8.修羅
青々とした下草があたり一面を覆いつくしている。丈は大体15㎝ほどであろうか、人が歩くのに丁度良い高さだ。風が吹くと青草たちが一斉に、しかし行儀よく順番に一定の方向へそよいでゆく、それはまるで緑の海のよう、寄せては返す波のよう。
アティラン平原―――。
真下を通る龍脈の恩恵を受け、春夏秋冬一年を通して緑に覆われる肥沃な大地をどの時代の為政者も欲しがった、その度に争いが起きた。そして争いは今も続いている。
「なぁクレマン、奴らはいつになったらこの土地を諦めるのだ」
そんな為政者を狂わせ犠牲者を生む平原のど真ん中。辺りを一望できる小高い丘の上に立つ二人の男がいた。
一人は丘の頂に立ち、地平線ギリギリに見える米粒のように小さい赤い旗をじっと見つめている。
その者の風貌はまさに修羅。遠目から見ても一瞬でわかるほどの巨躯。鍛えられた筋肉が益荒男しくも品のある鎧を押し上げ、顔には歴戦の証と言わんばかりの傷と、わずかに開いた瞼からは計り知れないほどの知性を宿した瞳が。
腕に覚えのある者が見たら思うだろう、化け物だと―――。
実際その男は化け物だった。アルトアイゼン王国唯一の戦線に建つ堅牢な要塞『シアン・ド・ギャルド要塞』の最高指揮官にして、前ヴァンティエール辺境伯家当主。生涯無敗を貫き続けており、国王陛下からはその無双ぶりを称え『修羅』の二つ名を受け賜わっている生ける伝説。
名をマクシム・エドワード・フォン・ヴァンティエール=スレクトゥという。
「………」
そしてもう片方の一人、クレマンと呼ばれた男はまるで主を立てるかのように、少し引いた位置に立っていた。
荒ぶる闘争心を体現したかのような修羅の男とは対極に、彼は冷たく鋭利な雰囲気をまとっており、身に着けている上品な青色の鎧は彼自身を表しているようだった。
名をクレマン・エメリック・フォン・ヴィルヴェルヴィントという。
王国北部一帯に領地を持つ貴族家の集団『北部連盟』に加盟している武の名門、ヴィルヴェルヴィント子爵家の前当主であり、『修羅』マクシムの右腕を務める歴戦の強者だ。
数十数百の一兵卒が突撃したとしてもこの丘の上を占領することは出来ない。
敵にとってマクシムとクレマンは動く悪夢そのものだった。
「この地を手に入れたとて奴らの何が変わるわけでもないのだがな」
『この地』とは長い間完全な持ち主が不在となっている為政者狂わせの土地、アティラン平原のこと。
『奴ら』とは200年以上もの間、ヴァンティエール辺境伯家率いる北方連盟に負け続け、対アルトアイゼン王国戦線をアティラン平原の西端から全く押し上げることの出来ていない傭兵の国、アマネセル傭兵国のこと。
地平線を見つめながら、問いかけにも独り言にも聞こえる口調でそう呟くマクシムの瞳には怒りと諦めと憐れみがあった。
「………」
「…そろそろ戻るか」
段々と陽が落ち始め、西の彼方にあるアマネセル軍の赤旗が見えづらくなる時間。
うんと冷たくなった風から逃げるようにして二人は丘を下り、仲間たちが待つシアン・ド・ギャルド要塞へと戻っていく。
その道中、丘の上では常に無言であったクレマンが口を開いた。
「奴らがいつになったらこの地を諦めるのか……それを決めるのは我々ではなく陛下です。我々が考えるべきことは如何にして味方側の無駄死にを少なくし、敵方に適当な損害を与えるか、それのみです」
対してマクシムは口の方端を吊り上げ、ニヒルにわらう。
「無駄死に…か。敢えて戦線を上げることも下げることもせずに戦い散っていく。これの何が無駄死にでないと言うのだろうな」
「…大将」
「あぁ分かっておる。怒りの矛先を違えるつもりはない。ただただ帝国憎しと思うたまでだ」
「…ですな」
スラーヴァ帝国―――。
200年に渡る継続的な戦争をアルトアイゼン王国とアマネセル傭兵国に強いらせてきた、大陸における王国の真の敵。
(儂の代で……とは言わんが、ベルの代で終わらんものかね)
「いや―――」
マクシムはまだ数度しか見たことのない孫娘オレリアと未だ顔も見たことのない次代の当主を想い、己を奮い立たせる。
「―――儂らの代で終わらせねばな。」
「それを決めるのは我々ではなく陛下です。言ったばかりでしょう」
「……」
「何です?」
「…いや何でもない。孫の顔を見に行きたいと思うただけだ」
奮い立たせた気持ちをぽきりと折られたマクシムは年甲斐もなく拗ねた。
(まぁよい。であれば今考えるべきことはいつアルテュールに会いに行くかだな)
彼の頭の中にあるのは200年戦争の黒幕である帝国と会いたくて仕方ない一歳になったばかりの孫アルテュールだけ。
(アティランと謂えど冬に戦いは起きん。去年は…まぁ起きたが、儂がおらんでもクレマンが対処するだろう。であれば半年後、丁度アレがある頃…か。待ち遠しいな)
憎しヴァンティエールと平原の西に陣を構えるアマネセル兵たちなど眼中になかった。
これは油断などではない。200年の歴史が作り出した絶対的力の差なのだ―――。
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