[後編]



   ◆   ◆




【■■■■年 ■月■日】




 幼少期というのは親の模倣もほうだ。


 そうして倫理観や行動性がコピーされていくものだと切に感じる。


 だから俺はゴミの出し方も知らなかったし、汚れて蟲の湧く部屋にも疑問を持たなかった。


 VRゲームに意識を落とす母さんの邪魔にならないようにトイレまでのゴミを避け、道を作り、コンビニで食事を用意し、部屋のすみで神経を尖らすのが子供の役目だと本気で信じていたんだ。


 鬱陶しいから泣くなと壁にたたきつけられた。

 だから俺はそれ以来、泣いていない。


 初めてできた友達のユウが同じような境遇だったからほんとに疑問なんて無かったんだ。



 母さんは、一度だけ俺にVRゲームをプレイさせてくれたことがあった。


 空に色があることを初めて知った。


 色鉛筆に違いを見出せなくて虐められていた日々を終わらせてくれたのは母さんだった。



 だから人生で俺を救ってくれたのは母さんと、──ユウだけだった。




 もう、3日も、母さんはVRの仮想空間から帰ってこない。


 もう、3日も、「おかえり」を言ってない。


 コードが一つ外れていた。


 これはいったい何のコードだろう?







 母さんに蟲が湧き始めた。





    ◇   ◇





「え?ユウくん、もう帰っていいってどういうこと?」


 光愛大学の玄関ホール。


 僕は昏鳴さんを追いかけて家に帰るよう説得している。

 驚いた顔をする昏鳴さんに口八丁で出まかせを言った。



「思い出したんですけど、擧島あげしま教授は学会の準備で徹夜するらしくて機嫌が悪いんですよ。日を改めた方がいいですね。間違いなく」



 好青年を演じ、自信満々に断定する。気の弱い事務員さんを脅すようで申し訳ないが、これから僕たちがやることを考えたら帰ってくれた方がありがたい。



「そう…そうなの…、でもそういう訳には行かないわ、仕事だもの…ちゃんとしなきゃ」



 えっら。

 人間のかがみじゃん。

 人のPCを勝手に売るユウジとは大違いだ。


 うーん。どうしようかな?

 人見知りなように見えて芯がある。これは手強いぞ。



「…じゃあこうしましょう!僕はこれから教授の徹夜てつやに付き合わなくちゃならないので書類のこともそれとなく聞いておきますよ!明日にはちゃんと用意しておきます!」


「ユウくんが…?…でも…」



 揺れているが煮え切らない昏鳴さん。

時間もかけたくないし、仕方ない。

僕は首元のペンダントを押し付けるように手渡す。



「これ、一応母親の形見なんですけど、預けます。明日の朝に書類と交換しましょう!──じゃあ僕は研究室に行きますんで!絶対に来ないでくださいね〜!僕が教授に怒られるので〜〜!!」


「えっ?──ちょっと!?ユウくんっ?」



 昏鳴さんに背を向け、廊下を駆け足しながら念押しした。


ここまですれば大丈夫だろう。


ダメだったらその時はその時さ。


それにこの作戦が上手くいけばユウジが僕を血祭りにあげることも無くなるだろうし。


きっと、


たぶん…。




   ◇   ◇




【■■■■年 ■月■日】




 結局のところ、愛情の無いガムを味があると信じて噛み続けていただけなんだと思う。


 『しつけ』と『調教ちょうきょう』の違いが僕の脳内辞書では一緒くただ。


 母さんは割れた酒瓶の欠片を踏むと機嫌が悪くなる。

 僕にぶつけてワレタそれを素手で片付けるのは僕の仕事だ。


 一度、首元にガラスが刺さって血が止まらなくなった。

 だから僕は何かを誤魔化して嘘を吐くときに首を押さえる防御反応をするようになった。


 いつも手はズタズタだった。



 でも僕からの愛情はあった。


 信じているという自分の心に確たるものとしてあったんだ。


 高熱を出して朦朧とした視界に、僕の額を優しく手で覆う冷たさと温かさの記憶が消えてなくならなかった。


 だから幼少期の僕はどんなに壊されても、性別を偽り恥辱に売られても、愛していたんだろう。





 ──浮いていない。



 沈んでいる。



 母さんの身体が浴槽に沈んでいて髪の毛が海藻かいそうみたいにゆらゆらと漂っていた。



 あーあ。



 だから風呂場でお酒を飲むのやめてって言ったのにさ…。








   ◇   ◇







 ──火災報知器の警報音。


 その反響が校内に鳴り響く。


 もう夜も更けたが光愛大学は腐っても進学校だ。警備員や院生、卒論研究に勤しんでいる真面目な学生は多い。



「なぁにぃ?──火事ぃ?」

「逃げた方がいいのかなぁ…?」

「とりあえず外に避難してくださーい!」

「ロンッ!タンヤオのみ!!」

「──俺の国士無双が!?」

「チャンピオン取れそうだったのにーー!?」



 真面目じゃない学生も多かったみたい…。


 僕はユウジのパソコンを借りて、ネットで拾った警報音の音声素材データを放送室で構内全域に流した。本当に火災報知器を鳴らしたわけではない。まあだとしても迷惑なのは同じことだけど。


 ……人の迷惑を考え続けたら世の中の悪い奴らに食われるばっかりだ。



「…とにかく、これで人払いは済んだね」



 放送室を出て、まばらな人の波が途切れたのを確認し、反対方向に走り出す。


階段を二つ駆け上がり、本棟ほんとう研究棟けんきゅうとうを繋ぐ渡り廊下の手前まできたところで──



「──ユウジ!?」


「ユウ!!やっと見つけたぜ!」



 ──僕はようやくユウジと合流した。





   ◆   ◆





「死ねぇぇぇええええ!!!」


「何でッ!?!?」



 飛び蹴りをかましユウを吹っ飛ばす。


──ふう、スッキリした。



「ぅぅ…、ひどいよユウジ…」


「……?いつまで寝てんだよ?…時間ないしさっさと行くぞ?」


「鬼かキミは…」



 鳩尾みぞおちを抑え、フラフラするユウに目もくれず俺は研究棟の奥へとズンズン歩みを進める。



「お邪魔しまーすっ」



 そして擧島教授の個室。第4研究室の扉を勢いよく開けた。


 電気は…つけっぱなしか。

 擧島あげしま教授の姿は無い。

 そのために警報を偽って人払いをしたのだから当然だが。



「相変わらずごちゃごちゃしてんなぁ…」


「というより埃っぽいんだよ…、げほっ、げほっ。ほんと最悪…ここ…」


「大丈夫か?」


「…あんまり長居はしたくないね」



 床がほとんど見えない室内を俺達は慎重に移動する。


 書類の束は山になっている。

 そこに埃が積もり、掃除の気配が感じられない。

 私物も多い。

 小汚い衣服やら。

 飲みかけの缶ビールもそのまま。

 雨なんて最近ほとんど降っていないのに雨合羽が出しっぱなしだ。

 なしてガスマスクまで?


 ま、どうでもいいか…。


 ──!?



「……ユウジ?そのぬいぐるみがどうかしたの?」


「いや…、まさか…これ…」


「……へー、かわいいね。手作りかな。」



 荒れきった汚い部屋には不釣り合いな可愛らしいテディベア。俺はそれを手に取りユウが横から覗き込む。


 ところどころ糸がほつれたりと拙い部分はあるが、それでも丁寧に作られている。



「………。」



 目線を下げれば口をヒモで閉めるタイプの布袋の中に手紙が一つ。



──『お母さんへ。誕生日おめでとうっ!いつもやさしくてがんばってるお母さんへぬいぐるみをつくったよっ!!』



「………。」


「ユウジ?あんまり時間ないよ。さっさと済ませよう」


「ああ…」


 ユウに呼びかけられ、足の踏み場の無いそこをやっとの思いで到達する。



「ちょっと見てよこれ…」


「うへぇ…」



 袋菓子のカスがマルチディスプレイのキーボードにこびり付いている。

 たしかに触れるのを躊躇うほどだ。



「ユウ」


「ちょっとこれ僕がやるの…?」



 ジーンズのポケットからアルコールティッシュを取り出し無言で消毒。



「えぇ…?ユウジって綺麗好きだよね…」


「パスワードは?」


「どうせ職員パスと同じでしょ…ほら」



 すぐにデスクトップモニターが起動した。


 杜撰ずさんな管理と言わざるを得ない、が、理解できなくもない。人間というのは自分に対して”いつか来る不幸”なんて考えて生きていない。


 それは余分だ。

 痛覚はナイフで刺されて初めて機能する。



「──あったあった」



 目的のものはすぐに見つかった。

 バックアップも含めた全てを洗い出す。

 ファイルを開いた。



──『VR空間に於ける高次脳機能拡張の指向性定義について』



 これは擧島教授が心血を注いだ今度の学会に提出する論文のデータだ。

 これが消えてなくなれば教授は努力が水の泡になる──、来週の学会になど間に合う訳がない。


もちろんそれだけではない──



「研究のデータを紛失したなんてことになったら一大事だよね」


「多額の研究費をこの大学から賄ってもらっている擧島教授は責任を取らされるだろうな」



 それでも俺達はどこか他人事な声色だった。



──努力の結晶。

──彼の生きる意味。

──権威と名誉の象徴。



 規則的なキーボードの音が室内に響く。


 それ以外は無音。


 壁に寄りかかる。


 思考する。


 俺達のやろうとしていることを。



「どれくらいかかりそうだ?」







「もうすぐだよ。スクリプト自体は組んでもらってるから」



 言葉を大きくするならば人類の進歩でもある。



「気に入ったの?そのぬいぐるみ」



 それをこの世から消す。

 俺達はこの研究を完全に削除する。



「そういうわけじゃねぇけど…」



 そして擧島教授の存在を否定して世界の歩みを一歩止める。


ファイルを復元できないようサーバーまでデータを破壊するシステム。実行のエンターを押そうと伸ばすユウの手首を寸前で掴んだ。



「本当にいいのか?教授の論文データを消すなんて洒落になんねぇぞ。犯罪だ」


「………。」


「俺も履修でVR精神医学はかじってるからな。指向性を定義できて尚且つ、脳の機能回復をリハビリ的に修復できる可能性を示唆したこの研究は──」


「──救われる人も大勢いる、でしょ?」



 答えは決まっている。

 俺は笑ってるしユウも笑ってる。


 教授のヅラの一件もユウがやらなかったら俺がやってただろう。

 そのぐらい俺とユウの思考回路は似ていた。


 だからこれは意味の無い一種の儀式。

 共犯者に対する罪の全容、その軽薄な確認だ。


 静寂な時間が少しあった。


 幼馴染の綺麗な金茶色の前髪の向こう側。

 努めて落ち着き払ったその虹彩に俺がいた。


 そして静まり返った第4研究室に、


 ユウの、唇が動いて、中性的な声が、ゆっくりと、



「──感情は嘘を吐く」



──響いた。



「理性は境界的なものだ」



 ──俺は目を閉じて声に集中する。

始まりはユウの提案を”面白そうだ”と思ったことからだった。



「けれど世界の構造は単純じゃない。それは別の側面で均衡を保っていたりする」



 ──繰り返してここに誓おう。

 人間性を除外すれば擧島教授は人類の上澄みだ。

 


「でも人間はいっときの怒りに支配されて自分を見失い、縋れるような大義名分があれば感情を抑えられないのさ」



──だから”悪”は俺達だ。

それは絶対的に正しく、苦し紛れの釈明も無い、犯罪者という名の”悪”──









 そう、と、俺は気のない相槌を打った。


 やっぱり興味の無い。

 どうでもいい内容だった。


 視線はそんなユウの童顔を外れて片手で持ち上げたるるちゃんの作ったぬいぐるみを見ていた。

 細部まで丁寧に作られている愛情深さを再認識し、その努力を想像して胸に温かい気持ちが生まれる。


対して擧島教授に抱いた感情は、



何とか処理できないかな。邪魔だったし消えてもらおう。


 



 そんな程度のもの。



 生まれながら?それとも環境のせい?


 どっちでもいいか。


 ここにいる存在は変えることのできない不可逆性な”屑”のオブジェクトだ。



──そうして右手の指がエンターキーに触れ






 ガラッ



「「………?」」








「うぃ~~。ひっく…、天羽のやろ~…、ぜってぇゆるさねぇ~~、ぜったい退学にしてやるぅ~~、うっぷ…」


「「擧島教授ぅぅぅうううううううううッ!!!?!?!?」」



 ──事態は最悪の展開に陥った。





   ◆   ◆




 なんで?!


 避難したんじゃないの!?


 ていうか酒飲んでる!?

 飲んじゃったのか!!!!

 警報聞こえてなかったのか!!!?


 酔っぱらった赤ら顔が俺達を見てみるみる蒼白に染まる。


 きっと俺達も同じ顔をしているだろう。



「うぅ……飲み過ぎたなぁ…、──ん?叢雲…!?それに天羽…!!お、お前達…ここで何をしてる…?!」



 マズいマズいマズいマズいマズいマズい…。

 これじゃ教授の研究データを消したとしても現行犯で一発アウトだ。


 横を見る。

 ユウが強い瞳で小さく頷いた。


 そして勢いよく立ち上がり──



「こんばんは!!教授!!ご命令通りユウジを連れてきましたよ!!!」



 最低の屑野郎だ!!!

 ノータイムで俺を売りやがった!!!



「違うんです!!本当はユウがやったんですよ!!こいつは人に罪を擦り付けるゴミなんです!!!信じてください!!今から首を刎ねますね!!」


「痛い痛い痛い!!!!首が捩じ切れるーーー!!」


「殺してやるって言ってんだ!!」


「ふざけんなっ!放せユウジ──」


「……見た、のか?」


「「………?」」


「見たんだな…2人とも…」



 教授の様子がおかしい。


 おこりにかかったように太った身体はブルブルと震えている。まるで怯えているように青くなっていた。俺はゆっくりと刺激しないように近づき声をかけた。



「ハゲ島教授…、間違えた、擧島教授?──だ、大丈夫ですか…?」


「………」


「顔、真っ青ですよ…?」


「パソコンの中を……見たんだな…?」


「……?」



 教授は何をそんなに恐れているんだ?


 パソコンの中身は確かに見た。


 けれど俺達が見たのは擧島教授の膨大ぼうだいな研究データであり、正直なところ一介の学生である俺達には難解すぎて理解ができないレベルだ。


 見られて困るようなものは無いはず──



「なるほどね」


「ユウ?」




 キャスター付きのチェアをずらし、モニターを俺に見せる。


 画像フォルダには小型のカメラで撮ったと思しき画質の荒い


 顔見知りの事務員さん。

 そして仲睦まじそうに手を繋ぐるるちゃんの写真だ。

 それが大量に詰まっている。



「大学近辺で噂されてる不審者は教授、──あなただったんですね」


「───」



 サアァ…、と、血の気の引いた顔で教授は項垂れ、脂汗が滝のように流れた。



「昏鳴さんに言い寄ってたのはこれが目的ですか?」



 ユウの冷たい言葉。


 俺は脳内で一つ計算する。


 教授の研究室にるるちゃんの手作りのテディベアがあった意味──


 今日、るるちゃんはそのぬいぐるみをたしかに下校途中に落とした。

 けれどすぐに気づいて引き返したのに一向に見つからない。


 当たり前だ。


 


 けれど間髪入れず俺がるるちゃんに声をかける。


 ということは俺が初めてるるちゃんに会った、


 あの路地裏にいた時に感じた


 あれは教授だったのか。



「くぅぅ…!!ぅ"ぅ"ぅ"ッ!!!」


「うぇッ!!?ちょ──」



 目を血走らせ、くぐもった雄叫びをあげて突進してくる肉戦車。


 その手に光る何かがあった。


 ナイフだ。


 俺は瞬時にそれを判断し──



「シールド展開ッ!!」


「!?!?!?」



──ユウの背中を引っ張り羽交い締めにした。



「待ってくれユウジ!!僕を盾にする気だな!?それでも人間か!!?」


「安心しろ!急所は避けてやるッ!」


「何も安心できないッ!!?」


「このままお前でナイフの一撃を防ぎ、反転して回し蹴りを喰らわす!!俺達の完璧なコンビネーションだっ!!」


「うわぁぁぁあああっ!!!死にたくないッ!!せめてユウジの退学を見届けるまでは死んでも死にきれない!!!!」



 やっぱり急所に刺してやろう。


 イノシシのように唸り声をあげて突進してくる教授。



ユウの服に切っ先が触れる直前──



「──ッッッ!!!」



 鈍い音。


──と同時に教授の後頭部に何かが激突し



「「………?」」


「ごッ…ぉ"…ッ…」

 



 ──その巨体が崩れ落ちた。





「無事か!!2人とも!?」


「ユウジくん!?どうしてここに〜?!」



 目を丸くする俺とユウ。


 消火器がゴトン、と落下し。金属質な音を立てて転がる。


 その向こう。雁夜と夕暮の2人が研究室の入り口から顔を覗かせていた。





 ◆ ◆





 ──翌日、


 俺とユウはいつも通りの日常に戻っていた。


 昨日と同じカフェにいるが注文はコーヒーだ。

 理由は単純に金欠。

 昨日、5千円を消費してしまったせいだ。

 なんて俺は考え無しなのだろう。



「擧島教授、捕まったってさ」


「ほーん。じゃ、あの研究もお蔵入りか」


「だね。新しい教授が来月に赴任するらしいよ。なんでも理事長の親戚みたいで」


「不祥事の尻拭いか、その人も大変だな〜」


「今度は優しい人だったらいいけどね」



 昨晩、雁夜の投げた消化器を後頭部に受け、意識を失った教授はそのまま警備員に拘束された。


 PC内の画像フォルダにあった大量の盗撮画像。それと研究室にあった雨合羽とガスマスクが監視カメラに映った不審者の映像と一致したことで取調べを受けている。


 ちなみに俺達はイタズラで警報音を鳴らしたとして停学処分になった。


 最悪だ。

 自業自得だけど。


 けれど俺は考える。



「俺達と教授は何が違うんだろう?」


「………。」


「俺達だって本質的には同じ穴の貉だろ」


「教授は人類に貢献できるクズで僕たちはできないクズだよ」


「じゃあ、何もせず、この世界から消えるべきは俺達のほうだったか…?」


「………そんなの、僕にわかるはずないだろ」


「………。」


「ただ、きっとそういうのは”順番”なんじゃないかな」


「…じゃあ、俺達の”順番”は、”いつ”だ」


「………。」


「俺達が先にあの仲のいい母娘の関係を知ってたら──」


「助けなかったかもね」



 首の後ろに手を当て、無情に言い放つユウ。



 もし、


 もしも…、



 俺達がそれぞれの親を──



「──お兄ちゃんっ!」


「うおっ!!?」


 と、後ろから何かが全力突進してくる。


 手に持っていたコーヒーカップがそのまま吹き飛びユウは「熱"っつ"ッ!」と悲鳴をあげた。



「るるちゃん…、かな?」


「えへへー♪正解ですっ。るるだよっ!。ユウジお兄ちゃんっ」



 藍色の髪が視界の端に映ったのですぐに分かった。

 よかった。

 あの後、るるちゃんのアパートの玄関前にぬいぐるみを置いてインターホンを押して知らせておいた。

 元気な様子を見ると誕生日パーティは大成功だったみたいだな。



 るるちゃんは何が楽しいのか「ユウジお兄ちゃん!ユウジお兄ちゃんっ!」と頭を俺に擦り付けている。



 遅れて濡羽色の髪を後ろに流し、ブラウスに袖を通した顔見知りの事務員さんが走り寄ってくる。

そして頭からコーヒーを被ったユウを見て驚きの声を上げた。



「まあっ!大丈夫っ?ユウくんっ!」


「ははは…どうも、昏鳴さん」


「へぇ、2人は母娘だったんですね」



 知ってたけど。

 俺は何気ない風を装う。

 しかし対照的な母娘だな。



「おかあさんがおっきいピアスつけてて怖い顔だけどすっごく優しいって言ってたからユウジお兄ちゃんってすぐわかったよ!」


「ふふ、ユウジくんとユウくんはいっつも楽しそうだからすぐに覚えちゃった」



 なるほどね。

 それでるるちゃんは初めて会った俺のいうことを素直に聞いてくれたのか。


 別にピアスは好きで着けてるわけじゃないけど。

 ……これも役に立ってたのかと思うと不思議な気分だな。



「それに今日はこれを返しにきたの」



 2人はそれぞれの手に俺達のペンダントを乗せていた。



「これ本当にきれいだよねっ!ほら見てママっ。太陽に翳すとね?虹色に光るんだよっ」


「もうっ、るるったら…」


「そっか、そんなに気に入ったんならそれはるるちゃんにあげるよ」


「えっ?いいの…?」


「こらるる…、そんなにお兄ちゃん達を困らせちゃダメでしょ…?」


「僕のもどうぞ。ちょうどいいしお揃いにしたらどうですか?中に写真も入れられますよ。僕らからの誕生日プレゼントにしましょう。うん、それがいいやっ!」


「でもユウ君…。お母さんの形見だって──」


「あれは嘘です。そう言ったほうが効果的かなって思ったので」



 よく回る舌だこと。

 目を丸くする昏鳴くらなりさんを気にもかけず、滔々とうとうと語る親友に俺は呆れた目を向ける。


 あれは俺とユウの両方の母親と不倫していた親父がそれぞれに送ったいわくつきの代物なんだけど…。


 まあ、俺もユウも嘘は得意分野か。

 モノに罪は無いし、あのペンダントにも新しい思い出を作って欲しい。


 それでも遠慮する2人に「るるちゃんにもプレゼントが無いと寂しいから」とやや強引に押し付けた。


 俺達はもうそれを必要としていない。

 ただの惰性だ。



「お兄ちゃん、ほんとにるるのプレゼント見つけてくれたね…」


「まあ、約束したからな」



 もじもじと顔を赤くして俯く。

 頭を撫でてあげると猫のように喜んだ。

 


「ね?お兄ちゃん。屈んで目を瞑って…?」


「……?えっと、これでいいかな?」



 なんだろう?


 プレゼントでもお返しにくれるのだろうか?


 俺は言われた通り、るるちゃんに目線を合わせて瞼を閉じる。




──唇に温かい感触があった。




「えへへ♪」


そして照れ臭そうに、顔を真っ赤にしてはにかむ。


最近の娘はマセてる。


昏鳴さんが楽しそうに「あらあら」と笑った。

ユウは「よかったじゃん」と飄々としている。


 俺は困り笑いで、るるちゃんはご機嫌だった。



──太陽の光が指すテラス。


 初夏の訪れを告げる風が平等に、吹き抜けた。














   ◇   ◆




「──ユウ?何してるんだ?」


「ん?今の光景を大学のSNSに流そうと思って」


「──よし、お前を殺す」






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親友をどうにかして〇したい俺と何とか逃げ切りたい僕 @okamoto45

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