everybody fights.

「シンプルなラーメンも意外と美味しかったですね」

 高速道路のサービスエリアで、さっき食べた安いラーメンの感想を呟くアヤセ。食券機の隅に表示してあるような、とりあえず腹を満たすためだけに存在している食べ物など生粋のお嬢様である彼女には初めての経験だろう。

 夜も深まってきて喧騒も少なくなり、だだっ広い駐車場の端っこに止めた俺の車に寄りかかりながらこれからのことを考える。暗闇に点在する白色の道路灯の寂しい明かり、反対側には大型車やバスの群れ、背景には虫たちの鳴き声と走り去っていく車のエンジン音だけ。

 高速を降りてどこか適当な宿で宿泊してもよかったのだが、彼女の希望でどこまでも遠くへ走り続けることになった。

 その結果が、サービスエリアで車中泊になってしまったのだから笑えない。ある意味、現実から逃避行してる日陰者にはお似合いの終着地点なのかもしれないが。


「実のところ、この後のことなんてどうでもよかったんです。面白くない現実から逃げて、最高に最悪な結末で両親に復讐さえ出来れば、ただそれで」

「つまり俺も利用しよう、と」

「ええ、そうです。だから、あえて誘拐という言葉を使いました」

 アスファルトをザリザリとなぞる彼女のスニーカー。

 何度か言い淀みながらアヤセの誘拐計画の筋書きはこう続く。 ──きっと俺は提案を断らないだろう、素直に従わずとも今までの色々で脅せばいいのだから。だけど誘拐という重みに社会的立場とを天秤にかけて、どこか適当な野山に捨てられてしまうかもしれない。そしたら、アヤセ自身の死を土産として復讐が完成するだろう、と。そう考えていたようだ。あの公園で俺と出会った偶然は計算外だったようだが、次に待ち合わせしたときに同じことを言うつもりだったらしい。

 俺はその子供じみた他人任せの自殺願望を知り、ため息を吐いた。

「アホくさ……つまり、アレか。アヤセが計画してた死ぬための逃避行じゃなくなってきたってことか」

「そうですよ。なんで、二つ返事で了承するんですか。なんで、ユウキさんも人生に絶望してるんですか。なんで……こんな楽しい旅行になってるんですか」

 アヤセは自分の腕を強く抱き、悔しさを噛み殺したような声音をボタリと地面に零す。俺は彼女に言い返せる言葉はたくさんあったはずなのに、何一つとして言葉には成ってくれず、喉が詰まるだけだった。排ガスの臭いを乗せた生ぬるい湿った風がそよと吹き抜ける。白色の道路灯が照らす足元の暗がりが一層濃くなった、そんな気がした。


***


 それから俺たちは備え付けのシャワールームで汗を流して、気まずいまま深夜の寂しいサービスエリア近辺を散歩してから車内へと戻った。居心地の悪い沈黙が充満していた。薄明かりの灯った狭い車内で二人、座席を思い切り倒して寝転んでいる。未成年のよく知らない女の子と車中泊しているという状況に、俺は心中で「事実は小説よりも奇なり」と呟きながら眠気が来るのを待っていた。

「──まだ起きてます?」

「ああ、どうした」

「なんか色々とごめんなさい。ユウキさんは何一つ悪くないのに、苛立ちをぶつけちゃって」

「気にすんなよ。女ってのは感情動物だから大変だよな」

「あーそういう悪口、今言います?」

 俺の腕をアヤセが小突いて、わざとらしく非難する。軽薄な謝罪を述べて彼女からの許しを得るという予定調和じみたことをしていると、そのやり取りのくだらなさに今まで沈んでいた空気が徐々に弛緩していくのを感じた。

 俺たちはぽつりぽつり言葉を交わす。今日のこと、昨日までのこと、明日からのこと、アヤセのこと、俺のこと、この旅のこと。薄暗闇に互いの小さな声が浮かんでは消える。車内に聞こえるのは、熱帯夜から守る空調の音、座席と服の擦れる音、俺たちの会話と呼吸音。わずらわしい社会から切り離された、窮屈で狭い安全地帯に存在しているのは──ただそれだけ。まるで子供のときに夢想したチンケな秘密基地にいるみたいだ。大人とか、将来とか、生活費とかそういう面倒くさいものから離れた今、ちょっと楽しい。悩んでた、苦しんでた、苛ついてたアレコレがなんだか急に馬鹿らしく思えてくるほどに。

 小さな声で色々話していたら、疲れが溜まっていたのだろう気付いたらお互い「おやすみ」も言わずに眠ってしまっていた。リクライニングした座席の寝心地が良くなくて、浅い眠りしか出来ずに数時間で目が覚めたとき、何故か横向きで寝転んでいたアヤセの大粒の瞳と目が合ってしまうのだった。

「おはようございますユウキさん。と言っても、まだ日の出前ですけど」

「……ずっと起きてたのか」

「いえ、寝たり起きたりを繰り返してて……そうやってうだうだしてたら、ユウキさんが起きてきました」

 俺はあくびをひとつ零して、座席を元に戻す。アヤセも座席を起こして、また俺の顔を見て微笑んでいる。固いシートで血流が悪くなったので、ストレッチをするために車から外に出ると彼女も同じように下車して俺の隣で大きく伸びをしていた。

「外、まだ暑いだろ。中で涼んでたほうがいいんじゃないか?」

「大丈夫です。ていうか、私がこうしたいから」

 そっか、と俺は適当に返事をして腕や足を伸ばす。凝り固まった背中や尻の骨が鳴り、次第にじんわり痺れてきて身体に血が生命力が巡って戻ってくる感覚がした。

「──そろそろ夜明けですね。向こうの空が明るくなってきてる」

「残酷だよな。ずっと夜ならいいのに、って何度願ったっけ」

「朝はいつも嫌いでしたけど、ユウキさんと一緒ならそんなに嫌いじゃないかも」

「言ってろ……なあ、まだ死ぬための旅を続けるのか?」

「さあ、どうでしょう。死ねるなら死んでもいいし、死なせてくれないなら……」

「先延ばしでいいだろ、結論なんてさ」

 風が吹き寄せる。アヤセの黒髪が舞い上がり、生まれたての幼い太陽がそのはためいた隙間から夜明けを告げていた。白々と陽光が世界に広がっていき、闇に慣れた瞳が透きとおるような眩しさと痛みを感じていた。

「先延ばし、ですか」

「俺もさ、別にいつ死んだって構わないと思って生きてきたけど、気付いたら三十歳を越えてたんだ。結婚もしてないし、金持ちでもないし、面白みのない人生だよ……ははっ、自分で言うのもアレだけどな。でも、たまに良いことなんてのもあってさ。この前、およそ十年ぶりに推してたバンドが再結成するってニュース知って嬉しかったんだ。そのとき思ったね──ああ、生きててよかったって、復活後のアルバムを聴くまで死ねなくなったって。俺が延命してる理由なんてそんなモンなんだよ、そういう積み重ね。これからも、たぶん、きっと」

 空の色が藍から青へ。青から蒼へと静かにゆっくりと漂白されていく。反対側の駐車場で真横から差す朝陽に照らされながら、トラックが群れ成すように蠢いて今日を始めだしていた。

「お説教かと思ったら、自分語りじゃないですか」

「悪いかよ」

「いいえ、良いと思いますよ。なんてささやかな死ねなくなる呪い、すごく私好みの後ろ向きな延命方法です。 ──ユウキさんも、私も、みんな病んでますね」

「ああ、病んでるよ。だけど、不器用になんとか生きてる」

 朝の訪れを全身で浴びながら、少しずつ昇っていく太陽を俺たちは眩しさに目を細めながら、静かにじっと眺め続けていた。


***


 これからどうしようか。もう少し逃避行を続けてもいいかもしれない。七月が終わり、これから八月が来る。蝉たちが叫びうるさい八月が。

 目の前に横たわる現実問題は何も解決してないし、むしろ悪化してるけれど、今が楽しいから気にしないことにしよう。俺は、アヤセは……生命力に溢れたこの季節を乗り越えられるだろうか。

 いや、別に乗り越えなくていいのだ。毎日、少しだけ死ぬこと先延ばしにできれば、延命の呪いをかけていけばいい、そういうのが性に合ってる。それでいいんだ、俺たちには。

「よし、朝飯でも食べにいくか!」

「ついでお土産も買っていきましょうよ」

 しばらく逃避行は続く。

 きっとこの旅の果てに幸せな結末など無いだろう。それでもいい。今が楽しければ別に。ままならなかった人生だから、それぐらいは神様も目をつぶってくださるかもしれない。俺は先を行くアヤセを追いかけるように夏の気配が強くなる朝の中を歩き出した。


〈了〉

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先延ばしの理由 不可逆性FIG @FigmentR

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