13.過信でも自信は自信

「若様、準備が整いました」

「うん、あいがと」

「勿体なきお言葉……私はこれにて失礼致します」


 お洒落な洋服を着たお姉さんが一礼して部屋から出て行く。その際に開けられた分厚い扉の間からは賑やかな声が聞こえて来た。


 父上に呼び出された日からまた一週間が経った今日。俺の実家ヴァンティエール城では北方連盟集会が開かれる。部屋の外から聞こえて来た喧騒はヴァンティエール家の使用人たちが裏方の務めを立派に果たそうと奔走する音だ。


 そして俺はというと、正装を身に纏い鏡の前に立っていた―――。


 貴族の集まりの場に普段着でというわけにはいかない。大人はもちろんのこと子供にも正装の着用が求められるのだ。

 先ほど退室したお姉さんはその正装を着付けしてくれたお抱え服屋の店員さんで、彼女が着せてくれた洋服――北方連盟色である紺青こんじょう色のジャケットに蝶ネクタイ、窓からの木漏れ日を受けて映える白のシャツ、子供らしく膝丈の黒色のボトムス――は俺自身とても似合っているように思えた。


「若様、お似合いですよ」

「どこに出ても恥ずかしくない立派な紳士です」

「カッコいいですよ若様」

「かわ……素敵です!」


 それはジビラ、ハッツェンたちお付きの侍女衆の眼から見ても間違いないようで、初の晴れ姿に心が躍る。

 しかし、躍る心も次の瞬間には曇り始めた。


(はぁ…集会出たくねぇ)

『ま、何とかなるだろ。俺なら』


 原因はもちろん、前世から引き継ぎ俺を悩ませる劣等感とプライドだ。


 まさか異世界に転生してまでこれ劣等感に悩まされるとは思わなかった。転生してからここまで一度も顔を出さなかったから、前世の身体とともに焼却炉へとぶち込まれて消えているものだとばかり思っていた。

 けれども現実はそう優しいものではないようで、集会に参加してもらうと父上に言われ思わず頷いてしまった日から今日までずっと脳裏から離れない、離れてくれない。前世の幼少期に積み上がりやがて腐ったプライドが囁いてくる。俺なら何とかなる、全力を出せば余裕だと。しかし一方で、誇れるものが何一つないお前に出来るわけがないだろうと劣等感が顔を出す。


 俺はいつまで引き摺るのだろうか、この劣等感と下らんプライドを。しかも今回のトリガーは他人ではなく他でもない自分自身。一歳児の身体に大人の意識が入り込んだ結果出来上がった神童アルテュール。

 俺は自分で演じ作り出した神童アルテュールに対して劣等感を抱きプライドを傷つけられたのだ。気持ち悪いったらありゃしないし、俺にだって意味が分からない。なに?自分に劣等感を抱くって。

 ただ一つ分かることと言えば、今の状態になった俺は超厄介な奴になるということだけ。出来ないことでもプライドが邪魔して出来ると言ってしまったこの前のように。


「若様、いかがされましたか?何か至らぬ点でも…」

「ん~ん、だいじょぶ。いこ」

(何が大丈夫だ、何も大丈夫じゃないだろ)


 顔を覗き込んで来たジビラにニコリと誤魔化しの笑顔を向けて、もう一度鏡に映る自分の姿を見る。


 溜息が出るほど美しい見事な洋服、父上と母上から受け継いだ眉目秀麗な容姿、おまけに家中の者たちには神童呼ばわりされている。非の打ち所がないとはこのことを言うのだろう。

 周りには俺がこう見えているのかと思うと何だか悲しくなる。

 醜いのは鏡に映らない自分の心だけだから。


「はぁ…」


(あ~ぁ、やめだやめ)


 鏡から目を逸らし、ドロッとした感情に蓋をする。

 うじうじとしていたって何も解決しないし、時間が止まってくれるわけでもない。どうやって連盟集会を乗り越えるか、今はそれだけを考えよう…―――




 ◇◇◇




 ―――…まぁ思い付くわけないんだけどね。


「はぁ…」


 今日何度目になるか分からない溜息を北方連盟集会の会場となる『紺青の間』とレッドカーペットが敷かれた廊下を隔てる扉の前で一つ吐く。


 連盟集会を無事に乗り越えるための――正確には好奇の視線に晒されてもゲロることなく『神童』としての及第点を叩きだす――方法をここに至るまでの道中で閃くことはなかった。思い付きはしたよ?全員の顔をジャガイモに思え作戦とか掌に『人』を十回書いて呑み込む作戦…とか。でもそれらはただの気休めにしかならないもの。俺が知りたいのはもっと確実性のある作戦だ。


(でもそれが出来たら苦労しないんだ…。俺には無理だ…)


 ただ何もかもが悪い方向に進んでいる…というわけでもない。

 考えれば考えるほど、俺には無理なんじゃないか、出来っこないと思えてくる。それは自信を段々と失っていくことに他ならなくて…。

 つまりは過去に経験したことのないレベルの無力感を受けてプライド仮初の自信が崩壊を始めたのだ。等身大の自分を見つめることが出来るようになったとも言える。

 この心境の変化を例えるのだとしたら……そう、ノー勉で挑む学校の定期試験直前のあれだ。

 無駄なプライドのお陰で?せいで?ノー勉だとしても『まぁ俺なら何とかなるっしょ』とそこまで不安を感じずに受けれたのに、無駄なプライド過信がなくなって現実が見えるようになったから『やばい…やばい…やばい…あぁ終わったぁぁぁぁぁ』とこの世の終わりかと思うくらいの絶望を感じながら試験を受ける……そんな感じの変化。

 前者は『次こそは』と試験直後は意気込みながらも次回以降も同じことを繰り返し、後者はもう二度とこんな惨めな思いをしないと固く心に誓い努力する。


 当然、前世の俺は圧倒的前者だった。試験結果が紙一枚に纏められて返って来た時は『今日から次に向けて勉強始めれば、誰よりも高い点数取れるんじゃね?俺なら』と現実悲惨な点数から逃げ、家に帰ったらゲーム機を両手に『明日から明日から』とテスト前日まで来ない明日を待つ。そんなどうしようもない奴。

 でも今の俺は後者になりつつある―――。

 これは成長だ。疑いようのない成長。

 しかし今の状況を考えると素直には喜べない。考え方が変わっても、即結果に繋がるわけではない。結果が変わるのは今回ではなく、新たな考え方をもとに試行錯誤を繰り返した後なのだ。


(どうしよう…どうしよう……)


「御屋形様、会場内の準備が整いました」


 会場内紺青の間からこっそりと出てきた執事の声によって意識を現実に戻される。結局何の手立てもないまま連盟集会に乗り込むことになりそうだ。

 縋るように周りを見ると父上、母上、リア姉、それぞれの自信に満ち溢れた表情が否が応でも視界に飛び込んできて心を抉る。

 僅かに残ったプライドの欠片が『大丈夫、俺なら何とかなる』とメンタルを無理矢理にでも立て直そうと息巻いているけど虫の息。心全体に影を落とす不安を払拭するにはあまりにも弱い。

 失い始めてからやっと気づく。これまでの人生で俺はこの下らないプライドに支えられてきたんだなぁと、支えられてしまっていたのだなぁと。


(あぁ…失敗するんだろうな。神童の化けの皮が剥がれて、笑い者にされるんだ…)


 こうなってくるとプライドとは反対に勢いを増して生き生きとし始めた劣等感が今まで以上に幅を利かせてくる。


(俺なんかじゃ…無理だ……)


 感じたことのない不安感が心だけでなく身体までも蝕み始め、やがて震えとなって表面化する。


(はは…なんだこれ)


 膝が笑って言うことを聞いてくれない、指先がピリピリして煩わしい。

 止まれ、止まれ、止まれッ…!

 しかし、震えは増すばかり。神童の化けの皮がどんどん剝がれていく。不幸中の幸いはこの症状が会場内でなく外で出たということだけ。けれどもそれは慰めにならない。


「―――、―――――――。――、――、――…――――――?…――?―――――ッ、――――、――!」


 周りから聞こえる音が段々と輪郭を失っていき、まるで水の中にいる時のようにぼわぼわして聞き取りづらい。震えがさらにひどくなったのか、身体全体が揺れている。


 未知の不安が不安を呼び積み重なり、やがて恐怖となる。


(…怖い…怖い…怖い…怖ぇよ…!)


 こんな思いをするくらいならプライド過信よ、頼むから帰って来てくれ―――。



「——っ、——!」



 俺の意識はプツリと途絶えた。

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