番外 燐火の甘い日々
破滅級の敵、喜悦の悪魔を討伐して以来、燐火たちの所属する淵上高校は穏やかな日々を迎えていた。
東京に存在する大穴は、しばらく活動していない。『魔の者共』が出てこなくて、戦乙女の仕事は開店休業状態だ。
近く、東京の大穴には研究者を中心とした調査団が派遣される予定だ。
地球上で初めての大穴の調査。大穴から『魔の者共』が出てこなくなることなど、今までなかった。
破滅級を倒すことで、大穴は活動を停止するのではないか、というのが科学者の仮説だ。
淵上高校は、現在ではほとんど普通の女子高と同じような時間が流れていた。
時間ができた戦乙女は、女子高生らしく噂話にいそしんでいた。
「ねえねえ、天塚先輩ってどこか変わったよね」
「分かる分かる。なんていうの、柔らかくなったっていうか、笑顔が増えたっていうか……綺麗になった?」
「あ、そうそう! 前から綺麗な人だと思ってたけど、肌とかツヤツヤしてもっと綺麗になった!」
噂をしている二人の女子生徒のそばを、とある人影が通る。
彼女は短い髪を揺らしながらキビキビと歩いていた。
「あっ、天塚先輩!? あの、今のは……」
まずい、噂話を本人に聞かれたか。そう焦る片方の女子生徒。
「ん? どうかした?」
わずかに微笑み、問いかける燐火。その柔らかい様子を見たもう片方の女子生徒は、思い切って彼女に直接問いかけた。
「あの、天塚先輩が光井さんと最近深い関係になったって本当なんですか!?」
「ちょっと真奈美!?」
驚いて真奈美を止めようとする女子生徒。しかし真奈美は止まらない。噂話に飢えた女子高生の勢いは、まるで興奮した猪のようだった。
「恋は人を綺麗にするって言いますよね! 燐火先輩が綺麗になったのは、ズバリ恋の、愛のおかげだと私は推測するんです! そこのところ、どうなんですか!?」
燐火の形の良い顔がピタリと固まる。片割れの女子生徒は、ハラハラとそれを見守っていた。
燐火は怒るかもしれない。『魔の者共』と戦っている時の彼女の形相は、それはそれは恐ろしいものだった。
そんな彼女が自分たちに向けられると考えると、寒気がする。
しかし燐火の無表情は、次第に赤く染まっていった。やがて、彼女の整った顔は熟れたリンゴのように真っ赤になってしまった。
相対する二人の顔が驚きに染まる。それは、普段一般生徒はまず見ない顔だった。
「い、いやいや。優香ちゃんとはあくまでバディ。義姉妹と言ってもそういうことではないよ」
「じゃ、じゃあその反応はなんですか、天塚先輩! とても血みどろ一等星ブラッディエースと呼ばれたあなたには見えません! やはりあなたは変わった……いや、変われたのではありませんか!?」
前提として、二人の女子生徒は天塚燐火が恋しているなら応援する気でいた。
彼女たちなりに感謝しているのだ。幾度となく戦乙女たちのピンチを救った燐火が幸せになれるのなら、応援するに決まっている。
だからこそ、燐火の口からどういうことなのか聞きたかったのだ。
「……」
燐火が赤い顔をそっと逸らす。
わずかな沈黙。燐火の次の言葉に注目が集まる。
やがて、彼女の震える唇が動き出した。
「わ、私は用事があったんだった! ごめん、二人とも。この話はまた今度で!」
「え? ……あ、天塚先輩が逃げた!」
ぴゅう、と最強の戦乙女に恥じない足の速さを見せて廊下を駆けていく燐火。二人の女子生徒は、それを追うことができなかった。
◇
「――いやあ、天塚先輩絶対結構進んでるよね」
「だよね! 私の見立てではBくらいまでは……」
「Bって……ええ? まさか!」
先ほど話していた女子生徒たちの声が遠くに聞こえる。
その場から逃げ出した俺は、その声を余すことなく聞き取っていた。
俺の戦乙女としての『特徴』である『心身合一』は、興奮すればするほど身体能力が上がる。
要するに、俺は言葉責めによる羞恥プレイで『特徴』を発動、底上げされた聴力で彼女らの会話を余すことなく聞き届けていた。
……うーん、恥ずかしい。頬がまた熱くなるのを感じる。
痛めつけられるのとはまた違う、もどかしい快楽だ。
「さてと、優香ちゃんは今日は図書室だったかな」
愛しい彼女と合流するために、俺は廊下を歩く。彼女のことを考えていると、無意識に手が首に巻いたチョーカーに触れていた。
静かな図書室の扉を開けると、一人の少女の姿が目に入ってきた。
手に持った本から顔を上げて、窓の向こう側の夕陽を見ている。
「優香ちゃん、お待たせ」
彼女が振り返る。俺の姿を認めた優香ちゃんは、頬を綻ばせた。
「燐火先輩。来てくれたんですね。良かったです」
「よかったって……私が来ないとでも思った?」
一歩、二歩と近づきながら彼女と会話する。優香ちゃんの顔は、少しだけ元気がないように見えた。
「……沈んでいく太陽を見ていると、ふと思ったんです。燐火先輩が私を、私だけを特別な目で見てくれる。こんな奇跡は、ある時ふとした瞬間に終わってしまうんじゃないかって。太陽ですら沈むように、燐火先輩もいなくなってしまうんじゃないかって」
「太陽は、いつか没するものだよ」
私は、一度失った人間だ。だから、そのことは十分分かっている。
「……すいません。本を読んでいたららしくもないことを考えてしまったんです。さっきのは忘れてください」
「いいよ。そういうこともある」
「――素直に、燐火先輩が待ち遠しかったって言えばよかったんですね」
「ッ……!」
ああ、そんな不意打ちズルいじゃないか。
優香ちゃんの顔は夕陽に照らされて赤く染まっている。俺の顔の方は……確認するまでもないことだろう。
寮までの道は、二人でゆっくり談笑しながら歩くにはあまりにも短すぎる。
ゆっくりと過ごしたい私たちは、必然的に校内にあるカフェへと二人で入るのだった。
店内の落ち着いた雰囲気は居心地が良い。きゃあきゃあ、という女子高生らしい高くて大きな声は聞こえない。ひそひそと、みんながこの空間の空気を守ろうとするようにお淑やかに過ごしていた。
「そういえば燐火先輩、私たちの海外行きの話はまとまったんですか?」
「いや、戦乙女の国境移動なんて初めての試みだからね。まだ調整中」
破滅級の討伐に特に貢献したとされた俺と優香ちゃんの義姉妹は、他地域や国の破滅級の討伐のために力をふるってほしいという依頼が来ていた。
俺としてはもちろんやぶさかではないし、優香ちゃんもそれで人が助けられるなら、と快諾した。
注文をしてすぐに飲み物が届く。
私が頼んだのは、コーヒーとショートケーキ。ちょっと前までなら余分な糖分を取ると戦いに影響しそうだったのでケーキなど食べなかったが、今なら大丈夫だと思う。
コーヒーにはミルクを少々。男だった頃にブラックコーヒーをがぶがぶ飲んで勉強に集中しようとしていた頃が懐かしい。
「優香ちゃんは相変わらず私と一緒?」
「はい。正直、こういうところでどんなもの頼んだらいいか分からないんですよね」
恥ずかしそうに優香ちゃんが笑う。こういうところで初心なところを見せてくる彼女が愛おしい。
そして同時に、俺の中で嗜虐心が湧いてきた。
「優香ちゃん、こういうところでは食べさせあいっこするのが礼儀なんだよ。だからはい。私のショートケーキ、食べて」
「えっ? 私たちのメニューは同じで……」
「私のケーキが食べられないの?」
ケーキを乗せたフォークを突き出して少しだけ眉を下げてみせる。
やがて観念したように優香ちゃんが小さな口を開けて俺のケーキを食べてくれた。
「……もぐもぐ」
ちょっと不満そうに俺を見てくる優香ちゃん。
俺は、それに対してちょっとした優越感を持ってコーヒーを啜るのだった。
「……燐火先輩、じゃあ私のケーキも食べてください」
今度は優香ちゃんが自分のケーキを突き出してくる。
しかし俺は、それに対して用意していた決まり文句を言った。
「ごめん優香ちゃん。私はもうお腹いっぱいになっちゃった」
無表情でお腹をぽんぽんと撫でる。当然膨らんでなどいない。俺が食べたものは、大抵その日のランニングで全部消化されるはずだ。
「……先輩は本当に噓つきですね」
「あれ、嫌いになった?」
「そんなわけないじゃないですか。ほら、これも私がこう言うって分かってて言ってる」
「ははっ。優香ちゃんは思い通りのリアクションをしてくれるからね。つい楽しくなっちゃって」
あんまり揶揄うのを可哀そうだな、と思った俺は少しだけ身を乗り出してケーキを差し出されるのを待った。
優香ちゃんはちょっと不満そうな顔でケーキを出す――ものだと思っていた。
しかし、彼女は蛇のように俺の体に手を近づけると、俺の首にそっと手を添えた。
「ッ……」
彼女のくれたチョーカーは、要するに俺の従属の証だ。
それに触れられた時点で、俺と彼女はもう義姉妹ではない。それ以上の関係だ。
優香ちゃんが妖艶な笑みを浮かべる。細められた目が、じっと俺を観察する。
自分の心臓がバクバクと音を立て始めたのが分かる。まだ夜ですらないのに、体温が上がって仕方ない。
ニヤリと笑い、彼女は言葉を口にした。
「先輩、罰としてこの場でキスしてください」
こく、と頷く。反論などできるわけがない。期待に体が沸騰するように熱い。
席を立ち、優香ちゃんの正面に。彼女は座ったまま俺を待っている。
覆いかぶさるようにして、俺は彼女の唇に唇を合わせた。愛おしい柔らかい感覚に、脳内の幸福が絶頂に至る。コーヒーよりもずっと熱くて、ケーキよりもずっと甘い口付け。
熱に浸りながら、俺はふらふらと自分の席へと戻った。優香ちゃんは、俺を冷静な顔で観察してクスクスと笑っていた。
「燐火先輩。私たちがこんなことしてること、みんなにいつバレますかね」
ああ、彼女は俺がどうすれれば喜ぶのか知り尽くしている。
俺がこの学校で築き上げた孤高のエースというイメージ。それを自らで覆すことを、彼女は望んでいるのだ。
すべて、俺を喜ばせるきずつけるため。
彼女は俺を知り尽くしている。
チョーカーに手を当てる。胸の高鳴りは、いつまで経っても落ち着きそうになかった。
最強戦乙女の愚行記~ドMなTSっ娘は心配されながら傷つきたい~ 恥谷きゆう @hazitani_kiyu
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