12.偽物の神童

「カ~カ~リ~リ~がふりむいたっ!」

「「「(ピタッ)………」」」


 強烈な見た目の祖父に強烈なトラウマ高所恐怖症を植え付けられた日から一週間ほどたったある日。

 俺はぬくぬくと温かい部屋の中で積み木と並ぶマイトレンド遊び――『だるまさんが転んだ』ならぬ『カカリリが振り向いた』をお付きの侍女たちと一緒に遊んでいた。


 本当なら屋内ではなく屋外で遊びたいが今は冬。北の山脈から吹き降ろす風によって尋常じゃない寒さとなるこの季節に外で遊ぶことは一歳児にとって自殺行為に等しく、両親からの外室許可が下りなかった。

 ならば図書室に籠って知識を貪ればいいじゃないと思われるかもしれないが、我前世運動部ぞ。再び外を知ってしまったからには定期的に動かさないとムズムズし始めるのだ。

 マグロは止まったら死ぬ、運動部は動かないと禁断症状が起こる。そういうこと。


「カ~カ~リ~リ~がふりむいたっ!」

「「「(ピタッ)………」」」


 進んでは止まり、進んでは止まり。

 そんな感じで、暇を潰しているとコンコンと扉が鳴った。


「ジビラです」


 どうやら先ほど部屋を出て行ったジビラが帰って来たらしい。


「若様、御屋形様がお呼びです。参りましょう」


 そして部屋に入るなり、床に腹をベタっとくっつけ一本の棒のようになった俺にそう言って来るのだった。


「……わかっちゃ」


 ………父上の用事とは何だろう。




 ◇◇◇




(今日何かあるのかな?)


 自室から特別区画へと向かう道中。

 図書室へ行くときは毎回通る見慣れた道だというのに今日はやけに違って見えた。

 そして辺りをキョロキョロ観察しているうちに気付く。

 あぁ人の移動がいつもより早いんだ、人の顔がいつもより少し強張っているのだと。


(場所は同じなのに人の仕草一つ二つでこんなにも景色は違って見えるのか。はえぇ~おもしろ)


「若様、着きましたよ…―――御屋形様、若様をお連れして参りました」


 あっという間だった移動時間を経て、分厚い扉をコンコンとジビラが叩くと内から開く。


(おぉ~)


 素朴だが高価そうな調度品たちに囲まれた執務室には木と紙とインク、そして父上と母上の匂いが少しした。もしかしなくても父上と母上の仕事場――執務室に入るのは今回が初めてかもしれない。


「来たか。こちらに来なさい」


 父上は俺が部屋に入るなりそう言って迎え入れ手招きをした。


(おぉ…様になってる)


 俺は机に向かって座る父上の子供たちの前ではあまり見せない当主然とした姿に驚きながらよちよちと小さな歩幅で寄っていく……が、一先ず父上はスルーし、その後ろで腰を折り両手を広げていた母上の胸元に飛び込んだ。


「ははうえっ!」

「いらっしゃい、アル」


 仄かに甘い母上の香りと爽やかな香水の香りが全身を包み、不思議と心が満たされていく。

 こういった摩訶不思議な体験をすると男は全員マザコンなんだなと嫌でも分からされるな。それと同時に今世も母親には逆らえそうもないと心の中で苦笑いする。


「ちちうえっ!」

「…あ、あぁ。よく来たな、アル」


 それからすぐに母上の腕の中から脱出し、椅子の傍で膝をつき項垂れていた父上の胸元に飛び込んだ。

 すまんな、父上。ダンディな笑みを浮かべ「こちらに来なさい」と言うあなたの後ろで有無を言わせない笑みを浮かべた母上を見て身体が勝手に動いたんだ。


 上を見れば何とも言えない父上の顔が明るくなっていてホッとした。


「よっ…と」


 ひょいと持ち上げられ父上の太腿の上へ。ゴツゴツとした掌が頭を包み込む。

 お世辞にも気持ちいとは言えない不器用な手つきだけど、その不器用さが我が子を怪我させないようにと細心の注意を払っている故のものだと思うと気持ちがポカポカする。


 何分くらいたっただろうか――。

 されるがままに頭を預けていると、背後から「あなた様」と母上の声が聞こえた。


(そう言えば父上は俺に用事があるんだった)


「そうだな…」


 父上も俺と同じく忘れていた模様。

 頭を撫でていた右手を左手と組み太腿の上の我が子をぎゅっと力強く、けれども優しく抱きしめ、口を頭ごと俺の耳元に寄せた。


「アル、今からお前は私たちと共に集会に参加してもらうこととなった」

「しゅーかい?」

「あぁそうだ、大人たちが大勢いる集会だ」


(それは俗に言う北方連盟集会のことですかな?父上)


 こう言ったら神童云々とかに関係なく気持ち悪いと思われかねないので口には出さないでおく……が、なるほど。理解理解。つまりは北方連盟集会に参加しろ…というわけだ。




―――正気か?父上。





 身体を覆う筋肉質な腕をトントンと叩いて解いてもらい、振り返り上を見る。


(うん…いつも通り)


 父上はいつも通り、腕を解かれたことに対して少し寂しがるような素振りを見せるだけで極めて正気だった。


(なるほど、これはよく考えられた上での決定…というわけだ)


 疑ってごめんよという代わりに再び父上の腕の中にスポリと納まった俺は中途半端に優秀な頭を回して情報を知識と擦り合わせる。


 まずは言葉の意味から―――。


『北方連盟集会』とはそのままの意味で『北方連盟』に加盟している貴族家が『集』う『会』のこと。

 非常時出ない限りは毎年一回は必ず開かれていて、開催時期は戦線が落ち着きを見せる冬、集まる目的は戦に関する情報の共有・顔繫ぎ・商談と多岐に渡る。

 北方連盟年一の超ビッグイベント―――それが俺の中における北方連盟集会の位置づけで、実際に大きくは外れていないだろう。


 次に自室から執務室に至るまでの道中で感じていた違和感、使用人たちの雰囲気の違い―――。


 なるほどなるほど、そりゃ緊張しますわ。だって失敗が許されないビッグイベントの直前だもの。

 北の山脈群から吹き降ろす風が厳しい今日この頃。つまりは冬――北方連盟集会の季節。去年は敵国アマネセル傭兵国からの奇襲が集会直前にあったため直前でキャンセルされているから一年振りの開催というわけだ。

 以上のことから父上が言う『集会』とは北方連盟集会のことだろうと断定に近い推測ができる。


 そして最後、俺が父上に対して正気を疑った理由―――。


 それは北方連盟集会の数ある開催目的の一つ、次世代の顔繫ぎにある。


 世襲制である貴族は皆『血を絶やさない』ことに心血を注ぐ。何十年何百年と先祖代々受け継いできた家を途切れさせることを貴族は死よりも嫌う。次代が愚鈍であることを貴族家の当主たちは許さないんだ。

 だから貴族の集いを利用して、現当主たちや将来肩を並べる次代の当主候補たちと顔合わせをさせる。そしてそれは早ければ早い方が良い。

 成人年齢である15歳よりも12歳、12歳よりも9歳、9歳よりも7歳。社交界デビューが早ければその分多くのことを経験できるし、優秀であれば目上のお偉いさんに顔を覚えてもらうことが出来る。

 しかしだからと言って早すぎるってのも問題だ。

 例えば理論上最速の0歳。歩くことも出来なければ立つことも出来ない、会話だってもちろんできない、というかまともに長時間起きていることすら出来ない最弱の哺乳類。

 もしこのタイミングで貴族の集会に参加させたらどうなるだろう。そう、コミュニケーションを取れない赤子を連れて来てどういう了見だ、非常識極まりないと四方八方から無言の圧力、冷たい視線が降り注ぐことだろう。

 またそもそもの話、極寒の大地を行く馬車の長旅は0歳児にとって黄泉への旅路。集会場に着くまで体力が持たないのだ。そしてこれは0歳児に限ったことではなく1~3歳児にも言えること。

 だから参加させる貴族家の当主は子供の年齢と能力を考えに考えて出席させる。

 その結果出来上がった貴族家の集会における常識の一つが、貴族家の集会参加は早くとも5歳から…というもの。


 な、おかしいだろ?正気の沙汰じゃないだろ?一歳と半年のちんちくりんを集会に参加させるなんてこと。


 だから俺は疑ったのだ、父上の正気を。

 でも父上は至って正気で、考えがあるように見えた。


「…おとな?いっぱい?」


 更なる情報を求めて一歳児のように片言で。愛嬌たっぷりに首を傾げてみる。


「そうだ。父と同じような大人がいっぱいいるのだ」

「たのしい?」

「…それはもう楽しいぞ。美味しいものが沢山あってだな、皆と一緒に食べるのだ」


 返答までにあった不自然な一拍に父上の中の葛藤が見えた。

 当たり前だ。今父上がしていることは何も知らない一歳児に嘘の情報を伝え、北方連盟集会に出たいと思わせるようにする誘導じみた行為なのだから。

辺境伯家当主と同じ王国の特権階級に在る貴族家の現当主たちが雁首揃えていて、上手い料理が並んでいる以外に子供が喜ぶ要素が一つもない楽しくないところにお前を参加させたいと思う』なんて言えるはずがない。


 じゃあどうしてそうまでして―――嘘を付いてまで息子を集会に参加させようとするのだろう。


「りあねぇいましゅか?」

「あぁ勿論だ。案ずることはない、リアも初めは怖がっていたが慣れていくうちに段々と楽しむようになった」


 あのリア天真爛漫お転婆娘ですら怖がった集会…というとんでも情報は一旦置いておいて。


(なるほど、そういうことか?)


 無垢な一歳児を演じながら一つの推測を立てる。

 その推測とは『父上、俺に箔を付けようとしている説』だ。


 人が生きていくうえで箔というものはかなり重要だ。将来人の上に立つのならなおさら、北方連盟の盟主たるヴァンティエール辺境伯家を継ぐのならなおさらである。

 何の実績もないただただ名家の血が流れている人間についていきたいと思うほど、人間は単純じゃない。自分がついていくに足る人物であると思わせる根拠が必要なのだ。


 その根拠の中の一つにあるのが『箔』である。


 嫌な話、『東大卒の上司』か『Fラン大卒の上司』か。『小さな頃から神童と呼ばれていた人物』か『ヴァンティエールの姓が付いたただの凡人』か。

 それ以外の情報なしでどちらの下に付きたい?と聞かれれば、九割以上の人間はどちらとも前者を選ぶだろう。

 いくら優秀でも箔が付いていなければ、実際にはそこまで優秀じゃないけど箔が付いている人間に負けてしまうんだ。


 故に父上は、貴族は自分たちの子供に『箔』を付けたがる。見栄えが良くなる金箔をぺタペタと貼るのだ。


 王国北部に神童として名が通っているリア姉が何よりもの証拠。


 父上は「リアも初めは怖がっていたが慣れていくうちに段々と楽しむようになった」と言った。これってつまり、リア姉は北方連盟集会に参加したことがあるってことなんじゃないか?彼女は今年で5なのに。

 北方連盟集会が一年振りに行われるということから、リア姉の初参加は3歳の時である可能性が高い。つまり、社交界デビューは5歳からという常識を父上は破ったことがある。


 ここまで考えると『父上、俺に箔を付けようとしている説』は十分にあり得る推測に思える。大きくは外していないはずだ。


 そして俺は息子を集会に参加さたいと思う父上の考え自体には賛成だった。


 だってそうだろ?二歳にならないうちに大人たちと何ら問題なく言葉を交わし、図書室に入り浸って本を読み漁る。アルテュールは間違いなく神童だ。神童は年齢に関係なく出会う人出会う人に強い印象を与え残し去っていく、箔を付けなければ勿体ない存在なのだから。


 だがしかし、父上の考えを実行することに対しては反対である。


 何故なら父上たちが見ている神童アルテュールの中身は神童とは似ても似つかない、何をやらせても一番になれない中途半端な人間なのだから。

 戦争?何それ美味しいの?と平和ボケしまくった現代日本で過去に縋り付きながら生きてきた高校二年生。それが俺だ。

 なので当然、海千山千の貴族たちからの好奇の視線に耐えられるメンタルは生憎と持っていない。耐えられなくなってゲロる未来が見えていた。


 連盟集会で付く箔は……そうだな『ゲロ吐き嫡男』かな。間違っても『神童』という名の箔が付くことはない。


「ちちうえとははうえもいましゅか?」


 でも、愚かな男は心のどこかで思ってしまうんだ。俺なら神童を演じきれるんじゃないか?って。

 前世。何でもかんでも誰よりも優れていたあの頃。小さな頃に築き上がってしまい、崩れなくなった下らないプライドが判断を鈍らせる。


「あぁ勿論だとも。私たちは何があってもアルの傍を離れたりはしない。何があっても…だ。安心しなさい」


『父上と母上が傍についているのだし大丈夫でしょ。これだけ条件が揃っていれば俺に出来ないはずがない』

(あぁ…始まった……めてくれ。俺は俺が思ってるほど優秀じゃないんだ、劣っているんだっ…!)


「あいっ、たのしみでしゅ!」


 断れば良かったと思ってももう遅い。

 考えていることとは正反対、プライドが勝手に口を動かす。


「ちちうえっ、ぼくがんばりましゅ!」


『3歳のリア姉が出来たんだろ?本気出せば俺も出来るって』

(違う、彼女は本物の神童だ!俺のような偽物じゃない!)


「あぁ期待しているぞ、アル」


 金色の瞳にアルテュールの顔が映るのを見た。父上が期待を向けているのはアルテュールの中にいる前世持ちの俺ではなく、一歳の神童アルテュールだということに気付いた。


『俺だって優秀なはずなんだ!』

(違うっ、全部が中途半端な人間だ!)


 自分は優れていると叫ぶプライド、違うと否定する劣等感。

 その狭間で、俺は期待の眼差しを向ける父上と母上に対してただニコニコと笑うことしか出来なかった。

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