9.読書という名のガチ勉強
「じびら、としょしついっていぃ?」
「はい、構いませんよ」
「やったぁ、はっちぇんいこっ!」
「はいっ、畏まりました若様」
初めて図書室を訪れたあの時から半年の月日が流れた―――。俺はあの日から毎日、時間が許す限り図書室に籠りヴァンティエール辺境伯家が持つ蔵書を漁っている。知識を得るためだ。そして早くも得た知識は俺の役に立ってくれた。
そう、辺境伯家だ。
生まれてからついこの前までお金持ちの商家なのか或いは貴族のような特権階級に位置する家なのかどうか。今世における我が家の立ち位置はどこなのか分からなかったけど、ついに分かった。大事なことなのでもう一度言おう。我が家は辺境伯家だ。それも王国唯一の戦線が存在する北部一帯に領地を持つ貴族家を纏める『北方連盟』と呼ばれる集団のトップ。つまり父上はヴァンティエール辺境伯家当主でありながら北方連盟盟主でもあるということだ。
ん?それの何が俺の役に立っているかだって?(←自問自答)
大いに役立っているさ。何せ右も左も分からない状態でいたのが、一気に自分の現在地を分かるようになったんだ。前進も前進、大きな一歩である。前に進めば見えてくることも変わる、自分が今何をやるべきか分かってくる。だから俺は半年間ず~っと図書室に足繫く通っているんだ。
初めて図書室に来たあの時、初めてこの世界の文字に触れて文字を学ばなければならないと思った。幸いこの世界の言語は英語に似ていて基本各単語がSVOの順に並んで文を構成している。だから単語さえ覚えれれば簡単な文を読めるようになるまでにそう時間は掛からなかった。
そして文がある程度読めるようになってからは児童用の絵本から児童用の活字本へ、一般的な活字本へと少しずつ手を広げていき今度はこの世界の常識について学ばなければならないと思った。推測通り、今俺が生きているこの世界は地球とは全く違う星の上に成り立っている。であれば当然地球での大半の常識は非常識となり非常識が常識にだって変わる。ただ地球でもこの世界でも変わらない普遍の常識もあり、それは『常識を知らなければ生きていけない』ということだった。
だから学んだ。自分はこの世界の異物だという自覚があるから。シスターゼルマの存在から分かるようにこの世界にも宗教が存在している。まだまだ文法が小学生レベルなので宗教の経典を読めたりはしていないけど前世の知識から宗教と異端、魔女狩りへといとも容易く繋がった。「貴様!何訳な分からないこと言っている!えーい怪しいやつめ、火炙りだ!」は御免である。だからかなり真面目に学んだ。人に強制されることなく学んだのは初めてです、恥ずかしい。
その結果分かったことというのが先ほど言った『辺境伯』『北方連盟』云々だ。
「若様、ここで問題です。ヴァンティエール辺境伯領はどこの国に属しているでしょうか?」
…丁度いい。最近の恒例行事になり始めているジビラの復習問題が飛んできたから、まずは『王国』について話そうか。皆まで言うな。ジビラはこういう女性なのだ。
「あ、る、と、あ、い、ぜ、ん、お、う、こ、く」←Not日本語、Yesアイゼン語
『王国』の正式名称はアルトアイゼン王国。現在確認されている大陸二つのうちの一つ、超大陸テラの中央南寄りにででんっ!と東西南北形よく伸びた国土を持っている。
特徴としては王国全土にかけて四季がちゃんとあって、東はフルス川を隔てて隣国のガーランド魔導王国と陸続き、海はフルス川が注ぎ南テラ海に注ぐミュンドゥグ湾に面している。そのため陸海揃って運送業が盛ん。西はアインザーム大山脈を隔てて『魔の森』と呼ばれる魔獣――魔法の動力源である魔力を溜め込み変異を起こした獣。詳しくは知らん、一歳児だもの――の大生息域に面している高地。南は全域が温暖かつ肥沃な土地、所によっては寒暖差や盆地、高低差もあるため作物の大生産地。懐に余裕があるためか芸術でも栄えている。
そして我らがヴァンティエール辺境伯家の領地がある北は夏が涼しく冬は極寒、土があまりよろしくない代わりに鉱山資源が豊富。また王国で唯一敵国が陸続きに面している場所があるということで散発的だけど大きな戦いも起きているらしい。確か場所は北の最西端、肥沃の大地『アティラン平原』。
アルトアイゼン王国第十一代国王アレクサンダー三世――またの名を『戦王』――が建てたシアン・ド・ギャルドと呼ばれる要塞でうちのおじいちゃんが総司令官となり、日々戦っている……らしい。
以上が超簡潔にまとめたアルトアイゼン王国です。
え?なんで一歳児なのにそんなに知ってるのかだって?(←自問自答)
全部本で読んだんだよ……と言いたいところだけど、今語った知識の大半はジビラが教えてくれたことだ。ほら、ジビラってあれだろ?一歳児とか関係なく難しい言葉で、それこそ大人相手に喋るような言葉選びだろ?俺に対して。だから俺が読める簡単な本で『アルトアイゼン王国』とかいう単語が出てくるとそれに関連するアイゼン単語――王国内の共通言語はアイゼン語というらしい――や知識をぺらぺらと喋り出すんだ。当然その知識の中には俺の知らない難しい単語も出てくるわけで…―――
①その度その度話を止めて質問。
②噛み砕いて説明された単語の意味からそれはどの日本語に該当するかを吟味。
③これかなと思った日本語が本当に質問した謎の単語と同じ意味を持つのか、例文を作って「使い方これで合ってる?」と聞き、合っていたら語学の天才赤様の頭にメモ。間違っているのならステップ②に戻って再度チャレンジ。
―――…とこういう感じで学んでます。
辺境伯云々の爵位もこうやって学んだ。まさか日本語で辺境伯と表されているわけではないのでそれらしきアイゼン単語に日本語の『辺境伯』を当てたのだ。
「大正解です。では次に我々使用人を雇って下さっている御屋形様の王国での爵位は……何と言うのでしょう?」
「……」
あ~これまた丁度いいところに。皆まで言うな。ジビラはこういう女性なのだ。本当に大人げないと思う、お陰で助かってるけど。
「どうされました?」
「…へ・ん・きょ・う・は・く」
「はい、素晴らしいです」
ボケーッとしているとジビラに「え、分かんないの?」という反応されたので舌足らずな口を大きくハキハキと、アイゼン文字一つ一つ答えて事なきを得る。ちなみに間違った発音をすると優しい指摘が飛んできます。
(え~っと…爵位だっけ)
正式に貴族と見做されるための爵位は全部で五個ある―――。それぞれアイゼン語での名称があるんだけど、そんなの知らんから俺は上から適当に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵っていう風に理解した。
ちなみに我が家、ヴァンティエール辺境伯家はこのうち上から三つ目の伯爵位にあたる家柄らしいのだが、何でも頭に『辺境』の文字が付くことで侯爵と同等か、時代によってはそれ以上になったりするらしい。ちなみのちなみに今の時代、国内で唯一の戦場に立っている北方連盟の盟主、ヴァンティエール辺境伯家は国内における発言力が強く伯爵家はもちろんのこと大抵の侯爵家よりも偉いようだ。すんごいね、我が家。
またそれ以外にも爵位は存在していて、王位継承権を破棄した王家の者のみがなることの出来る爵位を皇爵。何らかの功績を称えられ褒美として平民に与える爵位を準男爵。騎士団の団員試験を受けて合格、その後数年の見習い期間を終えて正式に騎士と国王に認められたら成れる騎士爵がある。
そして前者と後者、それぞれの爵位にある大きな違いの一つは世襲制であるかないか。公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵は世襲制であるのに対して皇爵・準男爵・騎士爵は一代限りの非世襲制。
以上これらがアルトアイゼン王国爵位のうんちゃらかんちゃら。
「若様、では次に…」
(え、まだやるの?)
ぐ~~~
脳内復習を終え今日はここまでにするかと思った俺。しかし止まらないジビラ。そろそろいつものアレが来ないかなぁ~と出口の方を見るとタイミング良くドタドタと遠くから音が聞こえてきた。
(ナイスタイミング…リア姉!)
お腹が空く頃にリア姉は図書室へ
バンッ!
「アル!遊びましょっ!」
「じびら、はっちぇんあいがと」
「アル何しているの、行くわよっ」
「あい!」
俺は元気よく返事して
◇◇◇
「行ってしまわれましたか」
小さな嵐が過ぎ去った後の図書室。自身の太腿に残る温かみを惜しむように撫でてからジビラは再び先ほどまでアルテュールに見せていた本……ではなく机の上。アルテュールが読みたいと小さな身体を目一杯使って本棚に指をさしハッツェンに持って来させた本を手に取りぱらぱらと捲る。しっとりと手に馴染むなめし革の感触、ふわりと香る高級紙特有の匂い、びっしりと書き込まれた活字たち。タイトルはアイゼン語で『魔獣の生態について』…ゴリッゴリの学術書である。
「若様がこれを読みたいって指さした時はびっくりしました。魔獣の生態についてって書いてありますけどどんな内容なんですか?題名そのままですか?」
先ほどまで使っていた『アレクサンダー王物語』を本棚に戻してきたハッツェンがジビラの手元を覗き込む。好奇心の強い子だなと思いながらジビラは彼女に「慎重に扱いなさいよ」と一言、本を手渡した。どうなるか結果は見えていたが。
「わ、ありがとうございます。え~っと…え、これって」
「どんな内容か分かりましたか?」
「……はい。アイゼン語ではなくエテェネル語で書かれていることが分かりました」
「つまり?」
「う、ジビラさんは意地悪です」
予想通りハッツェンは文字は読めても文章を読むことは出来なかった。
「恥ずかしいです…」
「ふふ」
己の無学を嘆くように肩を落とし顔を赤らめるハッツェン。その様子が何だかおかしくてジビラは後輩の頭を撫でて微笑む。
「むぅ…笑わなくたっていいじゃないですか」
「ごめんなさいね。少し意地悪をしたわ」
本を手に取りぺらぺらと捲るジビラ。一定の速度で横移動する視線は難解な文字列をしっかりと捉えていた。
「安心しなさい、ハッツェン。そもそもの話、学園の高等部を卒業していないとこの書物は読むことが出来ないのですよ。だから今読めなくとも恥ずべきことは何もないのです」
「へ?」
恥ずかしがることは何もない。何故ならこの本に載っている文字はタイトルを除くその全てが王国内のみで使われるアイゼン語ではなく、大陸全土の上流階級が使う言語のエテェネル語であるから。しかも使われている単語や文法は学園初等部で習う基礎的なものとは一線を画す難しさ。正真正銘、学問の世界。
ジビラの言う通り、飛び級とはいえ初等部を卒業してまだ二年も経たない
「ふゆふゆ……つつかないでください」
ぷくーっと膨らんだハッツェンの頬をツンツンしながらジビラは続ける。
「そうむくれることではありません。あなたは真面目で賢いのですからそのうち覚えることが出来ますよ」
「今が良いです」
若いなぁ…と何年も前に学園の高等部を卒業したジビラは若さにありがちなせっかちさを窘める。
「ふふ、今は無理だと思いますよ?中等部分の文法が大前提になるので。確かにそういった過程を飛ばして習得してしまうような人物はいないわけではないと思うんですけど………少なくともハッツェン、あなたではないですね」
そこまで言われて黙っているようなハッツェンではなかった。
「むぅ…じゃあ誰がそういったこと出来るんですか?」
王立学園初等部を僅か一年足らずで卒業した才女のプライドが彼女の口を動かす。しかしジビラにとってはただただハッツェンが可愛いだけだった。世の中、上には上がいるのだ。
「若様ですよ。神童とはあの方のためにある言葉」
曇りない澄んだ瞳。ジビラの姿と神を崇める敬虔な信徒の姿がハッツェンには重なって見えた。
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