後編

 二十五年眠っていたアラベルは、時のひとでした。

 国内外から、多数の要人が謁見に訪れます。そのなかには、かつて「運命の王子チャレンジ」に挑んだ男もいました。

 僕がまだ独身なのは、貴女を娶るためだったんだという男がいれば、第二妃にと望むどこかの王族もいます。国内有力貴族の多くは、似た年頃の未婚者を選出してきましたが、それらの多くは義弟であるエグモント陛下によって排除されました。

 どうやら、素行に問題があって辺境においやり、持て余していた息子たちを、再利用しようと目論んでいたようです。

 ――義姉上のおかげで、不届き者が次々に湧いてきて、掃除がしやすいですね。

 おかげで粛清が進みましたと、爽やかに笑う。

 妹が選んだ相手は、なかなかに有能でした。エグモント王、まじエグい。

 夫の手腕を褒めたのち、クラーラは改めて言いました。

「お姉さまがあのような殿方に嫁がなくて本当によかったですわ。近々お父様からお話があると思います。きちんとしたお相手を考えているはずですから」

「そのことだけれど、ねえクラーラ。私、べつにいいのよ。だってもう四十歳ですもの。しかもずっと眠っていた世間知らず。お相手が気の毒だわ」

「私、お姉さまには幸せになっていただきたいの」

「いまのままでもじゅうぶんに幸せよ。自分の身体だし、生きていることを実感しているわ。すごいことよ、生きるって」

「……お姉さま、ごめんなさい」

 泣かせるつもりはなかったのに、妹を泣かせてしまいました。

 アラベルとて王族ですから、婚姻の大切さは知っています。国力を高めたり、安定させる手段です。王家に籍は残っていますから、いずれそういう話はあるとわかっていました。思っていたよりも早かったですが、覚悟を決めなければならないようです。

 若い男性の未来を奪うのは忍びないので、その際には見合った相手を選ぼうと、思っていました。

 独り身となれば、自分よりも上の世代に限られます。おそらくは、妻に先立たれた相手の後添いになるのだろうと、ぼんやり考えていたのです。

「の、後添い、ですか、お姉さま」

「私だって自分というのものをきちんと知っているわよ。美人でもないし、社交の知識もないのよ。霊体生活が長かったから、妖精の姿は見えるようになったのだけれど、それが通用するのは幼い子どもだけだわ」

「アラベルさま……」

 妹に続いて、侍女に復帰したメグまでもが、なにか残念なものを見る眼差しを向けてきます。

 さもありなん。その年齢でなに甘いことを言っているのかと、呆れているのでしょう。

「そうよね、そもそも誰かに嫁ぐこと自体が無理という話もあるわけで。どうしましょう、私、起きたけれどなんの役にも立っていないわねえ。もうこれは寝ていたほうが、新しい興行になってよかったのではないかしら?」

 いっそ今からもう一度。

 猛スピードで迫りくる縁談から逃げようと立ち上がり、けれどふらりと貧血を起こしたアラベルを支えたのは、部屋の隅に控えていたエミルでした。

 振り仰いだエミルは、とても不機嫌そうです。前髪を撫でつけ、そのご尊顔をあらわにしたエミルは、顔が整っているだけに怒ると凄みがあります。

「……クラーラさま、メグ殿。しばらく席を外していただけないでしょうか」

「ええ、そうね。お姉さまにはきちんとわかっていただかないと」

「エミルさま、よろしくお願いたします」

「承知しております」

「ねえ、エミル。なにを怒っているの? え、待って、クラーラ。メグも、置いていかないでちょうだい」

 そそくさと出て行く妹と侍女に助けを求めると、メグが振り返って言いました。

「アラベルさま、私は無理でしたけれど、アラベルさまはきっと叶います。私が保証いたしますわ」

 朗らかに笑ったメグは、次にぐっと握りこぶしを作りました。

 それは、メグの癖です。アラベルを励ますときに、いつもそうやっていたことが思い出されます。

 年齢の近い女の子同士の、身分を越えた内緒のおはなし。

 メグは、庭師の息子に。

 アラベルは、幼馴染の魔法使いに。

 十代の淡い恋の思い出は、もう遠くなってしまいました。

 メグは別の男性と結ばれ、とても幸せそうです。庭師の息子にはすっぱり振られてしまったのだとか。実らないといわれる初恋をきちんと終わらせて、メグは前に進んで今があるのです。

 ならばアラベルだって、そうでしょう。先へ進んでいくエミルの行動力に嫉妬するぐらいなら、自分も踏ん切りをつけて玉砕してから、前へ進む。そうするべきなのです。


「ねえ、エミル。私ね――」

「おまえ、どっかの隠居老人と結婚したいのか」

 かけようとした声は、エミルに遮られます。

「したい、というか、他に選択肢はないでしょう? 私のこと、いくつだと思っているのエミル」

「俺と同い年だが」

「ええ、そうよ」

「その同い年の俺が独り身なんだが」

「知っているわ。エミルってば人間嫌いですものね。それでも随分と社交的になっているから、私は感動しているところよ」

 孤児だったということが関係しているのかどうかわかりませんが、エミルは他人を信用しないふしがありました。王族ということでアラベルとは縁がありましたが、普通に出会っていたらきっと話すことはなかったでしょうし、会ってくれることもなかったことでしょう。

「……それで、俺が独り身なのに、なんでおまえは見知らぬおっさんに嫁ぐんだよ」

「そ、そ、そうね、お父様にお願いして、エミルにも縁談を考えてもらいましょう。エミルってば、いまとても人気があるのよ。とても素敵だって噂だわ。きっと選り取り見取り、選びたい放題よ」

 大変です。エミルは、アラベルが先に脱おひとり様をすることに対して、焦りを覚えているようでした。

 ――これ、もう、私なんて眼中にないってことじゃない?

 アラベルは泣きそうでした。

「縁談など、先王には、とっくに願い出てる」

「い、いつのまに!?」

「二十五年前。この茶番劇を頼まれたその時だ」

「そ、そんな前から想い人がいたのなら、どうして呪いを引き受けたりしたのよ! 私、エミルのお相手に謝らなくてはいけないわ」

 さらなる事実に、胸は張り裂けそうです。

 自分のせいで、エミルの人生がめちゃくちゃです。

 ボロボロ泣きはじめたアラベルを慰めるように抱き寄せて、エミルは言いました。

「仕事を受けた理由はひとつしかないだろ。好きな女が国のために十年間、眠りの魔法にかかるっていうんだぞ。そんな魔法、他の誰にもやらせない。ベルの精神に干渉するのは、俺だけでいい」

「……うん?」

「引き受けたはいいが、あれはなかなかハードだった。目の前でベルは無防備に寝てやがるし、そのくせ精神体は精神体で実体以上に無邪気でやがる。どっちにも手出しができないとか、地獄でしかない」

「……えと、あの、エミル?」

「しかも、いろんな男がベルを口説くさまを見せられるんだ。なんだあれ、一国の王子だろうがなんだろうが、絞め殺していいんじゃないかと何度も思った。俺は魔法使いだし、国には縛られないしな。世話になった先王には、外交問題は勘弁してくれと懇願されたから耐えたが、ベルの身体を撫でた野郎のは潰しておいた」

「潰す……?」

「あんな奴の子孫は残さなくていいだろう。命は取らなかったんだから、感謝してほしいぐらいだ、クソが」

 低くて艶やかなエミルの声が、物騒なことを囁きつづけます。

 エミルの腕の中で、アラベルは混乱中でした。

 えーと、つまり?

「ベル」

「はい」

「眠り姫を目覚めさせる運命の相手、その条件は」

「……口づけ」

 眠り姫アラベルは、瞳を閉じました。

 そして、魔法使いエミルの口づけを受けたのちに、まぶたを開きます。

 目前に広がる夜空の瞳に映っているのは、二十五もとしを取った自分の顔。

 しかし、それがなんだというのでしょう。あのころと変わらず、いまもずっと、エミルはアラベルの傍にいるのです。

「ねえ、エミル。私ね、出会ったころからずっとずっと、エミルのことが好きなのよ」

「知ってる」

「エミルは?」

「俺がベルを手に入れるために、どれほどの時間と労力をかけたと思ってるんだ。俺の気持ちを知らないのなんて、おまえぐらいだ、莫迦ベル」

 ぶっきらぼうな物言いのまま、けれど昔よりも穏やかな笑みを湛えた魔法使いの顔が、ゆっくりと近づいてきます。

 二十五年ぶんの口づけは絶えることなくつづき、眠り姫は思いのままに、みずから瞳を閉じたのでした。







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ベルと魔法使い 彩瀬あいり @ayase24

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