その夏、大翔くんの彼女は死にかけのカエルだった

和田島イサキ

空の下ひとり潰れた青蛙たかる蟻なく鳴く声もなく

 人間、とりあえず生きていれば良いことはあるもので、よわい十六にして初めての彼氏ができた。


 正確には、なんかよくわからんクソガキに勝手に恋人にされた。

 まあ仕方ない。男子児童というのはおかしな生き物で、落ちてるものをなんでも拾ってしまう習性がある。男子小学生の世界において、最初から地面に落ちているものは「ご自由にお取りください」の類で、だからわたしにもそのルール、最初に拾ったもん勝ちの法則が適用された。

 結果、ケロピーはたいの彼女ということになった。

 ケロピーというのはわたしの名前だ。親からもらったものではなく、なんか勝手につけられた。彼氏に。


 よくよく考えてもみれば恐ろしい話だと思う。

 わたしの彼氏は、人をモノとして扱う行為に、なんら良心のしゃくを感じていない。

 狂った所有欲に取り憑かれた無邪気の怪物。逃げなきゃ、という判断はたぶん正しいと思うけれど、しかし体がいうことを聞いてくれない。公園の隅っこ、ふらふら数歩あるいたところでベシャリと地面に倒れて、そして大翔に引きずられてまた元のベンチへと戻る。


 真夏の昼下がり、この木陰のベンチに釘付けにされて、一体どれくらいが経っただろう。


 ほんの数分のことだとは思う。それ以上、例えば数十分単位でこの状態が続いているとしたら、どのみち手遅れな気もするからあえては考えまい。

 大翔も一応、わたしが死にかけっぽいのは気にしているみたいで、とにかくわたしをベンチに寝かせたがるだけでなく、自分の水筒をしきりに押し付けてくる。熱中症対策か何かなのか、最近の子供は特にこの時期、こういう自前の水筒を持ち歩くのが普通のようだ。

 優しい、と、一見すればそう思えなくもないけど、でも違う。

 介抱、というよりはおそらく、餌付けに近い。自分の食いもの飲みものを分け与えることで、より色濃く「所有の実態」を形成するための儀礼的行為。だから要らん、と跳ね除けようにもその体力がなく、半ば無理やりに流し込まれた麦茶が、唇の端からこぼれて襟口へと伝う。

 ゔー、と獣のうめき声のようなわたしの声が、公園の蝉たちと奇妙なハーモニーを奏でた。


 夏休みの田舎、住宅街の小さな児童公園。

 その隅っこ、潰れた青蛙みたいな格好で、地べたに落っこちていた女子高生。


 ゆえに、ケロピー。他にも背がちっこくて丸顔で、あと口がでっかいのもあると思う。横に長い。ムニっと引き結ぶとなんかすごいとこまでくる。実は「カエルっぽくてかわいい」的なことはわりと言われた経験があって、でもわたしは思わない。カエルを、あるいはそれに似た特徴を備えたホモ・サピエンスを、かわいいものとは、そんなに。子供の頃からずっとコンプレックスだ。昨今の新しい生活様式、外ではマスクを着けるのが当たり前という常識に、誰より感謝しているのがこのわたしだと思う。

 ——本気出すと口がこんなところまで来る女に、彼氏なんか一生無理、と思っていたのに。


「ゔー」


 木陰のベンチ。できたばかりの彼氏に付き添われてしばらくぐったりするも、しかし調子はなかなか戻らない。

 いつもの、というにはちょっと症状が重めとはいえ、でもわたしが倒れるのはよくあることだ。

 平たく言えば、単なる持病。数年前、急に発症した難病の、その治療薬の量を調整し損ねるとすぐになる。頭がくらくらしたかと思えば全身にブワッと汗が噴き出て、その場に屈み込んだまま動けなくなる——という、その様子がまた『蝦蟇の油』にそっくりなのだから本当にひどい。

 貧血と間違われることも少なくないけど、この時期はむしろ熱中症と誤解されることが多い。そういう意味では、大翔がお茶を飲ませたがるのもまあ無理もないかしれない。惜しい。せめて水筒の中身が麦茶でなく、スポーツドリンクとかならよかったのだけれど。


 甘いものが欲しい。糖質、っていうか、糖類。

 おい彼氏なんかアイスとか買ってきて、とは、でも言えない。そういうのはよくない。わたしは高校生で、だから小学生をパシリに使うのはまずい。デートDVだ。使い走りでなく奢らせるつもりならなおのこと。付き合って早々モノをおねだりしていいのは、よほど綺麗で魅力のある女だけだという、その信条というかわたし内ルールに反する。

 一応、配慮の一環として断っておくと、そんなこと気にしてるような場合じゃなかった。命の方が大事だ。なにより糖分の補給を優先すべきなのは明白で、でもそんなまともな判断ができるようなら、最初から倒れてなんかいない。ぼんやりする。世界のすべてが曖昧で、なのにソワソワ追い立てられるかのような飢餓感だけがあって、つまり脳の機能が著しく低下していた。


 動けない。糖分が欲しい。そんな欲求がでも「ゔー」という曖昧なうめきに変わって、だからまったく気づけなかった。

 彼氏の動き。それは貴重な麦茶のお返しにってことなのか、わたしのさして大きくもない胸を、なんか好き放題揉み散らかしていたことに。

 いや、さすがに自分の体のこと、揉まれてる感触はあったしそれを「揉まれてんなあ」と理解はしていたけれど、でもそれすらどこか遠くの出来事というか、すべてが曖昧な状態だった。たぶん「起きながら寝ぼけてる」というのが一番近い。


 本当に、何もかもがなんだかよくわからない状態で——だから、も知らない。


 夏休みの公園。よくよく考えてもみれば当然のこと、こんな環境に湧く男児が単体のはずがないのだ。


 一緒に遊ぶための集合場所。たまたま最初にやってきたのが大翔だったってだけで、最終的に全員集合したらうっすら十人ほどになった。大群だ。わたしを含めたら十一人いる。

 彼氏の友達なんだからせめて挨拶くらいは、とは思えど、やはり「ゔー」以外の声は出せそうにない。結果、わたしは次々湧いて出る夏の小学生の、その全員から無理やりお茶をご馳走される羽目になった。


 もうろうとしたままのわたしの口に、代わる代わる自分の水筒を押し付ける彼ら。もちろん飲むつもりなんかないっていうか、もう誰に何をされているのかもよくわからない。

 混濁していた。意識が、わりと。今日もきっとカエルのように長いこの口角から、無理に注がれたお茶がダラダラ首筋へと流れて、ブラウスから何からもう全部びちゃびちゃ、気分はもう花まつりのお釈迦様だ。

 天上天下唯我独尊。不意に起き上がり、七歩進んでその場にベシャっと倒れて、そのまま「ゔー」と這い逃げようとするカエルをみんなでひっくり返し、その胸に蟻のように群がる男児の軍勢。

 こうしてこの世界にまたひとつ新たなルールが生まれた。


 大翔の彼女は、お茶をあげたらおっぱいを揉んでいい。


「ゔー」


 そのうめきは果たして「逃げなきゃ」なのか、それとも「助けて」だったのか。

 もはや自分でさえも判然としない、その混濁した意識の向こうに——。


「そういうのよくないと思う」


 見えた。ただひとり、そのなし崩しの悪法に、NOノーを突きつける反逆児の姿が。

 背が高く、清潔感に溢れ、なにより明らかに賢そうだった——というのは、あるいはわたしの贔屓目だったかもしれない。だってブランコの脇、群れから離れてひとり佇む彼に、でも大翔が投げかけた返答、


「水筒忘れたん? じゃあ自販機でお茶でも買ってりゃよくね」


 という言葉に、さも「それだ」と言わんばかりに顔をぱあっと輝かせたのが見えて、おかげで「やっぱチビだし汚ないしバカっぽい顔だ、死ぬべき」って思ったから。


 ——それでも。

 どんなにチビで汚くてバカ丸出しのハナタレ顔で、しかもひとりで拗ねて集団の輪の外でウジウジいじけながら、悔し紛れにルール破壊の提案をするようなカスの負け犬だったとしても。


 目が合った。

 それだけで、こいつは胸でなく顔周辺を見ているという、つまりおそらく意思疎通が可能というその一点だけでも、わたしの救世主マイトレーヤには違いない。


「甘いのがいい」


 初めて発することのできた「ゔー」以外の言葉は、でも声になったとは言い難い。

 公園の隅、お茶と汗で全身ぐしょぐしょにしたまま、群がる男児の輪の中でぐったり死にかけているわたしの、それでも絞り出した強気のおねだり。彼氏でもない男へのプレゼント強要。少し遠く、ブランコの脇でずっとわたしから目が離せなくなっている彼の、その目をこちらからもじっと見返しながら、掠れた声と唇の動きだけでそう伝えた、そのとき。


 まるで、ぱあんと弾けるみたいに。

 公園の外、ものすごい勢いで駆け出していく少年。


 さして遠くもなかったはずの、最寄りの自販機までの道のり。

 やたら時間のかかった彼の道程に、一体どんな冒険があったかは知らない。


 再び公園に舞い戻ったとき、小さな救世主は全身ズタボロだった。炎天下の全力疾走、全身汗だくなのはまあいいとして、でも服は汚れているわ膝は擦りむいているわ、まさに満身創痍といった様相だ。

 その小さな右手、しっかと握り締められていたのは、ロングサイズのお徳用缶コーラ。きっとなけなしのお小遣いで買ってきてくれたのだろうそれの、表面を流れ落ちる結露の雫が、真夏の陽光にキラキラ輝いて見えた。

 ——長かった。

 やっと来た。救いの光明。どこまで買いに行っていたのか知らないけれど、体感的には五十六億七千万年ほど待たされたような気がする。


 男児たちの輪に駆け込みながら、彼はその場でプルタブを引き起こす。

 当然、起こる。大災害が。スプリンクラーよろしく噴き出すベトベトのコーラが、群がっていた男児たちをまるで蜘蛛の子のように散らす。ロング缶でよかった。缶の中、それでもまだ半分くらいは残っていた炭酸抜きコーラの、その脳の髄まで染み渡るような甘み。


 ——感覚が、戻る。

 手足に、体に。

 ずっとぼんやり曖昧だった、この役立たずの大脳新皮質に。


「ありがとう。死ぬとこだった。本当に」


 のそのそ身を起こしながらのわたしのお礼に、「どういたしまして。では」と手を伸ばす少年。その手を、叩く。揉むな殺すぞと告げる。どうあれこうして意識が復活した以上、もうお前らのようなクソガキども相手に、茶の一杯や二杯程度で揉ませてやれる安い胸なんかない。


「ぜったいにゆるさんぞ虫ケラども! じわじわとなぶり殺しにしてくれる!」


 そこから先は大変だった。

 大暴れ。真昼の児童公園、十対一の大乱闘。小学生相手に本気を出して、ちぎっては投げちぎっては投げの大立ち回りを演じてみせるわたしに、でもクソガキどもは本当にクソガキだった。

 わりとすぐ順応してきたというか、別に作戦タイムを設けたわけでもないのに数の利を生かして、まるで軍団レギオンのように連携してくる。

 まず右足、次いで左足。そして最後に右手左手と、ひとりが一部位だけを狙ってしがみつくことで、あっさりこちらの動きを封じることに成功した。クソガキが。ゆるさんぞ。ちくしょう。くやしい。本当にくやしい。


「別れる! 絶対に別れるから! 判断力が落ちてたときの約束は無効だから!」


 大の字の姿勢で天を仰ぐ公園の中央。四肢にそれぞれ三、四十キロほどの重石を抱えて、いま自由になるのはもうこの口だけだ。喚く。蝉に負けじと、大声で、人生で初めての別れ話を告げる。真白い太陽がわたしの視界を焼いて、目尻から流れ落ちるのが涙か汗か、惨めな青蛙にはもはや判別がつかない。


「ケロピーじゃないもん! ぢがうもん! あだじガエルなんがじゃないもおおん!」


 うぎゃぁぁーっ、と大人が出しちゃいけないタイプの大声で泣き喚くわたしに、さしものクソガキたちも冷静になる。引く。さあっと、まるでさざなみのように、何かそれまで彼らを支配していた熱狂のようなものが。

 きっと彼らがその人生で初めて目にする、大人のはずの人間のガチ泣きだ。なんと大翔すらもが「ごめん」としおらしい姿を見せて、そしてひとり、またひとりと、この公園を後にする。逃げてゆく。散々揉んだはいいけど、でもなんか見ちゃいけないもん見ちゃったと、そんなバツの悪そうな顔をして、我先にと。


 結局、残されたのはふたりだけ。

 砂場に這いつくばってヒックヒック泣きはらすわたしと、そして再びブランコの脇、露骨に「僕だけまだ揉んでないんだけど」という不満顔で佇む、さっきの救世主少年。

 あの千年の恋も冷める無様な慟哭を目の当たりにしてなお、捨て去ることのできない胸揉みへの執着——いや、仲良し男児グループの中で自分ひとりだけ〝男になり損ねた〟という事実が、彼に「僕は自分のお小遣いまで使ったのに」という汚い金の話をさせる。


 まあわかる。気持ちは、一応。実際、理不尽な話ではあった。

 なんせひとりだけ身銭を切って、しかも全身ボロボロにしてまでわたしの要望に応えて、一番頑張ったしまた「彼のコーラがわたしの命を救った」という事実さえあるのに、でも彼だけがなにひとつ報われていない。

 揉めてない。胸を。一度も。まあ仕方ない、人生そんなもんだよ少年と、現実を知れ甘えんなクソガキと——まず水筒忘れてタイミングを逃したその時点で、もう「なんか違う方」のランクに仕分けされちゃったんだよお前、と、群れからはぐれた個体が相手ならわたしも強気に出られる。


 揉ませはしない。絶対に。命の恩人には違いないしそこは感謝もするけど、でもそれとこれとは別の話だ。こんなわたしにだって揉ませたい相手とそうでない相手が、つまり揉まれるような関係になっても構わない、いわゆる好きな相手というのがいるのだ。

 もとい、いたのだ。今はいない。恋とは無縁の高校生活で、だから初めての恋を知ったのは中学の頃。

 そこで思い切って告白して、でもこの口が原因でふられた、みたいな、そんなわかりやすい失敗のひとつでもあればよかった。現実にはただそうなるのを恐れて、ずっと遠くから眺めるだけの日々だ。

 甘かった。現実を知らなかったのは当時のわたしだ。マスクで口を隠したままでいられる、そんな生活はまさに理想で、でも片思いひとつでわたしは自分の浅はかさを知った。外さなきゃでは? どうあれ、いずれは、好きな人の前では。でもどうやって、いつ、どのタイミングで? 答えのないその問いと向き合うのを恐れて、わたしは初めての恋を自ら墓地へと送ってしまった。


 ——ばかだ。わたしは。

 本当にどうしようもない愚か者で、だからこそ言えることがある。


 これから初めての恋を迎えるだろうお前へ。

 わたしのようにはなるな。こんな恥ずかしい弱虫には、なにがあっても、絶対に。

 恋は真夏の蝉のように、あるいは難病でふらふらのカエルのように、とても寿命の短い生き物なのだ。逃げるなとは言わない、大事なのはあくまで逃さないこと。その手に偶然転がり込んできたのが千載一遇のチャンスなら、なにがあっても絶対に逃しちゃダメだ——と、そのわたしの後悔含みの助言に、ただひとこと「わかった」と素直な少年。


 ほのかに翳りつつある陽光の下。

 確かに通じ合えた、と思ったその瞬間に、しかし無言で真っ直ぐ駆け込んでくる少年。


 揉まれた。

 滅茶苦茶に、それこそダミ声で「痛っでぇ!」と、本気の悲鳴を上げちゃうくらいの乱暴さで。油断した。体格は同程度でも一対一ならさすがにわたしの方が有利と、その常識をひっくり返すほどのとんでもない力で、わたしのほとんどない胸をギュリギュリ搾り千切るみたいに揉む。痛すぎる。涙交じりの声で「クソが! 殺すぞ!」と、そう怒り狂うわたしをでも一顧だにせず、もう用は済んだとばかりに公園から駆け去る救世主少年。


 ——結果。


 真夏の公園、どこまでも高く青い空の下に、小さくか弱い青蛙が一匹ひとり


 かくして、嵐のような災難を逃れたわたしの、その「揉み逃げされた……」を聞くものはない。

 蝉すら手前勝手にジージーと、ただつがう相手を必死に誘惑するばかりである。




〈その夏、大翔くんの彼女は死にかけのカエルだった 了〉


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