第48話私の幸せ
喜悦の悪魔が消え、そして人間に化ける敵もエルナによって倒され、『魔の者共』は連携を失った。
散り散りになっていく敵を掃討してから、俺たちは淵上高校へと帰った。
世界で初めての破滅級討伐の報告は、淵上高校、そして世界中を駆け巡った。
いつ終わるとも分からない『魔の者共』との戦いを強いられている人々にとって、それは大きな希望となっているようだった。
東京の大穴は、あの日から動きが沈静化している。喜悦の悪魔との戦いを繰り広げた二日間で、俺たちは相当な数の『魔の者共』を倒したはずだ。
しばらくは安泰だろう。
俺たちは、太陽が没した日から続いた因縁に終止符を打つことができたのだ。
単に喜悦の悪魔を倒せたというだけではない。
優香ちゃんのおかげで、俺はずっとつき纏っていた自己嫌悪に折り合いをつけることができた。
◇
「結局のところ、燐火ちゃんは救われることができたのかな」
これが夢だ、とすぐに気づいてしまうことがある。
俺の目の前には、ニコニコ笑う真央先輩の姿があった。
俺の妄想の彼女ではない、本物の真央先輩だ。そう直感して、その体に抱き着こうとする。けれど真央先輩の体は半透明に透けると、俺の腕をすり抜けた。
「あっはは。燐火ちゃん、再会して最初のリアクションがハグとか、結構大胆だよね」
「……もう、隠すこともないってことに気づきましたからね。オレは真央先輩が大好きですから」
泣きたいのを堪えて、素直な気持ちを伝える。
「あっはは……そんな正面切って言われると照れるね」
わずかに頬を赤くする真央先輩。その頬に触れて熱を感じたい、と思う。しかし、触れることは叶わない。
これはいったいどういうことなんだろう、とあたりを見渡すと、淵上高校の俺の自室だった。
ベッドは二つ。真央先輩と同じ部屋で生活していた頃と同じだ。
「……死んだ人との会話の場所にしては、味気ないですね」
「そう? いつも通りっていうのも悪くないと思うけど」
立ち上がった真央先輩が、狭い部屋の中を歩き回る。
「それで燐火ちゃん、どうなのかな。あなたは結局、救われたのかな?」
救われたのか。そう聞くと、なんだか大袈裟な気がする。
「まあ、前よりはずっと幸福ですよ。夏美もエルナもみんな生き残って、そして優香ちゃんはオレを認めてくれる。優香ちゃんのモノとして自分を認識することで、俺は自己嫌悪の呪縛からある程度解放されました」
けれどもそれは救われた、なんて綺麗な言葉で言い表すのは少々躊躇われた。
「別に何かが革新的に変わったわけじゃないです。ただどうしようもない人間だったオレと地続きのところに天塚燐火があって、未だにどうしうようもない人間なのは確かです」
「案外冷静だね。もっとこう、優香ちゃんって子に夢中で、今が最高! って感じのテンションだと思ってた」
「あれ、嫉妬ですか?」
俺が問いかけると、真央先輩はピタリと足を止めて俺を振り返った。
「ぜ、全然! 別に私なんて所詮昔の女なんだね……とかいじけたりしてないから!」
真央先輩が真っ赤な顔でぶんぶんと手を振る。
ああ、相変わらず可愛いな。
「真央先輩は、心配してくれたんですね。オレが本当に幸せになれるのか気になって、わざわざこんなところに来てくれんでしょ?」
「……まあね。結局最後まで腹の内を見せなかった燐火ちゃんのことだから、新しい女の元でうまくやれるのか心配で。元カノとしてはね!」
……うん、まだ少し言葉に棘があるな。
「幸せか不幸せかで言えば、幸せですよ。それは確かです。ああ、最初の問いは結局救われたのか、でしたっけ」
考えるまでもなく、言葉は自然と出てきた。
「救われた、というほどではないですけど、まあ、愚かなオレにとっては最善の未来を生きているつもりですよ」
あなたが傍にいないことを除けば、という言葉は胸中にとどめる。
俺の言葉を聞いた真央先輩は、安心したような笑みを浮かべた。
「そっか、良かったよ。これで安心していける」
真央先輩が天井を見つめる。
「真央先輩。来世ってやつがあったら、また会いましょうね」
「ええー? そんなのないでしょ」
「あるんですよ」
俺ですら死んでももう一度チャンスをもらえたんだ。善人の真央先輩なら、また幸せな人生を送れる。
「じゃあ、燐火ちゃん。元気でね」
「はい。お姉さまも」
夢が覚める。
目を開けると、透明な雫が滴り落ちた。
「真央先輩。私は今、幸せです」
◇
喜悦の悪魔を倒して以来、東京の大穴からは敵がほとんど出てこなくなった。原因は分からないが、俺たちが暇になったのは事実だ。
そういうわけで、俺たち戦乙女は長い休暇をもらっていた。
大型ショッピングモールの一角、とある女性向けの服屋で、俺と優香ちゃんは買い物を楽しんでいた。
「優香ちゃん、この服なんかに会うんじゃない?」
「ええ? ……ちょっと可愛すぎないですか?」
「いや、大丈夫大丈夫。私の見立てを信じてよ」
男としても女としても、この服は優香ちゃんに合うと確信できる。試着室に向かう優香ちゃんに、俺はひらひらと手を振った。
「どうですか?」
もこもことした生地。ふんわりとした装いが優香ちゃんの可愛さを際立てている。完璧だ。
「うん、やっぱり似合うね。とってもかわいいよ」
「……本当に、先輩はなんでもないような顔で恥ずかしいセリフを吐けますね」
思ったままを言っているだけだ。恥ずかしがることはない。
「でもそんな燐火先輩にも、今日はとびっきりの恥ずかしい思いをしてもらいますからね。なんていったって今日は──お仕置きのために来たんですからね」
「……ッ!」
優香ちゃんの目がこちらを見つめている。濃密な感情の籠ったそれに、唾をのむ。激しい興奮と、抑えきれない期待。ああ、彼女はいったいどんなお仕置きをしてくれるのだろう、と俺は固唾を飲んで見守っていた。
「ゆ、うかちゃん、これは……さすがに……!」
「ええー? 燐火先輩は、最強の戦乙女なのにこの程度で降参ですか?」
「ッ!」
いつになく意地悪な優香ちゃんの姿。羞恥に体が熱くなる。
「フーッ……だ、めだよ……!」
「ふふ、燐火先輩──可愛いですよ」
「で、でも流石にこれは…………ミニスカートがお仕置きは流石にないんじゃないかな!?」
顔を真っ赤にして叫ぶが、優香ちゃんはニコニコと笑うだけで全く取り合ってくれなかった。
「だから、本当に似合ってるって言ってるじゃないですか」
「いや、違うんだよ……これは私のプライドというか、そういうのが許容できないっていうか、こういういかにも女の子は服装はダメなんだって」
「制服はスカートじゃないですか」
「あれは義務だから仕方ないけど……外で着るのはまた違った恥ずかしさがあるんだよ……!」
強制されて着るのとプライベートで着るのとでは、全く意味が違う。
「じゃあ、燐火先輩は今日帰るまでそのままです。これが私の考えた先輩へのお仕置きです」
「そ、そんな……! そんなひどいお仕置きだったのか……!?」
俺が妄想してたのと全然違う! もっとこう、直接的な痛みをともなうやつだと思っていたのに……!
「じゃあ、他のところも見に行きましょう。ミニスカートが似合う燐火先輩?」
しかし優香ちゃんが本当に楽しそうにしているのを見ると、案外こういうのも悪くないなと思えてしまうのだった。
「燐火先輩、歩きづらそうですね」
「いやだって、ちょっと歩いたら中身が見えそうだから……」
くっ、顔の熱が全く引かない。周囲の人の目がこちらを向いているような気がしてくる。
特に何かが欲しいというわけでもなく、ただ二人で店をぶらつく。
こんな瞬間を二人で過ごすこと。それができるのは、あの時喜悦の悪魔を倒すことができたからだろう。
そしてそれは、優香ちゃんが俺のことを助けてくれたおかげだ。
「優香ちゃん、これが欲しいの?」
「え? ……はい、でも高いので、買うのはやめます」
優香ちゃんが眺めていたのは、お洒落な柄のポーチだった。
「……私が買うよ」
「え? でも」
「優香ちゃんには感謝してるんだ。ほんの気持ちとして受け取ってほしい」
きっと、優香ちゃんがいなければあの日淵上高校は崩壊していたのだろう。夏美は自分の無力に押し潰され、エルナは密室に閉じこもり続けて、俺は勝手に諦めて勝手に死んでいた。
そういう意志を目に籠めて優香ちゃんを見る。
「……ありがとうございます。大事にします」
俺の想いが伝わってのか、優香ちゃんは静かに俺の言葉を受け入れた。
その後もショッピングモールを歩き続けていると、あっという間に日が暮れるような時間になってしまった。
「燐火先輩、ちょっとここで待っていてくれませんか?」
「うん、いいよ」
優香ちゃんがなぜか俺に一緒に来ないように言うと、雑貨屋の中へと入っていった。
「……」
ミニスカートのすそを少し抑えながら、人の流れをぼんやりと眺める。
平和な週末を楽しむ人たち。俺たちが『魔の者共』を撃退しなければ、ここのショッピングモールは敵の侵攻により廃墟になっていたのだろう。
こういう風景を見て、自分が守ったものを改めて実感するのも良いものだ。
「お待たせしました!」
優香ちゃんが小走りで戻ってくる。
何を買ったのだろう、と見ていると彼女は手元に持ったものを俺の方へと差し出した。
「これ、私からのプレゼントです」
「さっきのプレゼントなら、気にしなくていいよ。あれは私の感謝の気持ちだから」
お返しはいらない、と伝えたつもりだったが、優香ちゃんは首を横に振った。
「いいえ。これは私が燐火先輩につけてもらいたいから、あげるんです」
優香ちゃんがプレゼントを俺に突き出してくる。
「……これは?」
ちょっと見ただけでは何か分からず、俺は彼女に問いかける。
「チョーカーです」
「チョーカー?」
「はい。首につけるアクセサリーです」
ああ、ネックレスみたいな奴かと思ったが、受け取ったそれはだいぶ形状が異なっていた。
黒いわっかに、小さな光る石が一つだけつけられている。
「……これでいいのかな?」
首につけると、わずかに締まる感覚があった。ほのかに体に熱を覚える。それはまるで、ゆっくりと首を絞められているようだったからだ。
ああ、きっとこれを贈ってくれた優香ちゃんは、俺がこうやって悦ぶのを分かっていて渡してきたのだろう。
確認するように見ると、優香ちゃんはわずかに唇を上げて笑った。
「それじゃあ燐火先輩、これから待ちに待ったお仕置きですね」
「え? お仕置きはミニスカートじゃ……」
「どうしてたったそれだけでお仕置きがおしまいだと思ったんですか? むしろそれは準備です。──楽しみにしていてくださいね」
体が沸騰するような熱を覚える。期待に胸がバクバクと鳴り出す。
ああ、こんなに幸せな気分なのは、初めてだ。
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