第9話
久しぶりに喧嘩をした。
ある平日の午前11時台。
僕が働いている新宿の飲食店で、ある1人の若い男性の客が入ってきた。
他の店員が対応し何か話していたようだ。
その10分後、もう1人の客が来たので、挨拶を掛けるとジュートだった。
僕が会釈すると彼もそれに気づいて手を振ってくれた。出入り口近くの席に座っているのが目に入って、よく見ると、先程の若い男性と相席していた。相手は25歳ぐらいの年齢と見えた。
知り合いなのか、入店して早々お互い笑顔で交わしていた。
会話の内容は分からないが親しげにしている姿を見ていると、沸々と僕の中で何が音を立てて沸き上がる念に駆られていた。
店内の接客をしては、時々彼等の席に目をやり、様子を伺っていた。
奥の席から客がすれ違ったので、他の客と当たらない様に気をつけながら、仕事に集中していると、小休憩の時間になって、休憩室に入って行った。
暫くして再び店内へ戻ると、ジュート達の姿が見当たらない。
席には、まだコートが置いてあるので、化粧室にでも行っているのかと思い、レジカウンターの奥にある化粧室の前に行った。
中から
すると男性が彼の肩に寄りかかり、更に泣いていた。頭も撫でながらジュートは何かを話しかけていた。
2人の間で何かあったのだろうか。
知らないふりをして店内へ戻り、厨房から品物を席へ運んでいき、会計で接客をしていると、2人が元の席に戻っていた。
彼等から呼ばれたので、席へ行くとジュートは僕に気づいた。
「メニューお決まりでしょうか?」
「えぇ…あれ、ナツトか。今日早番だったのか?」
「はい。いかが致しますか?」
「和風ハンバーグのセットを。君はどうする?」
「浦井さんと同じ物でお願いします。」
「和風ハンバーグセットお2つですね、かしこまりました。お待ちください」
厨房へ行き注文表を読み上げフックにかけた。
緊張したなぁ。
3人が平然として振る舞う姿が俯瞰に見えてしまっていた。ジュート自体がやや強張った顔をしていたので、こっちまで緊迫感が伝わってきた。
化粧室を立ち去った後、2人で何かしていたのかな。
…どんな雰囲気を醸し出していたんだろうか。
良い雰囲気?宜しくない雰囲気?
どちらにしても、今の時間は真っ昼間だ。仕事の事で何かあったのだろう。
他の店員が注文した物を席へと運び、2人の姿はほとんど話もせずに黙食に近い感じに見えた。僕は他の客に呼ばれて対応に追われていると、2人が席を立ち帰ろうとしていた。
試しに呼び止めようと試みたが、客の対応が止めどなく入ってきたので、彼等の背中を見ながら、店の外へと出て行った。
退勤時間になり、自宅へ到着すると、ジュートが先に帰ってきて、夕飯の支度をしていた。
食事中に昼間の件で彼に伺った。
「昼間のお客さん、知り合いの人?」
「あぁ。先方の息子さんだよ。うちの事務所に出入りしている人でさ、時々飯食いに行ったりしているんだ。」
「今日は新宿で外勤あったの?」
「うん。向こうが旨い店知っているかって言うから、ナツトの所を案内したんだ」
「あのさ、ちょっと言いづらいんだけど…僕、見てしまったんだよね」
「何を?」
「化粧室で彼が泣いているのを、ジュートが慰めているの」
「あぁ、あれかぁ。仕事で失敗する事がよくあって、上司からも毎日の様に怒られているって。食べている途中に我慢出来なくなって涙が出てきたから、化粧室行くって言ったんだが、なかなか戻ってこないから、俺が見に行ったら、中に閉じこもっていてさ。呼んだら出てきて、俺の肩で泣いていたんだよ」
「本当に?」
「えっ?」
「本当はジュートに甘えたかっただけじゃないの?」
「何でそう言うんだ?」
「だってさ、わざわざ化粧室まで行って、誰も見ていない所で泣く?」
「周りを気にしていたんだろう。何か引っかかるのか?」
「どう見ても、あれはジュートに色目がある」
「ナツト、箸置け」
彼は胡座から正座に正せと言ってきたので、僕はそこまでする必要はないと反抗した。
「お前の妄想は何処から働くんだ?あのな、まだ新人の彼の子が感情を上手く取れなくて泣いてしまうって気持ちは分からなくはないだろ?少しくらい慰めてあげたって良いじゃないか。お前だってローズバインで居た時、散々俺に事を起こして泣き散らかしたくせに、人の事言えるか?」
「昔の話と今は違うよ。立場だって違う。その彼を直ぐに立ち直らせようとさせてあげなかったジュートにだって問題ある。真木にだってそうだ。何時まで関係が続いているんだか…もやもやしてうざったいよ」
「何でここで真木を引き出してくるんだ?其れと此れとは話が別だ」
「一緒だよ。事を上手く綺麗に行かせようと、周りに隠れながら陰で散々ベタベタして、気に入った他の男をはべらせようとしているくせにっ」
「馬鹿者!!」
彼は何時になく怒鳴り声をあげた。
「言い方にも程があるぞ。出ていけ!」
「…そんな事、言わないでよ」
彼は真っ直ぐ僕を睨みつけて表情を変えようとしなかった。
「ちょっと、外の空気…吸ってくる」
そう言い放ち、財布を持ち靴を履いた後、玄関の扉を勢いよく閉めた。
街路をひたすら走って商店街が見えてきた。
商店街を抜けて、住宅街を歩いてはまた走り出した。気がつくとどの辺りに来たのか迷ってしまった。
取り敢えず来た道を戻ろう。
恐らく1時間は経とうとしている筈だ。
軽く走っていると商店街が見えてきたので、少し安堵した。通りかかりの公園を見つけて、椅子に座った。
薄明かりの街灯が今にも消えかけているのが気になった。
どうしよう、ジュートをあんなに怒らせてしまった。僕も何時もの悪い癖が出てしまった。
出ていけなんて殆ど聞いた事が無かった。
余程怒り心頭したんだな。逆鱗に触れてはいけないという事はああいう事を指すんだな…。
くしゅん。小さくくしゃみが出た。
兎に角帰ろう。
もう2時間は経っただろうな。
路地を歩いて、食堂の窓から時計が見えた。
21時を過ぎていた。
自宅の階段を登り、玄関の扉を開閉した。
居間の照明は付いたままで、卓上の食器類は片付けられていた。襖が閉まっていたので、開けてみるとジュートは既に布団に入っていた。
お酒の匂いがする。何本か飲んだな。机の上にメモ紙が置いてあった。
酷い殴り書き。一応読んでみた。
"戸棚の夜食、食え"
卓上に皿を置いて、おにぎりをひと口食べた。
彼の握ってくれたおにぎりが美味しい。
涙をほろほろと流し、心の中で謝りながら、完食した。
また襖を開けて、彼の横に座って見つめていた。
「帰ってきたか?」
彼は目を覚まし、此方を振り向いて起き上がった。
「さっきはごめんなさい。言い過ぎました」
「俺も怒鳴ってすまん。カっとなってしまって。」
僕は彼の手を握りしめて、また泣きそうなった。
「飯、食べたか?」
「うん。美味しかったよ。ご馳走様でした…ありがとう」
彼は僕の頭を撫でて肩に寄りかからせた。気持ちが
両腕を回して彼を抱き締めると、彼も背中に手を当ててきた。
「ビール飲んだでしょう?」
「5本な。」
「飲み過ぎだよ」
「頭が痛い。先に寝る」
そう言って彼は数分で眠ってしまった。
明日はお互い休みだから、僕も今日は静かに眠ろう。
僕等はこういった仲だけど、皆と同じ人間のひとりに過ぎない。
この様な愛の形もあるのだった。
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