10.神童と囁かれ始めた頃に

 ジビラの想いが伝播したのか。本格的な冬が訪れ、城内の至る所にヒーターの魔道具が設置されるようになった頃。ヴァンティエール家に仕える使用人たちの間で「若様は神童だ。ヴァンティエール家は次代も安泰だ」という囁き声が飛び交うようになっていた。


 そんな囁き声を耳にして機嫌良くなる男が一人、大きな身体を揺らし鼻歌でも歌い出すんじゃないかという勢いで城内を大股で移動していた。


『前ヴァンティエール辺境伯家当主』『シアン・ド・ギャルド要塞最高指揮官』『王国最強』『修羅』『生ける伝説』『ヴァンティエール家歴代最高の槍使い』等。その男を言い表す言葉は星の数ほどあるが今の彼を言い表すのなら……そう、『孫に会うのが楽しみで仕方ないおじいちゃん』が最適だろう。


 大股で歩く巨漢を視界に捉えるや否や、ささっと廊下の脇に逸れ深く頭を下げる使用人など何のその。テンションぶち上げおじいちゃんことマクシムはずんずんと第一目的地である特別区画三階、当主の執務室へと向かいやがて辿り着く。


 ガチャッ


「入るぞ」

「父上、そういった台詞は部屋に入る前に言ってください」


 入って早々に目頭を指で摘まんだ息子ベルトランを見たマクシムは「知らん。元気か?」と笑い、相変わらずの父を見たベルトランも「元気ですよ」と笑った。

 それからすぐにマクシムは視線をスライドさせて息子の後ろに控えていた義娘に「久しいな」と声を掛ける。

 二年振りに顔を合わせた親子のやり取りとしては些か物足りないものがあるかもしれないが、ヴァンティエール親子マクシムとベルトランは互いに多くを語らない、多く語ることを好まない。「元気か?」ニヤり「元気ですよ」ニヤり…これで十分なのである。


「お久しぶりでございます、お義父様」


 それを知っているアデリナは会話の少なさを疑問に思うことなく、優雅にカーテシーをして挨拶を返した。


「あぁ、久方ぶりだな……夫人…」

「ふふ、アデリナ…と呼び捨てにしてくださいませ」


 何故か彼女の名を言うことなくもごもごするマクシムに対し、アデリナは悪戯っぽく微笑みお願いする。これもいつものやり取り。


「あ~チクってくれるなよ?」

「もちろんです」

「…はぁ、久しいなアデリナ」

「はい、お義父様。お久しぶりでございます」

「アデリナと呼ぶ代わりと言っては何だが、そのお義父様とうさまと呼ぶのを止めてくれんか。あの方の耳に入ると…」

「――嫌でございます。私はあの日、ヴァンティエールに全てを捧げると決めた身ですので」

「…あぁ、分かった降参だ」


 五十も半ばになろうとしている巨漢が自分の半分も生きていない小娘相手にたじたじになる。これもいつも通りだった。


 ただそれでもマクシムは今回の帰還の主目的を忘れてはいない。執務室はあくまでも第一目的地であり、真の目的地は第二、アルテュールの部屋なのだ。


「で、だ。もうアルテュールのもとへ行ってもよいか」


 対してベルトランが掲げている目的とはマクシムが帰還した真の理由……であったはずの『北方連盟集会』について話し合いをし、事前に決めるべきことを決めておくこと。

『北方連盟集会』とはその名の通り、ヴァンティエール辺境伯家を筆頭に集まった王国北部に領地を持つ貴族家集団『北方連盟』に加盟する貴族家が年一回だけ一堂に会する集会のことを指し、纏める立場にあるヴァンティエール家にとっては万全の準備を整えて挑まなければならないビックイベントの一つだった。

 それは当主の座を譲りシアン・ド・ギャルド要塞に籠りきりになっている父マクシムとて例外ではない。話し合いが必要不可欠だ。

 にもかかわらず、マクシムは「そんなことどうでもいい」と言わんばかりの無関心さを見せ、執務室を後にしようとしている。


「駄目に決まっています」


 食い気味に拒否する。至極当然の行動。


「む…分かった」


 想像していた以上の息子の即答に…いや、その後ろに控えていたアデリナの意味深な笑みに怯んだマクシムはその場で頷き、ソファに腰を下ろした。


 それを見たベルトランもソファに腰を下ろし、アデリナは紅茶を淹れ始める。アデリナお手製の紅茶で両者が唇を濡らし、彼女もまたソファに座ることでようやく話し合いが開始される。



「アルテュールを集会に参加させようと思っています」



 そして開始早々、ベルトランが強烈な言葉のパンチを繰り出した。


「―――何?」


 魔道具で温まった部屋の室温が一気に氷点下へと落ちていく。

『修羅』マクシムから放たれたプレッシャー魔力の波動が大気を揺らしベルトランとアデリナにそう錯覚させたのだ。


「正気か?」


 マクシムは今しがた信じられないことを言った息子と、それに同意する素振りを見せている義娘を見て思案する。

 ヴァンティエール辺境伯家が盟主となり率いている北方連盟は共通の敵、アマネセル傭兵国が目と鼻の先に200年間に渡って居座り続けており、戦い続けてきた。それ故に各家々が互いを戦仲間として見ており団結力は非常に高い。北方連盟の中にはヴァンティエール家に心酔し、戦って死ねと言えば喜んで死ぬような人間もいることだろう。


 しかし全員が全員ヴァンティエール家を好意的に思っているのかと言われればマクシムは断じて否と答える。


 青い血が流れる貴族という生き物はプライドの塊だ。そのような特性を持つ貴族家が纏まって一つの強固な一枚岩になると思うか?という話。北方連盟の中には表面上ではヴァンティエール家にいい顔をし、裏では悪口言いたい放題の輩が多くはないが確実にいる。

 

集会場の壇上で挨拶する我々を憎しと睨みつけているだろう。

 

また、ヴァンティエール家が齎す恩恵をより多く受けるために媚び諂う者や利用するために打算的に動く者だっている。それが当たり前の世界。それが貴族の世界。


 そんな醜い世界にまだ二歳にもなっていないアルテュールを引きずり込むだと?


(ふざけるな)


 故にマクシムは怒り狂うわけだ。穢れを知らない二歳児に何をさせようというのだ、と。


 ただ、爺馬鹿のマクシムが怒り狂うこと当然のように予想していたベルトランは冷静に言い返す。


「正気です」


 それから長い長い静寂が始まった。


 マクシムは心意を探るようにじーっとベルトランの瞳を凝視し続け、ベルトランは強い決意を胸に見つめ返す。


 どれくらい時間が経っただろうか。


 冷たくなった紅茶で唇を濡らしたマクシムが「はぁ」と溜息を吐き静寂を終わらせた。


「それほどまでに聡いというのか、アルテュールは」

「えぇ、聡いです。子供同士を比べるような真似はしたくないのですが、正直言って賢さでいえば……オレリア以上かもしれません」

「ほう…」


 いつの間にか淹れなおされていた紅茶のカップを持ちながらマクシムは素直に感心する。オレリアはマクシムから見ても神童と呼ばれるに相応しい子供だ。生後半年ほどで二足歩行を始め、二歳を過ぎるころにはしっかりとした受け答えが出来るようになっていたと聞く。実際に会って話して遊んで、なるほど、これは神童だと思ったのは記憶に新しい。


 その上を行くのがアルテュールというわけだ。しかもまだ一歳半。普通なら比べる土俵にすら上げられない歳。


「神童…か」


 マクシムはここに来るまでの廊下で聞いた使用人たちの囁き声を思い出し復唱する。


「はい、あの子は間違いなく神童です」


 ベルトランはアデリナの手を握り、誇らしげに頷いた。


(そこまで言うのであれば仕方あるまい)


 息子夫婦の様子にこれは何を言っても無駄なのだろうなと悟ったマクシムは「はぁ」と溜息を吐き苦笑いする。


「好きにしろ。今のヴァンティエールを背負うておるのは儂ではなくベルトラン、お主だ。これ以上の口出しはせんよ」


 周りが思っている以上にマクシムは息子であるベルトランを信頼している。そのベルトランが大丈夫だと判断したのだ。当主の座を譲り、要塞に籠っている老人がこれ以上の口出しをすべきではない。息子が父親として振る舞っているところに土足で踏み入る無粋な輩になった覚えもない。


「ただ…」


 しかし、最後に一つ。忠告しておきたいことがあった。


「もしアルテュールの心が折れてしまったとしたら…―――」


 ベルトランだけでなくアデリナにも真剣な視線をやり、マクシムは問う。

 前当主の…とか、ヴァンティエールの未来を…とかの想いから来た質問ではない。

 これは人の子の親、その先達として聞いておかなければならないことだった。


 人間という生き物は皆、出来の良い者に期待を寄せたがる。それは親とて例外ではない。……いや、我が子だからこそ必要以上に期待を寄せてしまう。寄せすぎてしまう。正しく他人を評価できる人物であっても自分の子供に対しては色眼鏡をかけてしまう、それが親なのだ。そしてその期待に応えようとするのが子供である。


 一歳半の赤子には期待なんてもの分かりっこない?

 親の喜びと失望くらいは赤子だって分かる。神童であればなおさらだ。


 上げて落とされる。大人でも胸が痛むのだ、子供ならば痛むどころではない。下手をすれば一生残る心の傷になる。


 期待するなとは言わない。親が期待しなければ子供は成長しないから。だが過ぎたる期待は毒になる。


「―――お主らは如何する?」


 子育てに正解はない。


「「折れないよう、私たちが傍に付いています」」


 だからベルトランたちの答えが正解かはマクシムにも分からない。


「そうか…」


 けれども、安心はした。




 ◇◇◇




(随分と話し込んでしまったな)


 窓から覗く夕暮れに染まり始めた空を見ながらマクシムは足を速める。向かう先はもちろん真の目的地、アルテュールの部屋だ。


 特別区画の階段を下りて一階へ、それから高級官僚が働く区画を通り過ぎ、やがてアルテュールのために用意された区画へと辿り着く。


「大御屋形様、おかえりなさいませ」

「「「おかえりなさいませ」」」


 区画の中でも一際目立つ扉が目に入ったので近づいていくと廊下で一列に並び待機していた侍女たちが出迎えの言葉と共にお辞儀をした。


 マクシムは片手で応え尋ねる。


「アルテュールはおるか?」


 その場にいた年嵩の侍女が頭を下げたまま答える。


「はい、現在はオレリアお嬢様とご一緒に積み木で遊んでおられます」


 一瞬、そこまで詳しくは聞いていないと思ったマクシムであったがすぐに心が歓喜し始めた。


「そうか」


(なに…!オレリアもいるだと!)


 ここには一人しかいないと思っていた大好きな孫が何と二人も。一人の二倍は二人だが爺馬鹿マクシムの喜びは二乗された。


 コンコン


 二メートル弱の巨躯から出された力にしては余りにも弱く、繊細な音がマクシムの人差し指と木製の扉から鳴る。


「はい、どちら様でしょう」


(違う、お主に用はない)


 扉の向こうから侍女の声が返ってくるが望んでいるのはその声じゃない。マクシムは無視して続ける。


「オレリアぁ~、じぃじだぞ~、今入ってもよいかぁ~」


 気持ちのわ……少々、特徴的な猫撫で声が静かな廊下に響いた。


 扉の向こう側からは侍女たちが動揺する気配。扉のこちら側では噴き出すのを必死に我慢する侍女たちの息を呑む音。


(貴女達、耐えなさい)

(((((はいっ…お姉さま……!))))))


 静寂の中繰り広げられる命を懸けた己との戦い。


「じい様!?入っていいわよ!」


 その時、場違いな明るい声が扉の向こうから聞こえた。


「おお、そうか!…では入るぞ!」


 ガチャッ…―――


「わあ!本当にじい様だわ!アル、じい様よ!」

「初めましてだなアルテュールぅ、じぃじだぞぉ~」

「じぃじ?」


 ―――…ガっチャン。




 ………………





「……あの方が大御屋形様なのですか?」


「私語は慎みなさい。…確か貴女は新人でしたね…あぁ貴女も。職務終了後、私のもとに来なさい。話があります」


「……はい」


「ぇ……はい」


「貴女たち二人には今のような状態になった大御屋形様への接し方を教えますので」


「「……はい?」」

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