15. 修羅と迅雷

『紺青の間』とはヴァンティエール辺境伯家の居城ヴァンティエール城の南側にある大広間のことを指す。

 北方連盟に加盟している貴族たちが年に一度集まる北方連盟集会だけでなくその他様々な場面で使われるこの大広間はヴァンティエール家の力を表すためにと莫大な金が掛けられており、建物三階分に匹敵する高さの天井、50mほどもある横と奥行きととにかく広い。

 また広いだけではなく床には魔力を流すと上品な香りが出るカーペットの魔道具が何枚も敷かれていたり、壁際にはヴァンティエール家の歴史が刻まれたタペストリーが何枚も飾られていたりと多種多様な工夫が凝らされていた。


 そんなヴァンティエール家が誇る大広間『紺青の間』、そのど真ん中。

 北方連盟集会に参加している貴族たちがソワソワとし始めたことに気付いた巨爺マクシムは左手に持っていたグラスを近くの侍女に預け、今か今かとその時を待っていた―――。





(まだか、まだなのかベルトラン。勿体ぶっとらんで早う出て来んか。今すぐにオレリアとアルテュールの晴れ姿を儂に見せろ)


 マクシムが待っているのはもちろん、目に入れて血涙を流しても痛くない可愛い孫二人――オレリアとアルテュールである。彼の頬を紅潮させているのはアルコールではなく、溢れんばかりの愛愛愛だ。


「…っ、マクシム様が滾っていらっしゃる。流石は修羅、身体はスレクトゥに在れど、心はシアンドギャルドということかっ…」

「常在戦場、まさに北の誇り。我々も見習わなければなりませんなぁ」


 戦場の熱気に当てられた戦士のように頬を紅潮させ、姿勢正しく扉の一点を見つめるマクシムを周りにいた者たちが次々に見習い始める。

 しかし、見習われている当の本人はそれに気づかない。見習っている者たちもマクシムがまさか孫愛の深さ故に頬を紅潮させ、大広間に入ってくる孫二人に見つけてもらい易くするために姿勢を良くしているだなんて夢にも思うまい。


 そんな両者の間抜けなすれ違いに気付いている人間が一人だけいた――。


「…っ…んぐっ…ぶふッ…」


 無駄に立派に見えるマクシムの背後。一生懸命に噴き出すのを堪えているその男は名をディーウィットといった。学園時代から関係が続いているマクシムの数少ない友人の一人であり、長い間ともに肩を並べ敵を屠ってきた戦友だ。

 彼はマクシムと並ぶ王国最強角の一人として知られており、マクシムと同じようにその力を認められて国王陛下より『迅雷』の二つ名を受け賜っている。また王国北東部に位置する鉱山都市シュトゥルムを中心に領地を持つブリッツシュラーク侯爵家の前当主であるため、北方連盟内で十指に入る権力者でもあった。


「…ですな。ほれ、お前たちもあの御方を見習い姿勢を正しなさい」

「はいっ、父上」

「………」

(あぁ…楽しみだぁ…きっと…いや、絶対に愛らしいだろう)


「…ぐぐ…ふっ…ふっ…んぶっ…」

(マクシムよぉ…頼むからそれ以上笑らかさんでくれ)


 マクシムの今の思考が手に取るように分かるディーウィットは止まらないすれ違いが面白可笑しくて。自分の腹筋が吊る前にどうかヴァンティエール一家よ、来てくれと願うばかりだった。




 その時間が五分、十分と続くまでは―――。





((おかしい))


 マクシムとディーウィットの思考が重なる。

 お互いに目を合わせ頷いた。


((あまりにも遅すぎる))


 今から十分前、会場中に配置されているヴァンティエール家の使用人たちが動きを見せた。注視しないと気付かない僅かな動きだ。しかし何度も北方連盟に参加したことのある貴族たちはその僅かな動きを見逃さなかった。そろそろヴァンティエール辺境伯が入場すると感づいたのだ。


 (((あと少しでヴァンティエールが登場する、気を引き締めなければ)))


 例年通りであれば、そこから五分と待たずにベルトランたちは会場入りする。しかし今年は違った。十分以上経った今でも姿を現さないのだ。


 (((使用人たちの動きを読み間違えたか?)))


 会場のすぐ外で起きている出来事を知らない、アルテュールが参加する予定であったことすら知らない参加者たちはまず自分たちを疑った。

 一方で、会場の外で起きている出来事を知らないものの、アルテュールが参加することは知っていた人間――マクシムとディーウィットの二人は外で何かがあったのだろうと察した。


 会場外で想定外の出来事が起こり入場が遅れている。ヴァンティエール家にアデリナ女傑がいる限り、貴族集会において想定外の事態に陥ることは早々ないのだが今回はアルテュールという予測不能な存在がいるのでアデリナの計算が狂う可能性は十分にあった。


(アルテュールに何かあったか?)


 ―――と、なると。当然アルテュールに想定外の何かしらが起きたため入場が遅れている…という結論に辿り着く。

 孫に何かあった。自他ともに爺馬鹿と認めるマクシムがじっとしていられるはずもなく。敵陣の背後を突く時のように。足音だけでなく気配までも消したマクシムは近くにいた高級侍女の元まで移動し肩をトントン。


「…何があった」

「っ…!…お、大御屋形様でしたか…はぁ」

「で、何があった」

「何が、とはどういった…」

「いやもうよい、分かった。驚かせてすまんな」


 マクシムに問い詰められた侍女はアデリナからの命令に従い、何も知らない演技をしてやり過ごそうとした。


(素晴らしい演技だ)


 傍から見ていたディーウィットは感心する。


(だが甘いな…戦士の観察眼を嘗めるなよ?)


 残念ながら歴戦の猛者の眼を騙せるほどのもの演技ではなかったが。

 マクシム、ディーウィットたちは四十年もの間、コンマ一秒の世界で命のやり取りをしてきたのだ。立ち止まっている相手の目線や表情筋で嘘か真か見分けるくらい朝飯前だった。


「ディー」

「あぁ、行ってこいマクシム。ベル坊やお姫様には俺の方から説明しといてやる」

「すまんな」


 それだけ言うとマクシムは眼にも止まらぬ速さで『紺青の間』の裏口から外へ出て行く。その背中を最後まで見届けたディーウィットは侍女からグラスを受け取り、コロコロと酒を回した。


「さて、と。予想は当たってんのかね」


 ディーウィットが目線をくれた先で『紺青の間』の正門である大扉が音もなく開くのが見えた。


(あ~あ)


 参加者たちから「ようやく来たか」と思われながらも拍手で迎えられるヴァンティエール一家。しかしディーウィットの目に映ったヴァンティエール家は当主のベルトランとその妻アデリナだけ。

 マクシムに聞いていたオレリアとアルテュールの姿はどこにもない。


「当たったよ……面倒だなぁ」


 マクシムとの約束を果たさないといけなくなったディーウィットはたらたらと壇上のヴァンティエール夫妻のもとへ歩いていった。

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