11.じぃじと孫たち
毎日図書室に通い勉強しているからかな?
最近、俺を「神童だ、神童だ」と囁く声がよく聞こえてくる。
囁く口は侍女だったり、或いは城内散策で時折すれ違う武官か文官か判断が付かない男のものだったり。
ただそれは当たり前のことだと俺は思うんだ。だって中身赤ちゃんじゃなくて高校生だもの。これで周りから馬鹿だと評価されたらことだよ、こと。十七年間もたっかい養育費出してくれた前世の両親に顔向けできないね。……不注意で事故死したからどの道顔向けできないけど。
でも、少しやり過ぎたなとは思う。あれだけ宗教→異端→火炙り…怖いとかで一歳児を演じようとしていたのに、毎日毎日本を読み漁ったせいで普通の子供ではないことがこんなにも早くバレてしまったのだから。右も左も分からない状態だっとはいえもっとやりようはあったはずだ。
「できちゃ!」
一歳の誕生月に貰った真っ黒な積み木を組み立てて作ったお城を前に俺はドヤる。
「「「おぉ…」」」
「すごいです若様」
「すごいわアル。さすが私の弟ねっ」
(もぉ~褒めても何も出てきませんからねっ)
だだしそれはそれ、これはこれ。正直言って今の気分は悪くない。むしろ最高?だって神童だぜ?理由や過程がどうであれ人に評価されて嬉しくないなんてことはないのだ。
「ふへへ…」
「アル、変な顔しないで」
(酷くね?)
もっとオブラートに包んだ言い方をして欲しかった。でもまぁその通りだと俺自身も思ったので顔をもにもに…真顔に戻す。
「アルは笑っているときのほうが可愛いわ」
(どっちだよ)
そうやってリア姉に遊ばれているとコンコンと部屋の扉が鳴った。音的に時間帯的にリア姉の家庭教師が来たわけではなさそう。
「はい、どちら様でしょう」
俺たちを見守っていたジビラが扉の方に近づき問い掛ける。
「………」
しかし扉の向こうにいるはずの誰かは反応しなかった。
おかしい。ふわふわとしていた空気が一気に引き締まるのを肌で感じた。部屋の壁際に並んでいた侍女たちが一斉に俺とリア姉のもとに駆け寄り囲む。
「何が起きてるの?」
「さぁ?」
(幽霊?)
いまいち緊張感に欠けるヴァンティエール姉弟。
特にやることがないので侍女たちの真似をして扉の方に耳を傾けてみた。
「オレリアぁ~、じぃじだぞ~、今入ってもよいかぁ~」
静寂を破り聞こえてきた気色の悪い声が耳の穴をソワっと撫でる。傾けるんじゃなかったと侍女の真似をしたことに対して酷く後悔した。
「「「……っ」」」
「……ん?」
無理矢理ひり出したような重低音の猫撫で声に気を取られてちゃんと聞けてなかったけど、今何かすごいこと言わなかった?…というか、いつの間にか俺たち二人を囲んでいた侍女たちが定位置に戻って直立不動の姿勢を取っている。部屋を包んでいた空気感がより一層引き締まっていて、侍女たちは先ほどまでよりも緊張しているように見えた。
(何が来るんだ?)
そう思うと同時に隣にいたリア姉がガバッと勢いよく立ち上がる。彼女の顔からは隠しきれない喜びが見て取れた。
「じい様!?入っていいわよ!」
(じい様って…アマネセル傭兵国と戦ってる『修羅』のことか!?)
「おお、そうか!…では入るぞ!」
ガチャッと静かな音を立てて扉が開く。
ぬっっ…にちゃあぁぁ、と…厳つい巨漢が頬をだらしなく緩ませて部屋の中に入ってきた。巨漢がニヤニヤしながらそろりそろりと近づいてくる、軽くホラーだ。
「わあ!本当にじい様だわ!アル、じい様よ!」
「……」
(ぎぃやぁぁぁあああああ!)
「どうして隠れるのよ。ほら、あいさつしなさい」
反射でリア姉の身体にしがみ付いた俺を彼女は持ち前の怪力でひょいと軽く持ち上げ、座り込んだ巨漢の前によいしょと置く。そんな…とリア姉の顔を見れば前を向きなさいと顎でくいッと命令され、仕方なく前を向いた。
「初めましてだなアルテュールぅ、じぃじだぞぉ~」
「じぃじ?」こてん←頭
咄嗟に一歳児らしく振舞えた俺を誰か褒めてくれ。今こそ神童と称える時だ。突如目の前に現れた巨人を前に内心ビビりまくる。
「そぉだ、じぃじだぞぉ~」
「はいめまして」
「おぉ初めまして、挨拶が出来て偉いな」
腹に響く重低音の猫撫で声、違和感しかない。だがしかし俺の頭を撫でる大きなゴツゴツとした手から伝わる溢れんばかりの愛情が警戒心を解いていった。
(悪い人じゃなさそうだ)
そう思うや否や俺は情報収集云々で癖になりつつあった人間観察を始める。癖というかもう生存本能。
「……?」
「じぃじ」
「お~そうだそうだ!もう一度言ってくれんかっ」
「じぃじ」
「おおぉぉぉ…!」
まず目につくのは何といってもその身体の大きさ。
これは決して俺が小さすぎるからじゃない、じぃじが大きすぎるんだ。肩幅が広すぎるせいで馬鹿太い首の上に乗った頭が妙に小さく見える。
タッタッタ……ぎゅっ
「ふおおぉぉぉ…!」
勢いよく胸元に飛びついてみたけどまるで山。人の身体であるのに向こう側を感じない。こりゃ胸板も意味わからんほど分厚いな。そして顔を上げるとだらしなく緩んだ顔面が。
父上と同じ深海を連想させる濃い青の髪、似たような顔つき。あぁ親子なんだなぁと孫は思います。でも全く同じというわけではなくて、瞳の色は金色じゃなく髪と同じ深い青、所々に歳を感じさせる皺、そして顔を斜めに二等分するように刻まれた桃色の傷跡があった。
父上は高潔な騎士様という印象を受ける顔だけど、じぃじはまさに歴戦の強者といった顔だ。顔のパーツパーツは似ているのに辿ってきた人生の違いでこうも人の顔とは変わるのか。そう思って見ると非常に面白い。
「ん、儂の顔に何かついとるか?」
「いたそぉでしゅ」
生存本能でも何でもない純粋な興味から俺はじぃじの顔にある傷を見つめた。
「あぁこれか…」
俺の視線と言葉の意味に気付いたじぃじはニヤニヤとしていた顔を一瞬引き締め、今度は恥じるように自嘲めいた微笑を浮かべる。青い瞳は俺ではなくここじゃないどこか遠くを見ているようだった。
「アルっ、じい様のその傷は古龍をやっつけたときに付けためいよの傷なのよ!」
俺の疑問に答えたのはじぃじではなくリア姉だ。「アルばかりズルいわっ」と目を見張る速度でじぃじの腕に体当たりし、俺と同じようにじぃじの胸の中にすぽりと収まる。
「こりゅー?」
聞いたことのある単語をあたかも初めて聞いたかのように俺は彼女の言葉をそのまま繰り返した。
『古龍』とは即ち魔獣の中の魔獣である。この前図書室で読んだ本『アレクサンダー王物語』の中で登場してくるソレは王国西に聳え立つアインザーム大山脈のそのまた上、暴風吹き荒れる上空域に生息している龍種の魔獣のことを指しているらしい。
詳しい生態はほとんど分かっていないようで、分かっているのは雲の中に棲んでいること、何十年かに一度空から降りて来て魔の森及び大山脈山頂付近の生態系を無茶苦茶にすること、天災と同じように人じゃどう足搔いても敵わないということ、それだけ。
古い文献によればたった一体の古龍にあっさりと滅ぼされた国があるとか。この世界の古龍は一狩りされる側ではなく一狩りする側なのだ。
そんな伝説的魔獣と戦ったことがある?しかもやっつけた?
(何それ超すごいじゃん、超カッコいいじゃん!)
じぃじを見つめる俺の眼はキラキラと輝いていることだろう。
「これオレリア、やっつけてはおらんぞ。撃退しただけだ」
眩しいとばかりに俺から目を逸らしリア姉の頭をわしゃわしゃ撫でるじぃじ。逃がさねぇよ?
「どうやって…げきたいしたんでしゅか?」
「…はは、アルテュールがもう少し大きくなったら教えてやろう」
しかし恥ずかしそうに微笑んだのはそれが彼の黒歴史なのか。誤魔化すように再び頭をわしゃわしゃと撫でるじぃじの表情には影が差し瞳からは感情が抜け落ちていた。
(これはそっとしてあげた方が良いな…)
男なら皆一つや二つは人様に言えたもんじゃない黒歴史を持っている。お偉いさんとはいえじぃじも一人の男。あるんだろう、そういうのが。ほら、感情の籠っていない瞳に段々と強く悔いるようなものが現れてきた。
俺は一歳児ではなく、一人の
黒歴史は乗り越えるものじゃない。一生背負わなければならない自分にとっての戒め。
「「「……」」」
静寂が三人を包み込む。
リア姉もじぃじ、そして俺の様子がおかしいことに気が付いたのか。何とかしようとあたふた、視線が二人の顔を行ったり来たり。
(…リアねぇ、そろそろ首取れない?)
そう思うくらい彼女は黙る男二人を交互に見ていた。
それから少しして、名案が思い付いた!と頭の上に豆電球が付きそうな顔をしたかと思えば、表情を明るくしてじぃじの方を見る。俺はその明るい表情に嫌な予感を覚えた。
(何をする気だ…?)
もしそれがじぃじの中の闇を刺激するものだったのなら…!
「りあね…」
「じい様!それよりもアルにあれやってあげて!」
「あれ…あれ……すまん、何だったか」
「高い高い!」
「お?あれか。ふふ、いいぞぉ」
(え、あれ?)
突然の浮遊感が全身を襲う。
「そぉ~れっ、高い高~い」
「ぎゃああああぁぁぁぁぁああああ!」
予感的中…違う方の。
「じい様っ、次は私ね!」
「おう」
先ほどまでの表情は見る影もなく、じぃじの顔はだらしなく綻んでいた。
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