16.アルテュール改造計画

「――…、――…」


 暗闇の中にいた。

 叶うことならずっとここにいたいと思うほどにその暗闇は不思議と心地よくて、遠くから聞こえる誰かの声に聞こえない振りをした。


「アルぅ…、アルぅ…」


 けれども消え入りそうなその声がリア姉のものだと理解した俺は、まだ寝ていたいという自分の我儘を抑え付けて目を開く。


「ここは…?」


 知らない天井だ。普段俺が寝起きしているベッドならば天蓋が付いているので灯りの魔道具は見えないはずなのだが、今は直に見ることが出来る。実用的なのはもちろんのこと、高級な装飾品の役割も果たしているんだ、なんて意味のない感想を頭に浮かべた。


「…っ、アルっ、起きたのね!」


 それから少し間をおいて再びリア姉の声が真横から聞こえてきた。

 先ほど聞こえたものとはあまりにも声量が違うけど、その声色はどちらとも俺を気遣い心配してくれていることが良く分かる。


「バカっ、お姉ちゃん心配したんだからね!こわいならこわいって言いなさいよ!………うぅ、よかったよお…」

「わっぷ…ふがふが………あ」


 大粒の涙を零すリア姉に抱きしめられて、ようやく俺の意識が現実を見るようになった。そうか俺、あの場でぶっ倒れたんだ…と。

 最後ら辺の記憶は酷く曖昧だけど、あの恐怖は忘れたくても忘れられそうにない。


(あぁ、そっか……抗えなかったのか)


 自分自身で作り出した恐怖に抗うことが出来ず、逃げるようにして意識を手放した。情けないったらありゃしない。

 会場内でただ人形のように行儀良く突っ立っていれば済む話だった。神童が何だとか、周囲の視線が何だとか、親からの期待が何だとか、全てを無視してその場にいるだけでよかったのだ。それだけで周りは俺のことを神童だと認め、結果として親の期待に応えることも出来たのだから。


 しかし実際には、会場に入ることすら出来なかった―――。


「…ごめんなしゃい…ごめんなしゃい…」


 自然と口から謝罪の言葉が出る。

 俺は期待を裏切った。その事実だけが残り心をじくじくと痛めつける。


「…うぅ…ひぐっ…」


 申し訳なさ過ぎて涙まで出てきやがった。頼むからこれ以上の無様を晒さないでくれ、頼むから止まってくれ。

 しかし一度堰を切って出た涙は止まる気配を見せず却って増すばかり。


「アルは悪くないわ…!アルは悪くない、悪いのはお父様よ!だから……あやまらないで…お願いだからっ…」


(あぁ、リア姉は優しいなぁ……)


 弟想いの姉が頭を優しく撫でながら耳元で許すと囁く。

 でもその優しさが今の俺には辛かった。

 五歳児に慰められるギャン泣きの18歳児。惨め過ぎる。

 あの場から逃げ出せたことにホッとしている自分にも嫌気が差した。


(…なんでこんなに俺はダメなんだろうなぁ)


 18年間、悪影響を与えながらも俺を支えてくれていたプライド仮初の自信はもういない。倒れる直前までは辛うじて残っていたけど、扉前での出来事を顧みているうちに己の情けなさに落胆し、耐え切れなくなり自壊していった。

 残っているのは劣等感のみ。それも飛び切りに強い劣等感。

 程よい劣等感は人間を謙虚にさせるというのが俺の持論だけど、強すぎる劣等感は毒にしかならない。心を蝕んで使い物にならなくさせる遅効性の猛毒だ。


「アル、大丈夫…大丈夫よ。お姉ちゃんがいるから」


(なんで、リア姉はそんなに強いんだよ…まだ五歳だろ)


 あぁまずい。必死に励まそうとしてくれてるリア姉にも劣等感を持ち始めた。救いようもない奴とは俺のことだ。


(…これからどうしよう)


 こんなにも心が荒んでいるというのに立ち止まることを許されない。貴族家の長男とはそういった身分なのだ。リア姉の真っ平らな胸に抱き着きながら中身18歳児の偽神童一歳はこれから先のことを考える。


 神童という名の仮面が完璧に剝がれた。部屋の外に出れば多くはないが少なくもない失望の色を含んだ視線が飛んでくるだろう。神童を演じ切れなかった俺が悪いのだから厳しくも正しい評価を受け入れるしかない。

 しかし、その評価をこの先もずっと引きずるわけにはいかない。何故なら俺はと称賛される誇り高きヴァンティエール家の一員であり、しかもその一族を将来率いることになる立場にあるから。

 評価を覆すことが出来ないまま人の上に立つ?失望されたまま当主の座に就く?言語道断である。嘗められたら終わり。為政者とは何か良く分からない俺でも分かるよ。だから俺は今回の大失態分をこれからの日々の積み重ねで取り戻していかなければならない。


 でも…正直言って取り戻せる気がしない。

 過信プライドとはいえ、今まで俺の心を支えていたものが突然いなくなった。前に進める気がしない。心が折れてしまったのだ。

 過信がなくなった、良いことじゃないか!さぁ、これからは本物の自信を付けるために日々努力しよう!……は?…それが出来たらこんな無様晒してねぇんだよ。プライドと劣等感が生んだ令和の怪物嘗めんな。

 また普通に考えて、前世では一般市民でしかなかった俺が人の上に立って当たり前の特権階級人として成功できるとも思わない。


「だめだぁ…」

「うぅ…アルぅ…そんなこと言わないでよぉ…」

「ひぐっ…ごめん」

「あやまらないでよぉ…」

「…ごめん」

「ばかぁ…」


 一人の女の子を笑顔にすることも出来ずに泣かせてばかりの屑がヴァンティエール辺境伯家の当主になれるものか。


 当主になる道から脱線する。あぁ、それもいいかもしれない。

 しかし脱線した先の道は当主の道以上に厳しいものとなるだろう。


 貴族の地位を自ら捨て自由を得ようとした愚か者の末路を本で読んだことがある。

 貴族の務めを放棄した者に対して世間は驚くほど冷たい。特権階級に在る者たちは自分たちの面に泥を塗られることを嫌い排除に動き出す。市井の者たちは触らぬ貴族に祟りなしと決して近づいてこようとはしない。

 毎日毎日がストレスの連続。そんな日々が長く続くはずがない。

 その本の最終ページには短くこう書かれていた。『私は道を踏み外した。誤ったのだ』と。愚か者最期の言葉である。


 神様が恵んでくれた二度目の人生。生まれ育つ環境があまりにもエリート過ぎて辛いけど、惨めに死ぬのは嫌だった。


(生き延びることだけを考えよう)


 人は追い込まれるととんでもなく自分本位な考えに全力疾走ダッシュし出すらしい。今俺の頭に浮かんだのは、当主の道は諦めるが貴族としての道からは脱線しない……貴族特権階級の椅子にしがみ付くという道だった。

そうすれば次期当主としての重荷を背負うことなく、名ばかりの貴族ではあるが路頭に迷うこともない。

馬鹿、阿呆、ドジ、間抜け。そんなことは分かっている。けれども今の俺には生き残るための道がこれ以外見つからなかった。


(よ、よし……父上に土下座しに行ってくるか……あ、今は集会に参加してるんだった。じ、じゃあ執務室で帰りを待とう…)


「アル…?どこ行くの?ダメよ、じっとしてなさい」


 リア姉の腕からスルスルと抜け出し、ベッドから起き上がる。


「ダメ!戻ってきなさい!」


 リア姉に追いつかれないようダッシュで扉の方へと向かう。


 どんッ


 直後、壁にぶつかった―――。


(ん?壁?)


 おかしい、まだ扉まで距離があるはず。じゃあこれは何だ?


「どこに行くつもりだ、アルテュールよ」


 遥か上の方から腹に響く重低音が降り注ぐ。


(何でここにいるんだ?)


 陽の傾き的に俺が倒れてからそう時間は経っていない。連盟集会は終わっていないはず。恐る恐る上を見ると筋骨隆々な身体が目に入って来る。首を最大限後ろに倒すと青色の髪と眼、そして顔面を斜めに走る大きな傷跡が見えた。


「…じぃじ」


 この場にいるはずのない人物が俺の眼の前にいた。前ヴァンティエール辺境伯当主であり、『修羅』の二つ名を冠する王国最強の男―――祖父マクシムだ。


「何だアルテュール。泣いておるのか?」

「ないてましぇん」

「そうか?」

「…そうでしゅ」


 涙の跡をなくそうとして顔をゴシゴシ。バレバレの嘘を付く。当主目指すのやめます!と宣言しに行く手前気まずかったし、この人も神童アルテュールに期待を寄せていた一人なのだろうかと考えると後ろめたい気持ちでいっぱいだった。

そんな心情を知ってか知らずか。足腰を曲げて、いつも通りのテンションでじぃじは俺の顔を覗き込んだ。


「まぁよい。それでアルテュールよ。ある使用人に聞いたところお主、入場直前に倒れたらしいな。大事ないか?」


 なるほど、俺のことを心配してきてくれたのか。それならば言うことは一つだ。


「はい、げんきなりました」


 俺はまた嘘をついた。じぃじは微笑みながら「そうか」とだけ言った。しかしこの場にいるもう一人の家族はその答えに満足してくれなかったようで…―――


「じい様、ウソよ!アルはウソをついているわ!」


 一瞬の隙に追いついたリア姉がガシっと俺の両脇に両腕を潜らせホールドしてから耳元で異議ありと叫んだ。


「ちょっ、りあねぇ…おろしてっ」

「いやよっ、大人しくしなさい!」


 身長差はもちろんのこと彼女は力があるので俺の身体が浮き、宙ぶらりんになる。ふんがっ、ふんがっ……逃げれん。


「ほう、オレリアよ。アルテュールが嘘をついているというのか?」

「そうよっ、アルは大丈夫なんかじゃないわっ。さっきまで『こわいよ、こわいよ。ごめんなさい、ごめんなさい』って言いながら泣いていたもの!」

「……」


『こわいよ』と口に出した覚えはないけど、嘘をついたのは紛れもない事実なので、じぃじとリア姉の会話に割って入れるはずもなく。俺は借りてきた猫のようになって宙ぶらりん。


「ほう、そうかそうか。……で、アルテュールよ。オレリアはああ言っているがどうなのだ?」

「……ないてました」


 再び顔を覗いてきたじぃじの瞳にはこれ以上の嘘は許さんとはっきり書いてあったから、観念して嘘を付いたことを認めた。


「うむ、正直に言えて偉いな。嘘をついてしまう気持ちは分かるが、そう簡単に付くな。嘘というモノはな、ここぞという時に付くものなのだ。分かったか?」

「…あい」


 ぐうの音も出ないド正論に俺はただただ頷くばかり。

 これで俺への説教は終わりらしい。いつもの優しい眼に戻ったじぃじの手がセットしてもらった髪の毛をぐしゃぐしゃにかき乱す。

俺の妄想でしかないが、集会に参加しなくて良いと言われたような気がした。


「…ふぅ」


 これで終わり。俺の様子を見に来たじぃじが再び会場に戻って、俺は父上の執務室に行く。問題はリア姉の拘束からどう抜け出すか…―――と思ったところで気づく。あれ?じぃじここから出て行く気配なくね?と。


 じぃじの視線の先は俺のやや上。つまりリア姉の方へと向いていた。


「……ということだオレリア。お主も儂に何か言うことはないか?」

「え?」

(ん?)


 姉弟の混乱を無視してじぃじは続けた。


「お主もついたであろう?嘘を。弟が己の過ちを認めたのだ。姉であるお主が過ちを過ちのままにしていてどうする」


(あ、気付いてたんだ)


 じぃじの観察眼はかなり高性能。先ほどリア姉が付いた小さな嘘を見破っていたようだ。「うっ…」と真上からリア姉の呻く声がする。まさか見破られるとはって動揺してるな?脱出チャ~ンス。


「……で、でもあれはアルのためを思ってついたウソよ。じい様、私は私が思うここぞという時に使ったの。過ちではないわ」

「ふむ、そうか。なら良し」


 脱出チャンス終了、僅か十秒、脱出不可能。


 (なるほど、リア姉はそう返したか)


 確かに俺のパニック状態をより分かりやすく知らせるためには必要な嘘だった。でも、リア姉結構苦し紛れに使ったよな『ここぞという時』。


(じゃあ俺も『ここぞという時』を使えばよかったんじゃ……)


「アルテュールよ、それはつくべき噓か?」

「い、いーえ」


 しかし邪な考えはすぐにじぃじによって察知、使う前に釘を刺された。


「―――扉の前で何が起きたのか。じいじに話してくれんか?」


 そう言ってまたまた視線を俺の方に戻したじぃじが俺の顔を覗き込んで来る。

 青色の瞳を見て俺は、この場から逃げられないことを今更ながら悟った―――。




 ◇◇◇




(ベルトランの奴め。見誤りおったな?)


『紺青の間』の扉前で何が起きたのか、アルテュールのどのような言動がオレリアをここまで必死にさせたのか、アルテュールが今何を思っているのか。

 ヴァンティエール家の未来のためではなく、孫のため。ベルトランは一切の容赦なくアルテュールを質問攻めし、異世界転生云々の極限られた情報以外のモノを全て吐き出させた。当主になりたくない云々も当然吐き出させた。

 その末に思ったことが『ベルトランの奴め。見誤りおったな?』である。


 息子ベルトランはマクシムに対して『アルテュールは神童だ、あの子は必ずや大成するだろう。アルが挫けそうになったら例え世界を敵に回してでも守って見せる』…などと言っていたのだからマクシムの意見は至極真っ当、当然のものであった。

 ただ同時にこれは仕方ないとも思っていた。


(このような一歳児、儂でも見たことがない。はっきり言って異常だ)


 そう、アルテュールは凡庸でも神童でもなかったのだ。誤解を恐れずに言い表すのであれば、彼は異常人だった。


 ヴァンティエール家に生まれてくる者のほとんどは天賦を一つないしは二つ持っている。二つ以上を持って生まれる者も少なくはない。故にヴァンティエール家は長年『王国の盾』と称賛され続けて来れたし、いつの間にか『天才貴族家』と陰で囁かれるようになっていた。

 しかしヴァンティエールとして生まれてくる者全員が全員、天才であるわけではない。中には天賦を一つも持たずに生まれてくる者――凡庸な人間も当然いた。かく言うマクシムの父、アルテュールの曽祖父にあたる人物も凡庸であった。そしてそういった者の大半は身内があまりにも優秀過ぎて、年が経つにつれて卑屈になっていく。


 アルテュールの話を聞き始めた時、マクシムはこの子はそういったタイプの子なのだと思ったりしていた。しかし話を聞き出していくにつれて、凡庸は別の何かに形を変えていった。

 最終的に見えてきたのはあらゆる要素がごちゃ混ぜになって出来上がったナニカ。

 よくよく目を凝らしてようやっとそれが『卑屈』に似た形をしていると気が付いたマクシムはアルテュールを『異常』と判断した。


 とどのつまり、アルテュールは度を越えて卑屈だったのだ。


 彼の言葉の端々に感じる自信のなさ、卑下、劣等感。これほど自分大嫌いな人間はマクシムの短くない人生から見ても早々お目に掛れない。加えてアルテュールはまだ一歳と半年ときた。どう考えても異常だ、こんなの。ヴァンティエール夫妻が判断を誤るわけだ。


 人によっては異常者として気味悪がり、悪魔憑きだなんだとか言って関わりたくないがために教会へと突き出すだろう。


(救ってやらなければならん)


 しかしマクシムはそうは考えなかった。


 一歳らしくない?オレリアを見ろ、あの娘も大概だぞ。

 当主になりたくない?若き頃に何度も同じことを思って、稽古にかこつけて父親を何度ぶったことか。

 期待に応えられないことが怖い?期待する奴には勝手に期待させとけ。知らんわ、そんなこと。お主が心配することではない。

 心が折れてしまった?挫折を経験するのは早ければ早いほどいい。まだ一歳なのだろう?最高ではないか。立ち直れば何も問題ない。


 

 異常?異常ならば儂の孫でないとでも?



(アルテュールは儂の孫だ。それ以上でもそれ以下でもない―――。)





「アルテュールよ」

「……なんでしゅか?」

「じぃじと一緒に今から集会場へ行くぞ」

「……は?」





 ここに、爺馬鹿によるアルテュール改造計画が始まった―――。

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