第10話

ナツト「なかなか来ないね」

ジュート「あまりうろつき回るな。こっちまで緊張してくる」


僕は彼と固唾かたずを飲む様に、ある連絡を待っていた。


ナツト「本当に今日だよね、時間かかるなぁ」

ジュート「一旦座れ。一服したいが、その間に来たら余計落ち着かなくなるな」


電話が鳴った。彼が受話器を取ると相手は真木からだった。


真木「駄目でした。落選です」


彼が僕に伝えると、2人で肩を落とした。


ジュート「お前も1年頑張ったな。また次回も挑戦してみよう」

真木「今回で最後にしました。大丈夫ですよ。絵は続けていきますから」


真木が受けた二科展の結果の当日だった。


学生の頃から毎年出品してきただけに、努力が報われなかったのが悔しかった。

電話が終わると、深い溜め息が出た。


ナツト「何かで励ます事をしたいよね」

ジュート「逆手になりそうだから、そっとしておこう」

ナツト「何か…お腹空いたな」

ジュート「さっき食ったばかりだろう?残したのか?」

ナツト「煙草行ってきても良いよ。」

ジュート「あぁ。ちょっと行ってくる」


彼が外に出ている間、僕は真木に電話をかけた。


真木「ジュートさんのですか?」

ナツト「うん。奮発してみようかと思って…どうだろう?」

真木「父に相談してみますね」

ナツト「忙しいのに申し訳ない。当日宜しくね。」


ジュート「あれ、電話?誰から?」

ナツト「仕事先。シフトの事で聞いたら、代わって欲しい日が出たんだ」

ジュート「そうか。」


彼が目の前に居る度に心臓が高鳴っていた。

僕が顔が綻ぶと彼は少し疑う顔をしていたが、気にしない素振りをした。


立春が過ぎて少しだけ暖かい日差しの中、2人で真木の自宅に訪れた。店頭に案内されて、椅子に座った。すると、真木の父親が出てきて挨拶をした。


父親「今日は揃ってお越しいただいてありがとうございます。」

ジュート「あの、今日は何の件で呼んでいただいんでしょうか?」

父親「浦井さんのお誕生日が近いという事で、本日反物等を一式、幾つか選んで、差し上げようとお伺いしております。」

ジュート「何方様からですか?」

父親「深瀬さんです」

ジュート「すみません、ちょっと席を外します…」


ナツト「ジュート、驚いた?」

ジュート「驚いたも何も…百貨店とかの一般の着物と違って、真木の家の店頭の物は値の敷居が高いんだぞ。お前、分かってないだろう?」

ナツト「真木は其処は一緒に見てあげるから、大丈夫だって言ってくれたよ」


ジュート「全くこれだから…すみません、僕等着物の値打ちに関しては素人なものですから、その辺りはどうして良いものか…」

父親「お気になさらずに。淳弥、お前が見てあげなさい。」

真木「はい。この壁沿いに反物が並んであるので、上がって見てみてください。」

ジュート「では…失礼します」


反物一つでも種類によっては、最高級の物もある。


つむぎかすり、小紋…

手触りの良さがどれも一級品だ。真木は僕等に丁寧に教えてくれて、紬の物を選んだ。


ジュート「俺はこの青みがかった錆鼠色のもので良いよ」

父親「では、折角なんで深瀬さんも、ご自身のを選んでください」

ジュート「いや、流石にそれは…」

父親「お二人には、日頃から淳弥をとても良くしてくれていますし。お聞きしましたところ、お付き合いされてから、10年目になったと。」

ナツト「それ、覚えててくれたの?」

真木「はい。だから、今回は私達家族からの贈呈品としてお出ししますので、ナツトさんも選んでください」


ジュート「御免。もう一度待っててくれ…ナツト、丁重にお断りしろ。俺の分だけで結構だ」


ナツト「じゃあ真木、僕も上がらせてもらいます」


ジュートは頭を悩ませながら、真木の父親に交渉していたが、今回だけ特別に頂戴するという事で、折り合いが付いた。


ナツト「僕、この濃紺色のが良いな」

真木「お二人ともセンスが良い。あと帯と袴も用意しますね」

ジュート「何から何まで申し訳ない」

真木「良いんです。お二人の記念になる様に、仕上げますから。どうぞご自由にお使いください」


真木には一枚上手を取られた。

だが、一生の記念になる贅沢な褒美を戴いた様な気分になった。次回は真木を再び僕の実家にでも誘う事にしよう。


2人分の着物一式を頼んだところで、真木がお茶と和菓子を差し出してくれた。


ジュート「真木、本当に良いのか?俺も含めてナツトだって、今度は此方からお礼に行かなきゃいけなくなるんだぞ」

真木「もう…大丈夫ですよ。全て選んでいただいたんだから、後は仕上がりを待つだけです。念の為、後日此処で着用してみましょう。お二人がお召しになる姿が楽しみだな」


真木は満足気だった。彼の接客を見ていると、所作が綺麗で見習って良いのかと何時になく感心を抱いた。


ジュート「ところで、今日は他のお客さんが見当たらないな。」

真木「午後からお二人が来るという事で閉めました。それで暖簾も出していなかったんです」

ナツト「粋な計らいだね」

真木「偶にですが、常連様にもそうする事もありますから」

ジュート「店頭に立つ真木は良い顔してるな。客からも好評だろ?」

真木「いえ、そんな事ありませんよ。まだまだひよっこです。」


そうしている間に、外を見ると粉雪が降ってきた。此処から見る景色が絵になる趣きがあって、真木はデッサンがしたいと話していた。


真木「今度お二人の絵が描きたい。モデルになってくださいますか?」

ナツト「良いの?嬉しいな。ねぇ、良いよね?」

ジュート「あぁ。また描いてくれ」


着物が仕上がり次第、連絡をしてくれると告げられ、真木に挨拶をして家を後にし、外に出た。


僕が思い切り背伸びをすると、ジュートは少しだけ呆れ顔をしていた。


人気の少ない閑静な千駄ヶ谷の住宅街を歩いていると、腰の後ろに手を組んでいる彼が、何やら右手を振って動かしている。


何かの合図だろうか。


すると立ち止まって振り向いた。


ジュート「お前、気づけよ」

ナツト「何?」

ジュート「…手を繋いで歩きたいんだ。それとも止めておく?」


何時もなら自宅の近所だと、人目が気になるから断るのに、今日は彼から甘えてきた。


ナツト「良いよ、繋ごう」

ジュート「今夜は少し雪が積もりそうだな」


彼の手は何時もより冷たかった。

僕が両手で包み込むと、微笑んでくれた。


早く春になって欲しい。また2人で行きたい所が沢山ある。


どんな些細な事でも彼が喜んでくれるなら、僕は何にだってなりたいくらいだ。


ただ、同じ歩幅で歩んでいけるなら、それだけでも、無償の愛を感じられる。


ずっと傍に居るよ。

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屑繭紡いで糸となる 桑鶴七緒 @hyesu

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