14.嫡男倒れる

 アルテュールが鏡を見つめている頃。その姉であるオレリアもまたアルと同じく鏡を見つめていた。もちろん自分の晴れ姿を見るためである。

 ポーズを取ることなく直立不動で鏡を見つめるその姿は瓜二つまさに姉弟。しかし両者の心境は全くの正反対であった。


「お嬢様、お気に召しましたか?」

「最高だわ」


 専属侍女アグニータの問いかけにオレリアは満面の笑みで応える。


「アルは可愛いって言ってくれるかしら?」

「どうでしょう?」

「何よ、アグニータは可愛いと思ってくれていないの?」

「お可愛いと思いますよ?ただ私は若様ではありませんのでどうお答えしたら良いものか」

「ま、それもそうね。着いてからのお楽しみにしておくわっ」


 集会嫌だなぁ…とうじうじする弟と違い姉は集会楽しみ!と心躍らせていた。より正確にいうのであればアルテュール参加する集会が楽しみ過ぎて今にも躍り出しそうだった。


 オレリア・フォン・ヴァンティエール=スレクトゥはブラコンである―――。

 アルテュールが生まれたその日から半年間休まず毎日毎日観察して『弟好き』になり、アルテュールと言葉を交わしたり遊んだりして『弟大好き』になり、ひと月前のオレリア剛速球事件を経てさらに多くの時間を共に過ごすことになり、遂には最終進化形態である『ブラコン』となったのだ。

 弟にとって人生最初の晴れ舞台と聞いて興奮しないブラコンはいない。しかもその舞台に自分も参加出来て、尚且つ誰よりも近くで見守ることが出来るのだ。狂喜乱舞して何が悪い。


(アルといっしょにパーティ……)


「ふ…うふふ…ふふっ」


 北方連盟集会開催に合わせて敷かれたレッドカーペットの上を歩きながら堪えきれない笑いを零す。何度か全力ダッシュしてしまいそうになるがその度に後ろから咳払いが聞こえて来た。折角のお化粧や衣装が乱れないように。何とか走らずにベルトランが定めた集合場所である『紺青の間』の扉へと辿り着くことが出来た。


 オレリアがそこに着いた時にはアルテュールを除く全員が既に集まっていた。


「まぁリア、とても綺麗よ。ねぇ?ベル」

「あぁ、綺麗だ」


 ベルトランは基本妻であるアデリナ以外に綺麗、美しいなどの美を連想させる褒め言葉を言わない。そんな父ベルトランが綺麗だと言っているのだから自信を持っていいのだろう。きっとアルテュールも褒めてくれるに違いない。


「ありがとうございます、お母様、お父様。お二人も大変お似合いでしてよ」


(アルはまだかしら)


 連盟集会用の口調にする準備を行いながら、オレリアはアルを待つ。

 十分ほどでアルテュールは姿を現した。


(……アル?)


 最愛の弟の晴れ姿。ブラコンであるのなら誰しもが狂喜乱舞するシチュエーション。しかしこちらに向かって歩いてくるアルテュールを見て最初にオレリアの中に沸きあがった感情は喜びではなく戸惑いであった。


 弟の様子がおかしい―――。


「あら…あらあらあらッ…。アルっ、素敵じゃない!」

「おぉ…とても良く似合っているじゃないか」


 ベルトランとアデリナはその違和感に気付くことなく息子の初晴れ姿を褒め倒している。


「かわいいかわいいかわいい!」


 かく言うオレリアも両親と同じく褒め倒していたが違和感が頭の片隅にこびりついて離れない。その違和感は本当に小さなものだった。毎日毎日アルテュールと触れ合って来たブラコン・オレリアにしか分からないほどのもの。


(どっちのアルでもないわ…)


 アルテュールはいる。一人は父や母、使用人たちに見せる『神童』としてのアルテュール。もう一人はオレリアやジビラ、ハッツェンといった極一部の限られた人の前にしか現れない年上特有の包容力を持つアルテュール。


 しかし今自分たちの眼の前にいるアルテュールはそのどちらでもなかった。


 いつもの神童モードにしてはあまりにも余裕がなく、化粧のせいで分かりづらいが顔色が悪いように見える。またお兄ちゃんモードであるならばオレリアを見てすぐに「可愛い」「綺麗」と褒めてくれるはずなのに一瞥をくれるだけ。


(ジビラは気付いているのかしら)


 アルをここまで連れて来た侍女を見ると丁度、音もなくこの場を去っていくところだった。その後ろ姿はいつもと何ら変わりない。ということはジビラでさえも気づいていないのだろうか。


(気付いているのは私だけねっ)


 自分以外の誰もアルテュールの異変に気が付いていないという事実がオレリアのブラコン心を喜ばせる。が、すぐに喜んでいる場合じゃないと思い直す。ジビラに向けていた視線をアルテュールに戻すと弟はさらにおかしくなっていた。


 まず初めに目についたのは顔色。先ほどよりも血の気が引いていっているのは明らかであり人中に冷や汗が浮かび始めていた。瞳の動きもきょろきょろと不安定に揺れ動いており落ち着きがない。


(緊張しているのかしら…お姉ちゃんが安心させてあげないと!)


 オレリアはアルテュールに近寄り手を握る。


「…っ」

(ひゃぁ)


 弟の手は小さく、とても冷たかった。


「…え?」


 次に気づいたのはアルテュールがオレリアとの接触に気が付いていないということ。手をにぎにぎしてもアルは気付く素振りを見せない。


(…なんで…なんで…どうしたのよ、アルぅ…)


 不安が不安を呼び伝播する。だがアルテュールと違い、真に神童であるオレリアはその感情を押さえつけ気丈に振る舞った。


(アル…大丈夫…大丈夫よ。お姉ちゃんがずっと傍にいるからっ…)


「御屋形様、会場内の準備が整いました」


 執事が父に声を掛けた。もう時間がない。しかしいつものアルテュールは戻ってこない。戻るばかりかどんどんかけ離れていく。


「…はぁ…はぁ…はぁ…」


 手が震え始めた、脚が震え始めた、呼吸が浅くなり覚束ない。


「アル…?」


 声を掛けても気付く素振りを見せない。

 様子がおかしいでは済まされない、どう見ても異常だった。


「分かった、行くとしよう。アナ、リア、アル…準備は良いか?……ん?……っ…おいっ、アルっ、どうした!リア、どうなっている!?」


 いざ入場。そこでようやくベルトランがアルの異変に気が付いた。

 遅いと言ってくれるな。先ほどまで彼の目に映っていた二人の我が子はそれはそれは頼もしい顔つきで仲良く手を繋ぎ合い、扉を真っ直ぐに見つめていたのだから。


(遅いわよ!)


 だがしかしずっと弟の異変に気が付いていたオレリアからすれば両親はあまりにも気づくのが遅かった。集会など知ったことか。扉の先で自分たちを待っている貴族たちなんてどうでもいい。


「アル!アル!」


 オレリアはアルテュールの肩を揺すり声を掛ける。しかし届かない、こんなにも近いのに自分を見てくれない。


「気づいて!…気づいてよっ!」


 だからさらに揺らす。無視できないくらい強く揺らす。


「……」


 ぽすっ


 必死な思いが伝わったのか。アルテュールがオレリアに抱き着くようにして身を預けた。空気を含んだ服が押し潰れる音がした。


「あ、アル!?…大丈夫よ、大丈夫。もう怖くないわ、お姉ちゃんがいるから…!」


 強く抱きしめ安心させようと声を掛け続ける。ほら、さっきまで強張っていた身体から力が抜けてこんなにも落ち着いてる。これで一安心………などと思っているのはこの場でオレリアだけ。


 周りにいた大人にはアルテュールが気を失い倒れたようにしか見えなかった。


「コレット、シスターゼルマを呼びなさい。ドロテ、リーズは一番近くの空いている部屋を探し寝台の用意を」


 遅ればせながらアルの異変に気付いた母アデリナであったが気付いてからは誰よりも早く冷静になり周りを動かし始めた。


「リア、離れなさい。それとベルも落ち着きなさい」


 それから未だ混乱状態にある娘と夫を息子から剥がしにかかる。


「っ…シスターゼルマをっ」

「もう指示は出したわ。ドロテとリーズが部屋を用意してくれているからそこにアルを運び込むわよ」

「…分かった、すまない」


 ベルトランはアデリナの声で我に返った。しかしオレリアがアルテュールから離れることはない。


「リア、今からアルを運び込まなければならないの。離れなさい」

「いやっ!」

「離れなさい」

「気がつかなかったくせにッ!」

「…っ、離れなさい」

「やだッ!」

「…ベル、二人まとめて運んで」

「あぁ、分かった」


 アデリナの指示を受けたベルトランが喚くオレリアとピクリともしないアルテュールを抱き上げ、目にもとまらぬ速さで即席の医務室へ入っていく。


 自分も走って今すぐアルテュールのもとへ行きたい。しかし自分にはその資格があるのだろうか。


 気がつかなかったくせにッ!


(何を偉そうに指示しているのかしらね。…リアの言う通りだわ)


 娘の言葉が心に刺さったまま抜けず、じくじくとアデリナを痛めつける。

 ただいつまでも落ち込んではいられない。自分は二人の母親である前に一人の貴族なのだから。


「…母親失格ね――――――ロイファー、ベルが戻り次第私たちは入場します。その前にリアとアルが参加しないことをヴァンティエールの使用人たちに通達しなさい、理由は言わなくて結構。また二人が参加することを他貴族家は知らないのでくれぐれも悟られないように」

「はっ、畏まりました」

「そして今この場にいる者には緘口令を敷きます。この場にいないコレット、ドロテ、リーズ、シスターゼルマにも伝えなさい。何についてかは分かるわよね?」

「「「「「はい、畏まりました」」」」」


 雨が降ろうとも雪が降ろうとも雷が落ちようとも…嫡男が倒れようとも。

 時間は止まってくれない。扉の先にいる貴族たちは待ってくれないのだ―――。

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