶるりと身を震わせてカナコが言った。俺も妙に寒気がする。サムはこんなところに身を置いて働いてるのか。絶対、常人には務まらない仕事だ。頭がおかしいと思っていたけど、なるほどサムみたいな人間にはピッタリな仕事なのかもしれない。
ふとサムを見ると、なぜかサムは不自然に笑っていた。目は笑ってないのに、唇が歪むように引き攣っていたのだ。
「おい、サム?」
「どうした、ヨシ」
「お前、変だぞ。いや変なのは前からだけど、なんかおかしいぞ」
「……あぁ、正直参ってんだ。まだこの話は終わってないからな。本当に怖いのは、ここからだ」
「終わってないって……サムくん、どういうこと?」
「タカシが被疑者のこの事件、今はタカシの回復を待つしかないって言ったよな。タカシの被疑者調書、再現見分、引き当たり……未了の捜査はまだまだある。だけどな、事件はこれだけじゃなかったんだよ」
「これだけじゃない? どういう意味だ?」
「──タカシの事件から六日が経った夜、同じような事件が起こった。マッチングアプリで出会った男女の揉めごと。男が女を殴った傷害事件、もちろん逮捕事案。タカシの事件に、とてもよく似た事件だった」
「え……? 二回目?」
「その日もおれの当直でな。体が空いてたおれは現場に応援で行ったんだ。今度の被疑者の名前はマサヒコ、二十五歳の社会人。先着した地域課がそのマサヒコを
サムはそこで一旦言葉を止めた。アイスコーヒーのグラスが空になっていることに気がついて、またもお代わりを店員さんに注文する。そして深い息をひとつ吐いて、サムは続けた。
「──そこにいたのはあのユミだった。ユミはおれを認めると、笑いながら言った。『また会えましたね、刑事さん』って。鼻は前回の傷でギプス状態、今回は唇からの出血だ。さすがにおれも、これにはビビった」
「ヤバい。サムくん完全に狙われてるじゃん……!」
カナコが恐怖に叫んだ。鼻血を流しながら笑うユミを想像してしまい、俺も体が強張る。サムも恐怖を感じているのか、それとも暑さからなのか、額にうっすらと汗をかいている。
「おれもそう思ったよ。おれら刑事の当直って、六日に一度のペースで回ってくるんだ。よくもまぁユミの事件をまた引いたもんだ、二当番連続かよツイてねーなって思った。でもユミは言うんだ。『今日が刑事さんの当直って知ってましたよ』って。『制服のお巡りさんに勤務のめぐりを訊いたんです』って続けた。これはマジでヤバい、久しぶりにそう思ったわ」
俺だったら確実にチビってる事件だ。サムを介して聞いているハズなのに、まるで自分がユミに狙われていると錯覚するほどの恐怖。ぬめりと纏わりつくような、そんな不快なものを感じる。
「ユミはマサヒコと、やっぱりその日に初めて会ったらしい。もちろんきっかけはマッチングアプリだ。ユミはマサヒコと意気投合して、二次会と称してマサヒコの家に上がった。今回もユミに対する性的な暴行はなかったらしいが、マサヒコはいきなりユミに手をあげたらしい。で、後はタカシの時と全く同じ流れだ。被害届は出ず、そして広報もなし。マサヒコは翌日釈放され、そのまま医療保護入院で精神病院に入った。同じ言葉、呟いてたよ」
「またアケミが来る……って?」
「あぁ。狂ったように……ってもう充分に狂ってんだけどな」
「なぁサム、例のアケミはやっぱりユミのカバンに入っていたのか?」
「入ってたよ。ユミは血を流しながら、自分のカバンからアケミを取り出して、まるで子供が人形遊びをするようにおれに言ったよ」
「な、なんて……?」
「──『次は刑事さんの番だね』って」
「あー! 怖い怖い怖い! サム、なんて話すんのよ! 夜トイレ行けなくなったらサムのせいだからね!」
やっぱりこっそり聞いていたレイカが、半狂乱になりながら叫んでいた。レイカの気持ちはわかる。間違いなく、狂った人間が一番怖い。どうして人が狂ってしまうのかわからない分、いつか自分がそうなってしまうんじゃないか──、という根源的な恐怖を煽られるからかもしれない。
サムは第二の事件の顛末を語る。結局、タカシと同じようになってしまったこと。マサヒコはタカシとは別の病院に入院することになったが、事件のことはおろか普通の受け答えさえできない、タカシと同じ状態にあること。
サムは再びユミから被害者調書を取ったが、二回目についてもユミは調書に署名指印をしなかったこと。『刑事さんは、まだアケミを信じてないの?』とユミに問われたこと。もちろん今回も、被害届は出さずに広報もしてほしくないということ。そして。
「傷害事件に遭ったユミは、被害者支援制度の対象者になる。二回とも対象事件だ。短期間で二度も被害を受けるなんて珍しいよ。で、被害者支援担当の
「使われてない? なんで?」
「嫌な予感がして、おれはすぐに調べ直した。地域課の現場メモにもおれの捜査報告書にも、確かにユミの電話番号は080−××××–××××って書いてある。でも本当に通じなかった。次はユミ自身について調べた。そしたら驚いたよ。どう調べても、ユミって女は存在しないってことがわかったんだ」
「──え? どういうこと?」
「ユミの
「そんなことあるの……?」
「被疑者の人定特定は確実にやるよ。逮捕って、憲法で保障されてる身体の自由を奪うワケだから、犯歴調べたり免許引いたり市役所に戸籍照会するくらいだ。ただ被害者の確認となると若干甘くなる。最初は自称でもいいかってくらいにな。最終的に送致する段階で照会すりゃいいだろ、って感じだ。それでユミについて調べ直したら、ユミが言った住所には別人が住んでたし、通ってるって言ってた大学にも籍はなかった。電話番号を照会しても、その番号は一年前に前の持ち主が解約したきり、誰も使ってないってことがわかった。本当にどこの誰だかわかんねーんだよ。でもユミは確実に存在してる。傷害事件は被害者の全身像と負傷部位を撮影するんだが、そこには確実にあのユミが映ってた」
「写真に写るってことは、本物の人間なんだよね?」
「普通の人間とは思えないくらい、笑顔の写真だったけどな。被害者写真に写る顔じゃねぇよ、あんなの」
「なんでそんな笑顔? ていうかそんなウソついて何がしたいの……?」
サムはグラスに残った氷を口に含むと、表情を歪めて噛み砕いた。ごりごりと音が鳴って砕ける氷。ごくりとそれを飲み込むと、口許を拭う。力の入ってないような目つきで。
「わかんねーんだ、マジで。おれらにウソついたって得なんかしない。ましてユミ──、いやユミ
「何のためにウソをついたのか、わからないってこと?」
「そうだよ、カナコちゃん。あの女の目的は謎だけど、確実に存在する。マッチングアプリで出会った男に、二度も殴られた可哀想な女だ。だがあの女はユミじゃない。今時、無戸籍の人間なんてほぼいないから、あの女は確実にどこかの誰かなんだ。でもわからない。おれたちが手を尽くして調べても手がかりすら得られてない」
「マッチングアプリは?」
「もちろん運営会社にも照会を掛けたさ。でも本人確認は行ってないって回答だ。ウソのプロフィールでもOKってことだな。そのアプリだって、SIMのないスマホでもwi-fiがありゃ繋がるだろ。手詰まりだよマジで」
「怖いな、いろんな意味で。なぁサム、この事件の被害者は消えちまったってことだろう? この事件は今後、どうなるんだ?」
「必要事項は初っ端に聞いてるから、被疑者二人が回復して、供述できるようになれば送致はできる。そうなりゃ事件は終結だ、問題はない。問題はないんだが、確かに気持ち悪いよな」
「それが今回の怖い話か。狂った被害者と狂った被疑者、おまけに被害者はどこの誰かもわからないウソ吐きだった。目的は不明で今どこにいるのかもわからない、か……。本当に怖いな」
「あぁヨシ、気をつけろよ。あの女、見た目はすげぇ美人だしヨシのタイプに完全合致だぜ。だからマッチングアプリには本当に気をつけろ。あんな女引いたら人生終わってもおかしくないからな」
新たに運ばれてきたアイスコーヒー。さっきから飲み過ぎだと思うが、おそらくサムは喉が渇いているのだろう。と言っても少し異常な気がするけど。そんなサムに、俺は言った。
「俺はマッチングアプリなんてしないから大丈夫だよ。そんなアプリに手を出しそうなサムのほうが心配だ」
「マッチングアプリにあんな女が混じってるって知っちまったんだぜ。怖くてできねーよ。しかもおれはもうあの女と出会っちまった。最悪だぜマジで。今日な、署に手紙が届いたんだ。おれ宛で差出人は書いてない。マジで嫌な予感がしたよ。見るか?」
「手紙? 署に、お前宛に?」
「捜査書類や証拠品を外に持ち出すことはできねーけど、これは事件の証拠品じゃない。おれ宛のただの手紙だ。だけどこれは……ビビるぜ、マジで」
そう言ってサムはカバンの中から封筒を取り出して、俺に渡してきた。シンプルなその白い封筒には「水瓶警察署 刑事第一課 寒坂様」と書いてある。
封筒を開けると、折り畳まれた一枚の便箋が出てくる。開いてみて、俺は慄いた。そこには白い便箋に、何故か赤い文字で。
『アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。
アケミが行くからよろしくお願いします。』
本当に怖いと思った時、人間は固まってしまう。サム以外の三人とも、その手紙を見て完全に、ピクリとも動けず固まってしまっていた。
「オチのねぇ話で申し訳ねーけど、おれが直近で体験した話だ。ていうか今も続いてる。最近疲れも取れねーし、肩もなんか重いんだよなぁ。疲れてるっていうか、憑かれてんのかもな」
「……笑えない、これは怖すぎる」
「いや笑うしかねーだろ。きっとその内、おれんとこにも『アケミが来る』。拳銃が効く相手なら勝ち目はあるが、どうかな。もしおれが負けて狂っちまったら、見舞いに来てくれよな、みんな?」
サムは乾いた声で笑った。いつもの俺なら「お前はもう狂ってるから大丈夫だ」なんて言うのだけど、今回ばかりは軽口を叩けなかった。俺もカナコも、そしてレイカもだ。
──────────────
生きている人間の方が怖い。
これはよく聞くフレーズだけど、近しい人間から聞いてしまって本当に怖くなってしまった。
サム曰く、普通の人はまず関わらないけれど、狂ってしまった人間は俺たち普通の人間が思う以上に多いらしいのだ。
そして人間が狂ってしまう原因は未だ解明されてない。そこが一番怖いところだ。
そして、あの話を聞いてからもう二週間が経つけれど。いつもならサムからお茶のお誘いの連絡があるタイミングなのだけど。
不思議とサムからの連絡は、まだ来てない。
【終】
刑事寒坂のわりと怖い捜査指揮簿 薮坂 @yabusaka
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