第8話
霜月の
君を思ひし
暖冬に差し掛かった外気の穏やかな中、自宅に1本の電話がかかってきた。
「家、忙しそうだな。どうだ?」
「少し落ち着きました。あの、今週末、映画観に行きませんか?」
「映画か?」
「えぇ。今、数本上映されているものがあって。時間取れそうですか?」
「そうだな、気晴らしに行くかな」
後日、池袋駅東口の広場で待ち合わせをして、2人で映画館へ向かった。
雑居ビルの直ぐ裏手にある2階建ての小さな建物だ。
受付でチケットを買い、重たく赤い扉を開くと大きなスクリーンが目の前に入ってきた。
客層もそれなりに入っている。
天井の照明が消えて真っ暗の中、上映が始まった。
フランスとイタリアの合作で、主演はフランスの名優だ。犯罪がテーマとなっている作品で最後まで心を躍らせながら、観ていた。
映画が終わり、外へ出るとまだ陽はやや南の方角に向いていた。
「お昼、近くで取りましょうか?」
「そうだな。」
駅付近の入り組んだ狭い路地に入り、食堂を見つけたので、そこに入った。お互いに定食を頼んだ。洋画を観た後の和食も悪く無いと思った。店員が運んできて、食卓に2人分の定食が並んだ。
淡々と食べる僕に対して、小動物の頬袋が膨らんだ様に、美味しそうに頬張る彼の口元が愛らしく感じた。
少し微笑むとどうしたと目を丸くして返事をする。
何でも無いと言うとまた黙々と食べ続けていた。
食事を済ませて、何処へ行こうかと話をしていると、以前伝えた外苑前の並木通りを見に行きたいと彼は話した。
山手線で渋谷まで行き、銀座線に乗り換えて外苑前で降りた。
横断歩道を渡り、黄葉する樹々が視界に入ると、彼は駆け足で先に行った。跡を追う様について行くと、数百メートルある銀杏並木のトンネルが見えた。
「半分ほど葉が落ちてますね」
「綺麗だな。風情がある」
並木道を歩いて通り沿いに設置してあるベンチに座った。
彼は届かない銀杏の木に手を伸ばしては、落ち葉を両手で掬い上げて、頭上に解き放ったりと、少年の様に戯れていた。
僕は周囲の目をやや気にしながらも、終始微笑んでいた。彼も腰を掛けると、僕の顔を見つめていた。
「真木」
「はい」
「好きだ」
「ナツトさんは?」
「好きだよ」
「何方かを選べと言われたら?」
「選べないな」
「それ、
「お互いに其々の性格がある。俺は2人とも個性があって好きなんだ」
「遊んでいるんですか?」
「2人真剣に考えて向き合っている。何が悪い?」
「僕だから、許せるのでしょうね」
「ナツトに何か言われた?」
「いいえ。言われなくても彼の人も分かっているのでしょう。そうじゃ無いと、こんな風に会う頻度も多く出来ない事ですし」
「俺は今日観た映画の主人公みたいに、狂っている人間ではないからな」
「あれはあくまでも作品ですからね。」
「気が狂う程の恋でもした事ってある?」
「自分を見失う程ではないですが、僕は今貴方に夢中になっています」
「俺以外だよ。」
「初恋に悩んだ事、ありました」
「幾つの時?」
「13歳です。年上の方でした」
「どんな人?」
「色んな人に好かれていて頼りがいのある方でしたね。廊下ですれ違う度に、次第に惹かれていきました」
「話す事は出来たのか?」
「声を掛けて時々学校の屋上で、話をしていました。同期生に馴染めない事など告げたら、友達になろうと言ってくれたんです。」
「なれはしなかったのか?」
「えぇ。既に恋人が居ると言われまして。それでも、卒業式の帰り道にボタンが欲しいと言ったら、1つくれました」
「優しい人だな」
「今思うとそうですよね。まだあの頃は悔しくてどうすれば良いのか、悩んでいました」
「淡き日の
思ひ出と濡れた
通学路
我ゆえ先の
耐えぬ心」
「短歌ですか?」
「即興だ。字余りだけどな」
「絵画も良いけど、短歌も良いな」
「俺は適当だぞ。間に受けなくて良い」
「ジュートさんの初恋は?」
「とうの昔だ。忘れたよ」
「少し位は覚えているでしょう?」
「知らん。もう帰ろう」
「いや、それ覚えている顔だ。教えてくださいよ」
銀杏並木の香りを残して、僕等は家路へと向かって歩いていった。
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