木曜日の不在

夕凪

第1話 

 やっと夏の暑さも和らいできた10月某日の放課後。その日も、いつものように自分の席で本を読んでいた。教室には自分以外に誰もおらず、吹奏楽部の演奏や、運動部のかけ声らしきものが遠くからうっすら聞こえるものの、教室内は至って静かだった。

 席は、窓際かつ一番後ろというベストポジション。このクラスでは席順は名簿順で決まり、さらに席替えは基本的にはしないという慣習になっている。名簿が最後の僕は、したがって、一年中この席を堪能することができるのだ。思わずご先祖様たちに感謝の一つもしたくなる。心の中で、なむなむ、などと唱えていたところで、教室のドアが開いた。

 「ごめんなさい、結城ゆうきさん」

 同じクラスの佐倉さくら奈緒子なおこが教室に入るなり言った。突然謝られても何一つ心当たりがないので、身体が一瞬固まる。

 「なんのこと?」

 僕は首だけ彼女の方を向いて訊く。

 「あ、いえ、私、今日は木曜日なのに何も言わずに教室を出ていってしまったので……」

 佐倉は、頭を小さくペコペコ下げながら申し訳なさそうに微笑んでいる。

 ああ、そういうことか。今日は木曜日じゃないか。


 毎週木曜日の放課後は、僕と佐倉、それにクラスメイトの小林こばやし寛人ひろとを加えた3人で集まるというのがここ半年間の習慣だった。集まるといっても特に何をするというわけでもなく、授業で分からなかったところを教えたり、ボードゲームをしたり、ただただお喋りをするといったものだった。帰宅部の僕は毎日のように教室に居座っているのだが、佐倉は生徒会の仕事、小林はバドミントン部の練習があるため、唯一、3人が同時に集まれる日が木曜日だったのだ。そしてこの集まりは、始まって以来一度も途絶えたことが無かった。

 普段の木曜日であれば、ホームルームが終わった後、佐倉と小林はすぐさま教室の左後ろの僕の席に寄ってくる。その様子を眺めると、ああ、今日は木曜日だったな、と曜日感覚がはっきりするのだ。今日はそれが無かったため、そもそも今日が木曜日だなんて忘れていた。


 「そっか、今日は木曜日だったね。何か用事があったの?」

 「はい、ホームルーム終わりに人に呼ばれてしまって……何も言わなくてすみません」

 佐倉は、また小さくペコペコしながら近づいてくる。その仕草がツボにはまったので思わず吹き出しそうになる。佐倉はどうやら箱入り娘らしく、言葉遣いが丁寧で上品なオーラをまとっているものの、ときどき空回りしている印象がある。一言で言えば、天然、というのだろうが、本人は真剣そうなのでそのあたりについては言及しないでいる。

 佐倉が僕に声をかけずに出て行くのは少し意外に思ったが、じきに生徒会長選挙もあるし、生徒会も何かと忙しいのだろう。

 「全然いいよ」

 本当に気にしてないので、本当に気にしていない風に言った。気にしていないどころか今日が木曜日だということすら忘れていたので、僕としてもどこか申し訳なさを感じる。

 「それより、小林もいないなんて珍しいね。部活の用事が入ったのかな。近々、大会があるとか何とか言っていた気がするし。いや、でもあいつなら声くらいかけていきそうなものだけどな……」

 「それです!」

 いつの間にか一つ前の椅子をこっちに向けて座っている佐倉が、身を乗り出しながら言った。

 「ん、だからなんのこと?」

 「あ、いえ、その、結城さんは、小林さんに何があったと思いますか?」

 「だから、まぁ、部活の用事とかじゃない?彼にも色々あるんでしょ」

 適当な調子で答える。

 「もう、折角ならもっと真面目に推理してみましょうよ!」

 佐倉の顔がもっと近づいてきた。近い。距離感バグってないか、この人。急に体温が上がった気がする。顔に出てないといいけれど……。

 「折角って言うほどのことではないだろ。それに推理っていうほどのことでも。分かっていることが殆ど無いんだから、推理というか妄想になっちゃうよ」

 なるべく平生を装いながら、そして自然に、少しずつ体を退けながら言った。

 「妄想でもいいですよ。一緒に妄想してください!」

 「ちょっと、言い方に語弊があるよ、それ」

 「でも結城さんの方ですよ、妄想って言ったのは」

 きょとん、とした表情。今日の佐倉はいつもに増して天然の度合いが大きい気がする。そして、ここまで食い気味なのも珍しい気がする。

 「まあいいや。特段話したいこともないし、小林に何があったのか、話し合ってみようか」

 僕が諦めたようにそう言うと、佐倉は頭を小さく下げてから、

 「ありがとうございます」

 とだけ言って微笑んだ。

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木曜日の不在 夕凪 @yunagichan

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