17.動けぬのなら他人の足で

 転生者である以外、俺は思っていることのほとんど全てをじぃじに吐き出した。

 正直言って、殴られることを覚悟していた。俺が思ってしまったことは大の大人が赤子に拳を振りかざすくらいのことなのだから。けれどもじぃじは拳を振りかざすことも怒鳴ることもせず、ただ一言「そうか」と言っただけだった。


「……へ?」


 肩透かしを食らった俺の口から間抜けな声が漏れ出る。今俺の顔は声以上に間抜けなことになっているのだろう。アルトアイゼン王国は歴史の都合上、家督は長男が継ぐものであるという意識がそれほど強いわけではないのだが、それでも基本的には年功序列に従い長男が家督を継ぐことになっている。

 その長男があろうことか家督を継ぎたくない!けど追放はされたくない!とふざけた我儘を言ったのだ。どうしてそんなに軽いの?どうして怒らないの?と思う俺の脳みそは正常だと信じたい。…ついさっきまでだいぶおかしくなっていたけど。


(どうしてそんなに落ち着いてるんだ?)


 そんな俺の疑問に答えたのはじぃじ…ではなくリア姉だった。

 じぃじの懐にすぽりと収まっていた俺を抱き上げ、再び自分のもとに戻してから彼女は口を開く。


「アルの気持ちは当たり前のことよっ。私だって他の家に行かないで、ずっとこの家にいたいわ。アルと一緒に遊びたいもの」

「……?」


 一瞬彼女が何のことを言っているのか分からなかった。

 けど振り向いて見えた彼女の瞳は悲し気に揺れていて…。


(あぁ…そっか)


 彼女もまた、俺と同じく生まれる前から人生の行き先が決められている一人なんだということに遅ればせながら気付いた。

 そう。俺が生まれながらにして辺境伯家の当主であることが定められているのであれば、リア姉には生まれながらにして将来、他貴族家に嫁入りをしなければならない運命さだめがある。それも自分ではなく、親が決めた相手の家に。


 自由恋愛?何それ庶民の遊び?貴族ならやっぱり政略結婚っしょ!……図書室で読んだ本にはこんな内容のものしかなかったから、全員が全員そう考えていて受け入れているのだとばかり思っていた。本物貴族偽物は根本から違う生き物なんだって…。けど実際には全然違った。彼彼女らも俺と同じ人間なのだ。


「だから、ね?アル。いやだって思うことは恥ずかしいことじゃないのっ…ね?じい様!」

「そうだぞぉ…賢いなぁオレリアわぁ」


 リア姉から溢れんばかりの笑顔をもらったじぃじは顔をだらしなくさせた。それから少しして表情を引き締る。


「いいか、アルテュールよ。青い血を受け継いだ者は皆例外なく抗い難い定めを背負い生まれてくる。そしてその定めから目を背けるな、逃げるなと貴族は言うが……はっ、馬鹿馬鹿しい。そうさえずっている奴らも遡れば何度も定めから目を背け逃げている」

「そうよそうよ!」

「背けたいのであれば目を背けろ、逃げたいのであれば逃げてしまえ。それらは何ら恥ずべきことではない当然のことなのだ」

「当然よ!」


 貴族とて只人。嫌なものは嫌だしプレッシャーだって感じる。

 そう考えると案外辺境伯家当主ってのは見えないどこか雲の上にある存在なんかでは全然なくて、すぐそことは言えないけれど辛うじて見えるところにはあるんじゃないか。頑張りさえすれば手が届くんじゃないか。気持ちが少しだけ軽くなった気がした。


「実に恥ずべきはそこで思考を止め、立ち止まってしまうことだ」

「…はい」


(俺はどうせくよくよしたままでここからは


 けれどもそれが出来れば苦労しない。出来ないからこそ俺は俺のままだし劣等感は自信に変わることがないのだ。


 折角目指すべき場所が見えたというのに劣等感の分厚い雲が覆い隠してしまう。

 あるかどうか分からない、見えないものを探し求め続ける意思の強さが俺にはない。自分ならばきっと探し出せると思える自信もない。問答無用で雲を突き破る才能もない。


 ない、ない、ない。

 俺には何もない。


「そして今、お主は立ち止まっている」


(あぁそうだ、じぃじの言う通りだ。俺は…俺は……)


 今までよりもさらに深くジメジメとした暗闇に心が落ちていく。そこに光が差す。


「だが思考は止まっとらん。足が動かぬだけよ」

「え…?」

「ならば思考せよ。そして他の者の足を動かし押させよ。歩かずとも進むことは出来る」


 突然、じぃじの声質が変わり権力者のそれになった。偉そうな声で偉そうに言った。


(無茶苦茶だぁ…)


 ハチャメチャだった。一瞬にして暗闇を振り払うほどの輝きと力を持った暴論だ。けれども彼の言っていることは理解することが出来た。


 俺は今立ち止まっている。このままでは駄目だ、どうにかしなければいけない思うものの足が動いてくれない。


 でも考えることは出来ている。


 考えたことを行動に移すことが出来ないのは劣等感がその繋がりを断ち切ってしまっているから。もう一度言おう、考えること自体は出来ているのだ。


 ならば、劣等感が介在する余地のない繋がりを作ってしまえばいい。

 俺が考えて他の人間が動き俺ごと動かす。これならば劣等感が働き何も出来なくなるといった無様な状況に陥ることはない。暴論、故に単純明快。


「儂が何を言いたいか分かったか?」

「あい、いちお一応

「ならば良し。ほれ、早速やってみろ。今限定で動かせるどこにでも行ける都合のいい爺がここにおるぞ」


 普段通りの声色に戻ったじぃじが俺の瞳を覗くと芝居がかった動きで大きく腕を広げた。


(行かなければならない)


 じぃじには「期待?勝手にさせとけばいいだろうそんなもの」って言われたけど、俺は父上と母上の期待に応えたかった。分厚い雲から差す一筋の光の先に微かだけど目標が見えた。けれど今は俺の足でそこに辿り着くことは出来ない。


ならばじぃじに運んでもらえばいいのだ。


「…じゃあ、しゅーかいじょ集会場までつれてってくだしゃい」

「相分かった。今ばかりは儂がお主の足となろう」


 我が意を得たりとにぃと笑ったじぃじの肩にひょいと置かれた。私も!と自力でよじ登ってきたリア姉が空いている方に落ち着くと陸戦艦マクシムは紺青の間に向かって動き出す。


 手を伸ばしても届かない安全地帯。いつもならただただ怖いだけのその高さが今は心強かった。





 ◇◇◇




 時は少し遡り、場所は『紺青の間』。

 服を着た権力が跋扈する北方連盟集会の会場にベルトランとアデリナはいた。


「ベルトラン・カーリー・フォン・ヴァンティエール=スレクトゥだ。まずは、この場に集まってくれたことをヴァンティエール辺境伯として…そして、北方連盟の盟主として感謝したい」


 入場の後すぐ会場の南側に設置されている舞台に登ったベルトランは少し遅れて登場したことには触れることなく、例年通りの挨拶を自身に注目している連盟所属の貴族たちへ向けて並べる。


「「「「「ははは」」」」」


 決して堅苦しくなり過ぎず、聞き手を飽きさせることがないようにと工夫の凝らされたユーモア溢れる話し方は自然と笑いを生む。


些細ささいな礼儀作法は省いてくれて結構、今日この時を有意義ゆういぎなものとしよう―――己が青き血を滾らせ誇り高き黒狼こくろうに忠誠を、王国には栄光を、仇なす者には死を。我ら北方連盟はアルトアイゼンの盾である!」

「「「「「己が青き血を滾らせ誇り高き黒狼こくろうに忠誠を、王国には栄光を、仇なす者には死を。我ら北方連盟はアルトアイゼンの盾である!」」」」」


 昨冬の対アマネセル戦、長男が生まれたことなどなど。ここ二年の間に起きたことを簡潔にまとめたベルトランが最後に決まり文句を叫べば、会場が漢たちの声で揺れた。

 武官文官問わず体つきの良い男筋肉達磨達を纏め上げるベルトランの姿はヴァンティエール辺境伯として、北方連盟盟主として相応しいものだ。

 親に連れて来られた子供たちはその姿を見て目を輝かせる。あれが王国最強の盾と謳われるヴァンティエールなのだと。

 しかしその中にアルテュールはいない。眼を輝かせている子供の中にも、王国最強として羨望と嫉妬入り乱れた眼差しを受ける立場にも愛息子は居なかった。


 北方連盟集会におけるベルトランの役割はただ一つ。北方連盟盟主に相応しい姿を示し、集まった者たちに安心感を与えること。

 故に感情を表に出すような愚行は犯さない。王国最強の盾としての仮面は剥がすことなく、余裕の笑みを心掛け周囲に振り撒く。

 しかし心に仮面を被せることは出来なかった。


(アル……)


 最後に見た愛息子の顔がベルトランの脳裏にこびり付いて離れない。

 自分の腕に抱かれ運ばれるアルの顔は恐怖で真っ青に染まり、絶え間なく汗が噴き出ていた。拭っても拭ってもその汗は止まることなく、まるでお前ではアルの心を救ってやれないとでも言われているようだった。


『あの子は間違いなく神童です』


 マクシムに対してそう言った自分を殴りたい。息子のことなら何でも知っていますよ、と思い込んでいた自分を。


 アルテュールのことをよく見ているはずだった。リアと手を取り、自信に満ち溢れた瞳で扉を見つめているとばかり思っていた。しかし自分は見ていなかった。見ていたのはアルテュールではなく『神童』が作り出した虚像。自分の理想を押し付け形にしただけの偽アルテュール。


『気がつかなかったくせにッ!』


(リアの言う通りだな。私は父親失格だ…)


「久しいな、ツォイクニス子爵」

「はっ、お久しぶりでございます閣下。積もる話はありますがまず初めに、御長男のご誕生を私めに祝わせていただきたく」

「はは、そう畏まらなくて良い。おめでとうと一言申してもらえれば十分だ。この場にいる者一人一人に畏まられては日を跨いでしまうのでな」


 心がこんなにも落ち込んでいるというのに、顔には穏やかな笑みを浮かべ、口からはジョークが事も無げに飛び出してくる。人の親である前に自分は貴族なのだな、と自分自身に分からされているようで癪に障った。貴族である前に人の親でありたかった。


「ベル、集中して」

「あぁ…すまない」

「あとで一緒にゆっくりと考えましょう」

「あぁ」


(情けない父ですまない。オレリア、頼んだぞ)


 自分はどうすれば良かったのだろうか、アルテュールは今頃どうしているのだろうかと考えても仕方ない。今出来ることはアルテュールをオレリアに任せ自分は貴族としての務めを果たすこと。


「久しいな、ソォシエー子爵」


 頼れる妻によって強引に気持ちを切り替えたベルトランはやるべきことを淡々とこなし始めた。


 それから少し時が経って。

今回集会に出席している貴族家ほとんど全てと挨拶を交わし終えたベルトランとアデリナは一人の大男と顔を合わせていた。


「お久しぶりです、ディーウィット殿。挨拶が遅くなってしまい申し訳ない」

「いんや、構わんよ」


 この城の中にいる誰よりも偉いはずのベルトランが少しだけ頭を下げた相手の大男とはマクシムの戦友ディーウィットである。


 ヴァンティエール辺境伯家がトップを務める北方連盟の中に明確な格上である公爵家は存在しない。よって、ベルトラン自らが態々足を動かして挨拶に行くような人物はこの場に存在しないはずなのだが、彼はディーウィットの元まで足を運び挨拶が遅くなってしまったことを詫びた。これは貴族としてではなく、一人の武人として人間として最大限の敬意を持っているが故の行動だ。


「久しいな、ベル坊」


 だからディーウィットも辺境伯ベルトランではなく、可愛い後輩武人ベルトランとして接する。王都の公の場であればこうはいかないのだがここは北部。北方武人の巣窟。マクシム、ディーウィットに物申せる怖いもの知らず空気を読めない人間はベルトランを含めて誰もいない。


「その、ベル坊と呼ぶのは止めてもらえませんか…?」

「お?愛している女の前で坊やは恥ずかしいのか、なぁ坊や。おしめ替えてもらったことを忘れただなんて言わせねぇぞ?」

「うっ…」


 ほらこの通り。物申したらボコボコにされる。

 ある者は物理的にボコボコにされて小便を漏らしたことを、ある者は戦場でビビり過ぎて糞を漏らしたことを、ある者は比喩無しにけつを拭ってもらったことを引き合いに出されて揶揄われ何も言えなくなってしまうのだ。


「生意気言ってすみませんでした」

「ふはは、分かりゃそれで良いんだ」

(((いいなぁ…私たちも喋りたい)))


 ディーウィット様に揶揄われているだなんて目を掛けられている証拠だ!と遠巻きに羨ましがられているベルトラン。替われるものなら替わりたい。そう思いながらもディーウィットと言葉を交わしているうちに話題はおしめからアデリナが知りたがっていた彼の幼少期へと変わっていった。


「あら可愛い」

「それでなぁ…―――」

「ん゛んっ……してディーウィット殿、父はいずこに?」


 愛する女には可愛いではなく格好いいと思われたいのが男のさが。ベルトランは話を切り替えるついでに気になっていたことを尋ねた。


 そう。集会では片時も離れることなく共に行動しているはずの父マクシムがディーウィットの傍にいないのだ。


「…そうですわね」


 それに関してはアデリナも気になっていたようで少し残念そうにするものの話に乗る。ディーウィットはというと…―――


「ん?あ~それか。奴ならちびっ子のもとへ行ったぞ」


 ――…平然と、何食わぬ顔で今の二人にとっての地雷を踏み抜いた。


ぎぃ~~~…


 時を同じくして金具が捻じれる音が響き扉が開く。この場にいる誰よりも早く、ベルトランとアデリナの二人は扉の方へと目を向けた。


「「……っ」」


 そして驚き固まる。何故なら音を立てて開く扉の向こうから晴れ姿を身に纏った愛しの我が子らが出てきたのだから。


「お、丁度来たな」


 ベルトランとアデリナだけでなく参加者たちや空気感までもが固まった紺青の間の中で、そう呑気に言うディーウィット。しかしその瞳は誰よりも厳しくマクシムの腕に座っているアルテュールへと注がれていた。


「アルテュールでしゅ!」


 可愛らしい声が会場に響き渡り静寂を破る。


「…ん?アルテュール?…っ…もしや…!」

「マクシム様が抱きかかえられているということは…」

「オレリア様もお隣にいらっしゃるぞ」

「…ということはやはり」

「あぁ、間違いない…」


(((((あれが次代のヴァンティエール王国最強の盾!!!)))))


(何をなさっているのだっ、父上…!)


 ベルトランが我に返った時にはもう遅かった。皆が皆、アルテュール次代のヴァンティエールを近くで見んがためにマクシムたちのもとへ殺到する。走る者は一人としていないが凄まじい速度だった。


 好奇心と悪戯心、そして仄かな悪意。大人たちの不躾な視線を今のアルテュールが耐えられるはずがない。先ほど知ることの出来た我が子はそういう子であるはずなのだ。


 ベルトランとアデリナは息子を救い出すためゆっくりと、しかし力強く貴族たちを掻き分け近づいていく。すると視界がサッと開けた。ベルトランを避けたのではない。マクシムとアルテュールがこちらに近づいてきたのだ。周りからは「神童だ…」と密かに、しかし確かな称賛の声が聞こえ始めていた。


「アルテュール……っ…」


 努めて冷静に。荒ぶる心を静めて貴族としての仮面を付けたままに声を掛けたベルトラン。しかし父の腕に座る我が子の顔つきを見て、一瞬ではあるが素に戻り驚いてしまう。それはアデリナも同じ。


(この短い時間に何があったと言うの…?)


 不安?恐怖心?自信の無さ?


((そのようなもの、どこにある))


 そこにいる息子は先ほどより一回り大きく見えた。錯覚を起こさせてしまう程にアルテュールは成長していたのだ。『男子三日会わざれば刮目して見よ』に似た言葉がこの世界にも存在するがそれにしても極端である。ついでに言うと三日ではなく三時間ほどなのだから今目の前で起きている光景を飲み込むのに二人はある程度の時間を要した。


(…父上が何かなさったのか)


 そして時間はベルトランに答えを教えてくれた。原因は明らかだった。マクシムがこの短い時間の中だけでアルテュールの中の何かを変えた。そうとしか考えられない。


(何故それが私ではないのだ…!)


 嫉妬で狂いそうだった。本来であればその成長を一番近くで見るのは父親である自分なのに何故、何故、何故…!


(…私が父親として不甲斐ないからだ)


 ベルトランは今にも本能に呑み込まれそうな僅かな理性を総動員し拳を握りしめる。それから下を向くことで何とかその感情を抑え込むことに成功した。悪いのは他の誰でもない自分なのだとも言い聞かせて。


 そこにマクシムから声が掛かる。


「ベルトランよ、下を向いている暇があるのか?」

「…っ」

「覚悟を決めろ。さもなくば二人をじぃじっ子にしてしまうぞ」


 これほどまでに茶目っけのある父を今まで見たことあるだろうか。二人目の孫ができて丸くなった?…いや違う。父は自分に対して冗談ではすまないぞと暗に伝えているのだ。


(…よし、まずは顔を合わせる頻度を増やすことから始めるとしよう)


 どこぞの誰かさんと違い、ベルトランの覚悟はスパッと決まった。

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天才貴族家の劣等長男~転生先で天才に囲まれた秀才は特別になりたい~ 海堂金太郎 @kakechankakka

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